2007年04月24日

●[その他]産学連携の背景と今後―西村吉雄[2003]読書メモ―

西村吉雄『産学連携――「中央研究所の時代」を超えて』(日経BP社、2003年)読書メモ。

知的財産が深く関わってくる分野の一つに、産学連携がある。その産学連携の行方を追いかけるために、いったいどういう背景事情が作用したのか、ということも知っておきたかった。そこで、読んでみたのがこの本。エレクトロニクス研究からビジネス誌の編集者に転じた著者が、アメリカの事情にも分析を加えて、歴史的な推移をわかりやすくまとめている。

○この本の概要:産学連携へのニーズを生み出した、リニアモデルから技術と科学の相互作用モデルへの転換
まず西村は、利潤の源泉は、研究開発行為により、現在の価値を未来の価値体系につなげることだと述べる。言い換えれば、なんらかの知識を、ニーズに答える形で実用化すること、であるとする。この前提が正しいならば、研究開発には、知識を生み出すだけでなく、ニーズとの接点が必要となってくる。
しかし、20世紀においては「技術」の上流に「科学」が存在し、「科学」が成長すれば、自動的に「技術」が好転すると捉えられていた。その実現例がナイロンである。企業の研究室という、「科学」の世界から生まれたのがナイロンだった。企業はこれに倣って、「中央研究所」をこぞって作った。現場のニーズから遠い「中央研究所」が研究開発の中心となる時代が長く続くこととなった。
ところが、事態は半導体の時代となって変化する。あまりに高度化したため、専門的分業が望まれる。分業を進めるには、インターフェースさえ共通化すれば良い。「分業」が「中央研究所」の必要性を揺るがす契機となった。
この傾向は、コンピュータの世界で顕著に進み、「中央研究所」を持たないインテル社の成功が、大きなインパクトを持つこととなる。初のマイクロプロセッサ404は、大学の知識と技術の現場と深く接点を持っていたための産物だった。西村は、これを科学と技術が対等になったと評価している。(そして、一時期日本が「アメリカの基礎研究のただ乗り」をしていると批判していることが当たらないと反論している)
インテルの成功は産学連携のベストプラクティスモデルとなった。大学は異なる知が出会う場面であり、ニーズとの接点さえあれば、新たな研究開発の可能性を秘めていることを、西村は指摘するのである。

○この本を読んで:大学のあり方をどうするか?
歴史的経緯から、よい産学連携のあり方の一つを推測するなら、企業の技術者が大学と深く関わっている、あるいは、交流の場面がある、というものがあげられるだろう。他方、無理無理に大学の知識を、大学がビジネス化する、というのは、歴史的にみれば異質、ということになる。
後者の方向性も産学連携と捉えられているようだが、意味合いとしては大学の外部資金の方策の一つであり、区別して考える必要もあるのではないかと思う。
posted by かんぞう at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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