2007年08月25日

[著作権]国会審議をインターネット配信することの著作権法上の議論を紹介する記事の疑問と、これが示唆する問題提起(上)

太田昌孝「国会審議のネット中継が浮き彫りにした、フェアユースをめぐる矛盾」CNET Japan(2007/8/23記事)(http://japan.cnet.com/column/pers/story/0,2000055923,20354036,00.htm)に触れた。

非常に面白い問題提起を含むものであるが、法律を学んでいる者の視点からは3点疑問が沸いた。まずはこれを検討し、何が問題の根にあるのかを整理してみた。

■この記事の概要
その概要は、次の通りである。
(以下、要約)
衆議院の事務局が議員運営委員会の議決を踏まえて行っている「衆議院TV」は、国会審議をインターネット中継し、また、ビデオライブラリーとして配信している。
だが、国会審議等の著作物としての側面の自由利用を認めた著作権法40条2項は、自動公衆送信を明示していない。つまり、条文上は著作権侵害に当たる。
この点、衆議院事務局は「自動公衆送信」ではあるが同項に挙げられる「放送」または「有線放送」に当たると解し、「衆議院TV」は合法であると主張している。他方、文化庁著作権課は著作権法40条2項に挙げられた行為類型は限定列挙であると解し、自動公衆送信は「放送」または「有線放送」に当たらないと解している。
しかし、国会審議を国民が視聴することは「参政権」である。その点から、「衆議院TV」のような利用方法はフェアユースとして認められるべきである。より踏み込んで、日本の著作権法は、著作権と他の権利が衝突する場面では「フェアユース」が認められている、と解するべきである。
(以上、要約)

結論に当たって、太田さんは次のようにも述べられている。
日本の著作権法[引用者注:の権利制限規定]は限定列挙であるという一部の知財法専門家の常識は、知財法に定められた以外の多種多様な権利の存在を失念した思い込みに過ぎない。


■疑問1:「日本の著作権法はフェアユースを認めている」か?
細かな点にこだわれば、太田さんの使われているこの問いは表現が正確ではない。
もし「フェアユース」=「著作権の権利制限」と理解するならば、答えは簡単である。30条以下で認められている。
他方、もし仮に「フェアユース」=米国著作権法107条に定めるようなルール、というのであれば、これは苦しい。もっとも、太田さんもこの点は言葉を選ばれているようであり、
権利と権利が対立する場合には
という限定を附されているので、米国著作権法107条の意味でのフェアユースとは違う、何らかの前提をもったフェアユースを言っているように読める。
おそらく「日本の著作権法は、明文にないフェアユースを権利衝突の場面では認めている」との趣旨であろう。

なお、ここでいう「権利」が単なる私法上の権利一般を指すのか、あるいは、憲法上の権利を指すのかは判然としないのだが、参政権に言及されていることから憲法上の権利と読むのが適切であるように思われる(もっとも、表現の自由を盾にすれば多くの場合に憲法上の権利との衝突がある、と考えることも出来るかもしれない。)

仮に以上のように太田さんの主張を理解するならば、当たり前のことを言っていることとなる。
著作権といえども財産権の一つである(注1)から、「公共の福祉」による制限を受ける。
ただし、安易に制限を認めると、裁判所による立法を認めることにつながり、あまり望ましいことではないと考えられるし、また、TRIPs条約13条のいわゆるThree Step Testとの関係で問題が生じる場合がありうる。慎重な考慮が必要だろう。

■疑問2:この場面は広義のフェアユース議論の場面なのか?
さて、次に疑問が沸くのは、『40条2項の条文上挙げられていないが、参政権との関係で「フェアユース」を認めるべきである』、というように大上段に構える必要性があるのか、という点である。

40条2項は次のように定めている。
(平成19年7月まで)
国若しくは地方公共団体の機関…(略)…において行われた公開の演説又は陳述は、前項の規定によるものを除き、報道の目的上正当と認められる場合には、新聞紙若しくは雑誌に掲載し、又は放送し、若しくは有線放送を行うことができる。
(平成19年7月以降)
国若しくは地方公共団体の機関…(略)…において行われた公開の演説又は陳述は、前項の規定によるものを除き、報道の目的上正当と認められる場合には、新聞紙若しくは雑誌に掲載し、又は放送し、若しくは有線放送し、若しくは当該放送を受信して同時に専ら当該放送に係る放送対象地域において受信されることを目的として自動公衆送信(送信可能化のうち、公衆の用に供されている電気通信回線に接続している自動公衆送信装置に情報を入力することによるものを含む。)を行うことができる。
※強調部は平成18年改正(平成一八年一二月二二日法律第一二一号、平成19年7月1日施行)

さて、この問題への対処の可能性として、40条2項の文言解釈ではだめなのだろうか?

平成19年7月以前については、そもそも40条2項の立法時に自動公衆送信を「意識していなかった」と理解すれば(注2)、あとは法目的上自動公衆送信を認めることの是非が検討されることとなる。文言上は苦しい(定義規定との整合性は欠く)が、参議院事務局の言うように40条2項に限り「自動公衆送信」は「放送」「有線放送」に当たる、と解することができよう。

仮にこのように解しても、「著作物の通常の利用を妨げ」てはいないし、「権利者の正当な利益を不当に害していない」ものと思われる(注3)。また、国会審議という「特別な場合」であるから、Three Step Testに照らしても問題が無いのではないか。

もっとも、平成19年7月以降は状況が変わる(注4)。「自動公衆送信」が含まれたのである。ただし、送信の同時性が求められているため、「衆議院TV」にあっては、国会審議をインターネット中継することは40条2項で許容されるが、ビデオライブラリーとして配信することは、条文上明らかに40条2項で許容されない行為となる。

ただ、平成18年改正で40条2項にいう「自動公衆送信」に同時性が求められたのは、改正時の状況としてやむをえないものであったにすぎず、明示に自動公衆送信を除外する意図は無かったのかもしれない。平成18年当時(から現在に至るまで)IPマルチキャスト放送をめぐる議論が活発に行われているところであり、送信の同時性を持つ自動公衆送信が有線放送と同視しうるのか否かで議論が進められていた(注5)。

この中で、送信の同時性を持つ自動公衆送信についても40条2項の対象としたことは大きな前進であったのだと推測される。そのような中で、広く「自動公衆送信」一般についての議論は深まっていなかったのではないだろうか。
あるいは広く「自動公衆送信」一般について議論すると、議論が混乱することを恐れたのかもしれない。

文化庁著作権かはこのような背景があるからこそ、40条2項の行為類型を限定列挙と述べているのではないか。

仮にそうならば平成19年7月以降であっても、文言上は苦しいが、解釈論として自動公衆送信一般が認められる余地が無い、とはいえない。
以上のところからは、(少なくとも私には)大上段にフェアユース一般の議論を持ち出すことへの疑問は解消されていない。

<長くなりすぎたので明日へ続きます>

(注1)細かい点は憲法学の世界にお任せしたい。ただ、どこかで長谷部泰男先生がそう仰ってた気がするので、ここではあっさり財産権として扱った。
(注2)もっとも立法の経緯は管見の限り明らかでない。詳細な研究を行っている方はいらっしゃらないだろうか?
(注3)この点は、異論があるかもしれない。こんな場面では問題がある!とお気づきの方はお教えいただきたい。
(注4)衆議院TVのスタートが数年前であることから平成19年7月以前の規定の議論を持ち出されているのかもしれないが、改正法に触れていない点で、太田さんの議論にはちょっと首を傾げてしまう。
(注5)詳しくは文化庁『著作権分科会(IPマルチキャスト放送及び罰則・取締り関係)報告書』参照。
posted by かんぞう at 15:28| Comment(8) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんか丁寧に批評してあるけど、本質はそこじゃないんだよなぁ。

http://news21.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1187945513/
にこの筆者本人が登場しているから見てみ。
ID:hJb3zrD2 ID:n8AJVsW9 ID:VTLj1iULがその本人。

それに対し、スレ番154がこの筆者の主張を全否定している。

理系院卒知財弁護士の俺から言うと、こいつとんでもない食わせモンだよ。
Posted by お名前: [必須入力] at 2007年08月29日 17:44
コメントくださりありがとうございます。
また、ビジネスニュース+板の議論をご紹介くださりありがとうございます。

果たして自作自演があったのかはわかりませんが、太田さんの記事を支持されている方の書き込みは筋が通っていないのだな
ぁ、ということはわかりました。

もっとも、スレ番154が全否定できているかについては、私にはよくわからない点があります。
「「参政権」でも「知る権利」でも、これが憲法で保護する基本的人権」であることは疑いありませんが、<「参政権」や「知る権利」に『録画された審議記録を視聴する権利』が含まれ、これは憲法上の保護が要請されている>という理解は、一般的な「参政権」や「知る権利」の理解から導くことができるものなのでしょうか?
もし、<憲法上の保護が要請されている>とまで言えなければ、この点はクリティカルな批判ではないように思えるのです。
私は憲法の解釈論に明るくないので、お教えいただければ幸いです。

最後に一点だけ。私の記事の主眼について誤解なさっているかもしれませんので確認いたします。(私の杞憂でしたらすいません)
正直に申し上げて、私自身もこの記事を書かれた方(太田さん)に「?」を感じました。
が、このブログでは個人の素質・知見への批判より、知的財産法解釈上の面白いところを検討することを主眼としております。それゆえ、本件も「これが示唆する問題提起」と題し、こちらを主眼としたまとめ方をしています。
この点は、ご承知置き下さい。
Posted by かんぞう at 2007年08月30日 00:40
>「参政権」や「知る権利」に『録画された審議記録を視聴する権利』が含まれ、
>これは憲法上の保護が要請されている>という理解は、
>一般的な「参政権」や「知る権利」の理解から導くことができるものなのでしょうか?

知る権利には、国などに対して情報の提供を求める権利(積極的側面)
と国民が国家の妨害を受けずに自由に情報を受取る権利(消極的側面)があって、

国会審議を視聴する手段を『制限』する法規・解釈を正当化すると、
消極的側面の「知る権利」が『制限』されてしまう。このこと自体が問題なの。
今回は積極的側面の関連も強いけど、本質的には消極的側面の問題。
Posted by お名前: [必須入力] at 2007年08月30日 16:02
さっそくコメントくださりありがとうございます。

両側面については存じていますが、
「国民が国家の妨害を受けずに自由に情報を受取る権利」
が損なわれた場合とは、国家が主体となって妨害した場合ではないのでしょうか?
国会の審議映像の受け取りが40条2項によって妨げられるのは、著作権者たる私人が権利行使をした場合ですので、(通説と言われている間接適用説を採るならば)公序に含まれるかについては、一段階、検討がいるように思います。

その検討段階で気になることが2点あります。
まず、
「国民が国家の妨害を受けずに自由に情報を受取る権利」がどの程度憲法上保証されているのか?という点です。
教科書例的な極論で恐縮ですが、本件と同じような私権の行使による情報受領が妨げられる例として、所有権を用いて情報へのアクセスを遮断できる場合が考えられます。この場合、所有権の実現と言う方法を通じて、国家は「間接的に」情報受領を妨げられていますが、この場合、所有権者の利益を損なってまで知る権利を保障しなければならない、というのは行き過ぎと考えられる場面があるように思います。
本件で問題としている場面でも同じような考慮がいると思います。「著作権者の利益」(私はその利益の程度については消極的に考えていますが)を損なってまで保障される領域なのでしょうか?
(誤解を避けるために申し上げますが、私は「著作者の利益を守るべきだ」とはいいません。単に、まだわからないのです。)

2点目として比較衡量の上で次の点が気になります。
「審議映像の送信者が著作権者たる私人の許諾を得ていれば、適法に送信が可能」である点、
あるいは「審議記録として速記が行われており公開されている。審議の内容自体には他の受領方法があり、審議の過程については同時放送で受領することができる」点、
このような場合に、公序違反と言えるかは慎重な検討がいるのではないでしょうか。

間接適用説に立った場合の公序論自体に、多くの論文で議論がなされてるところですし、そもそも、間接適用説自体への議論もありますから、私にはよくわからないのです。
この点にお詳しければ、お教えください。(あまりに頼りすぎてしまっていて恐縮です。ですので、もしよろしければ、「知る権利」ならびに「憲法上の権利の私人への適用」について、適切な最新の基本書や研究論文などお教えいただけるだけでもありがたく存じます。いかんせん私は民事法学のみにしか力至らず、憲法学は芦部、佐藤、松井の基本書と、すこしばかりの論文しか読んでおりません。それもだいぶ前の記憶になってしまいました。恥ずかしながら理解が不足しています。)
Posted by かんぞう at 2007年08月31日 01:55
まず1点目。
著作権者である答弁人の利益と国民の知る利益の比較衡量ですが、
国会審議の位置付け上、あきらかに「国民の知る利益」が優先されるべきだと
思います。現行法40条2項ですでに「放送等」という手段が認められている以上
この趣旨を鑑みても明らかです。

2点目ですが、
公序良俗と代替性の問題ですね。すでに「放送」という代替手段があるから、
特定の知る手段が否定されても公序良俗に反しない場合もあるのではないか
という検討ですね。
では「自動公衆送信」と「放送」が果たして同価値の代替手段と言えるでしょうか。
放送は一方向の情報伝達手段であるのに対し、自動公衆送信は双方向の情報伝達手段
であります。自動公衆送信は、放送という制限された情報伝達手段よりはるかに情報の
アクセシビリティの高い手段です。
情報のアクセシビリティの見地から言うと「放送」は「自動公衆送信」の代替物と
しては評価しがたいものであります。
それゆえ、
放送等の現行手段をもって、アクセシビリティのより高い手段を否定する法解釈は
国民の知る権利を制限することになり、あきらかに公序良俗に反していると私は思います。
ここまではあなたの主張を基にした反論です。

ここからは私のもともとの主張です。
実は貴殿の言う代替性の有無は、あまり今回の事案に関係ないのです。
「代替できる環境」を担保できないことこそが、本当は問題なのです。
代替できるメディアがあるからといって、他のメディアを否定していいのでしょうか。
そもそも、知る権利とは「メディア以前のもの」であるはずです。
国民それぞれアクセシビリティの環境が異なるので、様々な「知る手段」を担保しておく
必要があります。それこそが「知る権利」の大前提であるはずです。
(積極的に肯定するのではなく、否定してはいけないということです)

今回の話題は
国会が「政治上の」ではない趣旨の国会審議内容を「自動公衆送信」することについて、
限定列挙の反対解釈をすると国会が著作権法違反になってしまうという主張が正しいか否か、
というのがもともとの話です。
もし上記の解釈を正当化すると、従来法で規定されていた手段以外の手段は否定されてしまい、
国民は「自動公衆送信」にて知る権利を否定されたことになります。
基本的人権は著作権法の規定より優先される以上、上記の解釈は到底受けいられるものではありません。
Posted by お名前: [必須入力] at 2007年08月31日 15:35
詳細なコメントをありがとうございます。

私の理解を前提にしたコメントを頂いて、議論が深まることができました。感謝いたします。

おそらく私とコメント下さった方との議論の大きな分岐点は次の点にあるのではないかと思います。

コメントくださった方は
「著作権者である答弁人の利益と国民の知る利益の比較衡量において、国会審議の位置付け上、あきらかに「国民の知る利益」が優先されるべき」
という価値判断を前提にされていらっしゃるように拝読します。

これまで私が「慎重な検討が必要なのでは」と申し上げていたは、この価値判断をあっさりしてよいのかという点にあります。直感的には正しいのかな、とも思いますが、解釈論として上記価値判断を採るには、もう少し精緻な論証が要るのではないか、と考えていました。

いままでの書き込みではこの点の論証が省略されていらっしゃったため、私にはわからない点がありました。今回、そこのところを明らかにしていただいたので、さらに踏み込んだ議論をさせていただきます。

まず、上記価値判断が説得的かについて私の感想をお伝えします。

コメントの中で丁寧に切り分けていただいたところですが、本件の問題の対象は「政治上のものではない陳述」です。捉え方しだいなのですが、少なくともその位置づけ上、知る権利の対象の核心的な部分とは<直ちに>言えないのではないでしょうか。だからこそ、私は知る権利の範囲(その内容と、内容ごとの保護の要請の濃淡)を知りたく考えています。

(40条2項について研究した訳ではないですが、)少なくとも、現行法40条2項ですでに「放送等」という手段が認められていることから、上記価値判断の論拠とするのは困難な点があるように思います。
知る権利の保障を優先した趣旨ならば、なぜ40条2項は報道目的の録画物での利用を許容しなかったのでしょうか。昭和20年代に既に報道目的の録画物(ニュース映画)が存在し、現行著作権法の検討にあたっては当然考慮されていたはずです。

もっとも、そのように40条2項をとらえると、一体どういう性質の規定なのかよくわからない点も出てきます。立法担当者の加戸さんの本にも詳しく書いていないので、あるいは、既存のメディア産業の慣行を明文化しただけなのかもしれません(仮にそうだとすれば、なかなかつっこみどころのある条文と言うことになりますね)。この点については知的財産法を深堀する者が探求すべきことなのでしょう。


次に、代替性は関係がない、とのご指摘について私の考えをお伝えします。

まず、代替性の議論は、著作権と知る権利の比較衡量の場面で用いられる、衡量の一要素として申し上げました。(もっともコメントいただいた方が、もし著作権と知る権利の比較衡量の場面では常に知る権利が優越するとお考えならば、私と議論が噛み合ないことになります。)

この比較衡量において、私人対私人の場面では、国家対私人の場面とは若干異なり、より精緻な検討(両者の保護が要請される要素を縷々挙げ、丁寧に考察していくこと)が必要だと私は考えています。

以前の書き込みで、本件は憲法上の権利の間接適用の場合であり、公序良俗に落とし込まれることを申し上げました。その場合、憲法上の権利の保護の要請が後退する場合があるのではないでしょうか?

たとえば、ある政治的に重要な情報を、
(1)国の施設に保存するなどして秘匿し、そのアクセスに対し施設の所有権を理由に拒む場合、
(2)関係する私人がその名誉を守るため等の理由で自宅に秘匿し、そのアクセスに対し、自宅の所有権を理由に拒む場合、
を私はイメージしたのですが、前者は直感的には拒絶が許されないと思えますが、後者の拒絶は許されても良いのではないでしょうか。もし(2)をそのように解釈しないと、「知る権利」を理由に私人が自宅に踏み込んでくる不都合な結果を生んでしまいます。


最後に、表現上気になった点をお伝えします。
「基本的人権は著作権法の規定より優先される」という表現はミスリードであると思います。(これは揚げ足取りになってしまっているかもしれません。そのような意図ではないと存じますが…。)
ご存知のことを触れて恐縮ですが、私の頭の整理として確認させていただきます。

まず、知る権利(その上位の概念である表現の自由)であっても、公共の福祉の制約を受けるところであることは最高裁判所も明示していますし(〔チャタレー夫人の恋人事件〕最大判昭和32年3月)、学説上も一般的な理解だと思います。
また、著作権は、基本的人権である財産権ないし表現の自由に基づく権利と理解できます(なお、表現の自由に基づく権利としての理解を紹介するものとして、山口いつ子「表現の自由と著作権」中山信弘先生還暦記念論文集『知的財産法の理論と現代的課題』(弘文堂、2005)381頁以下があります。また具体的な論稿名を失念したのですが、長谷部教授の論文にも同様の指摘があったように記憶しています。)。

本件の場面は、基本的人権の対立の場面であると考えられますので、比較衡量の論証なしに「常に」優先するかのような印象をあたえる表現はまずいように思います。


なお、誤解を避けるため申し上げますが、立法論に進んだ場合、私は「国民は自動公衆送信によって、国会審議の内容を、政治的な陳述か否かに関わらず、アクセスできるべき」と考えています。

憲法と著作権の関係はなかなか興味深いため、ついつい長々コメントしてしまいました。
おそらく議論の根に価値判断の違いが存在するように思います。価値判断については、論稿を通じて精緻な議論を行うのが適切であり、ブログのコメント欄上で議論を行うのは困難なように考えます。
また、価値判断の違いが明らかになったと言うことは、法解釈上の議論が
おおよそ収束してきたように思いますので、著作権法40条2項の検討を課題として、議論を締める方向とさせていただいてよろしいでしょうか?
Posted by かんぞう at 2007年09月02日 00:48
>これまで私が「慎重な検討が必要なのでは」と申し上げていたは、この価値判断をあっ
>さりしてよいのかという点にあります。直感的には正しいのかな、とも思いますが、解釈
>論として上記価値判断を採るには、もう少し精緻な論証が要るのではないか、と考えて
>いました。

精緻な論証が必要だと面思いなら、どの点で精緻な論証が必要なのか
あなたなりの論証をしていただく必要がありますね。

>知る権利の保障を優先した趣旨ならば、なぜ40条2項は報道目的の録画物での利用
>を許容しなかったのでしょうか。昭和20年代に既に報道目的の録画物(ニュース映画)
>が存在し、現行著作権法の検討にあたっては当然考慮されていたはずです。

許容しなかったというよりは、法改正が怠慢だっただけです。

>(2)関係する私人がその名誉を守るため等の理由で自宅に秘匿し、そのアクセスに対し、
>自宅の所有権を理由に拒む場合、

以前から思っていたのですが、この例をだして何を言いたいのですか?
今回の事案と全く関係ないと思うのですが。
憲法上の権利の保護の要請が後退する場合があるということを言いたいだけですか?

今回の事案での知る権利の対象は、
 @国会審議という公の場でなされたもので、
 Aその内容は国民に関知するもの
ですよ。
かかる条件で憲法上の権利の保護の要請が後退する場合があるというのなら、
どのような理由から保護の要請が後退するのか論証をしてください。

>知る権利(その上位の概念である表現の自由)であっても、公共の福祉の制約を受け
>るところであることは最高裁判所も明示していますし(〔チャタレー夫人の恋人事件〕
>最大判昭和32年3月)、学説上も一般的な理解だと思います。

知る権利を始めとする基本的人権が公共の福祉の制約を受けるところであることは
周知のことですが、果たして、今回の「知る権利」を制約しうるという著作権法に、
「公共の福祉」の色彩はありますでしょうか?
もしあるのならそこのところをご説明していただきたいです。
Posted by お名前: [必須入力] at 2007年09月02日 12:34
決して非建設的な議論をしたいが為に述べるのではありませんことをなにとぞご理解ください(これは、コメントを頂いた方はご承知のことと存じます。お読みいただいている他の方は誤解をなさらないようご承知おき下さい。)

私からの論証が必要だ、ということは、コメントいただいた方が私のロジックは私の価値判断だとお考えになっており、かつ、私の価値判断に同意できないと言うことを意味しているかと存じます。すなわち、議論の対象が価値判断の問題となっていることの証左ではないでしょうか。申し訳ありませんが、そのような価値判断に係る詳細な議論は、既に申し上げましたようにブログのコメント欄での議論に不向きだと思います。
(もしそうでなければ、たとえば、価値判断に関わる微妙な議論を裁判で争う際、多量の書面を提出することは無いはずです)。
幸いにしてコメントくださった方は弁護士をなさっているとのことですので、論稿と言う形で議論を提起できるお立場にあることと存じます。

なお、私はあくまでコメントいただいた方の価値判断自体を否定しているのでなく、価値判断の過程をご教示いただきたい、と申し上げてきました。幸いなことにご教示いただいた訳ですが、(知る権利の限界について詳細がわからない段階ではありますが)、共感できませんでした。(なお、共感できない最大のポイントは著作権法は基本的人権として保護するに値しないとご理解されているように読み取れる箇所です。)

本来の議論として深めるためには、共感できない点を私から法的に縷々指摘するべきなのかもしれませんが、それと、それへのリプライは膨大な字数を要するところかと存じます。そのような議論はブログという媒体では難しいですし、本ブログにはふさわしくない(本来的にはそのような議論が進められることはありがたいことなのですが、1)他の方がコメントを書き込みにくくなる可能性があり私がブログを解説した目的を損なう、2)本ブログの主眼である知的財産法の解釈論ではない憲法学上の議論が中心となる、ためです)と、私は考えています。

なにとぞご承知おき下さい。


1点だけ。
>著作権法に、「公共の福祉」の色彩

山口いつ子「表現の自由と著作権」中山信弘先生還暦記念論文集『知的財産法の理論と現代的課題』(弘文堂、2005)381頁以下をご参照ください。

>許容しなかったというよりは、法改正が怠慢だっただけです。

この点については問題意識を共有しております。ですので、立法論として検討が必要かと考えます。
Posted by かんぞう at 2007年09月02日 22:58
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