2006年06月11日

[その他][民法]山本敬三の不法行為法学整理を読む

●山本敬三「不法行為法学の再検討と新たな展望――権利論の視点から――」法学論叢154巻4・5・6号 292頁〜

近時、著作権法と不法行為法の接点の議論に対し示唆の深い論文を書かれている潮見先生の学説について、不法行為法学の流れではどのように位置づけられるかを示す論文である。参考となるところがあると思われるので紹介する。なお、著作権法学会で示された「権利スキーマ」についても概要を示しており、参考となる。

1.この論文の意義
潮見佳男先生の権利論を中核とする不法行為の理解と、従来の学説の理解をわかりやすく表した論文である。不法行為法学の理解の参考となるだけでなく、潮見先生の論文の理解の一助ともなろう。
また、知的財産法がカバーしきれない法益に対して、どのような保護を与えるか否かを考えるスキームを考える手助けになるように思われる。

2.この論文の概要
起草者の構想によると、有形・無形の損害の内、一定の範囲の「権利」(これは各種の自由のほか債権も含まれる)に対して、過失主義の原則の下、賠償を命ずるシステムであった。すなわち、権利・自由の保護とその相互の調整が根底にあったと見ることが出来る。
しかし、大正期、「権利」を厳格に考える判例が登場し、その不都合を生めるために登場したのが、末川の違法性理論である。権利侵害とは法律秩序(法律全体に潜む価値理念から出発する秩序)違反であると捉えるのである。これは権利本位の法律論から社会本位の法律論への転換であった。
この違法性理論を確立させたのが我妻である。我妻は、不法行為制度が社会生活における損失の公平な分担制度へと転化したとし、その上で、権利侵害は加害行為の違法性(保護法益と行為の相関関係で把握されるもの)とするのである。
その後、平井宜雄らの通説(我妻説)への批判、沢井、錦織、四宮らからの通説の再検討を経て、こう着状態となっていた。ただ、いずれも末川が示した政策的観点から権利・自由を相対化する見解を基礎においたものと評価することが出来る。
これに、一石を投じたのが潮見の見解であった。潮見は、不法行為制度の基本は、憲法が保障する個人の権利を保障することであるとする。そして、ある権利を保証する場合に生じる他人の権利制約との調整を、(a)片方の権利を完全に犠牲にしていないか、(b)市場経済秩序の考慮、(c)福祉国家としての政策、(d)公共性の考慮、等を勘案して行うべきとする。これは危険の割当に関する価値判断であり、あくまで加害者と被害者の間の関係を問題とするものであり、共同体社会の共通価値実現という視点からの介入は認められるべきでないというのが潮見の考えである。

3.私見
不法行為論については、学部の3年生以来興味を持ってきたものであるが、正直なところ「わからないな〜」という思いを抱いてきた。その原因の一つは、書く論者がそれぞれどのような出発点から出てきているのか、が理解できていなかったからのように思う。それぞれの考えの基礎をわかっていないところで、それぞれがめいめいに批判を展開されたところで、好き嫌いでしか選べないじゃないか…という浅はかな思いだったのである。
そのような悩みが、この論文で少しは解消された思いである。かつて、潮見佳男『不法行為法』(信山社)を読み、その歯ごたえに手を焼いたが、今一度読み返してみたい。
なお、潮見の見解は知的財産法分野での議論整理に貢献する可能性を感じる。例えば成果冒用については、被害者の営業の自由と、加害者の表現の自由や営業の自由との衝突が観念できるのであり、その調整を経済秩序考慮を含めて行えばどのように整理できるだろうか。社会経済的効用を説けばいくらでも議論ができ、評価の分かれるところ、よりシャープに絞れるのではないかと思う。

※もっとも、深遠な議論の表層をさらっているだけに過ぎず、間違っている点は多いと思われる。読まれた方にはご海容を乞いたい。
posted by かんぞう at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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