2008年10月27日

[つぶやき]700人委員会でも情報通信法を検討

総務省が進めようとしている情報通信法構想について、橋龍政権のときにバリバリ調子が良かった政財界の人たちが集まって作っている「日本再建のため行革を推進する700人委員会」が研究会を行っていると報道があった。

年内に報告書をまとめるらしい。

ルール作りにあたって、いろんなところからいろんな意見が出ることは私は望ましいと思っている。(その点で、MIAUはがんばっていると思う)

私は放送については興味が乏しくて、ほとんどフォローできていないので、ちっともまともなことが言えないのだが、2点感じるところがある。

まず、放送の特別扱いについて。放送って著作権法上有利に扱ってあげる必要があるのかなぁ、と時々思う。

放送の希少性は、技術的に解決された以上、疑問符がついている。
だけど、放送の影響力を理由に特別な取り扱いをするべきという声もある。放送の希少性が根拠にならないのだから、それって市場支配力があるから特別に取り扱おうというロジックにも見える。

次に、放送の特別扱いとは別の次元の話として、一部の意見では「世間に流れる情報は品質が保証されるべき」というものも見られる。
それってすごいおせっかいな話だし、そもそも「質」ってなあに?
デジタルのネットワークによってみんな情報発信が出来るようになった。じゃあ対抗言論で十分じゃないの?って思う。
posted by かんぞう at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月12日

[つぶやき]ノーベル賞と国籍

産経新聞の報道で面白いものがあった。
ノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎米シカゴ大名誉教授が米国籍を取得していたことを機に、自民党法務部会の国籍問題プロジェクトチーム(PT、座長・河野太郎衆院議員)は10日、二重国籍を認めていない国籍法改正の検討を始めた。南部氏はすでに日本国籍を喪失しているが、ノーベル賞受賞が思わぬ波紋を広げたようだ。
(産経新聞2008年10月11日記事)

自民党の内部の委員会での議事録は公開されていないので、真実は確かめられないが、仮に本当だとすると、ちょっと浮かれすぎだなぁ、という印象を受ける。

ちょっと浮かれすぎなだぁと思う理由は次の2つにある。
○もし南部先生が日本国籍を持っていたとして、うれしいの?
○栄誉を受けた人のいちおうの帰属先は国籍で判断されているの?

■もし南部先生が日本国籍を持っていたとして、うれしいの?
日本生まれの方で、私たちと同じ文化を共有している人が栄誉を受けた。これは嬉しい、と思う人が圧倒的だろう。私もそう思う。とても嬉しい。
この嬉しさには、民族とか文化共同体としての嬉しさがあるのかもしれない。

だけど、国籍の文脈で語るには違和感がある。
国籍の文脈をいうならば、国家として何か意味があるはずだ。

そうすると、国が行った高等教育政策が実を結んだとか、研究開発投資が実を結んだ、とかいうことが背景にあるのだろうか。しかし、日本での高等教育は国籍に関係なく受けられるし(奨学金は国籍要件がある場合が多いが…)、研究開発投資は研究チームの帰属先機関の国籍が問題になっているはずだ(注1)。

国籍の意味としていの一番に思い浮かぶのは、「国際的な権力の関係の中で保護を行う」ということが挙げられるが、南部先生の場合、不当な抑留を受けたとか、ゲリラに捕らえられて困ったとか、そういうこともなさそうだから、その意味もないだろう。

意味があるとすれば国籍がその人の帰属先のラベルとして一般的になっている場合だろうか。そうすると、国籍があることで、国籍付与国に名誉が帰属することになり、国家としては意味がある。

■栄誉を受けた人のいちおうの帰属先は国籍で判断されているの?
では、こういう喜ばしいことの場合、一応の帰属先は国籍で判断されるのだろうか?

おそらくそういう認識が一般的ではあると思うが、理屈の上では疑問がある。

誰かにとっ捕まった訳でもないので、本人が積極的に国籍をいう場面ではない。個人情報の保護は主要国ではうるさくなってきているから、周囲の人も積極的明かさない。そうすると、メディアをはじめとして、識別には常居所を使った方が楽になる。

それに、国籍を付与することは各国に委ねられている。理屈の上では勝手に与えちゃってもOKなはずだ。そうすると、そういう識別方法は当てにならない(あくまで理屈の上では)。

■国として喜ぶべきこと
以上のように、私はノーベル賞を受けた方が元・日本国籍だったのに今は他国籍になっちゃったから、という理由で制度を変える議論に入ることには違和感を覚える。

もちろん、南部先生も下村先生も、いずれも日本が戦後復興期にあって十分な研究開発投資を受けられなかった時代で、しかも、最高の研究環境は求めにくかった時代に研究活動を行われていらっしゃったので、両先生が米国籍だからと言って悲観する必要もない。だけど、日本国として研究に大きく寄与したわけでもないのに、日本生まれでいわゆる日本人(民族としての日本人)(注1)が受賞したからと言って、国として浮かれる必要もない。

もっとも、以上の話は報道が本当だとして、という前提がある。余談で出ていたことを記者さんが面白おかしく書いちゃったのかな、という気がしないでもない。

(注1)そもそもの話として、「民族としての日本人」ってどういうものを指すのだろう、いつの時代が基準なんだろう、という疑問もある。
posted by かんぞう at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月25日

[つぶやき]長い夏休み

3週間ほど知財と向き合っていませんでした。
きちんと向き合おうと思います。

ご覧頂いているみなさま、変わらぬご指導いただければ幸いです。
posted by かんぞう at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月07日

[つぶやき]知的財産管理検定を受けた

今年から国家資格になった、旧知財検定を受けてみた。正直に言ってノリで受けてみたのである…。

1級から3級まであり、上級の試験は実務経験か下位の級の合格が求められている。私は、知財管理実務なんかこれっぽっちもやっていない(ときどき契約書チェックを依頼される程度である。そのときも、ぎりぎりを攻めようとして法務に諌められる程度である)。それゆえ、3級を受けたのだが、知的財産制度を曲がりなりにもかじった人間には負担無くできるものだった(知的財産を勉強したことがある方には2級をおすすめする)。

とはいえ、数問、自分の知識が乏しいところがわかったことは有意義だった。

中でも面白かったのは「リスボン協定」である。
この協定、なんだっけ?ってわからなかったので調べてみると、原産地名称を保護する協定(日本は未加盟)とのこと。勉強になる。

ついでということで調べてみると、日本、米国が原産地名称の保護に加わらない(注1)理由は、
○商標制度で十分
○著名な地理的表示(原産地名称)がなく国益に叶わない
ということがあるようだ。

もっとも、地域団体商標制度が導入されたときに一部で見られたように、その原産地名称を利用している生産者の範囲が不明確な場合がみられることも一因なのかもしれない。
これは生産者の伝統的慣行によるところもあるのかもしれないし、日本の場合、他の地域と隣接しているから不明確になりやすいという特性があるのかもしれない。

(注1)厳密には、TRIPs協定で求められている、葡萄酒、蒸留酒のほかに、独自に日本酒の原産地名称は保護をしている。生越由美教授の「地理的表示による日本酒の保護」(ブログ)参照。
posted by かんぞう at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月17日

[つぶやき]携帯電話を禁止することに疑問

内閣の教育再生懇談会が、小中学生に携帯電話を所持させないよう求める提言を出した。

私的領域での行動の制限を強化すること、情報統制を強化することに対して、私は気持ち悪さを感じる。
なんかさ、日本の近くにある、かの国みたいで。
ま、これは私の個人的な感じ方ではあるが。

もちろん「子供を守りたい」という気持ちはわかる。

が、その思いを実現するのに、その方法は本当に正しいのか?
その方法しかないのか?
それ以外の方法を考え、それ以外の方法を磨くことを考える努力を、大人たちは怠っていないのか?

「有害情報」による悪影響を問題視するならば、有害情報に触れることがいかに子供たち自身の成長に影響するかを、情緒的にではなく(注1)、科学的に教えるのでは不十分なのだろうか?

それでは効果がないことは確かめた上で、携帯電話という有害情報に触れうるツールの一つの使用自体を禁じる提言を出したのだろうか?

あるいは、一定の効果はあるが、一部では効果がないことを問題視しているのだろうか。そうだとすれば、その一部が残ることが世の中に重大な悪影響を与えることがわかっていなかれば、その他大勢の行動を制限することに見合わないのではないだろうか。有害情報に触れることによる悪影響はそんなに大きいのだろうか?

情緒的なことを言ってみる。

携帯電話をもつことを「原則禁止」すれば、携帯電話をもっている子供は「悪者」になるかもしれない。
お父さんやお母さんが耳の聞こえない人の場合、メールは親子をつなぐ道具になる。(少なくとも家への重要な連絡手段である)
もちろんそのような背景事情を知っている人は、批判的な眼で見ないだろうが、何も知らない世間の多数の人はその子を批判的な眼で見ることは想像できる。
そんなのはレアケースだから切り捨ててしまうのだろうか。

いつでもどこでもネットワークにアクセスできることは、興味を持ったものをその場で調べることが出来ることを意味する。
好奇心おう盛な子供の興味をその場で(たとえば山や川で)、満たすことが出来る。新たに考える契機になるかもしれない。

…さて、ここで挙げた「情緒的なこと」は世間がユビキタス、ユビキタスともてはやしていた時に指摘されていた、ユビキタス化による利点である。(前者はバリアフリー、後者は間隙時間学習)

ユビキタス社会に関わるであろうツールを摘まなければならないほど子供たちに「有害」なのだろうか。「有害」と価値判断して、スタンダードをつくることは望ましい未来を作るのだろうか。

それとも子供たちは「昔ながら」に育ってほしいから、敢えてユビキタス社会から排除するのだろうか。「昔ながら」に育つことは至上の価値なのだろうか。ただのノスタルジーで規範を作られたのではたまらない(注2)。

(注1)子供たちの科学離れ、学力低下を唱える声が多いが、それを唱える声のもとは本当に「科学的で」「教養に満ちている」のだろうか…と教養も無く、科学の基礎である論理性も不十分な私が言ってみる(笑)
(注2)規範を作る者の考える力が乏しい場合、その規範の正当性を正確に判断できず、結果として望ましくない政策が実行され、考える力を乏しい世代を生み出すことに寄与してしまう蓋然性が高いと(経験上)思われる。なお、規範を作る者とは、主権者であり政治をコントロールできる私たちであることを付言しておく。(そう書いたところで、自分の考える力の無さがすごく恥ずかしくなった…)
posted by かんぞう at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月25日

[つぶやき]著作権法学会2008年度研究大会報告

著作権法学会の研究大会を聞いてきた。

フェアユース規定の導入を念頭において、権利制限の性質論、スリーステップテストとの関係に踏み込んで極めて刺激的な議論が行われていた。(中山信弘弁護士が日本型のフェアユース規定導入を明確に主張されるという点でも刺激的であった)

今後、数日にわたり、私が理解できた範囲で報告内容をまとめ、若干の考察を述べていきたい。
なお、正確な報告内容は来年公表される著作権研究にあたっていただきたい。私がまとめた概要に存在する誤りはすべて私に責任があることを明記しておく。
posted by かんぞう at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月07日

[つぶやき]だいぶ空いてしまいました…

結局仕事を言い訳にして何も勉強も、考えることもできていませんでした。
ただ、ようやく仕事も一段落したので…といきたいところでしたが、眼の病気にかかってしまい、1週間程度入院です。世の中にはおもしろい動きがあるのに、悔しいところです。
落ち着いたら、またたくさんの情報発信をしたいな、と思っています。
posted by かんぞう at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月15日

[つぶやき]法曹の世界でも世界的な競争が起こりうるのか

TIME誌2008年4月14日版(アジア版)によると、一部の米国大手法律事務所が一部の業務をインドにアウトソーシングを行っているとのことであった(注1)。

■記事の概要
米国の一流の法律事務所へ依頼した場合、1時間当たり300$〜550$(30000円弱〜55000円弱)の対価が必要である。依頼者の大きな負担となっていることから、一部の法律事務所は、インドに支局や提携先を設け、1時間当たり60$前後(6000円前後)の対価で業務を行い、低価格化に貢献している。
米国の弁護士の中には反発も多いが、企業側からの歓迎の声は大きい。課題は倫理観の違いであるが、各法律事務所は情報漏洩を防ぐ仕組みを強化し対処を行っている。

■専門的法務の国際的分業は進むのか?
記事では明確にわからなかったのだが、少なくともパラリーガル業務の委託は行われているようである。あるいは、各州の弁護士資格を持つ者がインドで業務を行っており、相当程度の業務委託がなされている可能性もある。(なお、米国では、非弁行為として禁止される範囲は広いと聞いている。それゆえ、無資格者が広範な業務を行っているとは考えにくい。)

いずれにせよ、米国弁護士と直接競合するものではないものの、コスト削減につながる取り組みである。ゆえに、米国の法律事務所としては、インドへのアウトソーシングを行うメリットはあろう。

インドへアウトソーシングが容易な背景は以下の通りである。
○公用語が英語である
○米国への留学者が多い(米国への留学生の中で最も大きな割合を占める)(注2)
○英国法を母法とし、法体系が類似している
○米国の法律情報がかなりの程度データベース化されている
このことに鑑みると、少なくとも米国については今後もアウトソーシングが拡大する可能性はあるように思われる。

■日本への示唆
では、同じことが日本でも進むのだろうか?

まず思いつくのは否定的な要素である。
○日本語を公用語している国は無く、高度の実用レベルで使える人口も多くない
○日本の法律関連情報のデータベース化は、研究論文については進んでいない(注3)

しかい、肯定的な要素も考えられる。
○日本語の学習者は増えつつある(注4)
○日本と同じような法体系の国からの留学生が多い(特に、日本への留学生が最多の中国は日本の法制度との親和性が増している(注5))

否定的要素として挙げた法情報の不足については、今後、研究者への評価指標として論文の引用度が用いられるようになるなど、論文の周知へのインセンティブが増す要因が生じれば、解消へ一気に動く可能性もある。

そう考えれば、大規模でないものの、取り組みがなされる可能性は捨てがたい。


■専門的法務の国際的分業は是か非か(若干の検討)

このような取り組みは、一見、弁護士報酬の低価格化を招くようにも思われる。法曹人口(とりわけ弁護士人口)の急増のさなかで、このような取り組みが仮に行われると望ましくないと直観的には思われる。その結果、OJTを行う余裕がますますなくなり、育成の質が低下するなどの懸念も理解できるところである(注6)。

しかし、ルーチンワークの外部化に留まるのであれば、法律事務所において(費用の面では)効率的な運営を可能にし、弁護士人口増加の中で、適正な付加価値を確保する手段になるのではないだろうか。そうであれば、育成の質の低下なども防ぐことができるかもしれない。

もちろん、国内の就業機会(とくにパラリーガルの)を奪う点では望ましくないし、専門的法務のノウハウを流出させることが国益という観点から望ましくない可能性もある。

このようになかなか是非が言えないものではある。私個人としては、少なくとも弁護士さんにプラスに働く余地があるなら、是なのではないかと考えているが…。


(注1)"To lower costs, some U.S. law firms are changing vanues - to India" TIME(Asia) 171(14) p.42 2008
(注2)Institute of International Education, Open Doors 2007:Report on International Educational Exchange available at http://opendoors.iienetwork.org/?p=113121。ただし、法曹養成課程での具体的な数は把握できていない。仮に留学生全体に占める法曹養成課程在籍者と同割合とすると、年1400人のインドからの留学生が法曹養成課程で学んでいると考えられる。
(注3)判例はデータベース化されているが、論文はデジタル化されていないことが多い。
(注4)国際交流基金『海外の日本語教育の現状−日本語教育機関調査・2006年−概要』(2008年) available at http://www.jpf.go.jp/j/japan_j/oversea/survey.html
(注5)運用はともかく、制度上は似てきているのではなかろうか。
(注6)kiyosakariさんがブログ「KSTK」で紹介されている武本夕香子「法曹人口についての一考察」参照。なお、武本弁護士は弁護士が急増することにより受け入れ側の体制を超えることを問題視されているように読めるが、競争の激化により育成の投資がしにくくなることも考えられよう。
posted by かんぞう at 01:17| Comment(5) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月11日

[特許]医薬・化粧品・医療用具だけが特別なのか?

医薬業界には明るくないが、医薬品、化粧品、医療用具については、特許番号の表示が規制されていると聞いた。で、調べてみるとこんな規制がなされているようだ。

(昭和三九年一〇月三〇日)
(薬監第三〇九号)
(各都道府県衛生主管部(局)長あて厚生省薬務局監視課長通知)
従来医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療用具、それらの容器若しくは被包又はこれらに添附する文書等に「特許」等の文字を記載することは、当該製品の製造方法、効能効果等について誤解を招くおそれがあるので、薬事法第五四条の規定に触れるものとして指導及び取締りを行つてきたが、「医薬品等適正広告基準」の改訂に伴い、今後この種の表示の取扱いについては、次のように特許に係る旨及びその内容を正確に記載する場合は差し支えないものと認めるので、その指導及び取締りに際して充分の配慮をお願いする。

「方法特許」又は「製法特許」の文字及び特許番号並びに特許発明にかかる事項を併記して正確に表示する場合。


この通達の文言上は物質特許が含まれていないが、昭和39年当時物質特許が考えられていなかったことを考えると、物質特許の文字も許容されると考えるべきだろう。
(敢えて物質特許を除く理由が考えられない。)

この通達によれば特許発明に係る事項の記載が必要なこととなる。スペースの限られた容器・梱包に表示することはなかなか難しいところであろう。結果として特許番号は容器・梱包には表示されないことになる。

かつて、特許が「国家からのお墨付き」と捉えられ誤解を与えていたことがあったとは思うのだが、果たしてこれは現代も妥当するのだろうか。少なくとも、知的財産立国の名の下、制度の理解は多少なりとも進んだと思えるのだが…。もっとも、すべてに普及している訳でないので、パターナリズムにもとづいた介入が正当化される余地もあるだろう。しかし、だとすれば、なぜ薬事法の対象のものに限られているのだろうか。

私にはわからない…。
posted by かんぞう at 01:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月17日

[つぶやき]「忙しい」は言い訳!

時間の使い方が下手で、きちんと勉強ができていません…。
その影響でブログも閑散としてしまいました。

何処の世界でも(学問の世界でも、ビジネスの世界でも、法曹の世界でも)バリバリ仕事をしていて、しかも、見識の深い方というのがいらっしゃるので、見習いたいところなのですが、実践できていないのが恥ずかしいところです。

いちど、そういう方の一人に、仕事と勉強をこなすノウハウを尋ねたところ、

「勉強にさしさわるほどの仕事をしない」

と教えられました。確かに、勉強しないと仕事は効率的に進みませんしね。

しかし、残業を続ける同僚を背になかなか勇気を持って仕事を切り上げられない小心者です…。
posted by かんぞう at 00:50| Comment(2) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月27日

[つぶやき]どうなる?米国特許法

最近、体調を崩してしまった。
お読みくださっている皆様もくれぐれも無理はなさらぬよう。

さて、昨年話題となった、アメリカ特許制度の先願主義への移行であるが、その後、どうなったか気になった。

で、調べてみて出てきた、特許法改正法案の修正条文案(先週公開されたらしい)。
ぱらぱらっと見てみると……わけがわからない……。
私の理解力が極めて不足しているところが主たる要因ではあるのだが、共同発明のときの例外やらなんやら…。
どなたかわかりやすい解説情報をご存知ないだろうか。

なお、主要な動向はJETROのページ「ニューヨーク発知財ニュース」で議会動向も併せて詳細に紹介されている。ここ。大変ありがたい情報である。が、今回の内容についての情報はまだ…。
posted by かんぞう at 18:18| Comment(7) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月15日

[つぶやき]音楽CDの不況に対する印象論

所用で中国に来ている。都市部であるとだいぶ物価が上がった印象を受ける。好景気の影響であろうか。食品であれば日本の1/2〜1/10とまちまちであるが、嗜好品である衣料(安物ではなくある程度おしゃれなものであるが)であると日本と変わらないか、3/4程度の値段である。家電にいたっては、日本のほうが安いものすらある。

■中国のCDの相対的な安さに思うこと
その中で、CDも例外ではないが、やはり日本に比べると安い。J-POPのアルバム(なお、正規品であり、中国頒布用であることが明示されているものである)であれば50元(およそ850円)で買うことができる(注1)。少なくとも日本の1/3であり、他の娯楽品・嗜好品に比べると格段に安いように思う。

中国国内に著作物再販制度があるのかはわからないし、日本と中国の文化の差もあるのだが、中国での相対的な音楽CDの安さを考えると、日本国内で現在の値段を維持することが適切かどうか、CDでの販売を行う音楽企業は考えた方がよいのではないか、とよけいなおせっかいすら考えてしまった。

少なくとも現在の音楽CDは、著作物再販制度によりレコード製作者が価格決定を行うことが出来(注2)、しかも、海外で安く生産・販売している同製品が流入することをある程度ふせいでいる。これらの保護が、というより、これらの保護があるという象徴的な意味が、音楽CD流通を巡る当事者の交渉力に影響し、価格を市場の均衡点に落ち着かせることを阻んでいるのではないか、とすら思えてしまう。(印象論ばかりで恐縮ではあるが…)

音楽CD業界も不況ということが指摘されている。これが、果たして違法ダウンロードによるものか、あるいは、私のいらぬ憶測によるところか、その複合的なところかは、調査が必要なところではないだろうか。(もちろん、著作物のダウンロード行為が0円で出来る以上、市場の自由に任せると際限なく価格を落とすことにつながり、音楽産業が破綻するのだ、という主張はわかる。わかるが、現在の価格が音楽離れ自体を起こしているのでは、と疑っているのである。)

■音楽CD産業と出版産業の不況の真の理由?
もっとも、より魅力的な娯楽の登場、というのも要因なのかもしれない。
人間が娯楽に使えるトータルの時間は決まっているわけであるから、1つの娯楽産業が伸びれば、他の娯楽関連産業は下火になろう。

たとえば、個人が家庭内で趣味として使う時間に注目してみる。
インターネットの利用時間は飛躍的に伸びているし、ゲーム産業は空前の規模になった。
他方、出版業界は不況である(注3)。音楽CDも出版産業と同じくこの影響を受けただけなのかもしれない。

(注1)なお、貧乏学生改め貧乏サラリーマンである私は3000円もするアルバムになかなか手が出せなかった。そうすると、こういうところで買ってしまう。もちろん、頒布目的でないので著作権113条5項にはひっかからない(笑)。
(注2)もちろん、レコード販売店が入荷数を決めることである程度の価格圧力が働くのかもしれないが。
(注3)商業統計によると、書籍・文具業の商品販売額(年額)は平成14年から16年で4兆8千億円から2兆9千億円に低下している。
posted by かんぞう at 00:17| Comment(2) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月02日

[つぶやき]本年もよろしくお願い申し上げます

あけましておめでとうございます。
めっきり更新頻度の落ちてしまった本ブログですが、勉強を続けていくために、このブログで備忘と、ささやかな情報発信と、意義深い情報交換ができればと思っております。今年も読者のみなさまから学ばせてください。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。

さて、新年最初の記事は、意匠制度のハーモナイズについて気になっているところをまとめました。
ご覧いただければ幸いです。
posted by かんぞう at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月31日

[つぶやき]2007年もありがとうございました

月日が進むごとに仕事に追われてしまい、社会の厳しさを味わっていた。その影響でブログの更新もさぼりがちになってしまったが、それは、勉強がおろそかになっていることも意味する。たまに、エイやっと記事を書いてみたら、思い切り間違っていたこともあった。誤りを指摘していただいた読者のみなさまに心からお礼を申し上げる。

2007年を振り返ると、
・映画盗撮防止法という議員立法による特別法が成立したこと
・特許法の通常実施権に関する法改正議論が進展したこと
・著作権の私的複製の範囲をめぐる大きな議論が行ったこと(そして、ユーザーが始めてロビイストとして考えられるレベルになったこと)
が興味深かった。

個人的には、
・図らずも意匠制度に関する仕事をした(私は意匠制度は全く無知だった)
・東京での良質な研究会の多さに驚いた
ことが挙げられる。

さて、振り返りがちな記事になってしまったが、来年も(出来る限り)未来志向で考えていきたい。

では、みなさま、良いお年を。
posted by かんぞう at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月03日

[つぶやき]地域における知的財産制度に関する本の普及ぐあい?

最近出張で地方に行くことが多い。

本屋を覘くのが趣味であるので、ちょっと寄って見るのだが、それなりに地域の個性が出ている。(もちろん、本屋さんの性格や、バイヤーの趣味による差もあるので、一概には言えないことには留意されたい。あくまで、これは印象論にすぎない。)

やはり知的財産関係の本が充実しているのは都会、それも首都圏に偏っている。

大阪圏であればそれなりに整っているのだが、特許と商標のみという印象を受ける。
大阪圏での商標への意識は高いようであり、小さな本屋さんでも商標の取り方の解説本がおいてあった。

ただ、商標を取り上げるならば、不正競争防止法も一緒に取り扱ってほしいな、とも思う。
今年、「三輪山本舗」なる素麺を売る大阪の事業者が、著名な素麺製造業者「三輪山本」との誤認混同を招くとして不正競争防止法違反で逮捕された(なお、逮捕された業者は中国産の素麺を国産と偽ってを売っていたと報道されている)こともあるのだし、なおさら…と思ってしまう。(もちろん、一業者の認識にすぎないのだが)

それ以外の地域ではまだまだ、というところもあるが、なぜか充実しているところもあった。そういうところには、著名な企業発祥の地だったりするので、何かの関係があるのか!?などと思ってしまったりする。
posted by かんぞう at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月17日

[つぶやき]司法試験合格者年3000人は第2のポスドク問題か

一部の弁護士さんの中には、司法試験合格者を増やしすぎたことを問題視する声があるようだ。

報道を並べてみる限りでは、
(1)就職難の合格者が発生している
(2)近年の合格者の質が低下している
(3)過当競争が生じ、サービスの質が低下する
(4)収入を得るために公的な活動(刑事弁護等)を避ける
ことが問題点として挙げられている。

私はこれらの指摘には疑問を覚えるところがある。

(2)は、現在の合格者に関しては旧司法試験との過渡期に過ぎないことを考慮するべきであると思う。(建前としては)旧試験はあまりいい制度ではなかった(注1)のだから、そこの合格者の質が(仮に一部の弁護士が言うように)低くても、「新司法試験に変えてよかったね」というだけである。もし新司法試験合格者の質が低ければ「法科大学院のカリキュラムを変えなきゃね」というだけであろう。

そもそも、このような「質の低下」の話が、ベテラン弁護士からの指摘と報じられている点が気になる。「最近の若者は…」という程度のものであるとすればがっかりである。

(3)は、確かにそういう弁護士が登場してしまうかもしれないし、収入を得るために過剰なまでに働き、クオリティの低い弁護があるかもしれない。しかし、そういう状況が生じるのは弁護士から他の仕事への転身が難しい場合である。知識社会において十分な知識、能力を身につけているのであれば、法律というツールを日常的な武器としない仕事は十分あるように思うのだが…。

この点について、朝日新聞2007年11月17日に掲載された佐藤幸治名誉教授のコメントが的を射ていた。佐藤先生は「現状の弁護士像にこだわるならば苦しい状況だが、他の領域でも活躍の余地がある」旨、指摘されていた。どのビジネスモデルもそうだが、通常何十年も持たない。弁護士業とて同じことではないだろうか。

なお、現在の弁護士さんの状態こそむしろよくないと思うこともある。私の同年代の弁護士さんは高給を得ながらも馬車馬のように働いている。弁護士が足りないのではないか、と感じさせる。これでは多くの若手の医師の現状と同じく、過労による弁護過誤が起きかねない。

(4)は、いままで通常業務でお金が稼げたから公的奉仕ができた、ということを前提にしているのだろうか。仮にそうだとすると、これはおかしい。法的サービスを利用する者に過剰に高い費用負担をさせ、公的奉仕にあてていたことになる。

望ましい社会にしたいのであれば、それなりのインセンティブ設定をすることで対処するべきではないか。

最後に、(1)の点については、現在の受験生・合格者には同情したい点もある。しかし、多くの受験生・合格者はきわめて理知的な方であろうから、合格者3000人と報じられた2002年段階で、市場としては厳しくなることは理解していたはずである(注2)。それくらいの覚悟は決めていたはずであるし、これを「かわいそう」などということは受験生・合格者をバカにしているのではないかとすら思えてしまう。

もちろん、「政府が積極的なPRをするあまり、就職難が生じるとは思えなかった」「裁判官・検察官の道の拡大が期待されたが、公務員削減のあおりで達成されなかった」という事情もあろう。このような状況のもと、司法試験という道を選んだ方が路頭に迷っているのであれば、それは第2のポスドク問題ともいえる。

懸念するのは法科大学院の予備校化の現状である。
カリキュラム以上に学生さんたちが試験ばかりを意識しすぎているきらいもある(注3)。そうなることで、「社会人基礎力がない」などとレッテルを貼られ、「法曹界以外では使えない」などといわれては、ポスドク問題と同じく、つぶしがきかない、ということにもなりかねない。
就職難であるからこそ、「受かる」よりも「使える」ものを身に着けて欲しい、と思う次第である。

(注1)だから新司法試験制度を導入した…はずである。ただ、私は旧試験が悪かったとは必ずしも思わない。多数の合格者がいる中であれば、整ったトレーニングを受けていない野武士のようなやつがいていいのではないか、と思っている。
(注2)ただ、私が知己の同輩・後輩たちには、ごく少数ではあるが、現状の弁護士の収入水準と、格段に楽になる合格率を夢見ている者がいた。これでは…と嘆きたくもなったが、合格者が増え競争が導入されれば、原理的には淘汰されるのだろうな、と感じたことがある。
(注3)一大学院生として、法科大学院の院生さんと触れ合っての個人的な感想である。
posted by かんぞう at 23:57| Comment(0) | TrackBack(1) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月30日

[つぶやき]「創作」ってなんだろう、なんていうふわっとしたお話

個人的なことで恐縮だが、時間が上手に使えていなくて知的財産の勉強ができていない。ふんわりとしたことしか考えられないので、恥をさらすつもりで、今日はふんわりとした話題を。

研究・技術計測学会で、東大の丹羽清教授、妹尾堅一郎教授が「イノベーション」の概念(正確には用語法、だろうか)の整理を試みていた。

おおよそ、お二人の意見は次のところで集約していた。すなわち、「イノベーション」といっても「既存モデルの改善・成長」「新規モデルの創出」という2つの理解がありえ、それぞれの意味のところを達成するには異なる手段が必要なことに留意しないといけない、ということだった(注1)。

丹羽教授は「新規モデルの創出」について、「意図した新規モデル創出」と、「serendipity」(偶然、ぱっと生まれるもの)の2種類が有ると指摘されていた。

さて、この「serendipity」という言葉が面白い。一説によると、スリランカ(かつてのセイロン)の王子が偶然の発見を繰り返す…という物語に着想を得てイギリスで生まれた18世紀の造語らしい
(注2)。

仮にそうならば、この「造語」であるところが面白い。裏を返せば、偶然ぱっと生まれる、ということが乏しかったことの証左なのではないだろうか。

知的財産、特に著作権を巡る話の二次創作を巡る話題で、「日本は摸倣を重んじた文化発展をたどった一方、欧米は独創を重んじていた」ということが語られることがある。この「独創」をserendipityの意味でとらえていることが多いように思う。しかし、欧米、少なくともイギリスにとって「serendipity」は輸入概念ならば、そういう文化像は誤っている可能性が高い。

(注1)これはおっしゃるとおりだなぁと思う。それぞれがそれぞれの思惑でイノベーションと言う言葉を使っていたように思う。言葉である以上仕方が無いが、なじみの無い言葉ほど懐が深すぎて議論がずれる原因になってしまうことがある。
(注2)外山滋比古「思考の整理学」(筑摩書房、1986年)69頁。
posted by かんぞう at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月29日

[つぶやき]ブログの背景も衣替え

めっきり寒くなりました。
気候に合わせて本ブログも衣替えをしました。
posted by かんぞう at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月17日

[つぶやき][著作権]自己の作品への強い愛が生む悲劇:〔愛の流刑地類似表現事件〕に思うこと

■原告の著作権侵害の主張が一蹴された事案:〔愛の流刑地類似表現事件〕(注1)
この7月、作家渡辺淳一さんの著作が著作権侵害に当るかが争われた民事訴訟の判決(東京地判平成19年7月25日平成19(ワ)7324《リンク:裁判所》)が下された。判決文はわずか4ページ。原告の主張は一蹴され、渡辺さんが勝った。

事案は次の通りである。
日経新聞社に自作の小説を送付した原告は、その送付から5ヶ月後に日経新聞上で連載された渡辺淳一さんの著作である『愛の流刑地』ストーリー展開が(原告の思いとしては)似ていることから、同作品が自己の作品の盗用であると考え、著作権侵害に基づき2000万円の損害賠償を請求した。

裁判所の判断は原告主張の表現箇所の創作性の有無が中心である。この点の判断基準は、
「創作的に表現したもの」というためには,作成者の何らかの個性が発揮されていれば足り,厳密な意味で,独創性が発揮されたものであることまでは必要ないが,言語からなる作品においては,表現が平凡かつありふれたものである場合や,文章が短いため,その表現方法に大きな制約があり,他の表現が想定できない場合には,作成者の個性が現れておらず,「創作的に表現したもの」ということはできないと解すべきである。
と述べていて、目新しさはない(注2)。

また、個別の認定においても、
・アイディアの同一性を主張するものであって,表現の同一性をいうものではない
・同一であるとも類似しているともいえないことが明らか
・日常的によく使用されている,極めてありふれた表現であって(しかも,そのほとんどは,1ないし2単語の語句である。),同部分に著作物性が認められないことが明らか
とあっさり述べられているにとどまる。

推測するに、かなり無理のある主張に基づいた訴訟のようだ(注3)。

■〔愛の流刑地類似表現事件〕における原告の主張が分かった!
残念な点は、具体的な原告の主張する著作権侵害箇所の対比表が付いておらず、どの程度のものか分からないことだった。

が、この間偶然めくってみた週刊新潮に、原告の主張の一部が書いてある記事を発見!!
渡辺淳一「あとの祭り 大迷惑の記」週刊新潮2007年8月16日・23日合併号82頁によると、原告が著作権侵害であるとして、傍線をふっている箇所は、
・千駄ヶ谷
・比ではなかった
などなど、ワンフレーズに過ぎないものであるようだ。

もちろん、被告サイドの主張なので、公平な選定ではないかもしれないが、判決文とあわせて考えると、これは無理な主張に基づく訴訟と理解せざるを得ない。

おそらく、原告は「アイディアの盗用だ」という主張が中心であったのであろう(注4)。もちろん、このような主張は著作権法の容れるところではない。

■この手の訴訟が起こるやむをえなさと、今後への危惧
この事件について、渡辺さんは前述の記事で「金目的か?」と書いている。
少額訴訟ならともかく、本件のような巨額の損害賠償を求める訴訟ではそれはないだろう。原告も多額の印紙税を払っているだろうし、かなりの手間をかけなくては通常訴訟は起こせない。

おそらく「私の作品」なり「私のアイディア」は「唯一私のもの」という強い思いが動機となったのではないだろうか。私は、知的な活動によって生まれた成果であるがゆえに、このような強い思いの暴走が時として起こることは仕方の無いことであると思う。

ただ、巻き込まれた人にすれば迷惑な話であるだろうな、と感じる。もし増えることがあれば、創作物を表現することをためらうようになってしまうかもしれない。

これに関して、私が1点だけ危惧している点がある。著作物(それ自体でなくても、あらすじだけでもいい)がデジタル化されていくと、ネットワークを通じて容易に検索できるようになる。そうすると、「私の作品」に強い思いを持った人が、「私の作品」に似ている著作物を容易に発見できるようになる。その結果、このような「強い思いのこもりすぎた」訴訟が増える可能性もある(注5)。

これを避けるためには、プロの作家さんたちは、紙媒体で、ひっそり書店の奥に並べられる頒布するやり方を選び続けることになるのかもしれない(注6)。

(注1)事件名は慣用であるが、ユニ著作権センターの表記に倣ってみた。
(注2)言語の著作物の創作性を巡る近時の裁判例では、ほぼ共通の判断基準である。
(注3)行政書士の大塚先生は、速報段階で指摘されている。「「愛の流刑地」事件〜著作権 損害賠償請求事件判決(知的財産裁判例集)〜」『駒沢公園行政書士事務所日記』(2007年7月26日記事)《リンク》参照。
(注4)なお、アイディアの盗用自体の可能性にも疑問はある。連載小説であるとはいえプロの作家がほんの5ヶ月足らずで書けるものだろうか?すくなくとも、そのようなリスキーなことは編集者は喜ばないだろう。取材等も含めると、原告が原稿を送付する前段階でプロットが終わっているようにも思われるのだが…。
(注5)この記事は、市井のアマチュア作家がプロの作家に対してアタックした例を挙げているが、プロの作家がアマチュアの作家に対してアタックすることも考えられる。二次創作ならともかく、オリジナルなものに対しても誤った訴訟が提起されるような自体が続けば、アマチュアの表現活動への萎縮も考えられる。後者の懸念の一つとして、一度著名となった表現が事実上独占されてしまう可能性を示唆されるものに、作花文雄「表現物としての創作性の評価と公正な利用秩序――個性に基づく独自の表現物の創作に対する適正な保護と侵害性判断局面の在り方――」コピライト547号(2006年)、がある。
(注6)作家さんたちの中に著作物再販を維持する方向を望む意見が相当数いらっしゃるのは、このような理由によるものかもしれない!?(笑)――もっとも、文藝協は再販制度維持を現状では原則としながらも、流通も見直せと主張していることには留意――。
posted by かんぞう at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月22日

[つぶやき]学問に餓える

最近仕事が忙しくなってきてしまった。
その影響で、ついつい最新の情報収集を怠りがちになってしまっている。
ちょっと学問からはなれると、考える力があっという間に鈍ってしまう。

学部から大学院の6年かかって、ようやく身につけだした、と思えた法学の思考の仕方(方法論)も衰えるのはあっという間なのだなぁと思う。
ちょっと反省して、NBLの競争秩序と民法の特集を読んで力を取り戻したい。
posted by かんぞう at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。