2008年06月19日

[時事]知財推進計画2008がでた

知的財産戦略推進本部において「知財推進計画2008」が採択された。

ざっと見ると、重点戦略はiPS細胞の成果保護に躍起という感じも窺える(確かにすばらしい研究成果であるが、特定の発明の成果ばかりに注目して政策を作っているのではないと信じたい。(注1))。
眼を引くものとしては、
○国際出願への支援
○コンテンツ産業の振興のため包括的な権利制限規定の導入も含めた検討を2008年中におこなう
との記載があることだろうか。

後者は、フェアユース規定のことを意味しているもの思われる。
ただ、一般の利用者が文化的利益を享受することを目的としていないところは気になる。どこまでがターゲットになるのだろうか。

なお、重点戦略以外では
○Licence of Rightの検討
が挙げられてた。これは非常に興味深い。

ただし、
○有害情報のフィルタリング
など、知的財産に本当に関係しているのか?と思われるような計画も挙げられている。だんだんと総花的…というよりは、発散してきているのではと危惧もする。

(注1)知的財産の保護・活用はその分野によって望ましい姿が異なるからである。
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2008年06月10日

[時事]「国際読書年」

国民読書年に関する決議が、国会で決議された。
平成20年6月6日
参議院本会議

 文字・活字によって、人類はその英知を後世に伝えてきた。この豊穣で深遠な知的遺産を受け継ぎ、更に発展させ、心豊かな社会の実現につなげていくことは、今の世に生きる我々が負うべき重大な責務である。

 しかし、近年我が国でも「活字離れ」と言われて久しく、年齢層を問わず、読書への興味が薄れていると言わざるを得ない。これが言語力、読解力の衰退や精神文明の変質の大きな要因の一つとなりつつあることは否定できない。

 我々はこの事実を深刻なものと受け止め、読書の価値を見直し、意識の啓発を目指し、政府と協力してあらゆる活動を行ってきた。一九九九年に「子ども読書年に関する決議」を両院で採択、二〇〇一年には「子どもの読書活動の推進に関する法律」を立法、さらに二〇〇五年には「文字・活字文化振興法」を制定し、具体的な施策の展開を推し進めてきた。

 それらに呼応して「朝の十分間読書運動」の浸透、読書の街づくりの広がり、様々な読書に関する市民活動の活性化など、読書への国民の意識は再び高まりつつある。

 この気運を更に高め、真に躍動的なものにしていくため、二〇一〇年を新たに「国民読書年」と定めたいと思う。これにより、政官民が協力し、国をあげてあらゆる努力を重ねることをここに宣言する。

 右決議する。


さて、「政官民が協力し、国をあげてあらゆる努力を重ねる」とある。
どんなオプションが考えられるだろうか。

■読書離れの要因
読書に対する意識調査として、読売新聞社がおこなったアンケート調査が参考になる。
(参照)
「読書週間 本社世論調査 本離れ懸念 世代で差」
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20041028bf01.htm

本を読まない(文字通り1冊も読まない)理由は、「時間がなかったから」ということである。最もこれではたくさん読まないことの理由はわからない。参考になることは出版社への希望だろうか。
そこで出版社や書店に望むことを見ると、主なものでは「本の値段を下げてほしい」(38.5%)、「字の大きな本を増やしてほしい」(25.2%)が挙っている。なお、価格に関しては、「安ければ良い」と考える人が多いことは考えるし、本を読まない人に取っては価格は問題でない(3.3%しか本を読まない理由に挙げていない)ことを考えると、それほど大きな理由ではないのかもしれない。なお、「絶版になった名著を復刻してほしい」も15.6%存在する。

これだけでは多くくりな見方しか出来ないが、とりあえず読書の阻害要因は
○時間がない
○出版社のニーズ把握が不十分
○過去の名著が活用されていない
と仮定する。

■国民読書年に関する決議に対応する政策案
□「時間がない」ことはどうしようもない
「時間がない」という仮定への対応は複雑である。労働や教育の時間が過剰になっていることも示唆するが、単に「読みたくない」の言い換えだけであるかもしれない。これに対しては私は策を考えられない。

□ニーズ把握が不十分の要因は?再販制度?
さて、次の「出版社のニーズ把握が不十分」であるとの仮定には、このような疑問がわく。「なぜ数多くの出版社があるのにニーズの把握ができていないのか?」
同じ本でもお年寄り向けの大きめの文字で、しかももちやすいもの。働く人向けには文庫サイズ。こだわりの人向けに想定にこだわったもの…など、多様な版を出版することはそれほど難しくないのではないだろうか。あるいはカスタマイズした版を印刷し、出力するビジネスモデルは考えられないだろうか(なお、その場合、150頁ならば2000円前後になろう。現在の書籍の価格より若干高いが、遜色は無い)。

その要因の仮説は3通り考えられる。
○出版社にはブレークスルー
○市場が小さすぎで対処できない
○出版社が現状の市場に満足している

2つ目の仮説であれば、読書の浸透を促すことがよりいっそうの解決につながる。読書の浸透方法についての政策案は後述する。

3つ目の仮説であれば、その要因は何であろうか。出版社が現状に満足できるのは、国により特別の保護を与えられているからである可能性が考えられる。特別な保護として考えられるのが、書籍再販である。

書籍再販に対して社団法人日本書籍出版協会は、
・本の種類が少なくなり、
・本の内容が偏り、
・価格が高くなり、
・遠隔地は都市部より本の価格が上昇し、
・町の本屋さんが減る、という事態になる
(社団法人日本書籍出版協会のサイトより引用)

と説明している。

たしかに「売れるものが作られる」ことは間違いないが、再販があろうがなかろうが、売れるものが作られるのには変わりないのではないだろうか。

「価格が高くなる」ということは私には理解が難しかった。価格を高くすれば需要が減り首を絞める。どうしても本を買わなくてはいけない人が要る場合にはそのようなことが成立するが、ありうるのだろうか。確かに個々の出版物は理論的に代替可能なものではない。が、著作権ではアイディアは保護されていないので、「記述されている内容」がミソとなっている本では代替性が生じる。「表現」がミソとなっている本では代替が出来ないが、そうはいっても、どうしてもアクセスしたい者が多い場合は市場原理が働きやすいのではないだろうか。なお、前述の通り「本を読まない理由」に価格が上位の理由となっていないことも気になる。

「地方と都市の格差」も疑問である。これは移動可能性が極めて乏しい場合に成り立つ仮説である。オンライン書店もあり、しかも、多額の道路財源を投入して移動可能性を高めた現在の地方で、そのようなフィクションは成り立っているのだろうか。

「街の本屋さんが減る」ことは、これは私には否定できない。感情的には、これは避けたいとも思う。しかし、これを違った眼で見ると、社会厚生を犠牲にして、国民の富を街の本屋さんの保護に投入していることになっている。その結果として、出版社が現状に甘んじ、さらにその結果として国民の読書離れが進んでいるというフィクションが成り立つならば、これは望ましいことではない。

私は本を読むのが好きな人間で、年に数十冊買っている人間であるからこそあえて言いたい。
読書文化を盛り上げるために「敢えて2010年だけでも再販制度をやめてみませんか」。

音楽でも、CDビジネスにこだわったら世界的に低調になってしまった。が、他方でデジタル音楽やライブという形で音楽はいっそう栄えていることが示唆されている。

再販制度を止めることで今のような「出版社が決めたデザイン・レイアウト・紙」で販売されるビジネスモデルは崩れてしまうかもしれない。しかし、活字文化は違った形で栄えるのではないだろうか。あるいは、崩れること無くかえって栄える可能性もある。
(注)再販廃止は価格を問題にしているのでなく、ビジネスモデル見直しを促すシンボリックなものとして議論している。他に方法があるならば、そちらもいいんじゃない、と思っていることにはご留意いただきたい。


□過去の名著の再活用
最後になったが、これについては、絶版となった著作物で権利者が明示的に絶版の意思を表明した者でないものの裁定利用を促す、あるいは、公衆送信権に限り権利制限を課すことも考えられる。
これも、恒常的なものでなく、一時的にやるだけで読書離れ対策になるかもしれない。

■で、話を戻す
とまぁ、おそらくおしかりを受けそうなオプションを検討してきた。さて、その原因は何だろうか?
「決議がアバウトだよ!」
に尽きるように思う。もう少し、何をするか明確にしてほしいなぁ〜。
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2008年05月26日

[時事]「問題集から著作権が消える」…しかたないけど果たして良いのか?

著作権法学会の話題を載せようと思ったら、面白い記事があったので、そちらをまず取り上げる。

■過去問題集から一部の著作物が消えてしまう
2008年5月25日産經新聞によると
大学入試の過去問題集などで、国語の長文読解問題の一部が掲載されない異例の事態が起きている。評論などを執筆した作家から著作権の許諾が取れていないためだ。教育業界では「教育目的」という大義名分のもとで無許諾転載が慣例化していたが、著作権保護意識の高まりから、大手予備校や出版社などが相次いで提訴されており、引用を自粛する傾向も目立ち始めている。

これは、試験での利用(36条)、教育目的での利用(35条)などの権利制限規定が、いずれも、予備校等による複製が対象でないため、起こっている問題である。

これまで教育産業側が著作権処理に熱心でいなかったことが理由の一つであろう。ただ、上記報道によると、著作権者側が利用を拒んだために過去問題の掲載ができなかったという事態も生じているようだ。

これは現状の法律では仕方の無いことであるし、著作権者にとっては勝手に著作物を使われてしまっている(試験での利用時には36条が働くため)のだから、何より感情面でしっくりこない点は
気持ちとしてはよくわかる。

もっとも、同じように感情論を言えば、利用させてあげてほしいといううのが私の思いである。

受験生だった頃を思い出せば、過去問題(それも直近の)がわからないことはかなり不安になることと推測される。できれば著作権者側も配慮していただければな、と思う。事実関係が正確に分かっていないので恐縮だが、一部に対して利用を拒んだのであってほしい。

■著作権者に過去問題集への利用をコントロールさせるべきか
ちょうど著作権法学会でのテーマと重なるところが多く、興味深い事例である。仮にこのような場合に権利制限を行うことを考えてみる。著作権者の経済的利益を著しく損ねることは無いと通常考えられるし、権利が制限されるのは特別な場合に限られている。そうであるならば、権利制限が認められても良さそうである。

ただし、認めるならばそれなりの理由がいる。

なんだろう、と考えてみると、こんなとんでもない「政策的理由」が思いついた。
○少子高齢化で若年層に特別の保護を与えることが望ましい
○学力低下の現状(注1)に鑑みれば、学習の機会を担保することが国益につながる

もちろん、冗談であるが、こんな制度だったらおもしろいのでは??


(注1)私は本当に低下しているのか極めて疑問視しているが、まぁ、多くの人はそう言うし、そういうことにしておく。
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2008年05月15日

[時事]政府系ファンドによるパテントトロールが登場するのではないだろうか?

■OECDは政府系投資ファンド規制に反対の意向
読売新聞2008年5月15日(東京版)記事によると、OECDはこの6月、閣僚理事会声明として、巨額の国有財産をもとに運用を行う政府系投資ファンド(Sovereign Wealth Fund)に対して、各国が保護主義的な規制を行わないよう求めるようだ。

政府系投資ファンドの動きを警戒する声もあるが、OECDとしてはそのような声に反対の見解なのだろう。


■政府系投資ファンドからパテントトロールを生む可能性
私の知る限り(注1)、現在のところ政府系投資ファンドがパテントトロールを生み出したという話は聞かない(注2)。
しかし以下に挙げる3つの要因から、パテントトロールが生まれる可能性があるように思う。

○巨額の資金を有しているため、特定技術分野における必須特許を保有者ごと買収する事が可能(ただし買収が不可能な場合もある)
○レピュテーションコストが外交関係の中で消化されえるものであり、当事者間の関係性によっては遠慮のない特許収集が可能
○政府系研究機関が保有する特許を活用する可能性がある

とくに資金の巨額さはこれまでにない経験になると思われる。


■パテントトロールを防ぐ観点から政府系投資ファンド規制は必要ない
だからといって、政府系投資ファンドの規制をしろ、というつもりはない(注☆)。これまでだってパテントトロールの弊害はあり得たからだ。
パテントトロールの弊害については、特許法・独占禁止法の運用(たとえば差止請求権を否定する運用や、知的財産権行使の過程での反競争的行為を理由とした権利濫用としての処理)、あるいは、科学技術振興策(たとえば代替技術の開発や、代替技術のパテントプール形成支援)で解決できると考えられる。
パテントトロールへの対策についての議論を続けていくことが大事だと私は考える(注3)。


(注1)私の、ドメスティックな、かつ、乏しい知識が前提という意味である。
(注2)政府系の資産が特許ホールドアップを生じさせた事例は存在する。2006年にワシントン大学の保有すれ特許権の管理委託を行う者からの特許権行使が好例である。
(注3)これまでのパテントトロールによる問題が、米国の特許審査の質に起因するところがあると認識されたのか、一時期に比べ議論が下火になった感がある。知的財産戦略会議においてはなお議論の対象のようではあるが…。
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2008年03月17日

[時事]米国特許法改正の行方とその背景についてちょっと考えたこと

財団法人知的財産研究所で開かれた講演会で、米国弁護士の服部健一氏から、米国特許法改正の動向やその背景について話を聞く機会があった。とくに、なぜ改正がなかなか進んでいないかが、これまでいまいちわかっていなかったので、参考になった。

■米国特許法改正のネックと動向
特許法改正案は下院を通過。しかし、大統領はバイオテクノロジー産業・製薬産業(現行特許法に親和的)寄りのため、同案を受け入れない旨を表明しており、上院案の修正作業中である(修正点は下記、改正の焦点と一致)。
改正の焦点は2点のようだ。
  ○損害賠償の計算規定(現状は損害賠償額が多額になる傾向があるため、低減する方向)
  ○登録異議申立て制度の創設

バイオテクノロジー産業・製薬産業は、特許ライセンス料に依存しているため、損害賠償額が減ることは望ましくないと考えているようである。表向きには、
  ○改正の計算規定では立証の負担が増大する
  ○知的財産権保護を緩和したとの誤ったメッセージを伝える
ことを理由としていることが窺える。

■考察:なぜバイオ産業は現状の損害賠償規定が望ましいのか?
これに関しわからないことがある。なぜ、バイオテクノロジー産業・製薬産業がなぜ多額の損害賠償すら容認する規定が望ましいと考えるのであろうか。もちろん、多額の開発費を回収するため、ということはわかるが、メーカーである以上、第三者の特許権侵害のリスクを有しているようにも思う。高額の損害賠償は経営の重大なリスクにならないのだろうか。

バイオテクノロジー産業・製薬産業では、1点の特許発明が製品に結びつくことが多いと言われている。これを敷衍して、仮に1点の特許発明だけで製品がなりたち、他の特許が混入する可能性が低いのだ(仮説A)とすれば、先行技術調査さえしっかりしていれば第三者の特許侵害の有無を確認することができるだろう。そうでならば、損害賠償が高額であろうと経営の問題になることはなく、しかも高額の損害賠償を背景に、自社の特許権利用許諾のライセンス料を高くすることができるため、彼らの主張は合理的であるとわかる。

しかし、仮説Aが正しくないのなら、別の仮説として、米国のバイオテクノロジー産業・製薬産業がきわめて高い開発力を有し、他社の特許権侵害となる可能性が低く、仮に侵害をしたとしても、他社から得たライセンス収入額が遥かに損害賠償額を上回っている(仮説B)という状況が考えられる。もっとも、この仮説では米国企業間での特許権侵害の場合について説明できない。この仮説を支えるためには、米国企業間では何らかの協調関係が存在する、という背景事情もいるのではないだろうか。

あるいは、別の仮説として彼らの多くが特許権侵害の可能性が全くないファブレス企業になっているという可能性もある(仮説C)。ただし、Buyerなど大手製薬企業についてはこれは当てはまらないような気もするが…。

私には知見がなく、ここでは各仮説を検証することができないが、彼らの行動の背景は非常に気になる。

■考察:バイオ産業寄りの政策は米国のためになるのか?
しかし、果たして彼らバイオ・製薬産業のこのような行動は、米国のためになっているのだろうか。

仮に米国における高額の損害賠償を背景に、交渉において自社の特許権利用許諾のライセンス料を高く設定しているのであれば、米国のような損害賠償が認められてない他国は不公平感を禁じ得ない。
自国に有力な製薬産業を抱える国にとっては、強制許諾を認める方向につなげたくなるのではないだろうか。しかも、少なくとも製薬については自国の国民の健康・福祉に関わるため、大義名分はたつ。
その典型がインドであろう。

そうすると、米国のバイオ・製薬産業はそのような国からは高額のライセンス収入を得ることはできなくなる。高額の開発費の回収が背景にあるとすれば、開発費の負担は、米国民および米国との二国間関係を考慮して強制許諾を講じない国の国民の負担に帰する。

このような状況は本当に米国にとって望ましいかについては疑問である。何か私が見落としてることがあるのだろうか…。

■参考資料
・澤井智樹「ニューヨーク発 知財ニュース」(2007年4月28日)
www.jetro.go.jp/biz/world/n_america/us/ip/news/pdf/070428.pdf

・IPNEXT「米特許法改正案は米国経済を弱体化、バイオ団体が主張(BIO)」(2008年2月20日)
http://www.ipnext.jp/news/index.php?id=2833
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2008年02月18日

[時事]歴史上の著名人の氏名の顧客吸引力の独占の可否

(朝日新聞2008年2月18日)
吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎は商標なのか――。山口県萩市出身の維新の志士3人の名前が、東京の会社に食品や酒類など幅広い分野で商標登録されていることが分かり、萩市は18日、「先達を敬愛する郷土の人の感情を害する」などとして、特許庁に取り消しを求める異議申し立てをしたと発表した。

…(中略)…

今回の商標登録により、萩市では3人の名前がついた観光みやげ品などは製造できず、使う場合は同社に使用料を支払うことになるという。

市は「3人の名声に便乗した商標権による利益取得が目的といわざるを得ない。歴史上の著名な人物は独占排他的権利は認めるべきでない」と主張。今後は、歴史上の著名な人物の商標登録制度があいまいであるとして、山口県市長会などに呼びかけ、法律の見直しを求めていく。

という報道があった。

また、他の報道によると、出願人は自己使用しない可能性がある者(いわゆるトロール)であることがうかがえる。
(読売新聞2008年2月18日)
貸金などを業務とする東京の会社が「吉田松陰」「高杉晋作」「桂小五郎」という幕末の志士たちの名を商標登録していたことがわかり、3人の出身地の山口県萩市は18日、特許庁に登録取り消しを求める異議申し立てをしたと発表した。


■歴史上の著名人物の名称に排他的独占権を与えることは慣行になっているのでは?
本件登録は、第4条第1項第8号(他人の氏名又は名称等)が、
他人の肖像又は他人の氏名若しくは名称若しくは著名な雅号、芸名若しくは筆名若しくはこれらの著名な略称を含む商標(その他人の承諾を得ているものを除く。)
と定めているが、特許庁審査基準は、

1.本号でいう「他人」とは、現存する者とし、また、外国人を含むものとする

としている。

それゆえ仕方ないことである。

しかし、仮に主張のように登録を認めないとどうなるのだろうか?

歴史上の著名人の氏名または氏名の著名な略称を含む名称として次のような例がある。
「信玄餅」(第1015994号)
「信長書店」(第4366594号)

最近ではNHKが出願した、
「篤姫」(第5046968号)
もある

※ちなみに「信長の野望」は登録商標でないようだ(見つからなかった…)。

商慣習からすると難しいのではないか。

現状のところは人格権との調整規定と考えられるし、法解釈上も難しい(注1)。
もちろん、自然と蓄積された顧客吸引力を特定人に排他的に帰属させるのはどうか、という議論は興味深い。
赤毛のアン事件のように公序良俗違反とする理論構成も考えられるかもしれない。

■冷静な対応を!
報道に違和感を覚えたのは、「使う場合は同社に使用料を支払う」という記載がミスリーディングである点である。少なくとも現状販売されている土産品には先使用権がある。
また、本件の場合、結局、不使用で取り消し、ということも十分考えられる。こういうのが地域にとって困る!ということで真剣に対抗するならば、3年の間に通常実施権許諾を受ける者がないよう働きかけ、権利行使には権利濫用の抗弁で抵抗するなど、地域での取組みが必要なのではないだろうか。

ひこにゃんのときにも感じたが、自治体の方が必ずしも正確に知的財産法を理解されていないことがある。本件のこの報道による限りでは、その懸念がある(もっとも、新聞記者が誤解をしている可能性もあるので、なんとも言えない)。出来れば、適切ま弁護士に相談し、地域として冷静に対処していただきたいなと思う。

(注1)反対、平尾正樹『商標法』(学陽書房、2002年)148頁。ただし、「死後直ちに消滅する訳ではない」と述べられており、遺族等の追慕の情の保護を念頭においていらっしゃる可能性もある。その場合、本件のような百年を超える昔の歴史的人物はやはり対象外となるのだろう。

posted by かんぞう at 22:18| Comment(6) | TrackBack(0) | ★時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月11日

[時事]特許を出願して海外旅行に行こう?

■特許庁が産業財産権手数料の納付の方法としてクレジットカード決済を検討中
産業構造審議会知的財産政策部会 第24回特許制度小委員会の議事録《特許庁へのリンク》によれば、産業財産権の手数料の納付方法としてクレジットカードによる決済を可能とするか否かについて今年度中に検討するようだ。

地方自治体が水道料金などの納付についてクレジット決済を可能にしていることを考えれば、産業財産権の手数料等の納付においても実現は難しくないように思われる。

■でも航空会社等には負担かも?
これに関して気になるのが、各クレジット会社の提供するサービスとの関係である。
たとえば、航空会社系クレジットカードではカード利用によってマイルが貯まる。
もし産業財産権の手数料納付によってマイルが貯まるようになるなら、利用者の利便は大きいが、その分、航空会社には負担も増えないだろうか(注1)。

たとえば、請求項10の国内出願のみの特許出願を審査請求つきで行うと、224,600円であるので、1123マイルたまる計算になる(エコノミークラスならば、東京−那覇便の片道分を超えるマイルである)。また、指定商品・役務を3区分とする商標登録出願を行うと、51,000円であるので、255マイルたまる計算になる(注2)。

1回の額が大きいだけに、航空会社の経営を少し圧迫する要素になったり?だとと心配してしまう。
『特許行政年次報告書2007年版』第5章「(1) 歳入歳出累年表 」《特許庁へのリンク》によれば、平成19年度の特許料等収入は1340億円である。この1%でもクレジット払いになると、670万マイルが発生することになる!!!

とまぁ半分冗談で言っているのであるが、マイルが少なからず航空会社の負担になっていると聞くことを考えれば、無視できないことであるようにも思う。

もっとも特許庁は「ダイレクト方式」での納付についてクレジット教会に検討を申し入れているようである。この方式ではマイルなどのサービスが受けられない可能性もあるのかもしれない。

いずれにせよ、特許庁での動向が注目される。

(注1)もちろん、通常は個人が払うのではないから、心配する必要は無いという意見もあるだろう。だが、マイルが貯まるのだから、社員が立替払いをするインセンティブはあり、結果として個人の支払いが増える可能性がある。ただ、立替払いってダメなことだったりするのだろうか?私は経理に関することには全くもって疎いし、仕事場でもお金を扱わないぺーぺーなので恥ずかしながら実感がないのである。もしダメでないならば、産業財産権の出願費用負担部門の責任者や所管役員は大きな役得を得るのかもしれない。
(注2)手数料、マイル数とも粗粗の計算であるので、条件によりいろいろとバリエーションはある。例示はあくまで1例である。
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2008年02月10日

[時事]中国商標法10条10号って面白い

模倣品や、ブランドネームの冒用が目立っている中国で、農水産物のブランドの冒用も深刻である。その中で面白い事案があった。

(毎日.jp)
 中国の企業が「青森」の文字を中国で商標登録申請した問題で、異議を申し立てていた青森県は5日、中国商標局から果物など一部農水産物についての異議を認め「申請を却下する裁定をした」との連絡があったと発表した。
…(中略)…

 裁定は昨年12月29日付。現地法は著名な外国地名の登録を禁じており、商標局は「青森は公衆に知られた地名」と判断した。

 「青森」は中国広州市のデザイン会社「シンテン包装設計有限公司」が5分野で登録申請した。03年4〜6月に中国で公示されたのを知った県が03年7月、異議を申し立てていた。今回、異議が認められたのは▽果物・野菜▽水産物・肉の2分野。残る(1)茶や米など(2)野菜ジュース(3)防水服――の3分野は審議中という。

■中国商標法10条10号は日本から見ると興味深い
「公衆に知られた地名」であれば登録を認めない点は面白い。
日本では対応する規定は、4条1項19号(および、ぶどう酒等に関しては、同17号)であろうが、図利加害目的が求められる。(それゆえ、日本では「北京」(登録0775949)などの登録例がある)
他方、中国商標法10条10号では目的を問題としていない。

10条10号
県又はそれ以上のクラスの行政区画の地名及び一般に知られた外国地名は,商標とすることができない。ただし,その地名が別の意味を有する場合…(中略)…はこの限りでない。
(日本語訳は特許庁の翻訳に拠った)

なお、細かいことであるが今回の裁定で気になる点は、一部の分野のみ異議が先に認められた点である。

10号が登録の目的を問わない以上、公衆に知られていると認定されれば、全ての分野で無効になるはずである。一部の分野のみ異議が先に認められる理由がわからないが、あるいは但し書きに言う「別の意味」は分野ごととの関係で判断されるという解釈を中国の当局は取っているのだろうか。

■外国著名地名を無効とすることの難点
ただ、同号のような規定には問題点も感じる。

中国国家工商行政管理総局商標局のデータベースを見てみると、「青森」なる商標は他に6分野についても設定されている。
中には1990年に登録されたものもある(No.570919)。このことを考えると、中国において「青森」なる標章は不自然なものではなく、これについて商標登録をした行為には悪意がなかった可能性も考えられる。(今回の事案も単なる冒用事案ではないのかもしれない。)「公衆に知られた」の運用次第であるが、10号は出願人には酷になる可能性がある。

標章というのは出所識別機能を持たせるために、多少の独自性を持たせることが多いと考えられる。言い換えれば「普通名称」なり「普通の単語」ばかりを使うとは限らない。良いイメージを想起させるような造語もありうる。そうであるならば、同号但し書きの「別の意味」のみを対象外とするだけでは、例外として不十分な気もする。

また、県レベル以上に限定しているとはいえ、少なくとも漢字文化圏の国と交流が増えることで、公衆に知られた地名は増えてしまうのであり、その分、潜在的な商標権者にとっては商標選択の余地が狭められてしまう。

例を考えてみると、日本の「高雄」(京都のもみじの名所)にちなんで中国で商標登録をしようとすると、台湾の「高雄県」の存在を理由に拒絶されてしまう、ということがありうるのではないだろうか。その他にも、「江原」「大田」という行政区分が韓国に存在するため、「江原」「大田」を日本から商標登録する際には注意が必要となるだろう(大田区や大田市の事業者には迷惑な話のようにも思う。)。
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2008年01月08日

[時事]弁理士試験内容改正の内容がわかった

かつて、私にもチャンスが!?と喜んでいた、弁理士試験内容の改正であるが、ついに内容がわかった。
特許庁「平成20年度弁理士試験のご案内〜平成20年度弁理士試験から試験制度が変わります〜」《JPOへのリンク》

その中に、
工業所有権に関する科目を一定単位以上修得し大学院の課程を修了した者は修了日から2年間短答式試験の一部科目が免除されます。(ただし、平成20年1月以降の進学者に限ります。)

とあるとおり、但し書きを見た瞬間、私の期待は打ち砕かれてしまった訳である。

これを見る限り、大学院課程修了者に対する試験免除は知的財産専門職大学院の修了者を対象としているようである。あとは、法科大学院卒業者が特許法の試験免除を受けられるくらいであろうか。
研究系大学院の授業では、制度の全容把握よりは、個々の解釈論、解釈の方法論を学ぶことが多いであろうから、試験免除の対象とすることは望ましくないようにも思う。そのことを考えれば、妥当な決定なのだろう。
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2007年12月23日

[時事][著作権]違法サイトの認定機関をめぐる強烈なジョークと留意点

(2007年12月26日改訂)ブラウザでの「閲覧」行為についての著作権法上の評価について誤解がありましたので、訂正いたしました。お読みくださった皆様、私がご著書の内容を読み違ってしまった中山先生、申し訳ありませんでした。ご指摘くださったmさん、ありがとうございました。


既に報道された(ITmedia 2007年12月18日記事《ITmediaへのリンク》参照)通り、音楽、映像の著作物を違法に公衆送信可能化したサイトからのダウンロード行為が私的複製の範囲外とされる法改正の方向が固まったようだ。

上記ITmediaの記事でも触れられている通り、パブリックコメントには非常に多くの反対意見があったようだ(注1)。

■偉大な皮肉?「日本違法サイト協会」
さて、そんな動向を受けてか、日本違法サイト協会なるものが、違法サイトを認定して掲示するということをはじめた。(これは小委員会で一部団体が示唆した、ユーザー保護の方法である。)
同サイトは真っ先に文化庁が「違法サイト」である、という皮肉を展開しており、ジョークとしては面白い。

■でもミスリーディングであるので注意!
ただし、ここでの表現についてはミスリーディングである点がある。

まず、少なくとも現状の中間整理では、録音録画物、すなわち「音楽」または「映像」の著作物を対象としている(注2)のであり、その他の表現形態の著作物(たとえば、文字、静止画)については、対象外である。文化庁は静止画を利用したのであり、「違法サイト」と皮肉るには、ちょっと飛躍があるのではないだろうか。

次に、同サイトでは「閲覧が違法」と書いてある。これは今の解釈ではむずかしいところである。ブラウザー上での閲覧を行う場合、(a)RAM上にデータが複製され、これが参照される、(b)ブラウザーキャッシュとしてハードディスクに蓄積される、こととなる。
(a)については複製行為を伴っていないと解釈される(過渡的な複製であり、著作権法上の複製と解釈できないというのが通説である(注3))。(b)については、もはや複製行為と解さざるを得ないのではないか、という意見もあり、立法論的対処の必要性も説かれているところであるが(注4)、「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会 デジタル対応ワーキングチーム検討結果報告」(2005年)では、複製と解釈しないことも含めた複数の方向性が示されているところであり、かならずしもコンセンサスがある状況とは言えないのではないか。

■ささやかな思い
ともかくも、私としても、ダウンロード違法化については懸念している。(本ブログひとつまえの記事参照)
もちろん、「変な方向に動くことへの懸念」があるにすぎず、正当なチェックが行われれば良いのかもしれない。その点については、民主主義制度の中できちんと監視すべきだろうし、その懸念が嫌ならば、きちんと政治の場への意見発信をすべきと言う意見(注5)には納得できる。
といっても、実際には、ささやかなことしかしないのであるが…(注6)。

(注1)もちろん、先進的インターネットユーザーの会(MIAU)が勧めたパブコメ案に沿ったものも多数あったことが最大の要因と思われるが、そう出なくても反対意見はあったものと思われる。なお、小倉秀夫弁護士のブログ記事《小倉秀夫弁護士のブログ「benli」へリンク》も参照。ただし、違法化に反対のコメントが1800というのは、少なくとも元の記事からは読み取れないと考えられる。(元の記事は「意見全体の8割がダウンロード違法化に関わる意見で、そのさらに7割がインターネット上のテンプレートを使っている」と書いてあるにすぎない。意見全体の8割の中の残り3割は賛成か反対かわからないはずである。)
(注2)文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会『中間報告(案)』第7章第2節
(注3)中山信弘『著作権法』(有斐閣、2007年)214頁。もっとも、この結論が得られた元となった議論が行われた状況と現在では、「過渡的」と評価できるかは意見が分かれるところかもしれない。
(注4)前掲注(3)215頁。また、川瀬著作権課長は、複製概念についての知識が無いとの断りを入れた上で、ブラウザキャッシュが違法とされるべきでない旨の発言がなされたと報道されている。
(注5)小倉秀夫弁護士のブログ『benli』2007年12月18日記事「嗤っている暇などない」《小倉秀夫弁護士のブログ「benli」へリンク》は正鵠を射ていると思う。
(注6)なお、政治家にとって著作権の問題を取り上げることへのインセンティブの乏しさがあることを指摘するものとして、京俊介「著作権政策形成過程の分析(一) ―利益団体,審議会,官庁の行動による法改正メカニズムの説明―」阪大法学57巻2号(2007年)326頁脚注34。
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2007年12月08日

[時事][特許]職務発明補償金請求訴訟はまだまだ続く

■著名発明を巡る補償金請求訴訟
大き目のニュースとなっているが、日本を代表する(そして、残念ながら日本のみですごい)発明の1つである、日本語ワープロに関する発明を巡って、訴訟が起こったようだ。報道によると、発明者の1人が特許を受ける権利の承継に係る補償金が不十分であるとして2億6千万円を請求しているとのことである。
(なお、東京新聞の以下の記事が一番詳しい。)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007120702070338.html

日本語ワープロの変換技術の発明はNHKの『Project X』にも取り上げられていたほど、著名なものである。その点でインパクトがある。

■請求額の満額回答は難しそう…
ただし、報道されるところによる請求額算定の仕方には、これまでの裁判例傾向から見るに難しい点があるようだ。発明者の寄与率を10%に設定しているが、本発明は複数のプロジェクトメンバーの寄与によることがうかがえること、多くの裁判例で発明により生じた利益に対する会社の貢献度は95%超と認定されること、を考えれば、多くて1%ほどなのではないのかなぁ、と思える。

■発明後30年経ってなお訴訟となる
この報道で最も興味深い点は、発明の時期と訴訟の時期の離れ具合である。

発明は1977年なされているのだから、30年経っての紛争となっている。もちろん、時効への配慮はなされていて、96年と97年に関して支払われた補償金の不足分を請求しているに留まっている。
おそらく、毎年、特許権の寄与した利益額×発明者の寄与分を報奨金としていると思われる。すると、時効の起算点はその支払い時期となる(注1)ので、時効は完成していないこととなる(とはいえ、かなり滑り込みであるが…)。

平成16年に、相当対価算定方法を巡る特許法改正を行い、補償金請求訴訟の沈静化を目指したが、改正法が効力を持つのは同改正法が施行されてから特許を受ける権利が承継された発明に限る為、補償金支払い規定の定め方によっては、本件のように発明後30年経っても訴訟を起こされる可能性がある。本件は、そのことを実感を持って知らしめるものであった。

追記
私が取り上げる前に、FJneo1994さんが取り上げられていた。
(タイトルが似ているので、私が盗用した!と言われるとどうしようもないかも!!(笑)これが著名な著作物の強み、というか、難点という評価があり得る。余談ではあるが…。)
FJneo1994さんは、「能力にふさわしい報酬と自由を与えるべき」と主張されており、現在やこれからの研究者にはぜひそうしてあげていただきたいと思うのだが、このような訴訟が続かないよう、過去の研究者の成果に多大な報酬を与えるインセンティブは企業側には少ないのではないだろうか。すでに退職者になっていたり、あるいは、経験を生かしてマネージメントになっている場合、なんら研究のインセンティブにならないからである。

(注1)最判平成15年4月22日第三小法廷判決・民集57巻4号477頁参照。
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2007年12月07日

[時事]放送と通信の融合に関する総務省の方針への違和感

最近、新しいことが出るたびケチをつけている感じで、自分でもいかがなものか、と思うが気になることがあるので、また今回もケチをつけさせてほしい。

報道によると「社会的影響力」に基づき、伝送経路に寄らず、段階的な規制をかぶせることが主眼のようだ。そして、規制には、有害情報のみならず、政治的偏向も含まれる(これはおそらく、もっとも社会的影響力が大きい場合だろう)、という。

印象論で恐縮だが、本方向性を提言した総務省の「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」の議事録を眺めていると、
 ・インターネットはアダルト情報など有害情報が流れていてケシカラン
 ・インターネットテレビも影響力がでかい、テレビと何が違うんだ
というあたりの議論がごちゃごちゃしている。

前者については、「道徳論」からすればそうなのかもしれないが、では、伝送経路どころか、媒体の違いを区別する必要があるのだろうか。書籍が手に入れやすくなった今、「本」となった有害情報も子供の目に触れることはあり得る。単にお金が払えないからみにくいというだけにすぎない。

後者については、放送のみが周波数の有限性を理由に政治的偏向に対する規制が許容されていた点を変更するものとして提言されているが、周波数の有限性に比べると表現を規制する合理的理由として弱い。そのようなパターナリスティックな介入が許されるのであろうか。(この規制の背景には、「国民はバカだから偏った情報に流されてしまう」という考えがあるのかもしれない。)
「社会的影響」を言うならば、産經MSNも、asahi.comも半端ではないので、これが成立したら、きっと無味乾燥なサイトになり、社説なぞを載せることはもってのほかになるのかもしれない。

感情的な意見で恐縮だが、情報規制が必要だ、という意見を言う人は、どうしたいのだろうか。批判の声もある某隣国のような情報統制システムを作りたいのだろうか。
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2007年12月04日

[時事][特許]秘密特許制度の導入を検討しているらしい

日経新聞2007年11月26日記事によると、経済産業省が軍事上有用な発明については、公開せず、政府として保証金を支払うことで機密を保持する制度を検討しているらしい。

いわゆる「秘密特許制度」であり、報道を見る限り、ドイツやアメリカと同じような制度にすることが窺える。

ただ、タイミングが悪いな、と思えるのは、防衛庁の不祥事が騒がれているときにこのようなことが検討されている点である。

報道によると、秘密特許とするか否かは特許庁の連絡により防衛庁が検討することとなっている。軍事上有用か否かは多分に戦略的な観点が入るものと思われるが、恣意的な選考をし、補償金が無駄に支払われる可能性が無いではない。技術の随意契約の抜け道となりうるのでは、というのが私の(穿った)見方である。軍事機密の名のもとに隠されてしまうのであるから、仮に制度を導入しても、せめて、一定期間経過後に審査も含めて公開する制度とすることが望ましいのではないだろうか。
(もちろん、「軍事」という香りがする段階で、違和感を覚える方もいるかもしれない。)

私としては、秘密特許制度はむしろ情報セキュリティ分野では意味があるのではないかと思う。たとえば、不正侵入の検出技術などは、公開しては意味が大きく減殺されるものであるので、有効ではないだろうか。
利点もある。技術的に望ましいものを指定すれば良いのであり、事後的な検証が比較的中立に行いうる。
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2007年11月27日

[時事][著作権]著作権侵害×3回=インターネットアクセスを禁止―フランスの取組みの是非―

すでに話題となっているが、フランス政府が、インターネットを通じて音楽、映画の違法な複製物を入手した者が3回警告を受けた場合、インターネットへのアクセスを禁止する、という措置を検討しているようだ。

間接侵害に用いられるものがP2Pソフトウエアがならば、インターネットは間接の間接侵害のツールであろう。その利用を禁止するというのは、その手段の合理性について、憲法学からは疑問符がつくかもしれない。

なお、こういう一見するととっぴな法制度の場合、実は制度上の違いが反映されることもあるが、本件に関連しそうなあたりは次のようになっている。
 著作権侵害罪=非親告罪
 使用料徴収分配組織を法定
これを見ると、わざわざインターネットアクセスを禁止しなければならないような制度的要因は見当たらない。

たとえば、3回警告を受けたものは過料を支払い、それが使用料徴収分配組織に納付されるというのも手ではないか、と思う。
ただし、この手法では、十分な資力がないとサンクションとしては足りない。

他方、インターネットアクセスを禁止したとしても、それが、当人が自宅からアクセスするためプロバイダと契約することを一定期間阻むのであれば、まだ受け入れやすいものかもしれない。(ただし、ネットカフェなどの環境が十分にあることが前提であるが)

知財の側から見ると知財政策というよりは、特定の産業、文化の保護立法と映る性格であり、憲法上の問題をはらんでいると思われるが、その議論は憲法学にゆだねたい。

参考文献
NewYorkTimes(2007年11月23日)
http://www.nytimes.com/reuters/technology/reuters-piracy.html?_r=2&oref=slogin&oref=slogin
BBCニュース(2007年11月23日)
http://news.bbc.co.uk/1/hi/technology/7110024.stm
フランス大統領府ニュースリリース(フランス語)
http://www.elysee.fr/documents/index.php?lang=fr&mode=view&cat_id=5&press_id=701

(注)フランス著作権法上の条文はこちら。
http://www.cric.or.jp/gaikoku/france/france.html
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2007年11月02日

[時事]キャノンインクカートリッジ事件終結へ

昨日(2007年11月1日付)の新聞各紙報道によると、キヤノンインクカートリッジ事件(注1)の上告審において、弁論が開かれないまま判決期日が指定され、事実上、上告人(リサイクルカートリッジ製造事業者)の敗訴が決まったようだ。

■上告棄却の持つ意味:それほどないのでは?
この報道を受けて、若干の反応があったが、次の二つのような反応に関しては違和感を覚えた。

■「知財高裁の判決が事実上の最終審であることの表れ」との反応
高度の専門性を持った知財高裁の判断を、知財の専門家ではない最高裁判事が安易にひっくり返せる訳が無い、本件はその象徴的事案である、という捉え方である。
確かにインクカートリッジ事件控訴審判決を下した篠原裁判官を始め、知的財産法に造詣の深い裁判官の下した法的判断を覆すのは難しい。しかし、「難しい」だけであって、知的財産法に習熟した裁判官が最高裁に入ってしまえばそれまでなので、私は上記のような判断に違和感を感じた。
そもそも、知財高裁は(技術等の)「事実認定における専門性」を発揮することが設置目的の
一つである(注2)ようであり、法解釈について絶対的なものを期待されていると言う訳ではないと思われる。以前として最高裁判所が法解釈についての最高家にであることは間違いないのではないか。

■「環境保護(再資源化促進)vs特許権→特許権を優先」との反応
本件の一連の判決は、環境保護を前にしても特許権を優先させている、との捉え方もある。
しかし、これはあまりにも乱暴な見方である。本件はあくまで特許権の侵害があったか否かが争点であるが、特許権者の特許がたまたまインクの再充填をクレームに含むものであったことから、原則に従って特許権行使を認めるのは不自然でない。
また、仮に環境保護が至上命題であり、法的に保護されると言う「価値判断」(注3)に立つとしても、本件「リサイクル」が環境保護に叶っているか緻密な検証が必要ではないだろうか?輸送のためのエネルギーを使い、工場でインクカートリッジを洗浄し(その過程で廃液が出るだろう)ているわけであり、トータルの環境負荷は新規製造と比べどうなのか、少なくとも本件では明らかになっていない。
本判決により妨げられるのは、インクカートリッジを再利用する行為であり、再資源化と言う観点からは、カートリッジ本体がどのように利用されているかの視点を抜かしてはおかしい。この点に着いて既に特許権者も裁判所も対応していて、本体が別の形で再利用されていることを述べている。その点で、本判決は抜かりが無いと私は評価している(注4)。
なお、環境保護を至上命題とする「価値判断」に基づく、特許権行使の制限はあり得ない訳ではない(注5)。それが受け入れられるかどうかは別として…。

■競争法との関係
余談ではあるが、競争法の視点から面白かったのは、控訴審の判決中に、特許権者ビジネスモデルに対する競争法的視座からの丁寧な論評が加えられているところである。結論としては、純正品の価格が安いことなどを受け競争法上問題は無いとしている。
しかし、本論と関係ないのにここまで記述した背景には、これまでプリンター製造業界が行ってきたこと、すなわち、本体によるロックイン→インクで稼ぐ、と巷に言われるビジネスモデルを知的財産権を駆使して守っていること(注6)への何らかの意識があったのではないか。
既に本ブログで述べた([特許][時事]キャノンインクカートリッジ事件(2006年2月25日記事))ところではあるが、本件は、キヤノン製の、特定の特許権を利用したインクカートリッジが対象に成ったのであり、サードパーティー製のカートリッジで使いたいユーザーはキヤノンの当該機種から乗り換えれば良いだけである(注7)。

■小括
とつらつら述べたが、私は、単に知財高裁が述べた「生産」概念の筋が肯定されただけだよね、と考えている。それ以上でもそれ以下でもないように思う。

(注1)原審:東京地判平成16年12月8日判時1889号110頁、控訴審:知財高裁平成18年1月31日判決判時1922号30頁(平成17(ネ)10021号)。
(注2)首相官邸 知的財産戦略本部「知的財産高等裁判所の創設について(案)知的財産高等裁判所の創設について(案)」(2002年)
(注3)そしてそのような「価値判断」が裁判所の判断として正当化されるべきでないと私は思う。このような問題は立法により処理されるべきである。
(注4)この点について環境保護の観点から疑問を述べる増田守「環境保全の理念と特許法の理念との調和についての模索-インクカートリッジ事件を契機として-」パテント59巻10号(2006年)に私は法律議論としての違和感を覚えた。
(注5)EPO, "Scenarios for the Future" 2007 available at http://www.epo.org/topics/patent-system/scenarios-for-the-future/download.htmlは、日本が環境問題に関する特許権に対し強制許諾を与えるシナリオを描いている。
(注6)商標権の行使によりサードパーティー製インクカートリッジを排除を求めた事案として〔ブラザー事件〕(東京地裁平成16年6月23日平成15年(ワ)第29488号)、〔リソグラフ事件〕(東京高判平成16年8月31日判時1883号87頁)。
(注7)もちろん、本体価格を支払ったと言うことで多少のロック=インは生じている。
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2007年10月23日

[時事][知財一般]アイディアにも著作権が及ぶと主張してビジネスを止めさせた事例…これって本当?

(2007年11月4日追記)

■センセーショナルな記事:アイディアも著作権侵害?
IT Mediaが「アイデアに著作権なし……それでも「いいめもダイエット」サービス停止」(2007年10月16日)《リンク》という記事を配信した。内容は、リンク先をご参照いただきたい。

記事がなかなかセンセーショナルなものであるため、いろいろと話題となったようだ。問題となった警告(仮に記事が伝えるところが正確であるなら、そのように評価できる)を行った岡田さんのブログには、非難のコメントが多数寄せられていた。しかし、ご本人の書き込みによれば、記事に事実と異なる点があった可能性も窺える(注1)。

■問題の本質について推し量る
本件の事態について、ある程度合理的な説明をしようとすると、次の3つが考えられるのではないだろうか。

(1)パブリシティ権を巡る紛争が本質である可能性
記事によると、岡田さんの許可無く、岡田さんの名前や著書を挙げていた、ということなので、パブリシティ権を巡る争い、という可能性が考えられる。
紛争の理由としては本件においては合理的であると私は思う。
これまで、顧客吸引力をもった著名人の氏名の冒用が不法行為にあたると判断される事例は積み重なっている(注2)。
もっとも、裁判例から見るに、「顧客吸引力を専ら著名人の氏名・肖像に依存している」かがターニングポイントとなっているようであり、本件の用いられ方がパブリシティ権侵害と評価できるかは微妙な判断となるだろう。

「微妙」と思われるポイントは次の2つである。
・岡田さんの名前の持つ顧客吸引力を専ら利用しているか?(これは程度問題なので、事実関係がわからないとなんともいえない)
・岡田さんの名前以上に、本の題名の持つ顧客吸引力が作用しているのではないか。そうすると、「物のパブリシティ」の問題となるが、これは厳しそうである(注3)。

(2)挨拶がない!とか、「道義的問題」という可能性
次の可能性は、自己の書籍のアイディアを用いている上、無断で名前を使っているのに「挨拶が無いのはケシカラン」という可能性である。法的な根拠は乏しいと考えるが、それを補うのに、著作権紛争の形を通じて法的紛争となったなされた可能性がある(注4)。
個人的な感触で恐縮ではあるが、「挨拶が無くてケシカラン」といったことが、何らかの実体法の枠組みで表れることが少なからず有るように思う。

なお、著作物とは次元の異なる話であるが、似たような構図が特許の世界にあるように感じる。研究活動において、他人の開発したマテリアルを用いて完成した成果に対し、提供元への何らかの情報のフィードバックの要求なり出所表示の要求があると聞く。マテリアルがどの程度研究に貢献したかは分野によって大きく異なるが、多くの場合、マテリアルの提供元の表示や、研究成果のフィードバックを求める法的根拠を見つけることは難しいように思う(注5)。これもある種の「挨拶」系のお話ではないだろうか。

(3)著作権に対する勘違い
最後の可能性として、著作権制度について(特に本件では翻案について)誤解されていた、と言うことが考えられる。岡田さんは著作権法の専門家でないので、そのような誤解をなさっていても、非難することは私にはできないし、やむを得ないことであると思う。
ただ、このような誤解により競争環境に萎縮効果が生じることの弊害は否めない。国の施策としては「より良い著作権教育」を今後していかないといけないね、という話になるだけだろうなぁと思う。単に権利を守ろう、ではなく、正しく権利を守ろう・正しく権利を主張しようという形の教育をする必要が有ると感じるのである。

(注1)もっとも、書き込みを削除されているし、それ以上の反応をなさっていないので何とも言えない。私としては、事実が分からないから何とも言えないね、という態度でこの記事を書いている。
(注2)〔おニャン子クラブ事件控訴審〕東京高判平成3年9月26日判時1400号3頁。
(注3)〔ギャロップレーサー事件最高裁判決〕最判平成16年2月13日民集58巻2号311頁参照。
(注4)私はこの類型の紛争を「挨拶が無くてケシカラン」系紛争と勝手に分類している。この類型に属すると考えられるものとして、漫画家の松本零士さんが歌手の槇原敬之さんと紛争になった事例(本ブログ「[時事][著作権]松本零士「銀河鉄道」騒動雑感」(2006年11月13日)参照)。
(注5)もちろん、マテリアルの譲渡契約で単に決まっただけ、と考えることが自然である。しかし、このような契約を定型としている研究機関が少なくない、とも聞いていることにかんがみれば、「挨拶が基本」と考える慣習があるのではないか、と思うのである。

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2007年10月15日

[時事]ついにその日が来た

すでに『企業法務戦士の雑感』のFJneo1994さんや、小倉弁護士がふれられているところであるが、中山信弘『著作権法』(有斐閣、2007年)が発売された。

ちょうどお客先に行く用事で丸の内にいた私は、仕事中にも関わらず、まっすぐ丸善 丸の内OAZO店に向かって、立ち読み!山積みしている点、丸善 丸の内OAZO店のセンスが良いと感じてしまう(注)。

買わないの!?と思われるだろうが、この日のために貯めておいた図書券をうっかり家に忘れてしまったので、仕方ないのだ…。

ともかくも、期待通りこの本は面白い。
前書きを読むと、転換期にある著作権法の解説書としてダイナミックな構成をはかりたい!という思いをもたれていたことが吐露されている。その上で、田村先生の教科書をダイナミックな構成をとっている一例として紹介されている。

気合いの入りようが窺える。
早く読破したいものである。

(注)このOAZO店はどの書籍の品揃えも良いが、法律関係、こと、知的財産関係はすばらしい。良い目利きがいるのだろう。
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2007年09月15日

[時事][著作権]黒澤作品の保護期間を巡って感じるちょっとした違和感

■映画の著作者は誰か?
チャップリンの映画の保護期間を巡る東京地裁判決(東京地判平成19年8月29日(H18(ワ)第15552号)《裁判所へのリンク》)が下ったのは、ついこの間のことである。

その詳細は、FJneo1994さんの「[企業法務][知財]著作権狂時代」『企業法務戦士の雑感』(2007年9月14日記事)で丁寧な解説と明快な分析が加えられている(注1)。是非そちらをご覧頂きたい。
同判決の要点は、「パッケージを見ると団体名義の著作物に見えるけど、映画の中身を精査すると、Directed by...とか書いてあって、著作者はチャップリンだよねー」という認定である(と私は理解している)(注2)。

これに引き続いて、黒澤明監督の映画の保護期間を巡って東京地裁が判決(東京地判平成19年9月14日(判例集未搭載))を下したようだ。

報道によると、
判決は、黒澤監督を「映画の全体的形成に創作的に関与した」著作者の1人と認め、作品の冒頭に「監督 黒澤明」などの表示があることから団体名義の著作物には当たらないと判断。10作品の著作権は2036年まで存続すると結論づけた。
(毎日新聞 2007年9月14日)
ということである。

これを見る限り、先のチャップリン東京地裁判決と同じ認定基準を採っていることが窺える。

■東京地裁の認定基準による結論への違和感と、映画製作会社の主張への違和感
東京地裁の認定基準を一般化すると、「パッケージの表示をそれほど問題とせず、映画の中でのクレジットを重視して、著作者を認定するプロセス」と言えるかもしれない(注3)。

そうすると、映画の著作物を利用しようとする側にとっては、「著作権が復活した」ように見える結論を導くことになる。この違和感は、先にあげたFJneo1994さんが指摘なさっているところであるが、私も共感する。

(以下の箇所は初歩的な勘違いによるものでしたので削除します。ご指摘いただいたとおりすがりさん、ありがとうございます。)
もう1つの違和感は、著作者は監督であった、と主張する映画製作会社の姿勢への違和感である。

もちろん、当時は著作権法上、著作者は≪契約で特段の定めが無ければ
≫監督と評価されることが通常であろうから、映画製作会社の主張は法律上はおかしいものでない。
また、最大限著作権法の保護が長くなるように主張を選択することも、訴訟戦略としては合理的であり、なんらおかしいことではない。

しかし、映画制作会社は昭和45年の著作権法改正に当って、現行の29条の制定――つまり、映画の著作者は原始的に映画制作会社だ、というルールの創設――を求めた側の1人のようである(注4)。

仮にそれが真実であるとすれば、片や監督は著作者で無いとする制度をつくり、片や監督が著作者だといっているのである。ちょっとムシが良すぎないだろうか(注5)。…まぁ、感情的な違和感に過ぎない…。

ただ、1点気になることもある。
当時、明示ないし黙示の契約として、団体名義の著作物として扱う取り扱いは無かったのだろうか?

もっとも、この点の証拠は、本件訴訟のような場合、訴訟の第三者である監督の遺族か、原告である映画制作会社しかもっていないだろう。被告にとってはなかなか不利だ。


このような状態が、「コンテンツ大国」を目指す日本にとって良いのかどうか、私は、関係者が考え、議論する必要があるように思う。

(注1)最近、きちんと作られたブログの「引用」――実際は剽窃ではないかとお叱りを受けるかもしれない――に頼りすぎてしまっている勘はあるが、私の実力上、オリジナルな分析もできない。優れた先行研究成果をバシバシ活用することをお許しいただきたい。
(注2)なお、映画においてことさら「名義」が注目されるのは、問題となる映画が創作された当時、現行著作権法29条に相当する規定が無かったからである(…といいながら、手元に旧法が無いので若干自信が無い…間違っていたら教えてください)。
(注3)黒沢映画についての判決を精査する必要があるので、暫定的な推測として述べている。このことは留意していただきたい。
(注4)梶間俊一「監督は映画の著作権者である」日本映画監督協会《同協会へのリンク》。
(注5)もちろん、これが禁反言に反する、ということにはあたらない。
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2007年09月10日

[時事][特許]出願中のビジネスモデル特許を担保とする融資??――「ビジネスモデル特許」の時代??――

大坪和久さんの「ビジネスモデル特許権(?)を担保に融資(?)」『パテログ』(2007/9/9記事)で、ある種、純粋な「ビジネスモデル」の、それも「出願中の特許(特許を受ける権利)」を担保に融資が行われた例が紹介されていた。

■事案の概要
大坪さんの記事で紹介されている日経の記事が、事案をわかりやすくまとめているので一部を引用する(なお、後述することになるが、今回は「批評」目的の引用だったりする)。
NIKKEI NET(2007/9/8)
商工組合中央金庫は花・植木卸売業のジャパンプランツ(岐阜市)に対し、出願中のビジネスモデル特許を担保に、1000万円の運転資金を融資した。ジャパンプランツは切り花や観葉植物の独自商品から売れ筋を選び、小売店向けに容器や給水装置、陳列棚と一緒に配送する仕組みを構築している。今回はこの仕組みがビジネスモデル特許を取得できると判断し、融資を実行した。

特許を受ける権利(出願中の特許)のみを担保に融資する例は珍しいな…と思いきや、

商工組合中央金庫からのプレスリリース《商工中金へのリンク》では、
商工中金(岐阜支店)は、8月31日、株式会社ジャパンプランツ(本社:岐阜市、代表取締役:熊崎 重司氏)に対し、知的財産権(ビジネスモデル特許権(出願中)、商標権)を担保として運転資金を1,000万円融資しました。
とあった。

なんだ、商標権とセットかよ。日経さん、はしょっちゃダメぢゃん。

とはいえ、特許を受ける権利を担保に含む融資は珍しい。

■意外なオチ?
一体どんな特許か気になるところである。大坪さんが紹介されているように、会社のwebサイトに何故か自ら出願公開をされている。果たしてそれが今回の担保の対象となったものかは判然としないが、商工中金のプレスリリース記載の発明名称に似ている発明をピックアップしてみた。

特願2006-326761
【請求項1】鉢内に保水部を設け、この保水部に植物を指した状態で、鉢を通い箱に収容して、荷主がスーパーマーケット等の小売店に出荷して配送し、小売店側では前期鉢のまま陳列することを特徴とするシステム。
http://www.japanplants.co.jp/tokyyo_t_TOP.htmより)

…あれ?
自然法則の利用は?

私は特許実務の専門家でないので素人判断にすぎないので恐縮だが、これって「単なる取り決め」ではないのだろうか。

そもそも、日本において「ビジネスモデル特許」とはソフトウエア(情報システム)という形でしか権利取得できない(注1)。しかし本件の明細書を見る限り、請求項にはもちろん、発明の詳細な説明にも情報システムの香りはしない。

であるならば、ここに公開されている出願は拒絶されるのではないだろうか。

もちろん、webに公開していない出願に係る特許を受ける権利が担保となっている可能性はある。
(ただ、なぜ上のような特許を出願してしまったのかは合理的な説明ができないが)。

あるいは、特許を受ける権利はともかく、ビジネスモデル自身+商標権に対して融資をしたのだろうか。
それならば、商工中金のプレスリリースはミスリードであるし、それに乗せられた日経さんはかわいそうだ。

いろいろつっこみたいところはあるが、下手をすると自分が素人であることを棚に上げてぼろくそに言いそうなので、これくらいにとどめておく。

(注1)基本的な入門書にも書いてある。たとえば、角田政芳=辰巳直彦『知的財産法 第3版』(有斐閣、2006年)403頁。
posted by かんぞう at 21:00| Comment(8) | TrackBack(0) | ★時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月03日

[時事]司法試験考査委員から教員を外すべきか

今日の朝日新聞社説に、
考査委員は半数が裁判官や検察官、弁護士らだが、残りは法科大学院教授らが務めている。1人でも多くの合格者を出したい大学院の教員を考査委員にするのが、そもそも間違いなのだ。来年からは全員外した方がいい

とあった。

現実を考えたら、「そんな無茶な…」と思う。
司法試験クラスの問題作成は尋常ではない労力がかかるだろう。そういうしんどい仕事は研究者の義務だよね、というような空気があるところに、突然それを実務家がやれというのも無茶な気がする。

まず時間的に厳しい面があるのではないか。

裁判官や検察官の方の仕事は膨大で、いっぱいいっぱいと聞いている。その中から時間を割くのは厳しいのではないだろうか。(それを解決するために裁判官、検察官の増員ができれば良いのだが、公務員改革でそうできないというのが苦々しいところだと感じている。)

弁護士さんだって同様だろう。きちんと問題が作ることができ、答案を評価できるほど優秀な方は忙しいのが常では…?しかも、そのような方の中には大学院の教員も兼任されていたりする。

試験内容面でも厳しい。

一度でも学生に試験問題を作った方ならわかると思うのだが、きちんとした問題を出すには出題者はその分野のプロフェッショナルでなければ作れない。まして、ハイレベルなこところにいる司法試験受験生を選抜する試験である。

そうすると、上記社説によると、考査委員の実務家の方に「特定の」分野のプロであることが求められることになると思うが、幅広い分野の理解が求められ、日々の仕事に追われていることを考えると、あまりにも酷だ。

もちろん、そのような特定分野のプロの弁護士さんもいらっしゃるが、分野によってはレアケースだ。そういう分野では、特定の方が毎年考査委員に選ばれることで、中立性が疑われかねないことも想定できる。

無茶な!というのが私の感想。もっとも問題点もある程度共有できる。たとえば、司法試験委員になったら、法学部の教授にする等で対処しようと言う中間策などを考えてみたくなった。
posted by かんぞう at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ★時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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