2012年04月25日

[著作権]著作権法学会研究大会(2012年度)個人的なまとめ:(3)討論まとめ

■討論まとめ
本討論のまとめは、主な論点について、筆者がやりとりの要旨と考えられる点をまとめたものである。

□日本の著作権政策形成過程の特徴
本年(2012年)閣議決定された日本版フェアユース規定の形成を例に議論が行われた。主には、法案として示されたフェアユース規定に強い不満が示された。

同改正法案については、最終的な条文が審議会が提示した条文案から後退したとの意見が強いことが紹介された。一般規定として提案されたものが事実上個別規定化した(とりわけB類型は制限事由が縮減され、C類型は個別規定化したように見える)との意見が示された。
審議会段階では、いま問題が起こっていなくても将来への対処が必要であるとの議論であったにもかかわらず、その後修正が行われてしまったこと、しかも過程や根拠が見えていないことが問題として指摘された。また、個別規定となるとそれ以外は禁止されているものと解釈されてしまうため、個別規定化したことは問題であるとの指摘も行われた。
このような修正が行われたことに対しては、改正が必要なポイントに限った改正になろうとする力学が審議会段階から働いていたことが指摘された。具体例として審議会段階で立法が必要な事実を問う質問が多かったことがして指摘された。また、修正に対しては内閣法制局の影響があったとの噂があることが会場から紹介された。
また、知的財産戦略本部でフェアユース規定の検討を求めた意図は、経済力の回復にあり経済発展の道具とすることにあったことが指摘され、その意図が実現しなかったことに不満が占めされた。

併せて、審議会で決定された出版社に対する著作隣接権の付与が、経済団体の反対により未だに実現されていないことが紹介された。

なお、ロビイング自体については、登壇者から、否定的な評価をするべきでないとの意見が示された。

□著作権制度を巡る論点
著作権に表現の自由の規制立法としての側面があるとした場合、何が対抗利益として考えられるかについて会場から質問があった。これに対して登壇者から、著作権制度をインセンティブ論に基づくものとするのであれば、道具主義的な権利とするしかないとの回答が行われた。あわせて、M.Nimmerらが主張するように、著作者が自由な経済主体として表現できる道具として著作権を位置づけ、表現の自由のエンジンとして著作権をとらえる考え方があることも紹介された。
同様に、著作権が経済的財としての側面が強いことを指摘し、対抗的な利益は容易に設定できないと考えられることから、少なくとも立法によって報償請求権が設定されていることがメルクマールとなるとの意見が示された。

また、フェアユースを肯定する利益として表現の自由以外にどのような利益が考えられるかについて会場から質問があった。これに対して登壇者から、表現の自由はフェアユースを表現の自由の枠にとどめることは狭すぎると考えている旨の回答があり、より広い個人の自由と位置付けるべきとの考えが示された。他の登壇者からは、著作物に関するサービス提供者が利用者を代弁しえるが、その場面では権利対権利の戦いにした方がよい、そのためにはフェアユースに権利としての側面を認めた方がよいとの意見が示された。

なお、日本法の私的複製に対する権利制限については、フェアユースを明確化し、私的領域を保護するものとして、米国法から見た場合に評価できる可能性が示されたが、同時に、近年、ダウンロード違法化の議論で私的領域が過剰に制約されるようになってきたと考えられ、課題であることが指摘された。

□著作権改正のために行われるべき取組
著作権課は絶えず新しい現象に追われており、全面改正を行う余裕がない。そのことをふまえ、著作権法学会が検討し、意見を聞くことが必要なのではないかとの意見が会場から提案された。

また、実務家の力が伸びており、知的財産法学者の役割が問われていることも併せて会場からしてされた。
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[著作権]著作権法学会研究大会(2012年度)個人的なまとめ:(2)報告まとめ−大須賀報告、野口報告、田村報告−

■報告まとめ(つづき)
(4)大須賀滋「著作権法形成における判例と学説の協働」

大須賀報告では、カラオケ法理を題材として裁判での運用と学説の差異とその要因について分析結果が紹介された。
まず、従来カラオケ法理に対しては学説上批判が見られたことが紹介された。
近年、まねきテレビ事件(最高裁平成23年1月18日判決 民集65巻1号121頁)、ロクラクII事件(最高裁平成23年1月20日判決 民集65巻1号399頁)が示されたが、これら2つの最高裁判例についても学説との距離が縮まったとは言えないとの考えが示された。

その上で、学説との差異の要因は私的複製行為に対する権利制限規定の評価の違いにあるのではないかとの私見が示された。具体的には、私的複製に対する権利制限は零細的な利用を認めたものであり、複製行為に外部の者が介在することは許されない(加戸・逐条講義 226-228頁)と解釈する立場が有力にある一方、学説の中には権利制限規定を柔軟に解釈しようとする立場があることが示された。

その上で、平嶋教授の考え[注1]を紹介の上、カラオケ法理に関しては、いかなる行為をやめさせるべきかという視点が重要であり、著作権侵害と評価すべき私的利用行為の範囲を確定させた上で、それに対する権利実現の手法として差止範囲の拡張をすべきかどうかが検討されるべべきとの提案が示された。
結論的に、私的複製行為に対する権利制限の考察が進むことが望まれるとされた。なお、零細な理由を裏付けとして正当化する考え方であると、裁判上正当性が担保しにくいのではないかとの疑問が示された。

(5)野口祐子「著作権法における日米のNGOの役割」
野口報告では、米国のNGO/NPOが著作権のライセンス、立法、司法に関して行っている活動が紹介された。

まず、ライセンス活動としてコンピュータソフトウエアのライセンスに関する、Open Source Software License(OSS License)が紹介された。同活動では、強力な"copyleft"の考え方に立つ、GPL(GNU General Public License)が1986年に公表され、以後、より再頒布条件が緩やかなOSS Licenseが複数登場した。
次に、Creative Commons(CC)が紹介された。同活動は、2001年に、著作権延長法案違憲訴訟(Eldred v. Aschcroft→2003年敗訴)を受けて立法・司法に頼らない解決策の中から生まれたものであり、現代のコンテンツの共有が直面する課題である、権利者の所在の不明、原則禁止のルールであること、インターネットへの対応が行われいないこと、を解決することが目指された。
そのうえで、CCの動きは、政策形成過程を補完することが根底の意図であったことが紹介された。加えて、権利者団体に代弁されない権利者の声を可視化すること、著作権をめぐる経済原理が多様になっている(例:『フリービジネス』)ことをふまえ、多様な権利者に共通のルールの提示も目指されていたことが紹介された。
なお、非営利の場合は別途契約とするオプションは2005年に74%が採用していたが、2010年に49%まで低下した。これはインターネットを通じて露出を先行させ、別途の手段で費用を回収するモデルが進行したことの表れであると考えられることが紹介された(ただし、以上の分析はあるサービス(例:Flickr)の提供者が採用したライセンスの影響を受けていることが注意喚起された)。
ただし、ライセンス運動には限界があることも示された。まず、権利者からの能動的アクションが必要であり、また、異なるライセンスが乱立する可能性がある。

次いで、国内立法・条約交渉に関する活動として、Public Knowledge、Electronic Frontier Foundation、POPVOXなどのNPOが紹介された。
これらの組織は、組織化されにくい利益を吸い上げていることが紹介された。例えば、サイトに意見を集約させる取組(POPVOX)では立法状況が集約されているうえ、政策への賛否が投票できる。
近年ではWIPOの条約交渉においてNGOのインプットが一定程度予定されていることも示された。これは欧米で国際合意の形成が不透明であるとの批判をうけたものであると説明さらた。たとえば、ACTAをめぐっては第8回ラウンドからNGOとの交流が設けられた(しかし、2010年の第11回ラウンドでは日本の外務省が直前に日程を伝え事実上NGOをロックアウトした)。ただし、近年、国際交渉はWIPOからバイ、ユニラテラルの国家間交渉に移りつつあることも併せて指摘された。

最後に、米国ではPublic Knowledge、Electronic Frontier Foundationが当事者となり政策的な問題を含んだ訴訟を提起したり、Amicus Brief(両当事者の合意または裁判所の許可の下、意見提出を行う制度)を提出していることが紹介された。

以上を踏まえて日本を見ると、日本ではロビイング・情報提供・ツール提供を行う資源・体力がないことが課題となっていることが指摘された。

(6)田村善之「著作権法の政策形成と将来像」
田村報告では、まず、著作権の立法に着目し、権利制限は細かく規定されているが、例えば企業内で頻繁に行われている零細的な利用については権利制限が規定されておらず、条文と一般に考えられている著作権法の乖離があるといえることが問題意識として示された。
その上で、著作権法立法の過程に着目し、著作権法を強化する方向の改正は、多国籍企業のロビイングを背景とした条約への対応によるものであり、近時は特定の利益団体のロビイングをうけたものになりつつあることが指摘された。その上で、これは拡散した個別的利益は政策形成過程に反映されにくいことによるものと分析された。しかし私人の自由に関わる以上、ルール形成がされるべきであり、形成の場を司法の場に移す必要がある(そのツールが、フェア・ユース規定である)ことが述べられた。

著作権をめぐる司法動向に着目すると、(1)技術的な環境に応じて隆盛を迎えた行為についての規制を解釈で創設することもいとはないが、制限規定の拡大に対して慎重なもの、(2)権利制限の拡張もいとわないもの、の2種があり、一枚岩ではないことが占めされた。
具体例として、引用についてパロディ事件の最高裁判例が一般に参照されるが、これは旧法下のものであるとして別の要件を示す裁判例がある一方で、同判例を基準とする裁判例もある。近年は、美術鑑定書事件(知財高裁平成22年10月13日判決平成22(ネ)10052)では米国フェアユースに似た判断要素が列挙された。ただし、同判決では著作権者の権利の保護に資することが目的に含まれているとしており、射程は広くない。写真で見る首里城事件では、損害の額が軽微、多額の投資があることを理由に差し止めを認めないとの判断が下された。
しかし、まねきテレビ、ロクラク事件最高裁判決を見ると、条文上の権利を広げる方向で解釈しているように見えると指摘された。権利者の利益はすでに立法過程において反映されているため、このような方向性は立法過程を鑑みると妥当でないとの考えが示された。

次に社会環境の変化について次のようにまとめられた。
20世紀半ばまでは複製を行うには相応の投資が必要であり、事実上、競業規制であった。しかし、複製技術の普及により著作権が私人の活動を規制する権利になってしまった。また、監視が困難になり権利の実効性を欠くようになった。
インターネットの時代が登場することによって、他人の著作物の利用をする機会が増えただけでなく、利用できる著作物が増えた(私的な著作物も現実に利用可能になった)。
このような中、利用される著作物の中で著作権処理のコストにみあう利益を得ているものは減少した。権利者の意識も二分した。

このような状況、すなわち、大量利用・アクセスに対応するにはProperty Ruleでは難しいことが指摘された。検索サービスでの複製に対する権利制限に対して当時の山下和茂著作権課課長は講演(コピライト誌に掲載)で、検索サイトでの複製は権利者側から問題視されたことがなかったにもかかわらず、学者・弁護士が騒いだこと、経済産業省の要望があったため改正に至ったと述べていたが、現状の適切な認識ではないと批判された。これは検索サービスの利用はTolerated Use[注2]であり、リスクがあるため利用が進まない場合であるためである。

結論的に、著作権法の構造的課題は、零細的利用と孤児著作物問題であると考えられることが示された。
このうち、孤児著作物問題については、権利者の意思表示があればCreative Commons Licenseで対処できるが、関心がない著作者に対しては手のうちようがないことが指摘された。対策としては、政策形成下でアクションを取ることができる側にアクションを起こさせる制度にデフォルトを変更してしまうことが考えられることが示された。典型例が米国旧法下での登録制度である。

法学、経済学、政治学の相互の成果の活用が必要であることが最後に指摘された。
[注1]平嶋竜太「著作権侵害主体の評価をめぐる議論について−私的利用領域の拡大と差止範囲確定の視点から」野村豊弘ほか(編著)『現代社会と著作権法 斉藤博先生御退職記念論文集』(弘文堂、2008年)
[注2]Tim Wu,"Tolerated Use", Columbia Law&Arts Journal 31 (2008):617.
posted by かんぞう at 01:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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