2007年05月01日

[著作権]プログラムの複製物の公衆への提示?

著作権法って、細かいところまで見ていくと、意外な規定があったりする。なぜ、こんな規定が?という例の一つが49条1項3号。
第49条  次に掲げる者は、第21条の複製を行つたものとみなす。
(略)
三  第47条の2第1項の規定の適用を受けて作成された著作物の複製物(次項第2号の複製物に該当するもの〔引用者注:翻案される等して生成された二次的著作物〕を除く。)を頒布し、又は当該複製物によつて当該著作物を公衆に提示した者

47条の2とは、いわずと知れた、プログラムの著作物の所有者による複製許容規定。要はバックアップ用にプログラムをコピーして良いよ、というものだ。

49条1項3号を読むと、写真・美術の著作物で無い限り、公衆への提示は権利が及ばない。しかし、バックアップ用プログラムについては公衆への提示へ権利が及んでしまうようだ。

なぜそんな必要があるのだろう??全くもって不思議。制定の経緯や意味を知りたい。
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2007年04月28日

[著作権]著作権延長の経済効果の試算結果が今年度中に公表予定

P2P技術を用いたファイル共有ソフトによる、音楽の違法な背信行為によりCDの売り上げ減少を招いたかどうかを、計量分析された研究者がいる。慶応大学経済学部の田中辰夫准教授であるが、田中先生の分析によると、売り上げ現象を招いていない、との帰結が得られたとのことである。この研究は、著作権の分野の人間にはインパクトがあるものであったから、ご存知の方も多いと思う。

その田中先生が、今年、著作権延長の経済効果の試算に取り組まれるらしい。今年中に報告書としてまとめられるようなので、少しばかり楽しみである。

もちろん、計量分析であるので、モデルの立て方など、議論はいろいろあるところであろうが、何かよくわからない「べき」論が展開されるよりずっと良い。期待したい。
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2007年03月31日

[著作権][時事]テレビ映像録画システムによる著作権の間接侵害事案

録画ネット事件、まねきTV事件に続いて、類似の機器について新たな事案が登場した。

東京地決平成19年3月30日(判例集未搭載)事件番号未公表は、まねきTVで用いられたソニー製のロケーションフリーと同じく、利用者の自宅に設置するタイプのテレビ映像が録画できるサーバーシステムについて争われた事案である。

東京地裁は、システムをレンタルすることは著作権・著作隣接権侵害にならず、システムを事業者において管理し、利用させることのみが侵害に当たると判断したようだ(被告サイトによる。URL:http://www.tv.rokuraku.com/home11.html#chisai

結論を見る限り判断の大枠はまねきTVと同じものであるようだ。

これらの事案を見るに付け、海外の居住者にとって日本のテレビを見たいというニーズが厳然とあるのだなぁと感じる。現に、私の父は海外に在住しているのだが、日本のテレビは見たくてしょうがないらしい(だからこそNHK BSはありがたい、と言っている。ちなみに父は受信料は払っていない(笑)。放送法は適用されないから受信契約義務もないし、そもそもNHKも取りに来ない。)

直感的には、このニーズをなぜテレビ局が満たさないのか、とも思う。もちろん、その阻害要因の1つは、海外での利用についての著作権処理が生じることの煩らわしさと、それにともなう制作費の増加であろう。もう1つは、ネット配信することによって番組が望ましくない形で利用される懸念もあろう。いま1つは、オンデマンドで視聴されることによって、広告料体系が破壊されると言うこともあろう。

1点目はテレビ局がそろそろきちんとした権利処理をしてください!というものであるし、最後の点は、広告代理店とテレビ局が考え方を変えればいい問題であるように思うのだが…。

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2007年03月16日

[著作権]著作権法がプログラムにおいて保護する範囲

2年ほど前になるが、ある実務家(といっても、弁護士ではなく、企業法務に少し関わっていた人)から、「著作権法で保護されるプログラムの範囲は、SSO(Structure-Sequence-Organization)だ!」と教えられたことがある。その方は、アメリカの判例(Whelan Associates, Inc. v. Jaslow Dental Lab. 230*1)を紹介されていた。
*1 USPQ 481 (3rd Cir. 1986). 日本語訳は、井上雅夫さんがなさったもの《http://www.venus.dti.ne.jp/~inoue-m/cr_860804Whelan.htm》がある。なお、事案は医院経営に用いるソフトをEDL言語からBASIC言語へ変換した、というものだった。ただし、その際、原告の会社から大量の引抜を行ったうえ、営業上の秘密を不正に利用したことが伺われるという事情が存在した。

個々のモジュールの組み合わせに創作性を認め、編集著作物として保護されるというイメージなのだろう、という程度に認識し、疑わなかったのだが、どうやらその方の認識は古すぎるようだと、最近文献を読んで気がついた。

アメリカでの裁判例について言えば、その後、Computer Associates International, Inc. v. Altai, Inc.*2で濾過テスト(抽象化して、濾過し、比較する)*3が定式化され、Whelan v. Jaslowは極端な例としての位置づけのようだ。実際、事案が特殊であったがためのもので、一般化できないとの評するものもある*4。もっとも、濾過テスト自体にも批判があるところで、中でも強く主張されている点は、裁判官の判断になじみにくいことが挙げられる。それゆえ、その後の下級審であまり用いられていない、と指摘する声が1994年の段階で既にある*5*6。ともあれ、SSOが保護されている、とは言うことが出来ないようだ。
*2 982 F.2d 693 (2d Cir. 1992). 原文は例えば
http://www.bitlaw.com/source/cases/copyright/altai.html
で読むことができる。
*3 濾過テストについては、内藤篤先生がまとめていらっしゃる
http://www.venture.nict.go.jp/copyright/copy000190.html》。
*4 中山信弘『ソフトウエアの法的保護 新版』(有斐閣、1988年)135頁
*5 P Samuelson, R Davis, M Kapor & JH Reichman "A Manifesto Concerning the Legal Protection of Computer Programs" (1994) 94 Col L Rev 2333-65(未見)に指摘があるようだ。
*6 この点については、小泉直樹『アメリカ著作権制度―原理と政策―』(弘文堂、1996年)67頁が詳しい。

次に、日本での議論を言えば、SSOを保護すれば、プログラムにおいてはアイディア保護になるとして、中山教授が批判的な見解を述べられている*7。裁判例においてもSSOには保護が及ばないことを前提にしていることが伺えるものがある。〔システムサイエンス抗告審決定〕(東京高判平成元年6月20日判時1322号138頁)がその一例である(もっとも、原告の主張に左右された可能性があり、この点は今後検証したい)。その後も、管見の限りSSOへの保護を認めた裁判例はない。
*7 前掲*4・中山120頁。

それにしても10年前の議論をきちんと勉強できていなかった自分の無学さを痛感した次第だった。
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2007年03月07日

[著作権][つぶやき]「創作性」概念についての学説のちょっとした整理

条文ではたったひとこと、「創作的に」と書いてあるだけなのだが、考えると難しい。現実の裁判例がどう捉えているかを分析すると、作業の大変さに音を上げる。今後どのように考えるべきか(その前提として著作権法を通じて何を実現させるかについて態度決定がいる。具体的には、創作インセンティブの確保とするか、情報の豊富化とするか、はたまた(突飛だが)「芸術」の振興とするか。)を考えると、その深さに手も出なくなる。

「創作性」というテーマは、中山先生が注目されていたが(中山信弘「創作性についての基本的な考え方」著作権研究28号(2001年)6頁〜)、先生も難しい問題だと指摘される。

裁判例を分析しても、実はよくわからないところがある。たとえば、日本の裁判例のうち、少なくとも不法行為成立を結果的に認めた事案では、創作性の基準が厳しい。言い換えれば、主観的ともいえる基準になっているように思う。

厳しい基準をとりたくなる理由は分かる。陳腐な表現を保護することによる弊害は見逃しがたいし、なにより、著作権侵害罪を構成してしまうことのサンクションの大きさは重大だ。

だが、侵害局面で対処すればいいのではないかという考えもある。創作性概念は比較法的に考えてもよいと思うので、アメリカの議論をひくと、Robert.A.Gormanや、Jane C.Ginsburgは創作性は緩やかに、侵害の判定は厳しくするのが良いのではないか、と言う(Gorman,Robert A.,"Copyright Protection For the Collection and Representation of Facts",76 Harvard Law Review 1569(1963))。(なお、アメリカでの1990年半ばまでの創作性概念の議論状況については、小泉直樹『アメリカ著作権制度 原理と政策』(弘文堂、1996年)39頁以下が詳しく参考になると感じた。)

これと軌を同じくするのが、作花文雄「表現物としての創作性の評価と公正な利用秩序――個性に基づく独自の表現物の創作に対する適正な保護と侵害性判断局面の在り方――」コピライト547号(2006年)であり、私も非常にシンパシーを感じるところである。
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2007年03月02日

[著作権]権利制限とDRM――私的複製「権」議論を見据えて

DRM(Digital Rights Management)*1により、デジタルコンテンツについては権利制限で許容された利用態様すら権利者がコントロール可能となる。

とくに私的複製に関係する場合には、新たな創作活動に繋がる「私的複製『権』」を侵害するものだ、とする議論も、少数ではあるが世界には存在する*2。

だがこの議論は、なぜ「私的複製権」といえるのかの論拠が乏しいところから、趨勢を得るには至っていない。

他方、無制限に権利制限領域を損なうことは、看過出来ないものでもある。

この点については、まず確保すべき自由な利用とはどのようなものであるかを、3ステップテストとの関係で検討するべきだ、との指摘がある*3。

制限列挙型の権利制限制度を採る国では、それぞれの規定ごとに、その目的との関係に再度立ち返って検討する必要があろう。

おそらく、私的複製について研究を進めることが最も面白いと思われるが、深みや労力が大変そうなことは言うまでも無い。私はヘタレなのでそこまでは出来ない。

指し当たっては、プログラムのバックアップ許容規定を掘ってみるか…と思うしだいである。

*1 ここには、複製を制限する技術的保護手段(Technical Measures)(著作権法2条1項20号)が含まれるものと考えられる。
*2 ベルギー著作権法では、私的複製の自由が契約によっても禁止できない強行規定として法定されているようである(私は、Severine Dusollier, "Exceptions and Technological Measures in the European Copyright Directive of 2001 - An Empty Promise", 2003 IIC Vol.34 at 67 note 13より覚知。未確認。)。
*3 茶園成樹「著作権法の最近の諸問題――権利制限に関する3つの問題」ジュリスト1326号(2007年)67頁。
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2007年01月11日

[著作権]プラーゲ旋風の内容とその影響

日本の著作権法の萌芽期における、一大事件「プラーゲ旋風」について、よくわかってなかった。そこで、「プラーゲ旋風とは何か」「どのような影響を与えたのか」を、簡単にまとめてみた。恥ずかしながら、きちんとした歴史研究が出来ないため、すべて二次資料に拠っている(よって、「〜の解釈では」、「〜によると」、という留保をつけざるを得ない点、ご了承いただきたい)。

1.プラーゲ旋風の背景
(1)演奏権留保条項の存在
かつて演奏は原則自由だった。例えば、ドイツの1870年著作権法50条2項は、楽譜として発行された音楽的著作物について、その楽譜上に「上演権が作曲家に留保される」旨の表記がされていないとき、作曲家の許諾を得ることなくその楽曲を自由に公に演奏できると規定されていた(注1)。これを演奏権留保条項と呼ぶ(注2)。
しかし、演奏権留保条項は、レコードの登場・普及に伴って、作曲家・作詞家から疎まれることとなる。そこで、1908年ベルヌ条約ベルリン改正条約11条3項は、演奏権留保を明示せずとも演奏権が発生する旨を規定し、これを受けてドイツ著作権法などは同条項を外す改正を行った。
ところが、日本は、演奏権留保条項を著作権法から外さなかった(注3)。これが、プラーゲ旋風のひとつの契機となる。

(2)ラジオ放送の開始
しかし、1920年アメリカでラジオ放送が開始されると、音楽著作物の利用は格段に増える(というよりは著作権者の目に付く)ようになった。日本でも1928年に開始され、これとともに、演奏権留保の無い音楽が無断で用いられたのである。
ラジオでの著作物の利用については、世界的な議論となり、1928年ベルヌ条約ローマ会議で、無線放送による伝達について著作者の権利が及ぶこととなった。この会議の結果、日本では、昭和6年著作権法が改正され、同権利が導入されたうえ、演奏権留保については放棄されることとなった(注4)。これにより、ラジオでの音楽利用について演奏権留保の有無を問わず権利行使が可能となったのである。
(注1) 〔R・シュトラウス作品の保護期間事件〕東京地判平成18年3月22日判例時報1935号135頁における被告の主張参照。
(注2) その理由は、管見は覚知できなかったが、推測するに慣行を法制化したものであったのだろう。
(注3) その理由もまた良くわからないが、改正に関わった水野錬太郎博士が、その意義を簡潔に記載しているのみであることの指摘があり(著作権法百年史編集委員会編『著作権法の百年史』131頁〔吉村保〕(著作権情報センター、2000年))、単なる手落ちや重要性の認識が低かったことから、改正の検討に漏れただけに過ぎない可能性もある。
(注4) 前掲注(3)『著作権法の百年史』229頁〔豊田きいち〕によると、演奏権留保についてはあまり議論の俎上に上がらなかったようである。

2.第1次プラーゲ旋風(注5)
(1)第1次プラーゲ旋風の中身
権利行使が可能になったことを受けて、ドイツ・フランス・イギリス・イタリア・オランダの音楽著作権管理団体(略称・カルテル)は1932年、東京の府立高校教諭であったドイツ人のウィルヘルム・プラーゲ博士を代理人とし、権利行使を委任した。
プラーゲ博士はまず、NHKに対し1931年(昭和6年)の著作権法改正以後の使用料として2000円を交渉により勝ち取り、以後は年額7200円を支払うことで妥結、しかも翌年には更新を拒絶し、年18000円を請求したのである(カレーライスが当時10銭弱ということを勘案すれば、現在の価値にして1億8千万円となろうか。)。結果、NHKでは1年近くにわたって欧州の音楽のほとんどが流れない事態となったのである。このほか、各所に対してプラーゲ博士は訴訟を行っていった。
これらの要求が法外であることや、プラーゲ博士の高圧的な態度、また、当時外交上孤立しつつあったことの3点が影響し、プラーゲ博士に対する反発が沸き起こった。中には、ベルヌ条約を脱退すべきであるという議論まで登場した。

(2)第1次プラーゲ旋風の影響
このことを受けて政府は、1934年(昭和9年)、著作権法を改正した。プラーゲ旋風の影響と目されるのは次の2点である(注6)。
・適法に複製されたレコードを放送に用いる場合、著作権者の許諾は不要
・著作権者との協議ができず、利用が不能になった場合は、一定の条件下で強制許諾
(注5) この章は全面的に、前掲注(3)『著作権法の百年史』228頁以下〔豊田きいち〕の記述によっている。
(注6) 前掲(注5)参照、豊田きいち氏の解釈による。

3.第2次プラーゲ旋風(注7)
(1)第2次プラーゲ旋風の中身
プラーゲ博士は、1937年(昭和12年)、自ら権利管理団体を立ち上げた。これに権利を預けた代表的な日本人は、山田耕筰ぐらいであったものの、当時の権利者や利用者は大いに危機感を持った(注8)。

(2)第2次プラーゲ旋風の影響
第1次プラーゲ旋風を受けて、権利者と利用者の間の仲介機関の必要性も感じられていたことから(注9)、1938年(昭和13年)、権利管理団体につき許可制を取る仲介業務法が制定された。許可制にした点は、プラーゲ博士らの締め出しにあったと一般に理解されている(注10)。
(注7) プラーゲ旋風というとき、本稿のように分けて考えるものは無いが、時間的な隔たりと、影響の観点から、分けて考えるべきではないかと思われる。
(注8) 前掲注(3)『著作権法の百年史』238頁〔大家重夫〕。
(注9) 斉藤博『著作権法 第2版』(有斐閣、2004年)321頁参照。
(注10) 実際、プラーゲ博士の団体は許可されず、後に違法に仲介業務を行ったとして逮捕されている。なお、かようなやり方には「偏狭な陰湿さ」が感じされると、斉藤教授は非難されている(前掲注(9)322頁)。

4.おわりに
プラーゲ旋風の内容と影響を考察すると、その主要な意義は、日本における著作権保護が弱いことに対する外圧でも、当時存在した日本バッシングの風潮の現れでも無く、日本人に著作権者の権利行使と利用の円滑化のバランスを意識させれられた点にあるのではないかと思われる。
外圧と考える見解に対しては、次のように疑問を指摘できる。なるほど演奏権留保に端を発するものの、これが日本の著作権制度独自の保護の弱い点であったのだろうか。先述したようにドイツでも同様の制度を採っていた。単に、新技術の登場により利用の機会が増大したことに対し、日本の対応が遅れていた(あるいは意識していなかった)だけである。ましてラジオの登場の際には日本はきちんと対応している。
日本バッシングであるという指摘に対しては、当時の日本の反応を見ればそのような一面もうかがわせる。しかし、これは日本人がそのように感じただけ、つまり単なる過剰反応ではなかったか。現にプラーゲ博士は、日本が定めた(旧)仲介業務法に則り権利管理団体を設立しようとしている。単なるバッシングならばこのような行動は取らないだろう。あくまで合理的に権利者の代理人として行動していた証左ではないか。
プラーゲ旋風は、強制許諾制度、また、権利管理団体制度という2つの利用円滑化を図ろうとする制度を生み出す契機となった。そして、その背景には新技術の登場という事情があった。この点は、コンピュータネットワークの登場による著作権へのインパクトとなんら変わりないのである。

なお、さらに詳しくは、以下の資料が良いと思われる。
・大家重夫『著作権を確立した人々――福沢諭吉先生、水野錬太郎博士、プラーゲ博士…』(成文堂、第2版、2004年)
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2006年12月29日

[著作権]宇宙戦艦ヤマトパチスロ事件

東京地判平成18年12月27日 平成16年(ワ)第13725号は、『宇宙戦艦ヤマト』をその著作者の許諾を得てパチスロの展開に用いたところ、『宇宙戦艦ヤマト』の映画の著作権を有すると主張するものから複製権ないし翻案権侵害とされた事件である。

結論としては、
・原告は映画の著作権を有していないと解される
・仮に著作権を有していたとしても、本件パチスロに用いられた宇宙戦艦ヤマトの映像のうち映画と同一性が感得できる部分は表現としてありふれているため翻案権侵害にも当たらない。
として、原告の主張を退けている。

『宇宙戦艦ヤマト』の映画の著作権の帰属に当たっては既に争われているところであり、かなりドロ沼化しているのかもしれない。それはさておき、本件は傍論ながら侵害の要否を判断した過程で、「ありふれた表現」を用いているが、そのありふれているとする根拠が面白い。
表現としての目新しさが無いとしているところがほとんどだが、対比表16部分については、ヤマトは戦時中の戦艦をモデルにしているのだから、「ありふれている」としているのだ。理論的には、むしろ先行の著作物ないし物に依拠したのだから、著作者の個性が表れていないとの処理で良いと思うのだが…。

いずれにせよ、マクロス事件と並んで映画の著作物の帰属に関する紛争事例が加わったとみることができよう。ただ、この判決PDFで179ページとやたら膨大なのが難点である。
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2006年12月24日

[著作権]写真の著作物性とthin copyright論

〔広告サイト写真著作物性事件控訴審〕知財高判平成18年3月29日(判例集未登載)平成17年(ネ)第10094号メモ

1.事案の概要
物品の広告・販売を行うサイトを運営するXが、その営業譲渡を受けた譲渡人の著作にかかる広告文および写真につき、文はデフォルメした形で、写真はそのまま使っているYに対し、著作権侵害に基づく損害賠償を求めた事案。

2.判旨のなかで注目すべき点
・写真の著作物性は一般に構図・光線・背景に求められるとの従来からの流れを汲む一方、創作性の高低があることを認め、創作性が低い場合には複製権はデッドコピーにしか及ばないとしている。
・創作性判断で、限界事例をどのようにあつかうかにつき、創作性は肯定した上で権利範囲で処理する事案のひとつ。
・しかし、本件はデッドコピーだから良いものの、そうでない場合、翻案権や同一性保持権の扱いはどうするのだろう…。翻案権はともかく同一性保持権はクリアすべき点が大きいのではないか。thin copyright論は同一性保持権が無いアメリカだからこそ使えるもの、とも思える。

なお、本件には三浦正広「判批」コピライト545号(2006年)43頁がある。
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2006年12月22日

[著作権][時事]まねきTVその後

長らく論文に取り掛かりきりで更新する余裕を失っていた。
その間に、ひよこ立体商標事件、winny刑事事件など興味深いものが出ていただけに、反応してこなかった力の無さがふがいない。

さて、著作権の間接侵害(民事)のまねきTV事件の知財高裁抗告審が出た(知財高決平成18年12月22日(判例集未登載)事件番号調査中)。
原決定を維持して「私的複製」を行う機器の「ハウジングサービス」にすぎないとの判断であったようだ。
素人目には、録画ネットと構造は変わらない。テレビ局としては、「地域」という要素を破るだけに、ビジネスモデルへの影響もあろう。つくづく法のぎりぎりの隙間をねらったソニーの戦略の面白さを痛感するところである。
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2006年11月24日

[著作権]潮海先生の著作権制度観をさらってみた

●潮海久雄『職務著作制度の基礎理論』(東京大学出版会、2005年)斜め読みメモ

今回は読書メモと言えない、かなりいい加減な読みに基づいている。潮海先生には申し訳ないほど誤解があるものだろうが、覚え書きとして残す。どんなもんなんだろう?と思った方は是非原典に当たっていただきたい。

この本は、潮海先生の博士論文に加筆したもの。創作者主義の検討にとどまらず、不正競争法としての著作権法制度を提言するものであり、著作権法の大胆な再構成を提言するものとなっている。

1.この本の概要
(1)問題意識
創作者主義は貫徹すると弊害がある。そこで、職務の範囲内で捜索されるものについて、その著作物の性質、利用の態様から類型化して、権利帰属制度の立法論を述べる。
(2)創作者主義の弊害
流通面での弊害は次の3点。
・多数人が創作に寄与すると創作者の確定が困難。ひいては利用を阻害(74頁)。
・創作者に帰属し法人に権利譲渡と構成した場合は、権限移転の限度が必ずしも明確でない(75頁)。新しい利用態様等について法的安定性を欠いてしまう。
・著作者人格権が権利の譲受人にリスクとなり、著作権移転に当たって十分な対価が還元されない。創作者に弊害。(このような点を問題視し、経済的利益の最大化を求める議論として、Schricker G.の議論参照。)(77頁)
時代変化の面では、
・著作物の更新、部品化といった問題に契約で対処しきれるか疑問(81頁、82頁)
・創作性に対する理解も変化している
(3)創作性の理解の変容と著作権制度の変容
近時の裁判例では創作性の高さを著作物の性質に応じて求めることがある(82頁)。しかし、裁判所が判断できるのか、また、創作性が低いものであっても模倣からは保護されるべきとの価値判断に立てば、創作性は低く捉え、「選択の蓋然性」という規範的判断によるべき(これは<中山信弘>教授と同じ立場)(85頁脚注266)。
この背景には、著作権法に対する理解の変容、すなわち不正競争法を補完するものとの理解がある。民法規律では差止請求ができないことにかんがみれば、創作性が低い場合は、著作者人格権を制約してでも、著作権で保護されるべき。
(4)著作者人格権の性質
職務著作から見ると、著作者人格権の位置づけは次の3説に分かれる。
 i)一般的人格権と同等<斉藤説>
  →職務著作は例外。著作者人格権を政策的配慮に基づき解釈することは不可。
 ii)創作者と著作物の結びつきを保護するもの<半田説>
  →職務著作は創作者の権利の代理行使となる。ただ、現行法との整合性を欠く。
 iii)法人の人格との結びつきを保護
  →職務著作制度とは整合的
これらと著作権制度の理解の変容をあわせ考慮すると、現在の著作者人格権は民法の一般的人格権と性格を異にすると理解すべきと思われる。少なくとも、法人に帰属した著者九社人格権は制限的に解釈すべき(205頁)。また、立法論としては、著作者人格権を付与しない類型を設けても良いと考える(232頁)。
(5)類型化
・創作者が複数いる場合は職務発明方の処理をすべき。
・創作性が低いものは、法人に財産権を帰属させ、人格権は制限的に。これは投下資本の保護のため。

2.私見
まず、前提として立たれている、著作権制度の不正競争規律としての変化という点には賛同したい。創作性判断についても私見と同じ立場(正確には、一学生である私が創作性判断って何!?と迷い迷った挙句いきついたのが中山先生のお考えだったわけだが・・・)であり、そこから演繹されることを示すものであり興味深い。
著作者人格権の扱いについても刺激的である。一般人格権としての性格を持つ部分があるとし、こと、同一性保持権について肯定的であると思われる松田政之先生の近著との関係が気になるところである。
ただ、一点疑問なのは、投下資本回収制度としての著作権制度の理解を前提としていながら、創作性が低い場合の著作権保護を肯定するならば、翻案の範囲で類型的表現しか取れない場合も独占でき、結果として競争制限が起こらないだろうか?むしろ、差止のない、不法行為として理解し、競争条件を整えるほうが良いのではないか。(この点については、私の課題。)
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2006年11月22日

[著作権]間接侵害についての整理

cr_indirectinfringement061122.JPG著作権の間接侵害について、選録見撮以降いよいよ固まってきたのかな、という感じなのでまとめてみた。

※こういう図を作るのは好きだが、往々にして間違っていたりする。
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2006年11月15日

[著作権]ローマの休日事件―著作権延長をめぐって―

●横山久芳「著作権の保護期間に関する考察――「ローマの休日」東京地裁仮処分決定に接して」NBL884号(2006年)32頁〜読書メモ

平成15年12月31日に著作権が切れる昭和28年に作られた映画、しかし、平成16年1月1日から、著作権を70年とする改正法が施行される…さて、昭和28年作品は著作権延長の対象なのか?平成15年12月31日23時59分と平成16年1月1日0時00分との近接性を根拠に延長の対象であると主張する文化庁・映画の権利者サイドと、そのような解釈は採れないとする利用者サイドがぶつかった注目の事案。東京地裁高部コートが下した決定《裁判所へリンク、PDF》は、昭和28年作品延長の対象でないというものだった。この決定を法解釈論として妥当なものとする横山助教授の論稿である。

1.この論文の概要
(1)東京地裁決定要旨
・民法が採用する暦年法の計算からは、平成16年1月1日時点で昭和28年作品の著作権は消滅している。ゆえに改正法の適用は無い。
・文化庁見解は、「瞬間」を問題にするものであるが、暦年法とは異なるし、また瞬間を問題とできる文理上の根拠が無い。
・立法者意思としても、本改正時に議論があったと認められない。
・権利の保護と公正な利用のバランスを考えたとき、延長の有無により刑事罰の適用有無すら変わってくるのであって、適用の有無について利用に文理上明確である必要がある。ゆえに、著作権者の保護ばかりを強調することは妥当でない。
(2)横山助教授の見解
長期間の保護の終期を自然的計算法(瞬間を問題とする計算法)にゆだねることは民法上不自然な解釈であるといえる(横山・36頁)。自然的計算法が用いられるのは、厳密かつ正確な時間を算定する必要がある場合であり、これを常に妥当させると、「12月31日返せ」というのは「12月31日23時59分に返してもいいのだ」という社会的に妥当性を欠く結論を招く(加藤雅信『民法総則T〔第2版〕』(有斐閣、2005年)381頁参照)。
また、改正法の効果が利用の自由に与える影響は大きいことから、法技術的に事前に確定させることができる保護期間に関する規律については、明確な立法を行うべきで、不明確な立法を行ったうえで立法者意思を根拠に著作者のみを保護する解釈を取ってはならない(横山・37頁)。もっとも、事前に外延を確定できない事項である、著作権の効力については、事案ごとに柔軟な対応をとってもよい。たとえば、差止請求の対象については、合目的解釈も許されうると考えられる(横山・38頁)。

2.私見というか感想
高部コートの決定は、なるほど!と思わせるものであった。暦年法の解釈も説得的であだるし、罪刑法定主義まで匂わされると肯かざるをえない。横山助教授の見解もこれを説明するものであり、東京地裁決定のレビューとしてわかりやすかった。
ただ、この論文の面白いところは、脚注で間接侵害について合目的解釈をしてもよいのではないかという先生の私見を匂わせたところで、事後の批判に備えているのだなぁという感じを受けた。
なお、横山先生は「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」《同会議サイトへのリンク》の発起人でもある。
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2006年11月13日

[著作権]応用美術の保護基準―作花説―

●作花文雄「著作権制度における美的創作物(応用美術)の保護――法目的制度間調整に基づく著作物相応性の視点による対象範囲の確定基準――」コピライト544号(2006年)44頁〜読書メモ

応用美術の保護について、意匠権との調整を図る必要があるとの立場に立ちつつも、従来と若干異なる基準で応用美術の保護の当否を決めるべきとする論稿である。従来の判例が指し示すような「純粋美術と同視しうる程度に美的鑑賞の対象になりうるか」否かで、著作権法上の保護の当否を決する基準を批判し、制度的調整であることを正面から認め、美術の著作物としての保護相応性を、当該物品の分野での生産・利用上の弊害を勘案して決する立場を示すもので、応用美術の法的保護について、ひとつの参考となるものと思われる。

1.この論文の概要
(1)応用美術の概念の転換
応用美術については、従来、純粋美術と対になる概念として受け止められてきた。両者を分ける基準に創作の意図や目的を据えるものがあるが、目的において実用目的と鑑賞目的は並存することがあるのであり、おかしい。そこで、応用美術は利用態様に応じた概念であると整理をする(作花・47頁)。従来の裁判例は、「純粋美術と同視しうる程度に美的鑑賞の対象になりうるか」を判断基準にしていたが、「純粋美術」も多様であり何をもって基準とするか明らかでない(作花・47頁)。さらにいえば、純粋美術にあたるか否かで「高度の創作性」を問うものは、それが司法審査になじむかという点で疑問がある(作花・56頁)。
(2)実用品であるがゆえの制約要素と判断基準
実用品である場合、付加的デザイン(たとえば、物品の面の上に模様などをつけたもの)であれば機能に基づく制約は受けないが、そうでなければ、機能と審美性をどのように見分けるかが問題となる。この点、物理的な分離可能性を問題にすると、特異な要素を付け加えたもののみが保護され、デザインに対する社会的通念上の評価と乖離しかねない。著作権法上の保護を与えることの当否、という観点から審美性を問題とすべきである(作花・58頁)。

2.私見
雑な理解かもしれないが、従来の裁判例とそれほど距離のある見解ではなく、むしろ、大きな流れに対して整合的な説明を加えるものであるようにも思われる。ただし、そもそもの前提として、制度間調整を図る解釈論をとるべきかについては異論もあろう(半田正夫「応用美術の著作物性について」青山法学論集32巻1号(1990年))。ともあれ、少なくとも、立法の課題としてデザイン保護のありかたは今後の大きな課題である。
(…といったあたりで、私見は留保。難しい!)

なお、私は、本来は著作権法上保護されうるが(機能性の縛りで創作性がないものは別)、意匠権との重複、そしてそれにともなう意匠権の意義の毀損(より深く言えば、意匠法が創作奨励のため保護期間後の自由利用確保を行ったことの意味を無にする――もっとも、意匠法をこのように解釈することが前提で、異論はあろうが――)から、応用美術と呼ばれるものについては、特別な基準を設けている、それが、裁判例では「純粋美術と同視しうるか」という基準である、と整理している。おそらく一般的な整理だと思うが…。
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2006年11月11日

[著作権]おまけフィギュア事件判決簡単まとめ

omakefigure061111.jpg〔おまけフィギュア事件〕(あるいは〔チョコエッグおまけ事件〕)判決(原審・大阪地判平成16年11月25日、控訴審・大阪高判平成17年7月28日)について、簡単にまとめてみた。創作性に対する考え方の違いは興味を引かれるところである。

追記(06/11/15)
自信満々にまとめてみたら、間違っていた。
原審妖怪フィギュアについては、創作性は肯定され、美術の著作物該当性が否定されていた。読み違えである。恥ずかしい…。
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2006年11月05日

[著作権]著作権の方向性

●中山信弘「著作権法の動向」鴻常夫先生古稀記念論文集『現代企業立法の軌跡と展望』(商亊法務研究会、1995年)873頁〜読書メモ

特定のテーマに関し、解釈論などを示したものではないのだが、今後の著作権法の向かう方向について示唆した論文として、興味深いものだった。10年前の論文で少々古いが、短くまとまっていて読みやすく、大学4年生などの研究はじめの人には向いているはず。

1.論文の概要
伝統的には人の精神的な創作活動の成果を保護するのが著作権法であり、それで問題は生じてこなかった。伝統的なパラダイムでは人格が重視されてきたのである。
しかし、表現=機能であるプログラムを保護するようになったことにより、パラダイムが変わった(876頁)。また、データベース保護ということも、著作権の性格を変えたものと考えられる(878頁)。技術が進歩した今、データベースにおいては、いかに多くのデータを集めるかが重要であって、それは額の汗の保護につながる。ここから、事実上の不正競業法的要素の混在が見て取れるのである。
競業法的な性格については、プログラムの法人著作についても伺える。プログラムの場合、ほぼ使用者に著作権が帰属することとなるからである。同様のことは、映画の著作物においても言える。
今後の方向については、。マルチメディアとコンピュータ・ジェネレイッテッド(Computer Generated)、この2つをどう取り扱うかが問題になるであろうと考えられる。特に後者については、誰にも帰属しないとの取り扱いは、成果物それ自体からは伺えない要素によって、権利の有無が分かれることになり不都合であるから、現在の枠組みを越えた形で帰属確定がなされるべきである(886頁)。

2.私見というか感想
著作権法が競争規範としての性質も有するという認識には、賛同したい(というか、先生ッ!ついて行きますといった感じだが)。中山教授が指摘するように、史的発展の中では、人格に基づくようになったのはフランス革命以後である。所与のものでも、必須のものでもないのである。同様の指摘は、白田博士が『コピーライトの史的展開』でも述べられていたように思う(うろ覚え…)。「人格の発露」と言い切れず、経済財としての側面が顕著な情報の保護については、少なくとも立法論においては、競争秩序をいかに規律するかという観点から検討されるべきであろう。
マルチメディアと著作権については、具体的な問題が指摘されていなかったが、足りない頭で考えれば、どのような順序で何を出すといったことに関わるパラメータの改変だろうか。ときめきメモリアル事件や三国志3事件などが既に著名であるが、インタラクティブ故の表現順序の幅をどう取り扱うかは、さらに検討する余地があるのかもしれない。(この点、松田政之教授が『同一性保持権の研究』(有斐閣、2006年)で検討されているであろう。一度読まなきゃ。)
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2006年11月03日

[著作権]ソフトウエアと著作権に関する法律相談(その1の続き)

※あとから考えたら、これ、すごーくアヤシイ。考え直します。

Q2.ソフトウエアのバックアップのために、コピープロテクトがかかっているデータのプロテクトを外してコピーをとることは、著作権法上違法か?

A2.グレーであるが、原則、違法と考えた方が安全。
1.47条の2との関係
ソフトウエアのバックアップについては、著§47-2が定めるところであるが、コピープロテクトとの関係については規定していない。
要件からいえば「必要と認められる限度」かどうかが問題となり、ソフトウエアの性質(バックアップがないと業務に支障をきたすということがない等)によっては、そのような複製が認められない可能性がある(ゲームソフトにつきバックアップの必要性がないとするものとして、加戸・前掲『逐条講義』305頁)。
また、後述するように私的複製においてはコピープロテクト等(技術的保護手段)を回避して行うものは私的複製にあたらないとされている。であるならば、プロテクト外しによるバックアップ作成は違法と読むのが素直とも考えられる。
しかし、私見としては、著§47-2は、ソフトウエアの機能性に着目した、使用者の財産上の利益と著作権者の利益衡量規定と解釈する。ソフトウエアは機能性を有するものであるが故に、使用者は継続してそのソフトウエアが存在することを通常期待するものである(いわゆるロックインが生じる)が、その滅失により、新たに同一のものを購入することを要求することは、使用者に酷である。また、いわゆるロックインされた状態にあることは、著作権制度が想定していなかったものではなかろうか。
もちろん、立法趣旨は、ソフトウエアが高価であった時代においてその事情を考慮したものと思われるが、だからといって、ソフトウエアが安くなったから今は問題がない、という解釈に結びつけてよいものかどうか。
それゆえ、私見はプロテクトを外したバックアップは適法と考える余地があると解する。少なくとも、使用者の財産上の損害が著しい場合(とくに、営業上利用しており、営業行為遂行に支障が出る場合)には許容されるものと思われる。
もっとも、契約によりこれを禁じた場合は別段の考慮が必要であろう(その点につき、勝久・前掲は、著§47-2の立法趣旨と、時代の変化から、バックアップを禁止する、いわゆるオーバーライド契約は原則有効であると判断される、と述べる)。
2.私的複製との関係
著§30TAは、「技術的保護手段の回避」による複製は、私的複製にあたらないとしている。つまり、意図的にプロテクトを外したことによって、複製した場合は、「私的複製」にならないのである。だが、「技術的な制約による除去または改変」によりプロテクトが無視ないし外れてしまった場合はこれにあたらない。たとえば、コピープロテクトがかかったCDからインストールしてできたデータはプロテクトがかかっていないものだが、これを私的使用目的でコピーすることは許容されるものと思われる。
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[著作権]ソフトウエアと著作権に関する法律相談(その1)

2があるのか、というツッコミは無しとして(きっといつかあるでしょう)
とある先生から相談を受けたので、考えてみた。

典型的な問題だけれど、間違ってたらイヤなので念のため晒してみる。
ご存知の方ご意見ください。
あと、後々のメモのため残してみる。
(※おことわり:私は一介の学生であり、ここに書いてあることを信じるかは自己責任でお願いします。また、法律相談に乗ることはしてません。著作権情報センターのページや教えてgooなんかで、調べてみてください。)

Q1.ソフトウエアを中古で販売することは、著作権法上違法か?
Q2.ソフトウエアのバックアップのために、コピープロテクトがかかっているデータのプロテクトを外してコピーをとることは、著作権法上違法か?


A1.原則は違法でないと思われる。
1.一般原則
適法に手に入れた著作物を他に販売する行為に対しては、「映画の著作物」以外には著作権は及ばない(著§26-2U@)。そこで、特に問題となるビジネスソフトウエアとマルチメディア*1ソフトウエア(ゲームソフトウエアを含む)に分けて検討する。
2.ビジネスソフトウエアの場合
(1)一般原則
ゆえに、ビジネスソフトウエアの販売行為は著作権(譲渡権:著§26-2T)侵害にあたらない。
(2)利用許諾による制限がある場合
(i)検討対象
仮に使用許諾契約において他人への元のソフトウエアの譲渡禁止(この場合は、譲り渡す人のコンピュータから、譲り渡すソフトウエアをすべて抹消した場合であっても譲り渡してはならない、という条項を念頭に置いている*1)が定められていた場合には、若干検討が必要である。もっとも、そんな条項は通常存在しないが…。
(ii)譲り受けた人の著作権侵害の有無
まず、著作権の譲り受けた人は使用権限がないが、だからといって本件では著作権のみなし侵害(著§113U)にはあたらない。著§113Uは、「著作権を侵害する行為によって作成された」複製物を使用することを対象としているのであり、オリジナルのソフトウエアデータをやり取りする場合には、著作権侵害とみなされないのである。なお、バックアップ用の複製物であっても、これを譲り受けた人が、バックアップ用であることを知って(なおかつ、譲り渡した人の手元にはオリジナルのソフトウエアが存在することを知って)使うことは著§113Uの対象となる。
(iii)譲り渡した人の責任の有無
譲り渡した人は、契約上の責任を問われうる。しかし、そもそも譲り渡すことを禁止することが許容されるのかどうか。まず、契約方法が先決の問題となり、契約内容が使用者にとって覚知できないような方法(いわゆるシュリンクラップ契約)によって行われた場合には、公序に反するとされる可能性がある(一律に公序違反とする学説として、勝久晴夫「ディジタル情報の保護手段と著作権規定」『第4回 著作権・著作隣接権論文集』(著作権情報センター、2004年))。次に、当該条項について、@似たようなソフトウエアが譲渡できないのが一般的か、A譲渡することによって権利者に著しい損害が発生するか、を検討し、譲り渡し人に著しく不利な条項でないかの精査を行って、契約の有効性について争う余地はある。
3.マルチメディアソフトウエアの場合
映画をDVDで提供する場合のマルチメディアと、ゲームソフトウエアの場合では、さらに分けて検討が必要である。
(1)映画などのマルチメディアの場合
映画や放送番組をマルチメディアとして記録したものは、解釈上「映画の著作物」と解されるものと思われ、これを中古販売することは、頒布権(著§26T)の侵害にあたる。ただし、私見としては、著§26の規定は映画業界における配給制度保護規定と解釈できる(加戸守行『著作権法逐条講義 四訂新版』*3(著作権情報センター、2003年))ことから配給制度とかかわりない、映画の著作物には適用されないと考える。
(2)ゲームソフトウエアの場合
ゲームソフトウエアについては、最高裁が中古販売を適法とする判断を下している(最判平成14年4月25日 民集56巻4号808頁)。よって、適法であると考えられる。

*1 ここでいうマルチメディアとは、映像、音声などを組み合わせたもの、さらには、プログラムとの組み合わせも指すこととする。
*2 BtoB間のソフトウエアの取引で、営業秘密として管理されているものを、秘密保持を条件に、提供を受けた場合は別。
*3 版は古いですが…。高いんですよね、あれ。
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2006年10月20日

[著作権]「パロディ事件判決」引用要件の再検討

田村善之「絵画のオークション・サイトへの画像の掲載と著作権法」知財管理56巻9号(2006年)1307頁以下読書メモ

1.この論文の意義
ネットワーク上での絵画の著作物流通において、サムルネイム画像や、傷などを拡大した画像等が併せて掲載されるが、これが引用にあたるか否かについて検討が加えられている。田村教授は、引用についてパロディ事件判決(最判昭和55年3月28日民集34巻3号244頁)が示す要件は、研究・批評型のみを射程とし、それ以外の利用形態については、利用者と権利者の利益衡量に基づき、取引対象についての情報提供としての画像であり、解像度いかんによっては、引用にあたると解すべきとする。

2.論文の概要
(1)パロディ事件判決
パロディ事件判決は、@明瞭区別性、A附従性、B著作者人格権の非侵害、を引用の要件としている。
ただし、少なくともBについては、その妥当性に有力が疑問が呈されている。すなわち、著作権者と著作人格権者が別にいる場合に、たとえば氏名表示権侵害がなされたとして、問題となるのは人格権であるのに、引用も違法なものとなり、著作権者の許諾が問題となってくるからである(田村1319頁)。
また、この要件は近時の判例を分析すれば、批評型の引用にのみ射程があるとすべきと思われる。
(2)新しい形の引用
あたらしい類型の引用においては32条の文言に忠実な形で、しかも、著作権法が基礎とする利用者と権利者の利益衡量に基づいて判断されるべきである。であるならば、需要者の不利益と対置されるオークション・サイトでの掲載については、解像度が高く権利者の営業上の利益を削ぐ場合でなければ、引用に該当するとされるべきではないか。そう解しないと、自由譲渡を一部ながら制約することとなり、用尽を定めた意味が潜脱される。
また、「公正な慣行」要件はあたらしい引用類型の場合はこれが形成されていないことから、原則要件としてみるべきでないと考えられる。
なお、新しい形の引用について32条の射程とするかについては、斉藤教授の反対説がある(斉藤博『著作権法 第2版』(有斐閣、2004年)241頁)。斉藤教授は、著作権法にあっては権利者の保護を第一とすべきとの立場に立つゆえの、学説の相違である。
(3)同一性保持権との関係
人格権においても利益衡量がなされるべきとの立場から、改変の該当性を否定すべきとし、仮に肯定されても止むを得ない改変とすべきとする。もし「やむをえないものでない」とすれば、引用についてなされた利用者との利益衡量が無意味に帰すからである。

3.私見
著作権にあっても、利益衡量をもって条文解釈を行うべきとの立場は妥当なものであると思われには賛同する。これに立脚した本稿の立場は至当なものと思われる極めて説得的であると受け止められる。
もっとも、需要者との利益の対置であり、利用者の利益との利益衡量ではなく、引用にあっては第三者的な立場にある者が登場するのであり、これが正当かどうかについては若干の疑問点は残る。少なくとも取引の場面で情報提供が行われるべきとの公序が形成されている、とのことが、消費者契約法を手がかりに言えるのであれば、それを妨げる取引当事者外の権利行使は権利濫用として処理することもできよう。
いずれにせよ、取引対象物の特定物性が問題となり、取引における要素についての情報が著作権により保護されうることがある「絵画」ゆえの問題であり、必ずしもその射程は広くないことは留意がいる者と思われる。
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2006年09月18日

[著作権]総務省の提言

総務省の「ユビキタスネット社会の制度問題研究会」の報告書[総務省webサイト、pdf]で、コンテンツでの既存の著作物利用を円滑にする為に、著作権の登録制度を設けるべきだ、との提言がなされた。権利者が誰か公示することで、許諾のための権利者へのアクセスを容易にするものであり、登録をした場合は、(1)保護期間を延長する、(2)権利者不明になった際に利用希望者に裁定実施を許諾する、というのが提言の要旨と言えよう。

なるほど、現行の制度で穴になっているところを埋めるものであるが、わざわざ新たな制度を設けるべきものなのか?
権利者の公示であれば、たとえば著作権管理団体を活用する手法もあろう。
あえて国がリードするメリットがいまいちわからないので、示してほしいものである。

追記(9/19)
権利者のデータベースを、経団連が提供するとの報道[知財情報局]があった。
私見として述べたように、敢えて国がしなくても、権利者側あるいはクリエーター側が自発的に行えるものであることを示した例ではなかろうか。
posted by かんぞう at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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