2008年10月12日

[つぶやき]ノーベル賞と国籍

産経新聞の報道で面白いものがあった。
ノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎米シカゴ大名誉教授が米国籍を取得していたことを機に、自民党法務部会の国籍問題プロジェクトチーム(PT、座長・河野太郎衆院議員)は10日、二重国籍を認めていない国籍法改正の検討を始めた。南部氏はすでに日本国籍を喪失しているが、ノーベル賞受賞が思わぬ波紋を広げたようだ。
(産経新聞2008年10月11日記事)

自民党の内部の委員会での議事録は公開されていないので、真実は確かめられないが、仮に本当だとすると、ちょっと浮かれすぎだなぁ、という印象を受ける。

ちょっと浮かれすぎなだぁと思う理由は次の2つにある。
○もし南部先生が日本国籍を持っていたとして、うれしいの?
○栄誉を受けた人のいちおうの帰属先は国籍で判断されているの?

■もし南部先生が日本国籍を持っていたとして、うれしいの?
日本生まれの方で、私たちと同じ文化を共有している人が栄誉を受けた。これは嬉しい、と思う人が圧倒的だろう。私もそう思う。とても嬉しい。
この嬉しさには、民族とか文化共同体としての嬉しさがあるのかもしれない。

だけど、国籍の文脈で語るには違和感がある。
国籍の文脈をいうならば、国家として何か意味があるはずだ。

そうすると、国が行った高等教育政策が実を結んだとか、研究開発投資が実を結んだ、とかいうことが背景にあるのだろうか。しかし、日本での高等教育は国籍に関係なく受けられるし(奨学金は国籍要件がある場合が多いが…)、研究開発投資は研究チームの帰属先機関の国籍が問題になっているはずだ(注1)。

国籍の意味としていの一番に思い浮かぶのは、「国際的な権力の関係の中で保護を行う」ということが挙げられるが、南部先生の場合、不当な抑留を受けたとか、ゲリラに捕らえられて困ったとか、そういうこともなさそうだから、その意味もないだろう。

意味があるとすれば国籍がその人の帰属先のラベルとして一般的になっている場合だろうか。そうすると、国籍があることで、国籍付与国に名誉が帰属することになり、国家としては意味がある。

■栄誉を受けた人のいちおうの帰属先は国籍で判断されているの?
では、こういう喜ばしいことの場合、一応の帰属先は国籍で判断されるのだろうか?

おそらくそういう認識が一般的ではあると思うが、理屈の上では疑問がある。

誰かにとっ捕まった訳でもないので、本人が積極的に国籍をいう場面ではない。個人情報の保護は主要国ではうるさくなってきているから、周囲の人も積極的明かさない。そうすると、メディアをはじめとして、識別には常居所を使った方が楽になる。

それに、国籍を付与することは各国に委ねられている。理屈の上では勝手に与えちゃってもOKなはずだ。そうすると、そういう識別方法は当てにならない(あくまで理屈の上では)。

■国として喜ぶべきこと
以上のように、私はノーベル賞を受けた方が元・日本国籍だったのに今は他国籍になっちゃったから、という理由で制度を変える議論に入ることには違和感を覚える。

もちろん、南部先生も下村先生も、いずれも日本が戦後復興期にあって十分な研究開発投資を受けられなかった時代で、しかも、最高の研究環境は求めにくかった時代に研究活動を行われていらっしゃったので、両先生が米国籍だからと言って悲観する必要もない。だけど、日本国として研究に大きく寄与したわけでもないのに、日本生まれでいわゆる日本人(民族としての日本人)(注1)が受賞したからと言って、国として浮かれる必要もない。

もっとも、以上の話は報道が本当だとして、という前提がある。余談で出ていたことを記者さんが面白おかしく書いちゃったのかな、という気がしないでもない。

(注1)そもそもの話として、「民族としての日本人」ってどういうものを指すのだろう、いつの時代が基準なんだろう、という疑問もある。
posted by かんぞう at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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