2008年11月13日

[著作権]「幇助」への違和感

次の報道が気になった。

携帯電話で楽曲をダウンロードできる「着うたフル」機能の利用者に、ホームページ(HP)を通じて人気曲を無許可で配信したとしてHP開設者らが著作権法違反容疑で逮捕された事件で、京都府警は11日、自社サーバーからこのHPに簡単に接続できるようにしたとして、サーバー管理会社「エーウォーカー」(兵庫県芦屋市)役員の小口拓容疑者(30)=神戸市東灘区本山南町=を同法違反の幇助(ほうじょ)容疑で新たに逮捕した、と発表した。同法違反事件で管理会社の関係者が逮捕されるのは珍しいという。
(朝日新聞2008年11月12日)

いわゆるプロバイダが著作権侵害の「幇助」に問われたというものである。
報道では必ずしもわからないが、winny事件判決が示したように、著しい著作権侵害を認識しており、しかもそれを支援するような特段の行為があったのだろうか。

しかし、winny事件のときもそうであったように、民事上の関係では著作権の「間接侵害」というものが規定されていない中で、著作権侵害幇助罪を適用することについては、いろいろな意見が出ていた。著作権については幇助罪を適用すると、情報流通を萎縮しかねないのではないか。間接侵害の議論を十分に待ってほしいというのが私の思いだ。それを待たずに幇助の先例を増やすことは好ましくないと感じる。

少なくとも、本件は形式的には公衆送信権侵害の主体と見ることも出来る余地があるのではないだろうか。
なぜそうしなかったのだろうか。
もちろん、主体として判断する場合も、情報流通の萎縮を考慮してなんらかのセーフハーバーについて言及されることが望まれる。
posted by かんぞう at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月02日

[著作権]知財戦略本部からの著作権フェアユース規定の提言から考える規定ぶりに関する私見

著作権のフェアユースに関して、知財戦略本部の専門調査会から報告書案が出された(「デジタル・ネット時代における知財制度の在り方について(報告案)」)。
なお、この報告書全体については兎園さんの『無名の一知財政策ウォッチャーの独言』で詳しく分析をされている(「第124回:知財本部によるフェアユース導入の提言」「第125回:知財本部・デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会の報告案に対する意見募集の開始」)。

■フェアユース規定に関する提言についての感想
報告書案は、情報通信技術を活用した新産業創出につながることを強調して、日本版フェアユース規定を提言している。同時に、個別規定との併存も提言している(当然、今後も個別規定を増やしていくことが必要であるとも提言をしている)。
さらに、規定ぶりについては広範・簡潔な規定ではなく、「著作物の性質」「利用の目的及び態様」を考慮すべきことを明示している。ただし、具体的な条文案までは提示するに至っていない。

これまで利用者側、権利者側いずれの立場の研究会で複数議論されているところを総合すると、情報通信産業においてはメリットが大きいことは間違いないであろう(たとえば、これら産業を資金的に支援する側もハイリスクの投資にはなるが直ちに違法な投資にならないという
点は大きい)。また、本ブログに頂いたコメントをふまえると、情報通信分野に限らず新しい著作物の利用が試みられる動機となることにもつながろう。

これらを考えると、フェアユース規定の導入を提言したことに積極的に賛同したい。

ただし、この規定のもとでは利用者はいずれにせよ、司法審査を経ることが望まれることになる。だが、司法審査は事案での判断であるのか、一般的な基準であるのかの見極めを慎重に行う必要がある。すると、権利制限を確立するには、フェアユース規定に頼って実際にスキームを作り、動かし、それが成功したことを以て、権利制限規定創設に持ち込むという流れが望ましいことになる点には留意が必要であろう。

■望ましい規定ぶりはなにか?
提言では踏み込んでいないが、「公正な利用は許される」とのようにしないのであれば、2つの方向性が考えられる。

一つは、米国の規定を参考にする方向である。以下の要素を考慮する条文とすることになる(注1)。
(1)使用の目的および性質(使用が商業性を有するかまたは非営利的教育目的かを含む)
(2)著作権のある著作物の性質
(3)著作権のある著作物全体との関連における使用された部分の量および実質性
(4)著作権のある著作物の潜在的市場または価値に対する使用の影響

米国の判例を応用できる点では楽でいいが、米国の制度とそろえるメリットがどこまであるのか検討することが望まれるし、米国と経済的・文化的な背景の違いを分析して参照すべき判例を洗い出すことも望まれる。

今ひとつは、ベルヌ条約等のスリーステップテストに沿った規定を導入することである(注2)。 ざっくり言うと、具体的には以下の要素を考慮することになる。
(1)特別の場合について
(2)著作物の通常の利用を妨げず
(3)その著作者の正当な利益を不当に害しないこと

条約を遵守し、他国から突っ込まれる余地を減らすという点では実質的な利益があろう。ただし、実質的な議論をすると、条約の規定をそのまま導入することが自国の利益に叶わないのであれば、適当でない選択肢になる。

自国の利益に叶わない可能性として、スリーステップテスト自体が不明確な基準であることがあげられる。この批判は世界的に存在しているから注意を払う必要があるだろう。
そうであれば、スリーステップテスト自体は自動執行性はないと理解されているのであるし、各国の立法裁量に委ねられる余地が大きいと考えられているのであるから、わざわざそのまま導入するよりは、具体化した基準にして導入する方が望ましいだろう(注3)。

私としては、国際的にはスリーステップテストの検討が欠かせないこともあるのだから、考える契機として、後者(スリーステップテストの具体化基準)導入を議論してはいかがかと思う。
今後、文化庁の著作権審議会に議論が移る。その展開が気になる。

(注1)訳は山本隆司・増田雅子共訳(CRICのWebページから引用した)。
(注2)斉藤博「著作権の制限又は例外に関する一考察(その2)」知財管理55巻10号1360-
1362頁(2005)。
(注3)権利制限規定の解釈においてスリーステップテストを解釈指針とすることを批判的に検討するものでフェアユース規定に述べるものではないが、参考になる論文として、駒田泰土「3 step testはどこまで有用な原則か ――フランスにおける議論を参考に――」上智法学論集51巻3・4号(2008年) 。
posted by かんぞう at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月26日

[著作権]「インターネット上での違法な公開・共有への対策に罰則が有効」は一人歩きさせるべきではない

私は著作権侵害罪に対しては構成要件が広すぎる、と考えており、折に触れて本ブログでもそのような情報発信を行っている。他方、罰則については実証的検証は必要だが、ある程度適当なのではないか、と考えていた。

しかし、罰則の程度に関する興味深い情報があり、考えさせられた。
内閣府が実施した「知的財産に関する特別世論調査」の結果《内閣府Webサイトへのリンク》である。

■平成20年度(2008年度)知的財産に関する特別世論調査にみる興味深い結果
内閣府が全国の20歳以上の者1,770人に個別面接調査を行った結果によると、「インターネット上での違法な公開・共有への対策として有効な手段」として「違法行為に対する罰則強化」が53.8%を超えていた。

なお、内閣府による同様の調査が平成16年(2004年)に行われている。この調査では、いわゆるニセブランドを念頭に置いた「ニセモノ」に対する有効な対策として「罰則の強化」が58.0%に上っていた。(なお、その後の2006年改正で商標法、意匠法等の罰則が強化されている。)

このときも「罰則の強化」を有効な対策と答える人が最多であり、しかも、割合も同じである。「約半数の人が対策を聞かれると、条件反射のように罰則の強化と答えるのだ」と考えることも出来るかもしれない。しかし、当時と違って知的財産権に関する罰則は確実に強化されている。多くの人がそれを知らないと最初から決めてかかることは適切でないだろう。

では、文字通り約半数の人は罰則の強化を願っているのであろうか。
ここで「罰則の強化」が3通り解釈できることに注意しなくてはいけない。
○他人の著作物の無断アップロード行為に対する刑事罰のさらなる加重
○他人の著作物の無断アップロード行為に対する刑事罰および民事的責任の加重
○他人の著作物の無断アップロードがなされた著作物のダウンロードに対する刑事罰の新設

もっとも、3番目の意味に捉えるには、「ダウンロード違法化」が決まったばかりの今段階では不自然だ。そもそも「違法」と捉えていない人が少なくないはずである。
ここでは1番目の観点で検討してみる。

■他人の著作物の無断アップロード行為に対する刑事罰のさらなる加重?
ご存知のように平成17年著作権法改正で、著作権侵害罪は上限が懲役10年になった。これは窃盗罪、詐欺罪と同じであり、1丁の拳銃所持をした場合(銃砲刀剣類所持等取締法31条の3)などとも同じである。
これを加重すると、傷害、強盗や殺人並の刑事罰となり、生命身体の侵害と同列に論じることになりかねない。これには違和感がある。本当にそんなものを望んでいるのだろうか?

■アンケート結果の解釈余地
著作権侵害で人を大けがさせたのと同じような取り扱いにすることを望んでいるとアンケート結果を理解することには私は違和感がある。アンケート結果を腑に落ちるものと捉えるには2つの可能性が考えられる。
○著作権法改正(罰則強化)後の運用が甘い事実があり、それが知られている。
○そうでなくて、著作権侵害罪の罰則の上限知られていない。

■平成17年著作権法改正(著作権侵害罪の罰則の強化)以降の刑事罰の適用事例
第一法規のデータベースで平成17年10月以降の著作権侵害罪に関する裁判例を調べてみた(注)。
京都地判平成18年12月13日〔Winny著作権侵害幇助事件〕 罰金150万円(注:控訴中)
…これでは少ないので、新聞でも調べてみた。
長崎地裁佐世保支部判平成19年2月22日〔違法着メロ配信事件〕 懲役2年(執行猶予3年)
京都地判平成20年5月16日〔アニメーション静止画像入りコンピュータウイルス(原田ウイルス)頒布事件〕 懲役2年(執行猶予3年)(注:著作権侵害および名誉毀損事案)
やっぱり少なかった。

確かにこれらを見ると、上限の罰則が科されているものは無く、裁判所の運用が甘いのかもしれない。しかし、凶悪犯罪を除けば、他の犯罪でも同様の傾向があるようにも思われる。

しかも、内閣府のアンケートが前提としているようないわゆる海賊版頒布を行ったど真ん中の著作権侵害事案は〔違法着メロ配信事件〕に限られることに注意しなければならない。たった1案件では判断が難しい。これは国民にとっても同じことだろう。

そうすると、著作権法改正(罰則強化)後の運用が甘い事実があり、それが知られていると考えることはどうも無理がありそうだ。

なお、内閣府のアンケートでは、一部の回答者が「罰則の強化」との言葉を民事的な制裁を含めて理解している可能性も存在する(少なくともアンケートでは明示的に刑事罰に限定していない)。
本当は海賊版頒布行為に対する損害賠償額についても見るべきなのかもしれない。

■著作権侵害罪の罰則の上限は知られているのか?

残された可能性として、そもそも著作権侵害罪の罰則の上限が知られていない可能性は無いのだろうか。これはアンケート調査で明らかにすることは簡単だと思う。

もし上限が知られてないとすればいくら罰則を強化しても意味が無いだろう(もちろん、「死刑」を上限にすれば相応のアナウンス効果はあるだろう。だけど、著作権侵害で死刑にする社会はなかなか素敵で、素敵すぎて涙が出てきそう(笑)(注1))。

そうすると、必要なのは法制度の周知でしかない。

■私の懸念:ダウンロード行為の拙速な罰則化につながらないでほしい
著作権侵害罪の罰則をこれ以上重くすることは違和感があるし、おそらく意味も無い(仮に罰則が知られてないとすればなおさら)。

では、本アンケート結果は政府の中でどのように用いられる可能性があるだろうか。あえて使おうと思えば、既存の罰則の強化ではなく、新たな罰則の新設の契機の一つとされるのではないか。

杞憂かもしれないが、私としては、本アンケート結果が海賊版のダウンロード行為への罰則導入が拙速になされることにつながらないか懸念している。ダウンロード違法化にあたって議論で挙った懸念点について十分な調査・研究と検討なしにダウンロード行為に対する罰則を導入の動きへ向かわないように願う(注2)(注3)。すくなくとも、本アンケートで国民の約半数が望んだ「罰則の強化」の意味を確かめるべきだ。

(注1)正確には改正著作権法の適用例を見ることが正しい…が結果は上記の通りであった。
(注2)好みの問題で恐縮なのだが、私はどこかの国のように情報を統制することが好きじゃない。たしかに「海賊版」は問題だとわかるが、著作権保護の実効性確保のために情報受領行為自体を規制することは、適切な手段なのだろうか?この国を歪めてしまわないだろうか?私はこの疑問に対する腑に落ちる答えが欲しいと願っている。
(注3)というものの、研究会の場でお見かけする内閣府知的財産戦略本部の方や文化庁著作権課の方は、冷静な判断の元に政策立案をなされるものと思うし、おそらく「あー、いつもの国民の反応だねー」と流されていると思う。むしろ、政治家であまりこの分野に通じていない方が思いつきで介入することの方が怖いかも。
posted by かんぞう at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月16日

[著作権][時事]米国Pro-IP法成立

本ブログの「[著作権]米国著作権法における民事訴訟コストの外部化法案?」、「[著作権]さすがに民事訴訟コストの国費負担はまずいらしい」で触れた、米国の著作権法改正案が成立した(注1)。

Prioritizing Resources and Organization for Intellectual Property Act of 2008からは、司法省による(民事訴訟としての)著作権侵害訴訟は法案から削除されており、世界に衝撃を与える内容ではなくなったように思う。

同法の特徴としては大統領への助言機関としてIntellectual Property Enforcement Coordinator(知的財産権執行調整官)を設けることにあるだろう。次代の大統領がMcCainになるのかObamaになるのか、わからないが、初代IPECにも注目したい。

(注1)Stefanie Olsen&CNET編集部「ブッシュ大統領、RIAAが支持する知的財産法に署名」CNET(2008/10/14記事)が大いに参考になった。
posted by かんぞう at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月13日

[著作権]フェアユース規定導入のメリット再考

先日、情報通信政策フォーラムの研究会に参加して話を聞いてきた。中山信弘先生が著作権のフェアユース規定導入の意味についてお話をされており、いくつか考えるところがあった。
なお、以下に中山先生のお話として記述している箇所があるが、私の理解の誤りもあるかもしれない。会場には様々な方がいらっしゃったので、参加されていた方も本部ログをご覧になっている可能性もある。誤りがあればお教えいただければ幸いである。

■ベンチャーの保護につながるのか?
私は本ブログの「[著作権]フェアユース規定導入に対する私の理解」(2008年09月16日)で述べたように、既存の企業にとってはフェアユースが認められなかったときのサンクションが大きいため、「革命的な影響」をもらたすものではないと考えている。
その上で、ベンチャー企業であっても、少ならかぬ起業家はリスクテイクをしないのではないか、とも考えている。

この点について中山先生は「ネットビジネスのような先行者利益の大きい分野については意味がある」と強調されていた。また、フェアユースがあり直ちに違法といえないことでファイナンスを受けられる余地が生じることも強調されていた。

これはそうかもしれない。先行者利益が十分にあれば、事後的に司法の場で争う資金も確保できる。あるいは政治的なロビイングを行う力も形成できる。ファイナンスに関しては少なくとも日本の銀行では難しい面もあるかもしれないが、政府系金融機関や地方銀行なんかは貸してくれるようになるかもしれない。

私はファイナンスの場面での影響を見落としていたので、勉強になった。と、同時に、中山先生もかなり限定的な場面での効用を想定されているように思われた。

■既存の権利制限規定との関係

この点について中山先生は影響を及ぼさないだろうと述べると共に、権利制限規定のグレーゾーンについてはフェアユースか否か検討されるべきとおっしゃっていた。

利用者の視点からすればそれでいいと思う。だが、政策論として議論するならば、違う見方もできる。

権利制限に当らないと明示されている場面でビジネスをしている者もいるだろう。その者が(権利侵害といわれる側に比べれば遥かに不利益は少ないとは言え)不利益を蒙りかねないのは望ましくない。少なくとも権利制限規定が慎重な利益衡量のもとに定められていると理解されている場面では、突然、利益の源泉を奪われてしまうことにもなり、不公平な気がする。

私は、権利制限規定のうち、少なくとも政策的な価値判断に基づくもの(表現の自由など重要な利益との調整でないもの)については、その規定を尊重することが望ましいと考えている。ただし、現在の規定では不合理な場面もあるだろうから、十分な見直しが行われるべきことは付け加えておく。
posted by かんぞう at 00:09| Comment(5) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月25日

[著作権]さすがに民事訴訟コストの国費負担はまずいらしい

本ブログ「[著作権]米国著作権法における民事訴訟コストの外部化法案?」(2008年09月18日記事)で触れた、米国著作権法改正案であるが、当事者の司法省が思い切り反対しているようだ。

司法省は、9月23日に上院司法委員会に送った書簡の中で、「司法省の検事が私人である著作権所有者に無償で奉仕することになる。事実上、納税者に支えられている司法省の法律家たちが著作権所有者の代わりに訴訟を起こすことになるうえ、賠償金は業界側に渡ってしまう」と述べている。(computerworld.jp記事「米国司法省、上院承認の知的財産権施行法案に反対の意を表明」


あまりの制度に驚いたら、同じことで司法省も驚いていたようだ。
議員がバシバシ法案を作る国だけあってエキサイティングである。
posted by かんぞう at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月18日

[著作権]米国著作権法における民事訴訟コストの外部化法案?

米国議会で、Enforcement of Intellectual Property Rights Act of 2008の法案(S.3325)がこの7月に上程された(注1)。審議が進んでいるかどうかはわからないが、この法案には面白い点が含まれている。それは、司法省長官への民事訴訟権限の付与、である。どういったものか気になったので、法案段階ではあるが、該当部分について翻訳を行ってみた。法案の内容を把握することが目的であるので、文言に忠実な訳ではない点に注意いただきたい。

法案101条は、以下の条文を米国著作権法(合衆国法典第17編)506条(刑事罰規定)の下に506a条として追加することを求めている。
506a条(506条違反に対する民事制裁)
(a)総論
司法長官は、506条に定める刑事制裁行為に代えて、506条に違反する行為を行った者を相手取り、適切な連邦地方裁判所に対し、民事訴訟を提起することが出来る。証拠の優越によりそのような行為が立証された場合、その者は504条に定める民事制裁を受ける。この場合の制裁の額は、合衆国法典第18編3663条(a)(1)(B)に定める損害賠償の額および当該行為により被害を受けた著作権者に対する損害賠償の額の合計に等しくてもよい。
(b)他の救済手段
(1)総論
本条による制裁が科された場合であっても、連邦政府や他の者が行いうる、他の刑事処罰、もしくは、法令上の救済、差止的救済、コモンロー上の救済、または、行政上の救済を妨げない。
(2)相殺
本条に従い提起された民事訴訟の結果、著作権者が得た損害賠償は、当該著作権者が同一の行為に基づき提起する(注2)著作権侵害訴訟における損害賠償と相殺されるものとする。

506a条(a)を読む限り、刑事罰としての提起と思いきや、(b)(2)では著作権者が506a条による訴訟での損害賠償を得ることが前提となっている。
私の理解が正しいとすると、民事訴訟でありながら、訴訟費用が外部化されるということになる。なかなか斬新だが、果たしていかに。もっとも、対象は米国で刑事罰とされている行為のみであり、これは日本に比べると構成要件が限られていることには留意が必要だろう。

(注1)JETRO「上院に包括的模倣品対策強化法案(上院版PRO-IP法案)が上程される」JETRO NY ニューズレター(2008年7月25日参照)。なお、私はIP NEXTの記事「米、著作権侵害取り締まり強化のための法案を審議」で本件を把握した。
(注2)正確には、「本条に従い提起された民事訴訟で対象となった行為に関する訴訟」であるが意味がとりにくいため意訳した。
posted by かんぞう at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月17日

[著作権]フェアユース規定の導入の仕方と影響を考える

前回、行路さんに頂いたトラックバックに刺激されて、私なりのフェアユース規定導入への理解を整理した。ここでは、フェアユース規定導入の仕方と、その影響を考えたい。

■どのような規定ぶりが望ましいか
さて、それでは、行路さんの同記事の問題提起に従って、規定ぶりについて稚拙ながら検討を行ってみる。

上野教授が以前から主張されていたような、49条の2として個別規定の受け皿として設けるやり方については、個別規定との関係が明示されず、罰則規定との関係で法制審を通りにくいとの指摘がなされている。

興味深い指摘で、立法側の懸念点が明示されている指摘である。大変勉強になる。

とはいえ、現状の個別規定の法的安定性のメリットを維持し、かつ、フェアユース規定導入のメリットを生かすならば、49条の2型の規定が適切なのではないだろうか。書きぶりで弊害を抑えることはできないのだろうか。選択肢として考えられる1例について検討する。

まず、個別規定のオーバーライドについては島並教授が問題視されているように、法的安定性を害するかもしれない。それを問題にするのであれば、49条の2に「ただし、本条の適用に関しては、30条から49条の規定を参酌しなければならない」(注2)との規定にしてはどうだろう。

次に、罰則規定との問題については、思い切って著作権侵害罪の構成要件を特定の複製行為に限定してみると良いかもしれない(注3)。

■仮に、包括的公正利用規定が出来た場合の実務への影響:誰の仕事が増えるか?
なお、蛇足ながら49条の2型の規定が導入された場合の、実務サイドとしての影響について述べておきたい。
指摘がなされているように、「弱い者いじめ」型のフェアユース範囲の確認が行われるかもしれない。裁判所も常識人なので、事案において無茶な判断はまぁしないだろう。おそらく、権利制限の範囲が拡大するような判決は「弱い者いじめ」型の裁判では下らない。

そうすると、著作物の利用者側としては、そのような判決の適用範囲が限定的であることを騒ぎ立てておく必要がある。
すると、役目が出てくるのが、法解釈学者となる。裁判例を丁寧に分析して適用範囲が限定的であると述べることにニーズが出てくるだろう。

そう考えると、フェアユース規定で一番喜ぶのは、権利制限のせめぎ合いの場が司法の場に転化される(かもしれない)知財弁護士さんと、法解釈学者である可能性もある。知財企業法務も新たな役目が増えて社内的なレゾンデートルが増し、ちょっとおいしい…かもしれない(これ以上仕事が増えたら死んでしまうヨという、優秀すぎて仕事が集まっている方は別)。

(注1)私の立法技術が稚拙なため条文として適切でないと思われる。
(注2)包括的な公正利用規定との関係が問題になる場面は依然として残るが、司法警察側の予測可能性の担保についてはまだマシでは?
posted by かんぞう at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月16日

[著作権]フェアユース規定導入に対する私の理解

最近、立法に携わる立場から著作権法について精緻な分析をなさっている行路さんからトラックバックを頂いていた(反応が遅れて恐縮です>行路さん)。

行路さんからは以下のご指摘をいただいた。
(「知」的ユウレイ屋敷さんは、むしろ罰則が広すぎることに伴うデメリットを解消する観点からファアユースを、という議論を立てているようだが、この主張などは、知財本部のような権利制限規定の一種としてフェアユースを考えるようなものより、私のように救済規定の中の一種としてフェアユースを考える方向に親和的だろう……と勝手に考えみたりもする。違っていたらすいません。)
フェアユース後、役所の仕事はなくなる?2」『下級役人のつぶやき』

■フェアユース規定導入に対する私の考え
結論から言うと、まさにその通りである。ただし、私は、きちんと考えてそのように考えていた訳ではないし、世間が権利制限としての効果を評価している中、空気を読まずにそのような面での効果を前向きに捉えていなかっただけなのだが。
私の稚拙な表現にもかかわらず的確に理解いただいていた点に感謝したい。頭の整理ができた点にも重ねて感謝したい。

整理していただいたように私は権利制限としての公正利用規定をそれほど積極的に捉えていない。あくまで、刑事規制が事案の解決にあたって重荷になってしまった場合の救済規定(この救済は、利用者の救済なのか、裁判官の救済なのかは微妙なところである)としての意味が大きいと考えている。

権利制限規定として積極的に評価しない理由は、一部の実務家から筋の通った理由が挙げられているところであり、私には屋上屋を架すことができないが、念のため直観的に捉えていたところを述べると、
○コンプライアンスが問われる時代、よほどのことが無いと「グレー」な領域で勝負する人はいない
と考えていた。この点については、FJneo1994さんが『企業法務戦士の雑感』「[企業法務][知財]「フェアユース」待望論にまたしても水を差してみる。」で詳しく述べられている。

なお、行路さんはこれに加えて、フェアユース規定が、必ずしも権利制限に働かない理由としていくつか鋭い視点を加えられている。例えば、
○司法の場をより積極的に活用できるのは資金力のある側。「弱い者いじめ」も増えるかもね。(ベンチャー保護規定との理解への反論)
という指摘はおそらく現実のものになるように思う。もっとも、これまでと違い、司法の場はロビイングがなかなか通じない(ように思う)ので、資金力のある側にとっても賭けになる点には注意が必要だろう(注1)。

話が脱線してしまったが、私は行路さんの考えられているフェアユース規定像についておそらく共感していると考えている。

付け足せば、私は救済規定としてのフェアユース規定を評価しているし、グレーゾーンのリスクを冒して新たな市場や価値を提供した者が板場合には、新たな権利制限を生み出すレバーになるのではないかと期待している。

次の機会に、どのような規定ぶりが望ましいか、若干の考察を加えたい。

(注1)なお、これも行路さんの指摘に示唆を受けた点であるが、権利者団体においては、団体の維持が存在意義となっていることも場合によってはあるのであり、その場合、「賭け」になっても良い、所属する権利者に不利な結末になっても、団体の存在意義につながる判決を一つ勝ち取ればいい、という判断が行われる可能性もあろう。
posted by かんぞう at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

[著作権]編集著作物の一部を構成する著作物で、入手が不可能なものを図書館が他の図書館のために複製することってどう扱われるんだろう(その2(完))

■31条の意味
まず、31条の意味に立ち返ってみる。
この規定が無いと決定的に困る、という性質のものではなく、政策的に望ましいことを規定しているものと考えるのが自然だろう。しかも、著作権者に不利益を生じさせる可能性があり、また市場の失敗が生じている場面でもないので、何らかの望ましい価値を保護することを政策的に決定したと考えられる(注4)。
ここで望ましい価値とされているのは、国民の情報に対するアクセスの保障であろう(注5)。

■31条3項の意味
翻って3項の意味を考えてみる。
1項、2項と異なり、これがないと情報に対するアクセスが保障されないというものではない。国民によるアクセスが保障された国立国会図書館が資料を所蔵し、31条2項を活用して資料の保存を行っているのであるから、資料にアクセスできないと言うことはない。
3項が実現していることは、国立国会図書館へのアクセスを行うまでもなく、各地の図書館でのアクセスを容易にする、ということにあるのではないだろうか。
(しかも、31条1項が絶版に成った場合であっても、著作物全部へのアクセスを認めていないことに鑑みれば、3項が保護する範囲は限定的と解する方が、文言には整合する。)

これは価値判断になるが、そのような利益はさほどの優越性を有していないのではないか(少なくとも憲法上保護することが必須の利益と見ることは難しいと考える)。

そうすると、31条3項の解釈にあたっては、文言に表れた事項以上の解釈をすることは適切でないであろう。また、著作権者の被る不利益との利益調整も十分に考慮することが適切であろう。

■31条3項の解釈
前に触れたように、文言からの解釈は難しい。
そこで、著作権者の被る不利益との調整を検討する。

必要な論文部分だけ複写されると、掲載元の編集著作物は販売の機会を1回分失うことに通常なる(注6)。
編集著作物の販売部数に応じて著作権者に利益が還元されている場合には、著作権者の利益が失われることとなる。
他方、決まった原稿料で保障されている場合や、そもそも、著作権者には掲載元の編集著作物からの利益の還元が無い場合には、直接的な利益の喪失はない。敢えて言うならば、必要な著作物のみの複写が認められることにより、(実質上わずかではあろうが)利益が損なわれる編集著作物の著作権者が、優れた論文を自誌に掲載するインセンティブが失われる、という可能性が生じる程度であろう。

しかし、著作権者にどのように利益が還元されているか、外形からは判断できず、また、著作権者にしてもそれを公表したくないことが事実上多いであろう。そうであるならば、制度としては、図書館資料とは掲載元の編集著作物を指すものと解することが望ましいように思われる。

もっとも、上述したように、必ずしも著作権者の利益を害する場合が多いわけではない。図書館による編集著作物の一部の入手にあたっては、「入手することが困難」の事情を緩やかに解する余地があるのではないだろうか。

追記:
遊びで書いていたらいつの間にか分量が増えたものであるが、先行研究を全く参照していない。既に適切な検討がなされた論点である可能性もある。
さしあたって眼についた論文(読まなきゃいけない論文)は
○松川実「米著作権法上の著作権の制限規定 図書館及び文書資料館による複製(1) (2)」青山法学論集49巻4号、50巻1号(2008年)
○白井亨「図書館における著作権の問題について―公共図書館を中心として」経済資料研究37巻(2007年)
だろうか。

(注4)本枠組みは山本隆司弁護士の提示されていたものである。山本弁護士は31条について「優越的価値」を保護していることが決定的な説明要素であると分析されていた(「権利制限の共犯従属性」〔著作権法学会2008年度研究大会 配付資料〕)。私もこれに賛同する。
(注5)本規定が制定された昭和45年以前から、図書館が「知る権利」「知る自由」のツールであるとの認識が存在したようである。堀部政男「日本と世界の知る権利・情報公開論議」衆議院・憲法調査会人権小委員会(平成15年5月15日)資料1参照。
(注6)古書市場でのみ流通されている場合には、著作権者や編集著作物の著作権者の利益に還元されない。
posted by かんぞう at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月11日

[著作権]編集著作物の一部を構成する著作物で、入手が不可能なものを図書館が他の図書館のために複製することってどう扱われるんだろう(その1)

重箱の隅をつつくようなお話で恐縮だが、友人から面白い問題提起があった。
編集著作物に掲載されている著作物の所蔵を、ある図書館が希望している。しかし、当該編集著作物全体は当該図書館にとって不要である。また、当該著作物自体は抜き刷りの形で関係者のみに配布されており、入手できない。他方、当該編集著作物自体は市場で(若干の困難は伴うが)入手可能である。この場合、当該と書簡が当該編集著作物を所蔵する他の図書館に当該著作物の部分のみの複写物を求めることは、著作権法31条3項との関係で問題ないか(先方の違法行為を促すことにならないか)。

そんな場面あり得るんかい?とお思いの方は、過激なヌード写真や、名誉毀損になりかねない記事が掲載された週刊誌中に、有益な論文が掲載されている状況をご想像いただきたい。
公的な図書館であれば、このような図書の購入を躊躇してしまうだろうし、購入を巡って批判もあるかもしれない。しかし、例えば大学図書館であるときには、利用者の事情からあらかじめ収蔵が望ましい著作物は、複製をしたいだろう。

あるいは、プレミアがつくなどして、市場で入手するときわめて高いが、ほしい部分はほんの一部であって、購入には躊躇するという場合も考えられる。

この問題は、31条3項に言う「入手することが困難な図書館資料」って編集著作物に含まれる著作物の場合にはどう解すればいいの?というところにあるだろう。解釈のポイントは2つある。「入手することが困難」の意味と、編集著作物に含まれる著作物の場合についての「図書館資料」の意味である。

■検討
□「入手することが困難」って?

一般的な解説によれば、「一般市場にはもう入手することが出来ない」「絶版等の事情がある」場合を指し、「予算不足」は含まれないとされている(注1)。他方、図書館実務に関わる方と権利者の間の感覚ではもう少し緩やかな解釈が一般的である可能性が窺える(注2)。

□編集著作物に含まれる著作物の著作権法31条3項上の取り扱い

文言上は一意に決することが困難ではある。
ただ、「入手することが困難」の解釈で、市場での入手可能性を問題にするならば、編集著作物全体としてであっても市場で入手できるならば、図書館資料とは市場から見た資料を一単位と解するべきとの理解が、説明としては不整合感がないように思われる。
他方、多少なりとも利用者の利便性や、図書館の公共性を考慮するならば、決定的な解釈は難しいのではないか。

□今後考えるポイント
では、どう解することが適切なのか。
まずは31条3項の意味を考える必要があろう。
一般的な解説が、「30条以下は限定列挙であるから限定的に解釈しなければならないという考え」に支えられているとすれば、そのような一般的な命題には異論のあるところであることは指摘しておきたい(注3)。
なかなか手がかりが無く考えにくいところであるので、制度の意義については次回考えていきたい。

(注1)加戸守行『著作権法逐条講義 四訂新版』(著作権情報センター、2003年)241頁、中山信弘『著作権法』(有斐閣、2007年)256頁。
(注2)図書を提供する場合(つまりそもそも適法)についてではあるが、日本図書館協会「図書館間協力で借り受けた図書の複製に関するガイドライン」では、高価な場合ですぐに予算確保できない場合は入手することが困難との理解をされているように読める。
(注3)中山・前掲(注1)241頁参照。ほか、本ブログ「[著作権]行政目的の複製に対する複製権の制限(著作権法42条1項)に公衆送信権は含まれると解するべきか?」参照。
posted by かんぞう at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月21日

[著作権]速報的ブログ記事の著作物性

知財高判平成20年7月17日(判例集未搭載)平成20年(ネ)第10009号では、裁判記録のブログ記事の著作物性が否定された。(1)創作性判断のおもしろさを表す事例と考えられる、(2)著作権と情報の利用の調整を図る手法として興味深い点を含んでいる、ことから面白い事案である。

■事実の概要
詳しい事実はヨミウリオンラインの以下の記事が参考になる。

裁判傍聴記「創作性なし、著作物と認めず」…知財高裁判決
 ライブドア事件の公判を傍聴して、証言の概要をインターネットで公開した男性が、「他人のブログに無断で転載され、著作権を侵害された」として、ブログを管理する「ヤフー」を相手取り、プロバイダー責任法に基づき、発信者の個人情報の開示と転載部分の削除を求めた訴訟の控訴審判決が17日、知財高裁であった。
 飯村敏明裁判長は「証言を聞いた通りに記したか、ありふれた方法で要約したもので、創作性はなく、著作物とは認められない」と述べ、請求を棄却した1審・東京地裁判決を支持し、原告の控訴を棄却した。
(2008年7月18日00時43分 読売新聞)


上記記事は、事案の正確な理解に必要な重要な事実が全てまとまっている。ここでは全文を引用した。

■創作性判断の面白さ
無断で利用(デッドコピー)された表現は、裁判での一問一答を箇条書きで表現した、1600字程度の分量のものであった。判決において原告の創作性が否定される理由として説明されているのは以下の2要因である。

○短い文章で淡々と記述していた
これは、わかりやすく簡潔にまとめたために、表現選択の余地が乏しくなり、しかも、一般的に見る表現になってしまったために、創作性が失われたというものである。これも、癖のある表現ならば創作性が認められるという点で、面白い。(もっとも、これは仕方ないことではある。)

○原告が記述した記事が、実際の法廷での発言・流れを忠実に再現していた
これは、法廷での当事者の発言を正確に表現したために、原告の創作的表現が加わっていなかったというものである。だとすれば、すばらしい資料を原告を提供していたと評価できるのだが、かえって創作性が認められないことは面白い。(そして、不正確な再現をすると、創作性が認められてしまう。これは仕方ないことであるが、なんとも奇妙である。)

いずれも個別の表現を精査した上での判断となっている。

■著作権と情報利用の調整を図る手法としての面白さ
もっとも、気になるのは「ありふれた表現」ということが判決文で用いられていたらしいということである。以前から「ありふれた表現」という言葉は用いられているが、それらの判決を検討すると、通説的な創作性の理解からは説明できない点があるように思われる。

この疑問に、今年の著作権法学会での飯村判事の発言は次の旨の発言をなさっていた(注1)。
著作物性の要件を厳格化することによる解決は今から考えると適切でなかったかもしれない

本件は、創作性が否定された事案の中でも比較的創作性を否定しやすい事案であったのかもしれない。しかし、引用要件の大胆な解釈などにもいただけたらなぁと思わないでもない(訴訟指揮が大変であろうが…)。まぁ、これは無茶な希望であるが。

(注1)本ブログ、「[著作権]飯村敏明「著作権侵害訴訟における権利制限規定の意義について」報告受講メモ」を参照されたい。
posted by かんぞう at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月25日

[著作権]著作隣接権学習メモ

著作隣接権の内容をきちんと整理していなかったので、まとめてみた…。

ip_neibors_080623_01.jpg
ip_neibors_080623_02.jpg



posted by かんぞう at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月03日

[著作権]著作権法学会2008年研究大会を通じての示唆2:フェアユース規定の導入か、あるいは立法での対処か?

前回に続き、今回は、フェアユース規定の導入の可否について、研究大会での示唆を紹介し、考察する。

■フェアユース規定は導入することが望ましいか
権利制限規定を類推解釈しても、対処しようの無い、許容すべき利用形態もあるかもしれない。それに備えてフェアユース規定を導入するべきであろうか。

□研究会で得られた示唆
導入をするべきとの見解が複数見られた。その根拠としては、社会変化への柔軟な対応を挙げるものが多いようであるが、欧州の教訓を挙げる意見もあった。具体的には、EUの情報社会指令(2001/29/EC)は、権利制限規定を列挙し、加盟各国がこれ以外の権利制限を設けることを許容していない。その結果、欧州では、技術の進展、社会の変化に対応できていないところがある。そのような予測のできない領域に備えた一般条項の制定は行ってもよいのではないかというものである(注1)。
なお、研究会のシメには、新たなビジネスモデルの芽を摘まないためにフェアユース規定を入れるべきとの意見が挙っていた(注2)。
他方で、フェアユース規定は判例の集積がない限り、予測可能性が担保できない点を留意点として挙げる意見も見られた。

□考察1:なぜ「フェアユース規定」が望まれるのか?
少なくともインターネット上での議論では「フェアユース規定」導入を望む声が多い。
しかし、社会の変化に伴って生じた著作権法上の不適合の回避手段としては、立法的対処でも良いはずである。では、なぜ「フェアユース」に親和的なのであろうか?その理由として3つ考えられる。

○立法的対処では迅速な社会の変化に対応できない
これは、従来から指摘されているところである。しかし、フェアユース規定では予測可能性が担保されない点でデメリットであり、立法的対処の場合と同じように、なんらかの判決が下るまで行動の自由は保障されない(しかも立法的対処と異なり、行動の自由は「完全に」保障されない)。これでは、フェアユース規定導入の決定的理由にならないのではないように思う。

○広範な刑事罰があるため、フェアユースの領域が無いと立法的対処のニーズが育たない
著作権侵害に対する刑事罰のサンクションは大きいものであり、著作権に抵触しうる利用は控えるように行動することがおそらく合理的であると考えられる。しかも、コンプライアンスが重視されつつある企業文化の醸成を併せ考えると、少しでも著作権侵害となりうる利用は控えるのではないか。
そうであるならば、そもそも立法のニーズを醸成するまでに至らないままになってしまう。もっとも、迅速に立法が対処するのであれば、その趣旨を加味して権利濫用法理で処理されることが期待されるであろうから、問題としては大きくないのかもしれない。(ただし、立法的対処が迅速であること、立法的対処によって適切な利益調整が期待できることが前提である。)

○立法による利益調整への不信
立法の場で適切な利益調整ができていないため、立法的対処では不足と考えられている可能性もある。とくに近時、文化庁の審議会で、適切な委員が選ばれていないのではないか、との声もある。もちろん、文化庁の思いもわかる。一億総クリエーターといわれるなかで、利害関係者の一人である一般の利用者の代表は誰なのか定めにくいだろう。また、事実上の産業法となったいま、多様な利害が絡むため誰を委員に選ぶか極めて難しいこともよくわかる。とはいえ、もし不信が生じてしまっているならば、それはそれとして受け止める必要があるだろう。

仮にこの推測が正しいならば、著作権法の制度設計にあたり、適切な刑事罰の範囲が設定されること、および、十分な利益調整がなされることの2点が達成されると、フェアユース規定を導入する声は必ずしも高くならないようにも思う。

もし、フェアユース規定は著作権者の利益を害する、とお考えの方がいたら、ぜひ
○刑事罰規定の適正化
○著作権法改正の審議における十分な利益調整(これは一億総ユーザーとなった今、特定の利益団体だけでは十分な利益調整とはいえないだろう)
を訴えていただきたい(注3)。これが、フェアユース規定の導入を阻止する適切な手段であると私は考える。

□考察2:「フェアユース規定」は導入するべきか?
訴訟の長期化という弊害を招きかねないものであるとはいえ、私は導入に賛成である。その理由は、上記に挙げた2つ目の理由(=広範な刑事罰があるため、フェアユースの領域が無いと立法的対処のニーズが育たない)にあげたところにある。おそらく刑事罰規定の見直しはかなりの労力を必要とするだろう。ならば、フェアユース規定の導入が適切である。
また、立法的対処の迅速化も難しい。現在は、前年の秋頃に翌年度の審議会予算を確保しなければならない。機動的に審議会をひらくことが予算上難しいのである。

(注1)駒田泰士〔著作権法学会2008年研究大会おける発言〕。
(注2)BLJ Online「著作権法に未来はあるのか」(レクシス・ネクシスジャパン)参照。
(注3)端的に言えば、著作権者の利益保護にあたって、文化庁あるいは権利者(こちらはそのような方法を望んでいないのかもしれない)が「万全の」方法をとれば、かえって主権者の行動が著作権者の利益保護に不利な方向に転化させている、と感じている。これは刑事罰規定についても同様である。厳罰化すればするほど(これは量刑と、構成要件の双方を意味する)、かえって著作権者に利益になっていないのではないかと感じている。
posted by かんぞう at 00:00| Comment(2) | TrackBack(1) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月02日

[著作権]著作権法学会2008年研究大会を通じての示唆1:フェアユース規定の導入か、制限規定の解釈での解決か?

筆者の怠惰が原因で大変遅いペースでの著作権法学会参加報告となっている。お恥ずかしい限りである。
残りの個別報告については、各報告のまとめではなく、その場で得た知見とそれに基づく考察をまとめていきたい。
そのようにする理由は単純である。
○実は午前の部は駒田先生以降しか聞けなかった(注1)
○島並先生の報告の時間は、不覚にも寝てしまった(注2)
…ごめんなさい…。

なお、今週末の工業所有権法学会も、午前の部が聞けない。どなたか聞きに行かれる方、レポートしていただけないだろうか…。

ともかくも、以下、社会の変化によって著作権法を適用すると「社会通念上」妥当でない結論が出る場合にどのように対処すれば良いか、という問題を出発点に、フェアユース規定の是非を考えていく。

■権利制限規定の類推解釈は可能か?
まず、現在の権利制限規定の解釈論で解決可能かが問題となる。しかし、これまで、制限規定のような例外規定は厳格に解釈されるべきとされてきている(注3)。

□研究会で得られた示唆
研究会の大勢は、制限規定であるから類推解釈が不可能との理解ではないように窺えた。また、制限規定自体の性質は権利者と利用者の利益調整にあるとの理解が多数を占めているようである。このような考えは、日本に留まらず、ドイツでも同じようである(注4)。
ただし、規定ごとに類推解釈の可否が検討されるべきとの考えが示されていた。具体的には、立法趣旨として例外を認めない趣旨であれば類推適用は認めるべきでないとの指摘があった(注5)。
なお、裁判実務上、地裁レベルで類推解釈を行うことは、上級審で覆された場合、以後の当該条文の類推解釈を困難にする可能性があるため、難しいとの発言があったことは興味深い(注6)(注7)。
他方、権利制限規定をより厳格に解釈する方向での類推解釈自体は許されるべきでないと指摘されていた。著作権侵害には刑事罰が存在するため、厳格に解釈すると侵害罪の範囲が拡張し、罪刑法定主義に抵触するというのがその趣旨である(注8)(注9)。

□考察
制限規定の厳格な解釈を示唆するような判決は依然としてあるものの(注10)、学説として制限規定の類推解釈に態度が緩やか(=類推解釈を許容する方向)であることが窺えた点は一つの収穫である。類推解釈の事例ではないが、飯村敏明判事の報告も示唆的である。
各権利制限規定の性質について吟味した上で、解釈により妥当な解決を導くことができる余地がないか、理論的な検討のポイントがまだまだあるのではないだろうか(注11)。

とはいえ、類推解釈で対処できないものもある。それに対して、フェアユース規定の導入を行うべきであろうか。次回では、「フェアユース規定の導入の可否」を考察し、その後、「一般条項を導入した場合における条約との関係と課題」をささやかではあるが考察する。

(注1)病院行ってました。
(注2)お昼食べ過ぎました。
(注3)駒田先生の報告によると、ドイツには「例外は厳格に解釈すべし」との法格言があったらしい。もっとも、〔そんなのおかしい」という考えもドイツにはあるようだ。いずれにせよ、日本における制限規定の厳格解釈の態度の根底にはドイツの法格言が影響していたようにも思う。
(注4)駒田泰士〔著作権法学会2008年研究大会おける発言〕。
(注5)島並良〔著作権法学会2008年研究大会おける発言〕。
(注6)事例に応じた適用の可否を論じたにもかかわらず、一般的解釈論として受け取られるから、という趣旨と理解した。
(注7)飯村敏明〔著作権法学会2008年研究大会おける発言〕。だから、知財高裁はがんばっているのかもしれない…。
(注8)島並良〔著作権法学会2008年研究大会おける発言〕。
(注9)今後述べていくところであるが、現在の刑事罰規定のあり方が、罪刑法定主義との関係や、サンクションの過大さとの比較衡量に基づく萎縮的な著作権規定の適用を生んでいるようにも思う。実は著作権の保護強化は、かえって著作権を弱めるインセンティブに作用しているのではないか。
(注10)本ブログ「[著作権]行政目的の複製に対する複製権の制限(著作権法42条1項)に公衆送信権は含まれると解するべきか?」(2008年3月3日記事)参照。
(注11)修士論文のタネですよ。
posted by かんぞう at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月29日

[著作権]飯村敏明「著作権侵害訴訟における権利制限規定の意義について」報告受講メモ

飯村判事の報告は、裁判所(正確には飯村コート)の思いが伝わる、興味深いものであった。ここに概要をまとめ、若干の考察を行う。ただし、筆者が誤って理解している可能性があることを留意いただき、正確な内容は『著作権研究』(2010年刊)に依っていただきたい。

■報告要旨
本要旨は、報告の主眼と思われる点が強調されるよう、筆者において再構成している。
構成においても筆者の解釈が含まれている点については留意いただきたい。

著作権と一般人の行動の自由との衝突が多発するようになっている。これまでは、立法の強化が進み、また、人々の法意識が著作権を重視するようになってきたことから窺えるように、著作権を保護する方向で作用してきているように思われる。これは裁判所においても同様である。以前は規範的な解釈は許されないとの理解が主流であったが、規範的解釈が採られるようになってくるにつれ、規範的解釈の下、著作権の保護を重視する判決が下されるようになった(注1)。
同時に、裁判所としても行為自由の確保を考慮して判決を下すことも可能となった。
その一例が〔はたらくじどうしゃ事件〕東京地判平成13年7月25日判タ1067号297頁である。46条の趣旨は、学説等によると著作権者の意思や社会的慣行を挙げられていたが、〔はたらくじどうしゃ事件〕では、敢えてこれと若干違う解釈を採り、一般人の行動の自由との調整を挙げた。本判決は45条との関係のみを意識して限定的に解する解釈からはなれ、46条各号の規定を加味して解釈した。
仮に行為自由の確保することを志向するのであれば、権利制限規定の解釈によることが手段の一つである。他の手段としては、著作物性の要件を厳格化する手段、いま1つは侵害の要件を厳格化する手段がある。前者の例は、〔ヨミウリオンライン記事見出し事件知財高裁判決〕であるが、これは今から思えばあまり良い手段ではないかもしれない。後者の例は〔雪月花事件〕であるが、紛争の長期化をもたらす点がデメリットと考えられる。
(注1)その一例が〔クラブキャッツアイ事件〕最判昭和63年3月15日民集42巻3号199頁への流れを飯村判事は挙げていらっしゃった。さらには、それ以後の「カラオケ法理」の展開も挙げられよう。

■私見
野心的な解釈論を試みられている、との評価もある(注2)判事の率直な考えに触れることができたことは貴重な機会であった。
〔ヨミウリオンライン記事見出し事件〕の創作性判断には批判的見解もあるが(注3)、敢えて裁判所が意図していたということがわかったことは面白い。ただ、筆者はそのような傾向が続くかと考えていたが、飯村判事は否定的なご意見であり、今後の権利者の情報の利用者との利益調整は権利制限規定の解釈論に依るところが多くなるのかもしれない。もしそうであるならば、近時学説の深化が目覚ましい引用(32条)などを駆使した判決が登場するのであろう。
たしかに、著作物性の要件の厳格化は、「創作性」という抽象的規範(本研究大会において島並教授の解説された、ルール/スタンダード論におけるスタンダード型規定)にすがることになるため、要件が通常人にとって明確でなく、萎縮的な行動(この場合は、権利者が本来行使できるべき権利を行使しないということになろう)を惹起してしまうし、飯村判事が指摘するように、これまでの著作権一般の解釈論を損なうことにもなる。飯村判事の述べられたところは非常にうなづけるものである。

(注2)FJneo1994さんが指摘されるところである。「■[企業法務][知財] 「補足」の重み」「[企業法務][知財] 商標いろいろ(その6)〜恐怖の知財高裁第3部」『企業法務戦士の雑感』参照(すみません、私もフリーライドしました…>FJneo1994さん)。
(注3)蘆立順美「判批」コピライト521号(2004年)61頁。なお、筆者も批判的な態度である。
posted by かんぞう at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月27日

[著作権]小島立「条約における権利制限」報告受講メモ

著作権法学会2008年研究大会で、権利制限と条約、とくにスリーステップテストについて、小島准教授から報告がなされた。権利制限規定がスリーステップテスト違反となった例を紹介されるとともに、国内法解釈にあたってスリーステップテストが参酌されることの理論的課題を指摘されていた。

■報告要旨
著作権の制限規定がスリーステップテスト違反になった事例として、アメリカ著作権法110条(5)がベルヌ条約違反であるとして欧州の著作者団体がWTOに提訴した事例が挙げられる。
WTOのパネルはWT/DS160/Rで、一定の総床面積数以下の施設での非演劇的音楽著作物の権利制限が、ベルヌ条約11条(1)(ii)(上映権)等に違反すると判断された。その理由は、本条が、多数の飲食施設に適用されることを挙げ、これは「明確にて意義付けられ」「適用範囲が狭いこと」が求められると解される「特別な場合」との要件を満たさないと解したことにある(注1)。なお、本パネル報告書へは上訴が無く、WTO紛争解決機関で採択されている。また、米国は欧州に保証金を支払うことで対処しており、立法的対処は行っていない。
同様に、日本においてスリーステップテストとの関係が問題として、著作権法38条3項「通常の家庭用受信装置を用いてする営利を目的としない上演」が条約に適合していないとの指摘がなされている。
そのような場合、権利制限規定の解釈にあたり、スリーステップテストを参酌できるかが問題となるが、国際法の通説的理解では間接的に参酌することが可能であると考えられる。ただし、著作権法には刑事罰規定があるため、権利制限を縮小して解釈する場合(つまり、権利侵害になる方向で解釈する場合)、罪刑法定主義の観点から問題が生じうる。

■私見
スリーステップテストとの関係は非常に悩ましい問題である。世界の動きが紹介されたことは極めて有意義であった。
これまで、著作権の権利制限規定は例外規定であるから厳格に解されねばならないといわれてきた(注2)。しかし、これは教条的に過ぎ、批判もある(注3)。だが、本報告を受けて考えると、スリーステップテストが権利制限の範囲を厳格に(つまり権利者に有利なように)解する根拠となる可能性も感じられるところであった。
だが、小島准教授が指摘されたように、刑事罰との関係は重要である。権利者側はもし自己に有利に法解釈を促したいのであれば、広範な刑事罰規定を見直すことを訴えていくべきだろう。

なお、研究会では、一般条項を設けた場合、スリーステップテストの「特別の場合」要件を満たすか否かが課題となる点が議論となっていた。パネラーはおおよそ、運用上「特別の場合」に限るよう解釈されていればよいとの意見に落ち着いていたが、情報社会指令で厳密に権利制限範囲が確定した欧州諸国の権利者が米国のスリーステップテストに対してなんらかの理論的な攻勢をかけることも考えられる。
もっとも、欧州ではスリーステップテストの明確性に疑問の声が挙っていることが指摘されていたほか、明確性を欠く規定であるため国内法の解釈にあたって参酌することは困難との意見もあった。
いずれも今後考えていく上で参考になる。

(注1)Ricketsonらによるとスリーステップテストの第1要件は「範囲が特定されている」、かつ「公共政策上の明確な理由から正当化される」または「例外的な状況から正当化される」と解される(SAM RICKETSON, THE BERNE CONVENTION FOR THE PROTECTION OF LITERARY AND ARTISTIC WORKS:1886-1986, p.482(Kluwer Law International 1986))。
(注2)最近でも裁判所がそのような趣旨に立って判断したものと思われるものが登場している。〔社会保険庁LAN雑誌記事事件〕東京地判平成20年2月26日(判例集未搭載)平成19年(ワ)第15231号、なお、同事件の概要は本ブログ2008年3月3日記事「[著作権]行政目的の複製に対する複製権の制限(著作権法42条1項)に公衆送信権は含まれると解するべきか?」参照。
(注3)中山信弘『著作権法』(有斐閣、2007年)241頁。
posted by かんぞう at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月25日

[著作権]山本隆司「権利制限の共犯従属性」報告受講メモ

著作権法学会2008年研究大会で山本弁護士がなさった報告は、非常に刺激的なものであった。その概要(ただし、筆者が誤って理解している可能性があることを留意いただきたい)と若干の感想を述べる。

■報告概要
権利制限規定の解釈の枠組みを提示した。スリーステップテストの第2要件「通常の利用」の理解を手がかりにすると、権利制限の根拠は、(a)優越的価値を有する行為である、(b)著作権者に被害を生じさせない利用行為である、(c)市場の失敗を生じる利用行為である(それゆえ著作権者の権利行使を認めても誰もハッピーになれないから権利制限をかけてしまう)、の3つに大別できるのではないか。この枠組みに従うと、契約のオーバーライドの当否も判断できる。

また、この枠組みに従うと。権利制限規定の性質によって、間接侵害者に責任を認めるべき場合が峻別できる。具体的には、(c)の場合である。なぜならば、間接行為者が業として行う場合、個々の取引費用を無視しうることが出来、制限する根拠が失われるからである。

■私見
興味深い試論である。特に間接侵害について、「間接侵害を認める当否」ではなく、間接侵害の問題を生じさせる要因が権利制限規定であることに注目し検討するアプローチは興味深い。

もっとも、権利制限規定のうちどの規定が市場の失敗を理由とする権利制限規定と解することが出来るのかについてはなお議論の余地があろう。

ただし、スリーステップテストから権利制限の性質論への展開がどのように導くことが出来るのか、また、網羅的に性質論を述べているのか、時間の関係で山本弁護士も深くは述べることができなかったし、勉強の足りない私にはわからなかった。これについては、後日発表される『著作権法研究』の論稿に注目したい。

posted by かんぞう at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月19日

[著作権]音楽著作物の保護のあり方を巡る興味深い現状

津田大介「「音楽不況」なのか」朝日新聞2008年5月17日(東京版)は、昨今の音楽著作物を巡る保護のあり方についての議論の中で認識すべき興味深い数字を示している。

■記事の概要
音楽業界は不況にあると言うが、これは売れ行きが低下しているCDを中心に見ているからである。日本音楽著作権協会の資料料徴収額は2007年、過去最高の1156億円であったし、ライブの入場者は2006年1978万人となり、8年前に比べ500万人以上増加した。
しかし、レコード会社は音楽ファンを顧みておらず、CDに高い価格設定をしたままで、あまつさえ、iPodに「みかじめ」料を求めている。音楽ファンに真摯に向き合うべきである。

■私見
昨今の音楽著作物を巡る保護のあり方を巡る議論の重要な論点のうち2つは、
○違法にアップロードされた録音・録画物のダウンロード違法化
○デジタル音楽再生機器への私的録音録画補償金課金
であった。
これらを押し進める理由の一つ(あくまで一つ)として、違法にアップロードされた録音・録画の複製物により被害を受けていること、あるいは、私的録音録画補償金の対象となっていない私的複製が増加し著作権者の利益が害されていることがある。
私の乏しい知識で知る限りでは、音楽不況の現状が被害や利益を害されている蓋然性を示す資料として取り扱われてきたように思う。

今回の津田さんの記事は、その点に対する批判であろう。

私自身は的確な指摘であると感じた。この指摘は、同時に、「不況産業であるが文化的に重要であるので保護すべき」との議論を封じることにもつながる。

レコード会社が変わらなければならない、という指摘は国内に留まっていない。
たとえば、2008年5月12日付のTIME紙(ASIA版)は"Lost in the Shuffle"という記事の中で、米国でのCDの不況を取り上げ、レコード会社がオンライン配信やライブからの収益へ転換を図っている取り組みを紹介している(そして日本同様ライブからの収益があがるようになったことを紹介している)。

ダウンロード違法化もiPod課金もそれぞれ異なる理由付けがあるところであるし、私自身はその理由は覆すことは難しいと感じるが、レコード会社にも努力を求めるべきことは重要であると思う。あわせて、少なくとも私的録音録画補償金については、その配分のあり方についても再考をするべきではないかと考えている。
posted by かんぞう at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月16日

[著作権][つぶやき]著作権侵害のおそれがない場合、予防請求は棄却?却下?

いまさらであるが中山信弘『著作権法』(有斐閣、2007年)の著述の細やかさ、論理の正確さには、襟を正させられる。
用語の使い方一つとってもそうである。例えば、却下と棄却。基本的な用語であるが、訴訟法の専門家や、裁判官以外は(注1)、明示的に区別して用いているだろうか?恥ずかしながら私はいい加減に使っていた。
具体的には、著作権侵害の予防措置請求が、侵害のおそれがないために認められない場合について、田村善之『著作権法概説 第2版』(有斐閣、2004年)は訴えの利益がないから却下されると述べていることに対し、中山469頁は実質的な審理が行われていることを理由に棄却が正しいと述べている。
一語に緊張感が満ちていることが表れている一文であるように思う。
posted by かんぞう at 00:28| Comment(3) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。