2005年10月27日

[著作権]簡単に「パクリ」を「叩」く奇妙さ

大塚愛がFFXIの曲を「パクった」として話題になっている。
「のまねこ」が「モナー」のパクリだ!というのも盛り上がった。
他人ががんばったものをパクるのを何でもかんでも許してはみんながやる気をなくす、だから良くない、というのは分かるが、「パクリ」=悪とみているかのような印象すら受ける。

「パクリ」が何を指しているのか?どこまでのことを「パクリ」としているのか?まず、このことに関してずれがあるように思う。
広い意味で「パクリ」、つまり他人のアイディアを使うことはいけないのだろうか?
狭い意味での「パクリ」、つまり丸っぽコピーして自分のもののしてしまうのは良くないというのは誰もが頷くだろう。しかし、前者のパクリは本当にいけないのか?

極論すれば「●●がこういってたから自分の考え方は正しい」なんていうことも「パクリ」になる。これがいけないというのでは社会がやっていけない。
ある程度まで「パクリ」を許さなくてはならないのだ。

その線引きは昔から悩んできた。
「著作権」というルールは100年以上も前から各時代にあうよう悩み考えられてきたものである。
現在のルールでは『外にアウトプットされたもの』を「パクる」ことはアウトだとされている。はっきり言ってアバウトで見えにくい。だが、法律が悪いというわけではない。人間の精神活動は多様なので、白黒つけられるものではないのだ。
外形全体をそのままコピーする行為は非難されるだろうが、その中間にはそれほど規範的な意味はない。相互の利益調整を法律が定めている。
ところが、昨今の「パクリ」=悪とも受け取れる考え方は、著作権法の考え方を誤解している。どころか、叩くことでストレスを発散しているだけのようにも思えてしまう。

どういうルールが未来に望ましいかちょっと考えてほしいものだ。
posted by かんぞう at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ★時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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