国民読書年に関する決議が、国会で決議された。
平成20年6月6日
参議院本会議
文字・活字によって、人類はその英知を後世に伝えてきた。この豊穣で深遠な知的遺産を受け継ぎ、更に発展させ、心豊かな社会の実現につなげていくことは、今の世に生きる我々が負うべき重大な責務である。
しかし、近年我が国でも「活字離れ」と言われて久しく、年齢層を問わず、読書への興味が薄れていると言わざるを得ない。これが言語力、読解力の衰退や精神文明の変質の大きな要因の一つとなりつつあることは否定できない。
我々はこの事実を深刻なものと受け止め、読書の価値を見直し、意識の啓発を目指し、政府と協力してあらゆる活動を行ってきた。一九九九年に「子ども読書年に関する決議」を両院で採択、二〇〇一年には「子どもの読書活動の推進に関する法律」を立法、さらに二〇〇五年には「文字・活字文化振興法」を制定し、具体的な施策の展開を推し進めてきた。
それらに呼応して「朝の十分間読書運動」の浸透、読書の街づくりの広がり、様々な読書に関する市民活動の活性化など、読書への国民の意識は再び高まりつつある。
この気運を更に高め、真に躍動的なものにしていくため、二〇一〇年を新たに「国民読書年」と定めたいと思う。これにより、政官民が協力し、国をあげてあらゆる努力を重ねることをここに宣言する。
右決議する。
さて、「政官民が協力し、国をあげてあらゆる努力を重ねる」とある。
どんな
オプションが考えられるだろうか。
■読書離れの要因読書に対する意識調査として、読売新聞社がおこなったアンケート調査が参考になる。
(参照)
「読書週間 本社世論調査 本離れ懸念 世代で差」
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20041028bf01.htm本を読まない(文字通り1冊も読まない)理由は、「時間がなかったから」ということである。最もこれではたくさん読まないことの理由はわからない。参考になることは出版社への希望だろうか。
そこで出版社や書店に望むことを見ると、主なものでは「本の値段を下げてほしい」(38.5%)、「字の大きな本を増やしてほしい」(25.2%)が挙っている。なお、価格に関しては、「安ければ良い」と考える人が多いことは考えるし、本を読まない人に取っては価格は問題でない(3.3%しか本を読まない理由に挙げていない)ことを考えると、それほど大きな理由ではないのかもしれない。なお、「絶版になった名著を
復刻してほしい」も15.6%存在する。
これだけでは多くくりな見方しか出来ないが、とりあえず読書の阻害要因は
○時間がない
○出版社のニーズ把握が不十分
○過去の名著が活用されていない
と仮定する。
■国民読書年に関する決議に対応する政策案□「時間がない」ことはどうしようもない「時間がない」という仮定への対応は複雑である。労働や教育の時間が過剰になっていることも示唆するが、単に「読みたくない」の言い換えだけであるかもしれない。これに対しては私は策を考えられない。
□ニーズ把握が不十分の要因は?再販制度?さて、次の「出版社のニーズ把握が不十分」であるとの仮定には、このような疑問がわく。「なぜ数多くの出版社があるのにニーズの把握ができていないのか?」
同じ本でもお年寄り向けの大きめの文字で、しかももちやすいもの。働く人向けには文庫サイズ。こだわりの人向けに想定にこだわったもの…など、多様な版を出版することはそれほど難しくないのではないだろうか。あるいは
カスタマイズした版を印刷し、出力するビジネスモデルは考えられないだろうか(なお、その場合、150頁ならば2000円前後になろう。現在の
書籍の価格より若干高いが、遜色は無い)。
その要因の仮説は3通り考えられる。
○出版社にはブレークスルー
○市場が小さすぎで対処できない
○出版社が現状の市場に満足している
2つ目の仮説であれば、読書の浸透を促すことがよりいっそうの解決につながる。読書の浸透方法についての政策案は後述する。
3つ目の仮説であれば、その要因は何であろうか。出版社が現状に満足できるのは、国により特別の保護を与えられているからである可能性が考えられる。特別な保護として考えられるのが、書籍再販である。
書籍再販に対して社団法人日本書籍出版協会は、
・本の種類が少なくなり、
・本の内容が偏り、
・価格が高くなり、
・遠隔地は都市部より本の価格が上昇し、
・町の本屋さんが減る、という事態になる
(社団法人日本書籍出版協会のサイトより引用)
と説明している。
たしかに「売れるものが作られる」ことは間違いないが、再販があろうがなかろうが、売れるものが作られるのには変わりないのではないだろうか。
「価格が高くなる」ということは私には理解が難しかった。価格を高くすれば需要が減り首を絞める。どうしても本を買わなくてはいけない人が要る場合にはそのようなことが成立するが、ありうるのだろうか。確かに個々の出版物は理論的に代替可能なものではない。が、著作権ではアイディアは保護されていないので、「記述されている内容」がミソとなっている本では代替性が生じる。「表現」がミソとなっている本では代替が出来ないが、そうはいっても、どうしても
アクセスしたい者が多い場合は市場原理が働きやすいのではないだろうか。なお、前述の通り「本を読まない理由」に価格が上位の理由となっていないことも気になる。
「地方と都市の格差」も疑問である。これは移動可能性が極めて乏しい場合に成り立つ仮説である。オンライン書店もあり、しかも、多額の道路財源を投入して移動可能性を高めた現在の地方で、そのようなフィクションは成り立っているのだろうか。
「街の本屋さんが減る」ことは、これは私には否定できない。感情的には、これは避けたいとも思う。しかし、これを違った眼で見ると、社会厚生を犠牲にして、国民の富を街の本屋さんの保護に投入していることになっている。その結果として、出版社が現状に甘んじ、さらにその結果として国民の読書離れが進んでいるというフィクションが成り立つならば、これは望ましいことではない。
私は本を読むのが好きな人間で、年に数十冊買っている人間であるからこそあえて言いたい。
読書文化を盛り上げるために「敢えて2010年だけでも再販制度をやめてみませんか」。
音楽でも、CD
ビジネスにこだわったら世界的に低調になってしまった。が、他方でデジタル音楽やライブという形で音楽はいっそう栄えていることが示唆されている。
再販制度を止めることで今のような「出版社が決めた
デザイン・
レイアウト・紙」で販売されるビジネスモデルは崩れてしまうかもしれない。しかし、活字文化は違った形で栄えるのではないだろうか。あるいは、崩れること無くかえって栄える可能性もある。
(注)再販廃止は価格を問題にしているのでなく、ビジネスモデル見直しを促すシンボリックなものとして議論している。他に方法があるならば、そちらもいいんじゃない、と思っていることにはご留意いただきたい。
□過去の名著の再活用最後になったが、これについては、絶版となった著作物で権利者が明示的に絶版の意思を表明した者でないものの裁定利用を促す、あるいは、公衆送信権に限り権利制限を課すことも考えられる。
これも、恒常的なものでなく、一時的にやるだけで読書離れ対策になるかもしれない。
■で、話を戻すとまぁ、おそらくおしかりを受けそうなオプションを検討してきた。さて、その原因は何だろうか?
「決議がアバウトだよ!」
に尽きるように思う。もう少し、何をするか明確にしてほしいなぁ〜。