2006年01月24日

[その他]雑感:表現の自由市場

・ある企業の知財担当の方なのだが、情報の囲い込みに対しては否定的な考えを持っていらっしゃって、やもすると抱きがちな、「企業=権利者=情報自由に対して否定的」という偏見を改めさせてくれる。もっとも業界によっては情報自由の方がありがたいという分野もあるし、そういう偏見自体が、企業というものを良く見ていない見方ではあろう。
この間ニュースサイトで大手コンピュータメーカー数社がクリエイティブコモンズ的発想に立った制度構築を目指すという記事があった。(うっかりソースを確保し忘れていた。しかも探してもない。誤報であるかもしれない。)戦略的取り組みの方向として興味深い。

・情報の囲い込みに対して特に否定的であったのは母校の憲法の教授であった。憲法の理念に表現の自由の確保を取り込むべきだとのお考えで、こと、意見の自由な流通は尊重されるべきとの考えには強く影響されている。

・知的財産を学ぶ者として、情報をどのように流通させ、社会発展につなげるかには常に留意しなくてはならないと考えている。(我が師匠はこの点にキビシイ。)とはいうものの、斬新な判例が出ればそれに流され…というのが現状である。原点を忘れないよう戒めたい。

・先日から、コメントで意見を頂いている。意見を交わすことは非常に勉強になる。わざわざ意見を寄せていただいた方への感謝の念はひとかたならぬものがある。情報の自由かつ効率的な流通のありがたみを感じる。
posted by かんぞう at 21:18| Comment(6) | TrackBack(0) | ☆その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日々適当な中の人に感謝しる!
Posted by 長作 at 2006年01月25日 00:25
2ちゃんねる文化を持った方でしたか(笑)
見ていて楽しいですし、最近は注目すべき裁判例が2ちゃんねるから起こっていたりしますので、法学関係者には目が離せない掲示板になっています。

ところで、新たにご意見いただいたことにお返事差し上げるべき所なのですが、所用でなかなか時間が取れず、考えを纏めるのに苦慮しておりますので、もうしばらくお時間頂きます。すいません…。週明けまでには纏めたく思います。
Posted by かんぞう at 2006年01月27日 01:16
ねらーでしたが何か?
とはいえ法律関係ではほとんど書き込みしてませんが。あー、でも条文を読むようになったのは輸入盤規制問題の時で、最初は2ちゃんの情報に頼ってましたから、2ちゃんなしに今の長作は存在しません。

返事のほうとかは適当に。wikiとかだと気合い入れて書いても放置されますし(そっちも法律とは関係ないですが)。
Posted by 長作 at 2006年01月27日 01:36
時宜に遅れた攻撃某業の提出みたいになりますが・・・

「(大)企業」に否定的というのは、その通りじゃないかと思います。権力と同視しているヒトもいるので。

で、本論ですが、結局、物理的な排他性のない情報について、供給過少にならないように法で排他性を与えなきゃどうにもならない点では特殊だけれど、どこで権利の外延を画するのかは他の財産権と共通する部分があると思うのですが。通常の財産権もどこかで制限がかかっているので(e.g. 公用収用やら租税やら権利濫用やら強制的公開買付けやらなにやら)、何で一部の憲法学者って「表現の自由」から情報を特別視するのか?というのが不思議ですね。

確かに、精神的自由権って重視されるわけで、受け手の視点に立てばそりゃまあわからなくもありません(しかも制限されるのは経済的自由にすぎない(笑))。ひとまず、この問題で私企業に憲法を適用するのか(直接であれ間接であれ)という問題をさておきます。

それでも、「なんだかなぁ」と思うのは、一切の「囲い込み」を認めない(あるいは厳しく制限する)法制度にすると、結局、企業の情報を生み出す・収集するインセンティブってなくなってきますね。そうすると、そもそも「囲い込む」をするモノが減るわけで、それじゃ「囲い込むな」と言っても意味がなくなります。

そういったこと(やそれに類似のこと)があるからこそ、著作権や不競法といった法技術で法によって排他性を設定し(≒情報の囲い込みの一つ)、情報の生成・収集のインセンティブを与えてるんじゃないのと思うのですが、本文で書かれたようなことをいうヒトは経済活動を重視していないのでしょうから関係ないでしょうなぁ。

ついでにいうと、情報の生成・収集を行う者が「囲い込み」をしないことが合理的になるシナリオって興味深いですよね。思いつきでは、相互に有益な情報を作り出すプレーヤーたちによる繰り返しゲームの状況で、情報の非対称が少なく、ペナルティのエンフォースのコストが低い場合で、かつ、他者の持っている情報を得ることに利得がそれなりにある場合かなと。
Posted by MM at 2007年03月04日 04:39
「だから憲法学者は著作権を勉強する必要がないことはない」わけです(←もちろん、例の著作のタイトルのぱろでぃ)。

大事なことを忘れてました。

Posted by MM at 2007年03月04日 04:43
懐かしい記事へのコメントですね(^^;)

極論としての情報は保護すべきでないという態度にはご指摘の点が当たると思います。こういう態度を憲法学者がとっていれば(中にはそういうユニークなことおっしゃる方もいますが…)、長谷部先生じゃないですが「憲法学者は著作権を勉強する必要」がありますよね(笑)。そういうのに限って、オープンソースでの成功を取り上げて騒いだりしますが、あれは、各人にすれば名誉や達成感という主観的な価値があっただけで、普遍化はできないでしょう。

もっとも、書き込んだときの意図は、「過度の囲い込み」、すなわち「保護が強力でありすればよく、さらには保護の期間が長い方が良い」という態度への批判があって、それが面白いというところにありました。書き方がまずかったかもしれません…。

ところで、
>情報の生成・収集を行う者が「囲い込み」をしないことが合理的になるシナリオって興味深いですよね。
>思いつきでは、相互に有益な情報を作り出すプレーヤーたちによる繰り返しゲームの状況で、情報の非対称が少なく、ペナルティのエンフォースのコストが低い場合で、かつ、他者の持っている情報を得ることに利得がそれなりにある場合かなと。
との点、おそらく企業間での共同研究がそのひとつの例かなぁと思いました(これも思い付きです)。ペナルティは以後共同研究に参加させないというもので、繰り返しが前提の中ではコストが低いペナルティになると素人的には思うわけです。
Posted by かんぞう at 2007年03月04日 22:24
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