2012年05月05日

[特許]1980年〜90年の日米貿易摩擦時の知的財産制度問題からの示唆

■TPPの狙い=模倣対策とそのための知的財産権制度のハーモナイゼーション?
渡辺惣樹『TPP 知財戦争の始まり』(草思社、2012年)は、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)と知的財産制度の結びつきの可能性を推論したもので面白かった。
渡辺さんが米国政府発表等を広く分析したところ、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を推進する背景として、莫大な海賊版被害を抑え、農作物の輸出とは比べ物にならないほどの利益を既存の輸出品によってもたらすことが狙いとなっていると推論できるという。そのための手段として、TPPを使って、中国を抑え込み、知的財産権制度のハーモナイゼーションを進めることが意図されている、と渡辺さんは説明されている。

仮にこの推論が正しいとして、米国が求めたい知的財産権制度のハーモナイゼーションとは何なのだろうか。例えば特許法でようやく先願主義(ただし、先発明先願主義)を採用した米国は、日本や欧州から見ると、ハーモナイズすべきはまず米国の制度であるようにも見える。

ここでは、米国政府が求めている可能性がある点を、過去の日米の特許制度問題をアナロジーとして考えてみたい(なお、商標制度、著作権制度も同様に問題になっているかもしれないが、割愛)。

■日米貿易摩擦下の特許制度問題
□米国政府が指摘する日本の特許制度(1990年当時)の問題点

1993年に公表された米国会計検査院のレポート[注1]によると、以下の点が指摘されている。

・日本において特許に関して問題を抱えている米国企業は、米国または欧州で特許に関して問題を抱えている企業の3倍存在する。
・日本において特許に関する問題点として指摘されているものは
 −特許権設定登録までの期間の長さとコスト
  【要因】
  a)特許付与前異議申立制度の存在
  b)多数の特許出願の存在、特許庁の審査官の少なさ
 −特許権保護期間の相対的な短さ(当時、出願公告から15年、ただし出願から20年を超えないものとされていた)
 −パイオニア発明に対する特許権取得の難しさ(異議申立てが殺到し審査が長引いてしまうため)
である。
・特許権のエンフォースメントに課題があるため、米国企業は日本での特許出願を抑えている(ただし、特許に関する問題で事業が不利になっていると回答した企業は少ない)。具体的な課題は、
 −訴訟手続においてディスカバリーがないこと
 −訴訟審理が長期にわたること
 −裁判所が特許された請求項を狭義に解釈すること
 −仮処分命令を勝ち取ることが難しいこと
 −損害賠償額が適切でないこと(合理的な実施料が損害賠償額として認定されるため、侵害をした方が得になってしまうこと。なお、当時、損害額の算定規定、推定規定は存在せず、1999年改正を待たなければならなかった。また、懲罰的損害賠償がないことも言及されている)
 −文化の違いや距離の遠さだけでなく代理人(弁護士)の絶対数が少なく良い弁護士を探すことが容易でないこと、
である。
・ただし、米国企業の中には日本での特許出願方法に工夫をしているものもある。また、欧州企業も日本で同様の問題を抱えているが、欧州企業は米国・日本・欧州の特許保護に満足している。
・これに加えて、特許の洪水(Patent Flooding)問題が生じている。特許の洪水問題とは、外国企業が日本に出願すると日本企業が当該出願に関連する特許を多数出願し、クロスライセンスを求めるものである(しかも、出願の有効性を争うには10万ドル以上のコストがかかるため米国企業には大きな負担となる)。その発生は8件の出願中1件の割合になっている。

□日本の特許制度の問題点は本当に問題点か?
この違いを、米国の一部のジャーナリストは「日本の特許制度の驚くべき実態」であり、「日本が外国の技術を強奪する手段」とすら捉えていた[注2]。
たしかに、特許権設定登録までの期間の長さとコストや特許権保護期間の短さは、今の日本の制度から見ると課題ではあるが、これは研究開発力を有する日本企業にとっても障害になる。エンフォースメントについては、訴訟審理が長期にわたっていたこと、代理人が少ないこと、侵害し得の損害賠償額算定に(当時は)なっていたことは、同様に課題であるが、エンフォースがしやすければよいというものではない。

米国の特許の審査は緩やかであると評価されるが、このことと相まって、特許権のエンフォースが強力な米国では専ら非実施機関(いわゆるパテントトロール)による訴訟が頻発し、問題となっている。Bessen教授らの試算によると、非実施機関により失われている費用は毎年6兆円を超えているという。

また、ディスカバリー制度や、仮処分が得やすい制度は、欧州や日本から見れば米国固有の制度である。
実際、会計検査院の報告書にあるように、欧州企業の多くは問題を感じていない。自国の司法制度に特化しすぎた一部米国企業の問題が、日本の問題として捉えられてしまった感が否めない。

特許の洪水については、外国企業には異議申立のコストが高くなりがちであること、侵害訴訟で特許無効の抗弁ができないこと(キルビー特許事件最高裁判決が出たのは2000年)を考えると悩ましい問題であったことは理解はできる。だが、これは日本の制度に限った問題ではない。米国の特許代理人によって、同様の事例は米国でも存在することが報告されている[注3]。

□米国政府が要求したハーモナイゼーション
以上の指摘された問題点だけを見ると、妥当でない問題提起も含まれているように見える。しかし、実際に提言されたハーモナイゼーションに関する論点は比較的穏当なものだった。司法手続にはほとんど言及がされていなかった。

米国会計検査院のレポートでは以下の制度変更を日本に働きかけるべきと結論づけている。
(1)特許侵害訴訟に限定したディスカバリーの創設すること(GATT=TRIPsを通じた制度改正を働きかけるべき)
(2)出願から20年間の保護を行うこと(GATT=TRIPsを通じた制度改正を働きかけるべき)
(3)英語での出願を認め誤訳があった場合には英語に準拠すること
(4)特許審査の期間を2年以内とすること
(5)特許付与前異議申立制度を廃止すること
(6)12ヶ月のグレースピリオドを導入すること
(7)侵害訴訟において均等論を採用すること

これらの点に関して、日本は制度改正を行っている。要求が受け入れやすいものであった表れではないだろうか。
(1)に対応して:侵害訴訟における被告の行為の具体的態様の明示義務、書類の提出命令(1999年改正)
(2)に対応して:出願から20年間保護(1994年改正:従来は出願公告から15年、ただし出願から20年を超えないものとされていた)
(3)に対応して:外国語出願制度の創設(1994年改正)
(5)に対応して:特許付与前異議申立て制度は1994年改正で特許付与後異議申立制度に変更された(その後、2003年改正で異議申立制度自体が廃止)
(7)に対応して:均等論の採用(1998年最高裁判例『ボールスプライン軸受事件』最判平成10.2.24民集52巻1号113頁。ただし、下級審では一部で採用されていた。)

□現代へのアナロジー
現在、同様の問題は日本企業の中国における知的財産権行使を巡っても生じているように思う。おそらく米国企業も同様の悩みを中国に対して抱えているだろう。米国政府が狙うとすれば、1993年に要求したことと同じようなハーモナイゼーションなのかもしれない。

[注1]U.S. Government Accountability Office, U.S. Companies' Patent Experiences in Japan, GGD-93-126 (1993).
[注2]パット・チョート(著)=橋本硯也(訳)『模倣社会−忍び寄る模倣品犯罪の恐怖』(税務経理協会、2006年)265頁-267頁(原書:Pat Choat, Hot Property: The Stealing of Ideas in an Age of Globalization, Knopf (2005))
[注3]Sri Krishna Sankaran, "Patent Flooding in the United States and Japan", IDEA The Journal of Law and Technology 40 (2000), 393-425.
posted by かんぞう at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆特許 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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