2007年10月10日

[その他]パブリシティ権を巡る、新たな興味深い事案

振り付けにもパブリシティ権?〔ピンクレディー振り付けパブリシティ権事件〕の概要
MSN産経ニュース(2007年10月8日記事)によると、
 元ピンク・レディーの未唯(みい)さんと増田恵子さんが、女性週刊誌に掲載された過去のステージ写真をめぐり、「振りつけにもパブリシティー権がある」として、出版元の光文社に計312万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしていることがわかった。
とのことである。

事実関係の概要は次のようである。
(同記事より引用)
 訴えによると、週刊誌「女性自身」は今年2月27日号で、「ピンク・レディーの激しいダンスダイエットする」との趣旨の企画記事を掲載。記事とともに、大ヒット曲「ウォンテッド」「渚のシンドバッド」などを歌い踊る2人の過去のステージ写真など、計14枚の写真を無断掲載した。
 2人は訴えの中で、「ピンク・レディーとして5曲連続ミリオンセラーを記録するなど人気を集め、その知名度はいまだ衰えていない」として、まずは肖像のパブリシティー権を主張。
 その上で、振りつけ自体にもパブリシティー権があると主張している。

これから判断するに、主たる主張は、
雑誌の一記事の中で無断で写真を使用したことがパブリシティ権の侵害である。
というものであり、予備的に、
・振り付け自体にもパブリシティ権があり、その振り付けを撮影した写真の無断使用もパブリシティ権の侵害である。
と主張していることが窺える(注1)。

■筋の悪い主張か?
これを見て、「なんて無茶な」という感想もあると思われる(注2)。

だが、予備的主張の構成はともかく、主としてオーソドックスな意味でのパブリシティ権を主張しているのであるし、(後述するが)それが100%認められるか難しい局面であるため、なんとかして予備的な主張をひねり出す代理人の姿勢には、私は筋の悪さは感じない。

まず主たる主張について検討する。
パブリシティ権侵害との明示がないものもふくめて、これまで芸能人の肖像写真の無断利用が不法行為であるとされてきた事案は多い(注3)。それゆえ、主たる主張としては真っ当なものである。

ではこの主張が受け入れられる可能性はどうか。
本件のような雑誌の一記事での利用の場合について、利用の態様からの総合判断によって不法行為該当性が否定された事案(注4)があることから、何らかの予備的主張をしておくことが望ましい。その意味で、代理人の方針は真っ当である。

■予備的主張の「振りつけにもパブリシティー権がある」はどう評価できるか?
こちらの主張は、直観的に苦しい。
少なくとも先例は無い。

では、この主張を根拠づけることはできないだろうか。
現在、パブリシティ権は複数の法的性質からなるものとの理解がある(本ブログ「[知財一般][やるべきこと]パブリシティ権を整理する枠組みについてのおもいつき」(2007年5月4日記事)参照)。

それに基づいて考えると、次のようになるだろう。

□人格権
振り付け自体の人格権と言うものは認められないだろうし、仮に、振り付けに化体した人格、と説明してしまうと、著作物の通説的な理解と重複し、「著作権の主張ぢゃん、あんたは著作権もって無いヨ」と言われてしまうので、この性質に基づく構成と理解するのは苦しいものと考えられる。

□不正競争型の競争秩序違反(標識の冒用)
まず、振り付けが、それが利用されたサービス/商品の出所がピンクレディーであることを表すものだ、と言う必要があろう。これは難しいのではないか。たしかに振り付けは「ピンクレディー」を想起させることに疑いは無いだろう。しかし、ピンクレディーの振り付けを見て、商品等出所の混同が起こるか、と言われれば、私は疑問を感じる。
ただ、この性質に基づく構成が本件では一番無難かもしれない。

□当該行為のインセンティブを著しく削ぐと言う意味での競争秩序違反
こんな利用のされ方をするのでは、もう振りをつけて踊れない!…というにも難しいように思う。よって、これは苦しいのではないか。

若干無茶な主張であるように素人目には感じるが、そういう無茶な主張をすると原告のパブリシティを傷つけかねないことは原告代理人も承知されているところであると思う。ならば、よほどの理論的正当化ができており勝算があるのか、あるいは、よほど光文社に恨みが有るのか…。
(注1)あくまで産経新聞の報道による限りであるので、「窺える」とした。残念ながら他の新聞から報道はなされていない。
(注2)私は最初そう思っていた…。
(注3)詳細は内藤篤=田代貞之『パブリシティ権概説 第二版』(木鐸社、2005年)を参照。
(注4)たとえば〔ブブカ2002事件高裁判決〕(東京高判平成18年4月26日判タ1214号91頁)。
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2007年09月30日

[その他]法学と経済学のあいだ:矢野誠編著『法と経済学 市場の質と日本経済』読書メモ

矢野誠編著『法と経済学 市場の質と日本経済』(東京大学出版会、2007年)読書メモ

Law&Econ.(法と経済学)の視点から、各種法制度と、教育制度について検討する興味深い本があった。慶應義塾大のCOEの取り組みのまとめ、ということであり、オムニバス形式になっている。全般的にはやっつけ仕事という感じがそないではないものではあるが、2つの意味で面白かった。

1つは、Law&Econ.の視点から上手に法制度を分析しており、「へぇー、おもしろいなぁ」と思えるものがあったという面白さ。
いま1つは、法制度を経済学的に分析をしてはみているけれど、「噛み合ってないなぁ、なぜ噛み合ってないのかなぁ」と考えされられる面白さ。

実はもう1つ面白さがあって、全く経済学的な分析でもないし、法学的にも面白くないというという、「本書の目的を理解して書いてないぢゃん」っていう代物が含まれている面白さ。これは突っ込みをいれるには楽しいのだが、批判だけするのは好きじゃないんで省略。


■Law&Econ.による興味深い分析
利息制限の設定がまずいとかえって低所得者が苦労して追い込まれるよ、というあたりとまとめている、福井秀夫教授の執筆部分と、借家法の規定はかえって賃借のコストを上げてしまって若者や高齢者などの層も打撃を与えているよーというあたりをまとめている八代尚之教授の執筆部分は面白い。

どちらの法制も「弱者保護」が保護法益のひとつとして説明される。そうであるならば、上記の指摘は重要だろう。

ただ、それぞれの法制の保護法益が実は「弱者保護」じゃないんだよ、となると批判は当らない可能性がある。

例えば、利息制限に関しては、こういう考え方もありえるかもしれない。(あくまで仮想的な話だけど)
「リスクのある資金調達をさせて、何もかも手がなくなってしまって社会保障に逃げ込まれると社会にとって負担が大きいから、大怪我をして立ち直れなくことを阻止している。」
たとえば、低所得者の中には多重債務に陥ってもすぐに再生の道を選ぶことなく、生活がどん底になってようやく社会保障に救済を求める人が多い、という事情があって、もっと手前で再生の道を選んで欲しい、という価値判断をしているという、ということがその1例になる。

次に借地借家については、こういう考え方もありうる。
「地方によっては賃貸借家屋提供者が寡占状態になっている。その場合、契約の自由にゆだねていては、借り手との差が解消し得ない。そこで、法が介入している。」
もっとも、そんなの独占禁止法のスコープじゃん、といわれればそのとおりだし、全国一律でそのようなルール設定をする不合理は解消されない。

ついでに借地借家法に対する(本書ではない)一部の説明への疑問を述べる。一部の説明では貸主=強者、借主=弱者、という構図を描いているところもある。しかしこれは常にはあてはまらないように思う。相続で承継した1、2件の物件のみを持っている個人も貸主となりうる。

そういう背景事情を加味すれば、借地借家法での対処でなく、独占禁止など他の法律の観点からこの問題は検討されるべきではーとも思えなくもないのだが、専門外なので言及はこれくらいに。

■法律学と経済学が噛み合わない箇所
以上のように、面白い箇所もあったのだが、残念ながら、Law&Econ.をきちんと使えてないのではないかと思える箇所があった(注1)。「法と経済学ってなんかねー」というネガティブな声が存在する要因として、大きく3点上げられることがあるので、本書においてそのような箇所があるかを洗い出してみた。

(1)法律解釈が間違っている
経済学的視点からはおかしい!とおっしゃっている箇所が、実は法律の読み違い、という場合もあるようだ。これではガクっときてしまう。もっとも、この本ではそういう箇所はなかった…はずである。本書の場合、法学者と経済学者がコラボレーションしているのでそこのところは担保されている。

(2)経済学的に批判しなくてもいい場面で批判をしている
法学から見ても十分議論の対象となるところで、経済学を持ち出して、法学から見た見方はおかしいと主張されているかの様な箇所も見受けられる(注2)。確かに、一部の法解釈論ではドグマとも言えるところから出発して埒があかないような説明をされているものもある。それを批判するのに、経済学的なモデルによる分析は補強材料にはなるだろうが、クリティカルな批判とするには、議論が噛み合わない恐れがある。

(3)分析モデルが古い
高校の「政治経済」で見るようなモデルを提示されて、「ほら!こんな風に説明できます」なんていうものもあった(注3)。学生のレポートじゃないんだから、といいたくなってしまう。
古典的経済学のモデルからでなく、きちんとゲーム理論で分析してみろよと非難が世の中にはある。これは確かに当っていると思う。法律では情報の非対称や複数の立場の異なるプレイヤーの利益調整を問題として制度設計をすることが少なからずある。それなのに、情報の完備を前提とするモデルや2人ゲームモデルで分析されて、「ほらダメだ」なんていわれたらたまらない。情報不完備n人ゲームモデルで説明して、それでも法律または法解釈がおかしいといえるのかまで踏み込んで欲しい気がする。

とまぁ、こんな感じなのかなぁとは思うけれど、下を見たらきりがないし、自分の無学ぶりも披露する結果になっているであろうから、上を見ようってことでまとめておく。

(注1)じゃあお前が使えるのか、といわれれば、全くダメなので、えらそうな言い方であることは心苦しいのだが…。
(注2)例えば、八田達男=阿部泰隆「借家法」〔阿部泰隆執筆部分(第2節 借家法と契約自由の原則)〕『法と経済学 市場の質と日本経済』167頁は、現行の借地借家法解釈では老朽化した家屋であっても家主から更新拒否ができないかのような説明を行っている。しかし、家屋の老朽化に関しては借地借家法28条の「正当事由」の解釈論の問題として法学的な視点から十分議論可能であり、わざわざ経済学的視点に立ち入らなくても議論ができるように思う。法学から見た場合、老朽化して十分なペイが得られないという負担(場合によっては、維持コストが収入を上回ることもある)を所有者に負わせることを、「借主の生活の保障」を理由に正当化できるか、ということになると私は考える。
(注3)若杉隆平=若杉春枝=川本明「薬事制度」『法と経済学 市場の質と日本経済』48頁以下は、薬剤に関する特許とジェネリック医薬品の関係について単純な価格決定直線で説明されていた。そんなもん、グラフにせんでもわかるわい!というのが正直な感想。
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2007年09月18日

[その他][書評]格差社会の根をちょっとだけ考える

■橘木俊詔『格差社会―何が問題なのか』 (岩波書店、2006年) 読書メモ

「格差社会」の中身を統計的分析によって示していく入門書。格差の切り口を、世代、職業の固定化、地域と言った点から整理している。それぞれの方が、それぞれに抱いている「格差」像が、かなり多様なものであるんだ、というのを認識し、議論を整理するのに適した本であるように思う。

また、かなり冷静な視点で記述されている点には好感が持てた。

興味深かった分析は次の3点。

・若者世代の「就業形態」「収入」格差が深刻であり、改善の必要がある。
・職業階層の固定化も進んでおり、これが格差を感じさせる要因になっている可能性がある。
・税を通じた富の再分配が、G8+北欧諸国の中で上手に行えていない。

もっとも、その主張部分については、
・なんで北欧とやたら比べるの?
という疑問が湧いた。

北欧は理想的なシステムを導入しているかもしれないが、若い頃は海外で過ごして、老後北欧に戻ってくる、という福祉へのフリーライダーが少なからず存在するという問題点もはらんでいる。

最後に、読んでいて抱いた私のぼんやりとした思いを羅列しておく。

・格差社会といわせる主観的な要素は「高齢化」かもね。
・若者の格差は将来を考えたら手を打たないとやばいよね。
・都市圏と地域の格差があるっていうけれど、統計的に見ると、都市圏のはずの関西圏が良い数字出してないなぁ。
・お医者さんって階層固定の度合いが高い気がするなぁ…。
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2007年07月23日

[知財一般]日本の技術を守るために、普遍的な技術を持つ人材の帰属意識を高める取り組みを!

産業構造審議会 知的財産政策部会に「技術情報の保護等の在り方に関する小委員会」が設けられた。

目的は、
技術情報の流出防止の観点から、企業等における技術情報の管理の現状や現在の技術情報の法的保護の有効性の検証等を行って官民それぞの課題を総点検し、技術情報の保護等の在り方について検討を行う

ところにあるようだ。

すでに不正競争防止法の改正により、法制度として技術情報保護が図られているが、その制度の点検という意味があるのだろう。作ったら作りっぱなしでない、という点は高く評価したい。

素人考えではあるが、日本の法制度面での抜け穴は無いように思われる。問題となるのは主に海外への流出だろう。懸念される流出先に技術情報保護法制の導入要求や、場合によっては法制策定支援を行うことがいるのではないだろうか。

運用の点については、経営サイドで改善すべき事項があるかもしれない。退職者の処遇についてである。

第1回小委員会の配布資料5「我が国における技術流出及び管理の実態について」に上がっている通り、ヒトからの流出、それも退職者からの流出は依然として大きな流出原因となっているようだ。

だからといって、一概に退職者による技術指導活動を禁止することはすべきでないと、私は考えている。技術情報は時に退職者の人格の一つになっていることがあるだろう。それを活用するな!ということは、あまりにも酷であろう。生きがいを失わせる場合もあるように思う。法的にも問題があって、「職業選択の自由」ないし「営業の自由」と言う点から、おそらく憲法上の問題をも生じさせる。

そうであるならば、退職者が問題となる流出を自発的に生じさせないようなインセンティブを設ける必要がある。「組織への帰属意識向上」や「継続雇用」への取り組みは、そのようなインセンティブの一つである。この観点から言えば、「猫も杓子もリストラ」という風潮は最悪であった。技術者の組織への帰属意識を削ぐのに十分であったと推測される。(言うのは簡単なので恐縮だが)多様な視点から評価できる仕組みによって、帰属意識を高める仕組みづくりを進めていってもらいたい。

ただ、退職者からの技術流出が本当に競争上の脅威となっているかについては、なお調査の余地がある。例えば中国を例に取ると、確かに、多くのOB人材が中国で技術指導を行い、結果として中国の製造業を中心として競争力が向上した。しかし、そうでなくても中国は競争力が増している過程でもあり、また、リバースエンジニアリング等を通じて得ていたものもあるだろう。

退職者から流れるのは、かつての技術情報である。必ずしも競争上の脅威に直結するものではない。問題は、ある程度普遍的な技術情報の流出であろう。そのような技術を持った人材を適切に確保する取り組みを行ってもらいたい。

なお、小委員会の情報は以下から入手できる。
《議事録、議事要旨、配布資料への入り口:経済産業省にリンク》
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2007年06月09日

[その他][書評]本間義人『地域再生の条件』

●本間義人『地域再生の条件』岩波書店(2007年)読書メモ

地域の再生成功事例集と言える本で、どのようなことがポイントかの検討を行うのに一つの材料となるものと思われる。

リピーターを集める工夫をした横浜・元町、スローライフの場として棚田を都会の人々に貸し出す鴨川市、地元の良さを生かした町づくりをした会津若松など、いずれも自己の強みを、継続的に生かせる形で再生のきっかけをつかんだ事例が取り上げられている。

成功例に共通するものは、住民の自発的な取り組みと、地域として続けている要素が存在することである、と指摘している点は、うなずける(注1)。地域においてサステイナブルでない、キャッチーなテーマで再生できるほど甘くない、という感覚を抱いているが、本書も、そのことを示唆するもののように思えた。

ただし、この本の第1章、筆者の価値観を大きく反映した章については異論が多々ある。本書の切り口を示している章なのであるが、まず、「人権の尊重」こそ公の役割であるとした上(注2)で、そこからブレイクダウンし、「ノーマライゼーション」と「交通弱者の救済」が必須の条件である、とし、後者については再三のみに着目して第三セクター鉄道を廃止することは「人権を損なうもの」と評価している。どうように「公営住宅」がないこともセーフティーネットの欠如としている。

ここでいう「人権」が何をさすのかわからないが、仮に「人間的な生活の保障」の意味での人権と捉えるなら「鉄道がないこと」や「公営住宅がないこと」は人権侵害に当たらない。鉄道については、バスなりタクシーなり代替手段の提供もあり得るし、運賃補助という手もある。思い切って白タク解禁を特区で唄うのもありかもしれない。住宅については、単に家賃補助をすれば良い。

以上のように筆者の価値判断の点において問題は感じるが、事例集としての価値はあるものと思われる。

(注1)なお、これに加えて本間教授は国の施策が地方の特性を生かしておらず画一的であったことを批判する。過去にあってはそうなのかもしれないが、現代においては、中央の取り組みに甘んじ、自らのレベルにブレイクダウンを行ってこなかった地方自治体が一部に存在していたことが要因の一つであるように思われる。
(注2)「人権」とまで持ち出す必要があるのか、という疑問点がまずあるのだが、これについては高齢の識者は比較的好みやすい議論の仕方なので一歩譲ることとする。
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2007年04月24日

●[その他]産学連携の背景と今後―西村吉雄[2003]読書メモ―

西村吉雄『産学連携――「中央研究所の時代」を超えて』(日経BP社、2003年)読書メモ。

知的財産が深く関わってくる分野の一つに、産学連携がある。その産学連携の行方を追いかけるために、いったいどういう背景事情が作用したのか、ということも知っておきたかった。そこで、読んでみたのがこの本。エレクトロニクス研究からビジネス誌の編集者に転じた著者が、アメリカの事情にも分析を加えて、歴史的な推移をわかりやすくまとめている。

○この本の概要:産学連携へのニーズを生み出した、リニアモデルから技術と科学の相互作用モデルへの転換
まず西村は、利潤の源泉は、研究開発行為により、現在の価値を未来の価値体系につなげることだと述べる。言い換えれば、なんらかの知識を、ニーズに答える形で実用化すること、であるとする。この前提が正しいならば、研究開発には、知識を生み出すだけでなく、ニーズとの接点が必要となってくる。
しかし、20世紀においては「技術」の上流に「科学」が存在し、「科学」が成長すれば、自動的に「技術」が好転すると捉えられていた。その実現例がナイロンである。企業の研究室という、「科学」の世界から生まれたのがナイロンだった。企業はこれに倣って、「中央研究所」をこぞって作った。現場のニーズから遠い「中央研究所」が研究開発の中心となる時代が長く続くこととなった。
ところが、事態は半導体の時代となって変化する。あまりに高度化したため、専門的分業が望まれる。分業を進めるには、インターフェースさえ共通化すれば良い。「分業」が「中央研究所」の必要性を揺るがす契機となった。
この傾向は、コンピュータの世界で顕著に進み、「中央研究所」を持たないインテル社の成功が、大きなインパクトを持つこととなる。初のマイクロプロセッサ404は、大学の知識と技術の現場と深く接点を持っていたための産物だった。西村は、これを科学と技術が対等になったと評価している。(そして、一時期日本が「アメリカの基礎研究のただ乗り」をしていると批判していることが当たらないと反論している)
インテルの成功は産学連携のベストプラクティスモデルとなった。大学は異なる知が出会う場面であり、ニーズとの接点さえあれば、新たな研究開発の可能性を秘めていることを、西村は指摘するのである。

○この本を読んで:大学のあり方をどうするか?
歴史的経緯から、よい産学連携のあり方の一つを推測するなら、企業の技術者が大学と深く関わっている、あるいは、交流の場面がある、というものがあげられるだろう。他方、無理無理に大学の知識を、大学がビジネス化する、というのは、歴史的にみれば異質、ということになる。
後者の方向性も産学連携と捉えられているようだが、意味合いとしては大学の外部資金の方策の一つであり、区別して考える必要もあるのではないかと思う。
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2007年01月31日

[その他][民法]射倖契約と有意義な棘

●森田果(もりた・はつる)「射倖契約はなぜ違法なのか」NBL849号(2007年)35頁以下 ざっと読書メモ

知財の話題ではないが、刺激的な内容であり、また、学ばされるところもあった論文。若手の力のある学者の書いた生きのいい論文で、切れ味が鋭い。なにより面白い(interestingとamusingの両方の意味で(笑))。

1.論文のえー加減な概略(門外漢なのでまともにまとめる能力も無いが)
「射倖契約」、すなわち、「偶然の利益を得ることを目的とする契約」(『大辞林』より)は、公序良俗に反するとの処理が日本ではなされてきた。では、なぜ違法(あるいは公序良俗に反する)といえるのか。
この説明をするのに、フランス法での議論を用いるべきだという意見がある。フランス法での分析によれば、「偶然性」が、違法性の論拠だというのである。
しかし、これは説明になっていない。偶然性を言うならば、保険契約もデリバティブ契約も偶然性をもつものである。そうであるならば、違法性の論拠は他に見出さざるを得ない。
ここで、ファイナンスの視点から分析を加えると、興味深いことが分かる。保険契約やデリバティブは、当事者がリスクを避ける選好を有するときに合理的なものである。同時に、射倖契約である賭博契約も当事者がリスクを好む場合には合理的なものなのである。
しかし、後者は当事者の中で合理性があっても社会的効用をもたらさず、また、派生する効果の懸念から、禁止されているものと考えられる。

2.感想
本論もさることながら、「比較法をやったからって、なんでもかんでも使いたがっちゃダメ。使えなかったら捨てる勇気を。」という趣旨のメッセージがあり、身につまされた(もっとも、私の場合は日本法で調べたことを何でも載せたがる、という傾向があることに対する反省である。比較法すら出来ていない努力・能力不足の輩である)。
ところでこれは、第70回私法学会の個別報告で大盛り上がりを見せたやり取りがあったようなのだが(私はそのやり取りの場にいなかったが、参加していた先輩から聞いた)、その当事者からの論稿である。それゆえ、相手方への鋭いとげがしっかり埋め込まれている。
ちなみにハツル先生のブログによると、NBLの検閲…ではなく自主規制がかかった論文らしい。あれで、マイルドなのか!?と思う(笑)
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2007年01月25日

[その他][パブリシティ]パブリシティについての内藤説

●内藤篤「標識法としてのパブリシティ権の限界:ブブカアイドル訴訟判決を読む」判例タイムズ1214号(2006年)19頁以下 読書メモ

パブリシティに関する問題に造詣が深い内藤先生の、パブリシティ権への切り口についての考え方がわかりやすい言葉で時に面白く書かれている論稿である。ちょっとした遊び心が含まれているあたりが個人的に好み。

1.この論文の概要
(1)ブブカアイドル訴訟判決への評価
〔ブブカ2002事件地裁判決〕(東京地判平成16年7月14日判タ1180号232頁)は、顧客吸引力に着目しながら、その利用行為態様を総合判断するアプローチを取っている。、同様の手法は、〔ブブカ2002事件高裁判決〕(東京高判平成18年4月26日判タ1214号91頁)にも用いられていると考えられる。この方法は、主観的・恣意的なものにとどまる。現に、両判決の認定の違いがその問題を浮き彫りにしている(25頁)。
他方、〔ブブカ2003事件〕(東京地裁平成17年8月31日判タ1208号247頁)は、情報の事由流通を確保する見地から、著名人の顧客吸引力を根拠に著名人に関する情報をコントロールできないとした。この一般論については、看過できないパブリシティ権侵害に対処できないことから問題であると考える(25頁)。
では、いかなる判断基準を取るべきか。その前提として、パブリシティ権の位置づけを次のように捉える。

(2)パブリシティ権の位置づけに対する考え方
パブリシティ権の発端は著名人の宣伝推奨機能にあったが、現在は、商品化事業にも用いられている(例えば、タレントグッズ)。同様に商標も多量の宣伝等によりそれ自体が財産的価値を持ち、商品化事業のコアとして機能している。社会通念として、両者の機能は変わらない。ここから、標識法としてパブリシティ権を考えることが出来るのではないかと考えられる(27頁)(方向性を同じくするものとして、井上由里子「『パブリシティ権』と標識法体系」日本工業所有権法学会報25号(2001年)37頁)。(なお、パブシティ権については、人格権を基礎とするものという考えが有力であるが、少なくとも〔ギャロップレーサー事件最高裁判決〕最判平成16年2月13日民集58巻2号311頁では、人格権を基礎とする旨の言及は無い。(19頁脚注(2)))
標識法と考えた場合、標識性の冒用が規制対象となるが、具体的には顧客吸引力の利用という実質があるか否かが判断基準となる。

(3)パブリシティ権侵害の判断基準
パブリシティ権が問題となる場面が多様であるため、判断基準は相関的・総合的なアプローチにならざるを得ない(29頁)。この点について具体化すると、「広告・宣伝における使用の態様」(広告で特定の顧客吸引力をイチオシか)(この点に関して、内藤篤=田代貞之『パブリシティ権概説 第2版』(木鐸社、2005年)338頁の記述が若干改められることとなる)、「商品それ自体における使用の態様」(商品として特定の顧客吸引力をイチオシか)であると考えられる(30頁)。この考えからは、多数の顧客吸引力を満遍なく使う場合にはパブリシティ権侵害と構成できないが、これは標識性を出発点とする以上やむをえないことである(31頁)。

2.感想
この論文のミソは、顧客吸引力の持つ標識性を基礎としたパブリシティ理論のひとつである内藤説の、最新の修正説であるという点にある。もっとも、この論文や内藤先生の本の読み込みが足りないせいか、なぜ(3)のような判断基準に至るのかが分からなかった。ともかくも、この見解はパブリシティ権を考えていく上で重要な軸の一つと思われるため、今後もこの見解には注目したい。
ところでこの論文で示したロジックに立つと、いわゆる物のパブリシティもありうることとなるように思われた(人格を基礎にしていないからであり、かつ、人格の制約について触れていないからである)。この点については、今後さらに見解が示されることを期待したい。
なお、瑣末な点であるが、〔ブブカ2002事件地裁判決〕〔ブブカ2002事件高裁判決〕のアプローチへの批判として、総合判断アプローチの端緒である〔キングクリムゾン事件控訴審〕(東京高判平成11年2月24日(判例集未登載)(LEX/DB未登載))との事案の違いを一つの論拠にされている点(23頁)はおかしいと思う。いずれの事件も判断基準についてキングクリムゾン事件を引用しているわけでない。異なる事案においてキングクリムゾン事件での判断基準と同様の判断基準を「初めて」用いただけとも思えるのである。

なお、この論文では、従来の裁判例を検討したとき、パブリシティ権の主体の「セクシーさ」が結果に重大な影響を与えているのではないか、と軽妙な冗談がなされている。この仕掛けが素敵である。
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2007年01月21日

[時事][著作権]未知の利用にかかる実演家の著作隣接権の報償請求権化?

新聞報道(朝日新聞2007年1月21日《asahi.comへのリンク》(リンク切れとなる可能性あり))によると、知的財産戦略本部が、テレビ放送用の番組について、いわゆるビデオポッドキャスティングとして再利用する際に、出演者の著作隣接権に関してその許諾を得なくても良い方向で検討するようだ。

この問題も、「未知の利用」に関する検討課題の一つである。対象行為をポッドキャストに絞るのか、対象を実演家の著作隣接権に絞るのか、今後注目される。おそらく報償請求権としての方向で検討されるのだろうと思っている。

しかし、検索サービスについては経済産業省が、ビデオポッドキャストについては知財戦略本部が、それぞれ文化庁の所管する著作権法について提言しているわけである。それぞれの動きが面白い。
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2007年01月17日

[商標]ひよこ立体商標事件知財高裁判決の意義を探ってみた

〔ひよこ立体商標事件控訴審〕(知財高判平成18年11月29日(判例集未登載)平成17年(行ケ)第10673号)の意義とは何かを整理する。

1. 基本構造
「立体商標」について〔特殊事情〕、「普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる」商標(商標法3条1項3号)ではあるが〔論点1〕、「使用をされた結果需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができるもの」(商標法3条2項)に当たるか〔論点2〕が争われた事案である。
事案においては〔論点1〕については争っていないが、「立体商標」との関連で議論があるところであるので、理論面の理解を深めるための参考として触れる。

2. 商標法3条1項3項〔論点1〕と立体商標〔特殊事情〕
(1)学説
「普通に用いられる方法で表示する標章」が、立体商標の場合にどのように解釈されるかには、議論があり、次の2説がある。
(i)意匠法との調整必要説
立体商標が、もっぱら標章として用いられる物に限らず、商品についても対象となるため、意匠法を中心とする知的財産法の意義を没却しかねない(注1)。であるならば、機能的な点あるいは意匠的な点から「普通である」ものを除外すべき、と考えることが出来る。具体的に、「用途、機能から予想し難いような特異な形態や特別な印象を与える装飾的形状等を備えている」(〔筆記具立体商標事件〕東京高裁平成12年12月21日判例時報1746号129頁)もののみを対象とすべき、と述べるものもある(注2)。
(ii)意匠法との調整不要説
しかし、3号の列挙事由に鑑みれば、機能的な形態のみを対象としていると読めること、意匠的な観点からの「普通」が観念できないこと(注3)を理由に、同号を(1)のように読む必要が無いとする見解もある(注4)。この見解からは、機能的な観点から「普通である」ものが除外されることとなる。

(2)理論面の検討
制度間調整の必要性については意匠が関係する局面では、しばしば問われるものであり、実際著作権との間では調整が図られている(注5)。意匠法の趣旨を没却しかねないことは見逃しがたく、(i)意匠法との調整必要説に立つ見解に妥当性があろう。
理論的な面から、「普通」であることを分析すれば、「他にもある」という意味の「普通」と、「競争上不都合を生じさせる」という意味の「普通」があると考えられる。後者の意味がある以上、(ii)意匠法との調整不要説が言う点は当たらないのではなかろうか。

(3)本事案の検討
本事案は「他にもある」表示であることを理由に3条1項3号の認定において出所識別性が無い、とされている。指定商品が「まんじゅう」であるため、機能的な形状というのはおそらく「まるい」という点くらいに限られよう。そうであるなら、本事案は意匠的な観点から「普通である」と判断されたものと考えられ、(i)意匠法との調整必要説に立つ事案であると考えられる。
この点については、従来の裁判例と変わるところは無い。また、理論的にも適切であると考えられる。

(注1)厳密にはどういう点が、を明らかにしなくてはならない。今後の課題とする。
(注2)この考えを支持するものとして、三山峻司「〔筆記具立体商標事件〕判批」判評514号(2001年)38頁。特異な形態とまでは述べていないが、審査基準は立体商標につき登録の対象となるものを限定的に捉えているようである。
(注3)後掲の渋谷教授の指摘する点を誤解している可能性があるので、少なくとも管見として、という留保を付す。今後精査する。
(注4)渋谷達紀「商品形態の商標登録」紋谷暢男教授還暦記念(発明協会、1998年)321頁。
(注5)応用美術の問題として取り扱われている。

3. 商標法3条2項〔論点2〕と立体商標〔特殊事情〕
(1)論点の整理
3条2項を巡っては、更に細かく論点がある。「使用された結果…」の解釈〔論点2−1〕と、立体商標と文字標章との関係を巡る点〔論点2−2〕である。

(2)「使用された結果」の解釈〔論点2−1〕
(i)周知性要求説
出所識別性を欠く標章を例外的に保護する制度であることに鑑みれば、自他識別機能が十分に発揮されていることが必要であるという立場に立ち、全国的な周知性を求める(注6)。
(ii)周知性不要説
他方、文理上周知性が読み取れないことから、「現実的な」識別力のみを問題にする見解も存在する(注7)。この立場からは、標章が本来的にもつ識別力によって分けており、識別力が極めて乏しいものならば全国的な周知性を求めるものの、多少識別力があるものならば、使用による現実的な識別力獲得を問題にすれば良いとしている。

(3)立体商標と文字標章との関係を巡る点〔論点2−2〕
立体商標は言語性を欠くため、言語つまり文字標章と組み合わされたときの識別力認定には見解が分かれ得るところである。
この点については、立体商標としての独立の自他識別性を求めることで一致しているものと窺える(注8)。

(4)理論面の検討
識別力の余地があるとはいえ、3条1項3号の解釈について、(i)意匠法との調整必要説を採ったがために否定されたような場合であれば、識別力を相当高度に求める、もしくは、3条2項の適用を限定的に解するのが整合的であると考えられる(注9)。

(5)本事案の検討
〔論点2−2〕については、本件では文字標章を含まないことから、自明の点であるが、周知性の認定において大きく影響している。審決では文字標章による出所識別力の高さも含めた周知性認定が行われていたようなのである。
話が前後するが、〔論点2−1〕については「周知性」を問題にしていることから、(i)周知性要求説に立っている。これは過去の裁判例も採るところであり、目新しいものではない。
唯一独自性がある箇所かもしれないと思われるところは(注10)、大量の広告を行っていても「他にもある」「普通な」ものであるが故に、周知性を否定している点である。商品形態に関わる立体商標ゆえの判断基準なのであろう。

(注6)田村善之『商標法概説 第2版』ほか。
(注7)平尾正樹『商標法』(学陽書房、2002年)130頁−131頁。
(注8)東京高判平成13年7月17日判例時報1769号(2001年)98頁。
(注9)本当か?という突っ込みが入りそうなので、とりあえずの考え(下手の考え)として…。
(注10)要は、本当に独自か検討できてないのである…。反省。

4. 結論
理論的には従来の裁判例や有力な学説に沿ったもので目新しさは無い(FJneo1994さん《企業法務戦士の雑感》「[企業法務][知財] 立体商標の行く末」が指摘している。)
以前、感想として触れたように判決文が目新しいもの…と今のところは結論付けておく。
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2007年01月13日

[その他]論文を書く上で学んだこと

分量だけは論文並みの「論文まがい」(笑)を書いてみて、いろいろと勉強になった。終わってみるとできなかったなぁという点を列挙してみる。

構成面では、2点。
「問い」に対する答えを示すものが論文の基礎だということを常に意識する必要がある。そして、その答えを示すために、さらに「問い」が派生するが、派生したそれぞれの問いの必要性を十分に吟味しなければならない。

表現面では、3点。
接続詞は答えを導く過程で、読み手がその過程をたどるのに重要。だからこそ、接続詞において、「この点」という接続詞は使うべきでない。「この点」は「この点については」「しかし」と置き換えられる。論理的なつながりについて思考停止をする危険な言葉になる。(もっともこれは会社法の伊藤先生の受け売りである。)
次は、表記。「できる」「いう」「うる」など、表記ゆれは読みにくくなる一つの要因となる。書き始めるときにどちらに統一するかを決めて書き始めることが望ましい。
最後に改行の位置。これだけで、論理構造がわかりやすくもわかりにくくもなる。できれば1つのことを表現するのが1段落としておきたい。
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2006年10月03日

[不法行為][不正競争]胃潰瘍治療薬カプセル事件(仮名)─不法行為成否につき自由競争の優越を明示した事案

知財高判平成18年9月28日平成18(ネ)10009は、少しだけ気になる判決であった。
不正競争で保護されない形態につき不法行為の成否が争われたが、
「しかしながら,一般に,経済活動ないし取引行為は法令等による規制に抵触
しない限り,原則としてこれを自由に行うことができるものというべきである。」
と指摘する。近時の知財高裁には珍しく、「例外」の検討をしていない。衡量問題として、相当の優越を示したものとも理解できるかもしれない。
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2006年09月02日

[著作権]共同著作者の認定

ひとつの著作物(作品)を作り上げるのに、複数人が関わっている場合があるが、単に分業したのでない場合、誰が著作者と言えるのだろうか?
法律的には共同著作者をどのように認定していくか、という論点であるがこれは悩ましい問題であろう。

この点につき関与者の意思を基準にするものもあるが、私は疑問を感じる。
たとえば、アイディアを出したに過ぎない者が創作に関わっているんだ、との意思表明をしたとしよう。この説では、共同著作者となるが、アイディアを出した「だけ」の者が著作者として権利を付与されるのは、表現の保護法である著作権法の理念と相容れないのではないか。
別の例も挙げる。専門家のインタビュー記事で、口述した専門家が単に学術的な返答をしただけ(事実を述べただけ)にすぎないとする。この場合も意思次第で著作者となるのは不自然ではないか。その専門家はなんら「創作的な表現」に寄与していないのである。

私は、創作的表現作出に関与があればいいのではないかと考えるが、その立証が困難であることは否めない。今後、考えていきたい。
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2006年06月11日

[その他][民法]山本敬三の不法行為法学整理を読む

●山本敬三「不法行為法学の再検討と新たな展望――権利論の視点から――」法学論叢154巻4・5・6号 292頁〜

近時、著作権法と不法行為法の接点の議論に対し示唆の深い論文を書かれている潮見先生の学説について、不法行為法学の流れではどのように位置づけられるかを示す論文である。参考となるところがあると思われるので紹介する。なお、著作権法学会で示された「権利スキーマ」についても概要を示しており、参考となる。

1.この論文の意義
潮見佳男先生の権利論を中核とする不法行為の理解と、従来の学説の理解をわかりやすく表した論文である。不法行為法学の理解の参考となるだけでなく、潮見先生の論文の理解の一助ともなろう。
また、知的財産法がカバーしきれない法益に対して、どのような保護を与えるか否かを考えるスキームを考える手助けになるように思われる。

2.この論文の概要
起草者の構想によると、有形・無形の損害の内、一定の範囲の「権利」(これは各種の自由のほか債権も含まれる)に対して、過失主義の原則の下、賠償を命ずるシステムであった。すなわち、権利・自由の保護とその相互の調整が根底にあったと見ることが出来る。
しかし、大正期、「権利」を厳格に考える判例が登場し、その不都合を生めるために登場したのが、末川の違法性理論である。権利侵害とは法律秩序(法律全体に潜む価値理念から出発する秩序)違反であると捉えるのである。これは権利本位の法律論から社会本位の法律論への転換であった。
この違法性理論を確立させたのが我妻である。我妻は、不法行為制度が社会生活における損失の公平な分担制度へと転化したとし、その上で、権利侵害は加害行為の違法性(保護法益と行為の相関関係で把握されるもの)とするのである。
その後、平井宜雄らの通説(我妻説)への批判、沢井、錦織、四宮らからの通説の再検討を経て、こう着状態となっていた。ただ、いずれも末川が示した政策的観点から権利・自由を相対化する見解を基礎においたものと評価することが出来る。
これに、一石を投じたのが潮見の見解であった。潮見は、不法行為制度の基本は、憲法が保障する個人の権利を保障することであるとする。そして、ある権利を保証する場合に生じる他人の権利制約との調整を、(a)片方の権利を完全に犠牲にしていないか、(b)市場経済秩序の考慮、(c)福祉国家としての政策、(d)公共性の考慮、等を勘案して行うべきとする。これは危険の割当に関する価値判断であり、あくまで加害者と被害者の間の関係を問題とするものであり、共同体社会の共通価値実現という視点からの介入は認められるべきでないというのが潮見の考えである。

3.私見
不法行為論については、学部の3年生以来興味を持ってきたものであるが、正直なところ「わからないな〜」という思いを抱いてきた。その原因の一つは、書く論者がそれぞれどのような出発点から出てきているのか、が理解できていなかったからのように思う。それぞれの考えの基礎をわかっていないところで、それぞれがめいめいに批判を展開されたところで、好き嫌いでしか選べないじゃないか…という浅はかな思いだったのである。
そのような悩みが、この論文で少しは解消された思いである。かつて、潮見佳男『不法行為法』(信山社)を読み、その歯ごたえに手を焼いたが、今一度読み返してみたい。
なお、潮見の見解は知的財産法分野での議論整理に貢献する可能性を感じる。例えば成果冒用については、被害者の営業の自由と、加害者の表現の自由や営業の自由との衝突が観念できるのであり、その調整を経済秩序考慮を含めて行えばどのように整理できるだろうか。社会経済的効用を説けばいくらでも議論ができ、評価の分かれるところ、よりシャープに絞れるのではないかと思う。

※もっとも、深遠な議論の表層をさらっているだけに過ぎず、間違っている点は多いと思われる。読まれた方にはご海容を乞いたい。
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2006年05月20日

[その他]情報漏洩に対する民事的責任

コンピュータで管理された個人情報を漏洩させた事業者に対して、当該情報に記載された顧客が慰謝料請求をした事案で、これを認める判決(大阪地裁平成18年5月19日判決、判決文は本記事公開時点では未公開)が下った。

事業者に不正アクセスを防止する注意義務を認定したが、事案は、
インターネットを通じてリモート管理が出来るようになっていた
・ID、パスワードがわかりやすいものであり、長期間変更していなかった
とのであるが、これが事実であれば防止の手立てとしてはずさんと言うことができるレベルであったといえよう。また、漏洩をさせたのも以前に当該情報の管理に当たっていた者であった。

上記の点から一般的に個人情報漏洩を引き起こした事業者に対しての損害賠償責任が認めらるとまでは言うには難しい。まだ判断がなされていない点が2点ある。

1点目は、セキュリティレベルがもう少し高ければどうであったか、という点である。例えば、パスワード管理はしっかりしていたがファイアウォールやIDSを設置していなかった、リモート管理はできないようにしていたがパスワード管理はずさんであった…等。考えようによっては、漏洩を防ぐための手段として社会で通常取られているレベルの水準を要求することもありえるだろう(個人情報保護法が注意義務を明示していると捉えるのであれば、このように考えられるのではないか。ただし、水準の具体的考慮要素、たとえば事業者の規模や業種に応じて水準が変わるかについての点は、より慎重な検討が必要である。)

2点目は、漏洩をもたらした者が部外者であったら、という点である。本件は元は内部にいた者であり、この者が退職後に情報を不正取得することが考えられたのであるから、注意義務違反を問うのは説得的である。しかし、部外者であれば、話は変わってくるだろう。

いずれにせよ、今後注目に値するテーマである。まずは判決文の公開が待たれる。
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2006年05月04日

[その他]情報セキュリティーと法 その2

●岡本友子「インターネット社会におけるプライバシー侵害と個人情報の保護―スパイウェア(spyware)問題を中心として―」民商法雑誌133号4・5巻(2006年)

1.この論文の意義
スパイウエアが引き起こすプライバシー侵害について、アメリカでの現状、さらに立法案を中心に検討した論文である。踏み込んでアドウエアについても検討している点、および、状況の整理を行った論文として意義深い。

2.この論文の要約
スパイウエアの拡大状況と、ボノ議員によるSPY ACTを紹介している。
同法は、当該ソフトウエア導入時にいかなる情報収集を行うかを明示することを強制するものであるが、ソフトウエア協会の一定の支持を受けているとのことである。

3.考察
プライバシー保護の側面からのスパイウエア、および、アドウエアの検討を今後、日本でも行う必要の可能性を示唆するものであろう。
私見としては、スパイウエアが認証情報を無断で抜き出しうる場合は、産業秩序を乱すものとして、事業者側からの制裁可能性も検討されるのではないかと考えている。
(広くは、競争秩序維持の中に消費者のプライバシー保護という利益保護をも織り込むことを企図する視点を検討しているところである。)
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2006年05月01日

[その他]情報セキュリティーと法 その1

スパイウエア型の情報漏洩に対して法規制をする場合、アドウエアの取り扱いをどうするか?

問題点
・アドウエアが通常入手する使用環境や検索語の情報はプライバシーに属するのではないか?

解決策
(a)社会通念上許容される範囲での情報取得を許容させる
(b)公衆への開示を問題視する(こちらがベターか?)

なお、岡本友子「インターネット社会におけるプライバシー侵害と個人情報の保護―スパイウェア(spyware)問題を中心として―」民商法雑誌133号4・5巻参照。
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2006年03月05日

[法律一般] 外国法令・判例の調べ方

ビジネスが国際的に行われるのが当たり前になっているためか、一ヒラ学生のところに回ってくるリサーチの仕事でも諸外国法制の調査なんてのがある。実際にやってみると苦労するのが各国によって違う法情報検索である。当然Up-To-Dateなものを求められるわけだから日本語になった論文を読んでいては間に合わない。インターネットを使う必要がある。
かなり苦労していたのだが、良い指針が見つかった。
京都大学大学院法学研究科附属国際法政文献資料センター
だ。研究に使おうという人にもオススメ。このような情報を苦労を惜しまずまとめていただいた上、惜しみなく公開されていることに深く感謝したい。
posted by かんぞう at 16:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月24日

[その他]雑感:表現の自由市場

・ある企業の知財担当の方なのだが、情報の囲い込みに対しては否定的な考えを持っていらっしゃって、やもすると抱きがちな、「企業=権利者=情報自由に対して否定的」という偏見を改めさせてくれる。もっとも業界によっては情報自由の方がありがたいという分野もあるし、そういう偏見自体が、企業というものを良く見ていない見方ではあろう。
この間ニュースサイトで大手コンピュータメーカー数社がクリエイティブコモンズ的発想に立った制度構築を目指すという記事があった。(うっかりソースを確保し忘れていた。しかも探してもない。誤報であるかもしれない。)戦略的取り組みの方向として興味深い。

・情報の囲い込みに対して特に否定的であったのは母校の憲法の教授であった。憲法の理念に表現の自由の確保を取り込むべきだとのお考えで、こと、意見の自由な流通は尊重されるべきとの考えには強く影響されている。

・知的財産を学ぶ者として、情報をどのように流通させ、社会発展につなげるかには常に留意しなくてはならないと考えている。(我が師匠はこの点にキビシイ。)とはいうものの、斬新な判例が出ればそれに流され…というのが現状である。原点を忘れないよう戒めたい。

・先日から、コメントで意見を頂いている。意見を交わすことは非常に勉強になる。わざわざ意見を寄せていただいた方への感謝の念はひとかたならぬものがある。情報の自由かつ効率的な流通のありがたみを感じる。
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2005年11月20日

[民訴][特許・商標・意匠]訴訟参加

訴訟参加についてまず民訴の原則は、参加に関して当事者は意義を述べることができる(民訴§44)。
では審判への参加はどうか?
特許法§148が認める参加(特許無効審判又は延長登録無効審判に対して、請求人に参加するもの)に対しては、当事者は意見を言えるが参加の可否を決めるのは審判長であり、審判で決まることになる(§149V)。この審判の決定に対しては不服はいえない。
と、するとがんばれば、審判遅延のための参加も不可能ではない…ということか。
実際はありえないだろうけど(^^;)
特許法§148は商標法(§56)、意匠法(§54)で準用されている。

やっぱりちゃんと手は施されてるよなー。
ところで参加人を追い出すことってできるのかな??
posted by かんぞう at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする