■事実の概要
詳しい事実はヨミウリオンラインの以下の記事が参考になる。
裁判傍聴記「創作性なし、著作物と認めず」…知財高裁判決
ライブドア事件の公判を傍聴して、証言の概要をインターネットで公開した男性が、「他人のブログに無断で転載され、著作権を侵害された」として、ブログを管理する「ヤフー」を相手取り、プロバイダー責任法に基づき、発信者の個人情報の開示と転載部分の削除を求めた訴訟の控訴審判決が17日、知財高裁であった。
飯村敏明裁判長は「証言を聞いた通りに記したか、ありふれた方法で要約したもので、創作性はなく、著作物とは認められない」と述べ、請求を棄却した1審・東京地裁判決を支持し、原告の控訴を棄却した。
(2008年7月18日00時43分 読売新聞)
上記記事は、事案の正確な理解に必要な重要な事実が全てまとまっている。ここでは全文を引用した。
■創作性判断の面白さ
無断で利用(デッドコピー)された表現は、裁判での一問一答を箇条書きで表現した、1600字程度の分量のものであった。判決において原告の創作性が否定される理由として説明されているのは以下の2要因である。
○短い文章で淡々と記述していた
これは、わかりやすく簡潔にまとめたために、表現選択の余地が乏しくなり、しかも、一般的に見る表現になってしまったために、創作性が失われたというものである。これも、癖のある表現ならば創作性が認められるという点で、面白い。(もっとも、これは仕方ないことではある。)
○原告が記述した記事が、実際の法廷での発言・流れを忠実に再現していた
これは、法廷での当事者の発言を正確に表現したために、原告の創作的表現が加わっていなかったというものである。だとすれば、すばらしい資料を原告を提供していたと評価できるのだが、かえって創作性が認められないことは面白い。(そして、不正確な再現をすると、創作性が認められてしまう。これは仕方ないことであるが、なんとも奇妙である。)
いずれも個別の表現を精査した上での判断となっている。
■著作権と情報利用の調整を図る手法としての面白さ
もっとも、気になるのは「ありふれた表現」ということが判決文で用いられていたらしいということである。以前から「ありふれた表現」という言葉は用いられているが、それらの判決を検討すると、通説的な創作性の理解からは説明できない点があるように思われる。
この疑問に、今年の著作権法学会での飯村判事の発言は次の旨の発言をなさっていた(注1)。
著作物性の要件を厳格化することによる解決は今から考えると適切でなかったかもしれない
本件は、創作性が否定された事案の中でも比較的創作性を否定しやすい事案であったのかもしれない。しかし、引用要件の大胆な解釈などにもいただけたらなぁと思わないでもない(訴訟指揮が大変であろうが…)。まぁ、これは無茶な希望であるが。
(注1)本ブログ、「[著作権]飯村敏明「著作権侵害訴訟における権利制限規定の意義について」報告受講メモ」を参照されたい。



