2008年12月16日

[著作権]応用美術の著作権による保護を巡る解釈論の仏・独における歴史的な根っこ、そして、これからをどう考えるか

早稲田大学・北海道大学グローバルCOEジョイントシンポジウム(2008年11月29日開催)に参加した。概略をわかりやすく抑えることが出来、おもしろかった。報告からは、おのおのの先生方の考えていらっしゃる深い点も窺えたので、私としては、一聴衆として、このような場があることに心から感謝したい。また、報告をされた先生方の高い見識とわかりやすいプレゼンテーションに厚く御礼を申し上げたい(ボリュームの多い内容をまとめるのって大変だと思う…)。

さて、この記事では、シンポジウムのセッション2の主要なトピックであった、応用美術の著作権による保護について、まず、シンポジウムで得られた点をまとめ、さらに、解釈論ではなく(注1)、主として政策論として眺めてみる。なお、得られた知見に関する理解の誤りは筆者である私の責任に帰することは明示しておく。

■シンポジウムで得られた知見:応用美術の著作権による保護を巡る解釈論の仏・独における歴史的な根っこ
応用美術を著作権により保護すべきか否かについては、1900年代前半のベルヌ条約改正を巡る議論の中で世界的に取上げられて以降(注2)、今もなお続く議論となっている。わが国でも昭和38年の著作権法改正の際にも重要なトピックとして議論されたものである(注3)。
著作権法が産業保護法的な性質を一切有しない、と理解されていたことが、おそらく議論の根幹であったの思っていたが、仏・独の議論の根を見ると、それだけに限らないようだ。

シンポジウムにおける駒田准教授の報告(注4)によると、1793年法により著作者の複製権が保護され、1806年法により工業意匠の保護が定められたとき、1806年法は1793年法の特別法と捉らえられたことにより、重複保護を否定する解釈論が登場したようだ(注5)。そこで、両者を峻別する基準について100年近く議論が行われたが、結局のところ、決定的な基準は導くことが出来ず、1900年の間近になって、Pouilletにより美術的価値は意匠法、著作権法分け隔てなく保護されるべき(注6)と主張され、これが法制化された。その結果、現在では知的財産法で、応用美術の著作物も著作物として例示(L.112-2 CPI)した上で、「(著作物は、その)価値・目的のいかんを問わず」保護される(L.112-1 CPI)と規定している。

他方、ドイツの状況は異なる。本山教授の報告(注7)によると、(a)旧意匠法が、(a-1)名称が「図案及び雛形についての著作権に関する法律」で、著作権法の特別法だった(制定も同時で兄弟関係であることが意識されていた、(a-2)効力も相対効だった、こと、(b)形態の独占に対する懸念があること、から、学説・裁判例とも、重複保護を否定する解釈論として段階的創作説(わが国の基準類似のもの)が展開されてきた(注8)。
しかし、2004年の改正で、意匠法は産業保護法として自立し、著作権法との密接な関係を断絶した。以前から、段階的創作理論への批判があったところであるが(注9)、意匠法改正を機に段階的創作説の理論的基盤が失われたと捉える見解も出ている(Eck、Kurら)

以上のように、議論の根には法体系上の位置づけに関する議論があったようだ。
これは日本とは状況が異なる。

■なぜ応用美術の著作権保護に関する議論が続くのか?―単なる法学者の遊び?or部分最適化された知的財産制度への嗜好?
日本やドイツの採る段階的創作論は司法での判断になじみにくいとの思いは少なからず共有されるところだろう。その点で、フランスの割り切りはすばらしい。

さて、ここで立ち止まってみると疑問に思うことがある。
なぜ著作権で保護しない(=権利としては弱める)という議論に、関係の業界は強く反対してこなかったのだろう?
私の認識不足なのかもしれないが、ロビイングの中で強い主張としては見られない。
特に、保護目的が異なるのであるから重複保護が認められても良い、との学説が登場して以降は、もっと積極的に応用美術の著作権による保護への主張が出ても良いはずである。

それを説明する可能性は3つある。
1つめは、マニアの話と思われて無視されていた。
2つめは、主張はあるのだが、人数が少ないまたは組織化が難しく声が届かない。
3つめは、応用美術に関わる方々の中では、自分たちの分野の成果物を保護する内容として著作権は重たすぎる、というある程度のコンセンサスがある。

私の力では検証できないが、もし3つめが成り立っているとおもしろい。
これは荒唐無稽な想定ではないと思う。たとえば、イギリスでは応用美術の保護期間は短く設定されている。

もちろん、著作権の解釈として、保護対象を絞る議論は難しい。シンポジウムでも報告者の間で指摘されていたが、権利内容の調整(権利制限等)を行うことが適切なのだろう。

そうすると、これは分野に応じた望ましい知的財産制度を採ろうとする動きの1つにつながりうるのかもしれない。
ただし、そのように部分的に最適化された制度を採った場合、境界部分では紛争が増えることが難点ではある。そのデメリットまで考えた上で、応用美術の世界にとって著作権の制限が良い制度といえるならば、思い切った議論もいいように思う。

(注1)わが国での解釈論について、本ブログでも拙いながら若干の整理を行っている。「[著作権]応用美術の保護基準―作花説―」(2007年月日記事)参照。
(注2)たとえば、斉藤先生の概説書にこのあたりの話が詳しい。
(注3)たとえば、中山信弘『著作権法』(有斐閣、2007年)が参考になる。
(注4)駒田泰士「フランスにおける応用美術」『早稲田大学・北海道大学グローバルCOEジョイントシンポジウム』(2008年11月29日開催)
(注5)その前提として「特別法は一般法を(当然に)破る」との法理があった。
(注6)いわゆる美の一体性理論。その詳細は、先行研究に当たるべきだが、極めて乱暴に言うと、「美術である以上、創作の程度を峻別することは出来ない」との理論と私は理解している。
(注7)本山雅弘「ドイツにおける応用美術」『早稲田大学・北海道大学グローバルCOEジョイントシンポジウム』(2008年11月29日開催)
(注8)裁判例としてBGH GRUR 1995, 581。
(注9)Schricker, Abschied von der Gestaltungshohe im Urheberrecht?, 1994
posted by かんぞう at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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