2010年05月29日

[著作権]電子出版で出版社は権利の一部譲渡を受ける交渉をする余地ができた

2010年6月4日修正

Kindleに続いてiPadが発売され、電子出版がいよいよ加速する可能性が出てきた。
出版社側には単なる媒体の変化と捉えず、ビジネスモデル変革の機会と捉えている様子もうかがわれる。その中で、新たなビジネスモデルを守るためにも、これまでのビジネスモデルを守るためにも出版権の強化や著作隣接権の創設を求める意見が出版社側からは挙っている(注1)。

だが、本当に制度をいじる必要があるのだろうか?第三者の著作権侵害に対応するのであれば、思い切って著者と著作財産権を共有すればよいのではないだろうか(注2)。そのような手は使えないのだろうか?

ここでの結論は、これまでの慣習からそのような著作財産権の取得が難しかったものとの推測に留まる。が、そうだとした場合、電子出版がその慣習を打ち破るきっかけになるのではないかとも思う。

以下では、(1)出版社は共同著作者になることができないのか?契約で著作権の持ち分の一部譲渡を受けることはできないのか?、(2)慣習を打ち破るために電子出版をどのように利用するか?、について考察する。

■出版社は共同著作者になることができないのか?契約で著作権の持ち分の一部譲渡を受けることはできないのか?
そもそも出版社は共同著作者になる可能性はないのだろうか。出版社の機能、出版社が提供する付加価値から考えてみたい。

まず、出版社サイドからは、出版社の機能として、
1)才能の発見を行うことができる
2)権利の束としての性格がある出版物の利用にあたって窓口となり、かつ、調整役となることができる
等の点が挙げられている(注3)。

また、
3)情報の責任の所在を明確にしており読者の安心が担保できる(場合がある)
4)編集、装丁により著作物の価値を向上させる、あるいは著作物が伝えようとしている思想・感情をより引き立たせる(場合がある)
というところもあるように思われる。

このうち、(4)に着目すれば、出版社の編集作業は創作的な表現活動にあたる場合があるように思われるのである。

しかし、実際にそのような扱いをしている出版社は少ない。慣習として「編集なんてそれほどの価値はない」という謙虚な思いがあるのだろうか…。

契約で著作権の持ち分の一部譲渡が行われている、という例も、委員会制作方式の映画以外では聞かない。だが、出版社が著作物に付加価値を与えているならば、きちんと著者との間で交渉してよいし、するべきだと私は考える。もし仮に、それほどの付加価値を与えていないとするならば、そんな出版文化は守っても仕方ない。だが、出版社の付加価値はそのように低いものではないと私は信じている。
※ (2010年6月4日追記)この点について、編集者は創作的な活動に関わっていると言えるが、出版社名義で著作物が公表されていることはあまり多くなく、原始的に著作権を得ることは難しいとの指摘を頂戴した。
ご指摘の通りであり、著作者表示に関する慣行を変更しない限り原始的に著作権を取得することは難しい。
また、一部譲渡は、権利移転の事実を登録する必要があるため容易には進んでいないと考えられる。浅い分析であったこと、恥じいる次第である。

■慣習を打ち破るために電子出版をどのように利用するか?
では仮に出版業界がこれまで謙虚であったために、著作者から権利の一部の委譲ができていなかったとしよう。その打開策はないのだろうか?

私は電子出版によって、出版社がその付加価値を著者に示すことができる機会となると考えている。

電子出版では次のような実験が容易である。
・出版社が従前通り付加価値を与えたものを電子出版する。
・同時に、出版社が何ら付加価値を与えていないものを電子出版する。(その際に、付加価値をつけるために要した費用と等価の価格差を付けることが妥当である(注4))

もし出版社が適切な付加価値を生じさせており、かつ、読者が適切に出版社の付加価値を評価しているのであれば、前者がより好まれるはずである。こうすることで著者は出版社のありがたみを感じるだろう。

上記のような行動は実は単なる実験に留まらず、購買層をセグメント化し、上位層には高付加価値の電子書籍を、中位層以下にはお手頃な電子書籍をそれぞれ提供する、というビジネスモデルと置き換えても良い。

(注1)日本書籍出版協会「 知的財産戦略の推進についての意見」日本書籍出版協会Web(2010年)、平井彰司「出版の現在」文化審議会著作権分科会基本問題小委員会(平成22年第2回)資料1、文化庁Webサイト(2010年)。
(注2)もちろん著作権法64条によって共有著作権者全員の合意がないと権利行使ができないため、契約によりオーバーライドしておく必要はある。いずれにせよ契約で対処可能である。
(注3)前掲注1・平井。
(注4)電子出版の場合、限界費用が0に限りなく近いので価格差の付け方は難しいが…。
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2010年05月24日

[その他]米国連邦最高裁判事交代を巡っての雑感

日本とアメリカでは裁判官の任用システム、任期が違う。同様に、メディアでの取り扱いも違う。連邦最高裁判所の交代にあっては報道が過熱する点が面白い(注1)。

この6月(または7月)に引退するStevens判事は、最近の知的財産関係の事件では次のような意見を述べているので、印象に残っている方も少なくないだろう。

判事は、既存であるか将来発生するものであるか限定をしていない著作権の保護期間の延長を定める著作権法改正(Sonny Bono Copyright Term Extension Act)の、連邦憲法への適合性に関する裁判の最高裁判決(注2)において、「著作権条項の真の目的は私的利益の保護ではなく、一般公衆の著作物へのアクセスを保証する点にある」と述べ、「事後的に保護期間を延長することは公共の利益を過度に制約する」との反対意見を述べている。

先日、オバマ大統領が最高裁判事候補に指名したKagan司法長官は、これまで判事経験がないため、どのような判断をすることになるか傾向が読めないところであるが、報道によると「学生時代からリベラルと保守の間を調整することに長けた人物」とのことである(注3)。このことが評価されて保守とリベラルの断絶があったハーバード大学でも学長を任されたという。

かつではシカゴ大ロースクールの教授もしていたKagan氏の学術的業績を見ると表現の自由(とくに公的な立場と表現の自由)を専門の一つとしているようだ。

著作権に関わる論点では表現の自由との関係が問題になることが少なくない。ロークラークに任せきりにせずに、判事自身が力を入れた判決が出てくるかもしれない。

(注1)制度の違い、温度感の違いについては、朝日新聞のWebサイトの特集記事が詳しいし参考になる(「第27号 日米最高裁、少数意見が社会を変える」朝日新聞グローブ(2009年))。
(注2)Eldred v. Ashcroft, 123 S.Ct. 769 (2003)
(注3)Jeffrey Rosen, "Now Playing For Center Court", TIME Asia, May 24; 2010, 29-30.
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2010年05月23日

[知財一般]オープンイノベーションで取り込むべき相手としてのリードユーザー

オープンイノベーションの言葉はやや使い古されてきた感があるが、単にbuzzwordで終わらせるのでなく、垂直統合型の製品/サービス開発に固執してしまいがちな組織には、よい頭の刺激を与える言葉であると思う。

さて、オープンの相手は誰か?ということについて、シーズを持つ者だけではないということを示唆する資料があったのでまとめておく。

LIlien、von Hippel教授らが、3M社の協力の下、同社のアイデア創造プロジェクトから生まれた製品コンセプトについて事例調査を実施した結果では、リードユーザーのアイデアによる製品コンセプトの方がより新規性があり、高い売り上げに結びつくと予想されており、追加的な製品改良に留まらない、新しい製品ラインを構成するものと理解されていることが示されている(注1)。

具体的には、3M社はリードユーザーのアイデアを取り込むプロジェクトと、そうでない従来型のアイデア創造プロジェクトがある中で、両者の成果の製品コンセプトを比べると、5年後の売り上げ高予測は8倍以上の差があるものとなり、そのすべての製品コンセプトが新しい製品ラインを構成するものとなると評価されていたとのことである。

von Hippel教授が指摘するリードユーザー・イノベーションの事例は、ソフトウエアや、スポーツなどの娯楽用品に関するものが多く、その射程についてはさらに検討が必要であると思うが、von Hippel教授が理論的に整理しているところに従えば、ユーザー側が自身の持つニッチなニーズに根付いたイノベーションを推進する可能性はどの産業分野にも当てはまるように思われる。

(注1)リック=フォン=ヒッペル(著)・サイコムインターナショナル(訳)『民主化するイノベーションの時代 メーカー主導からの脱皮』(ファーストプレス、2006年)181頁(Eric von Hippel, Democratizing Innovation (Cambridge: The MIT Press, 2005))
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2010年05月22日

[知財一般]新設された「国際標準化戦略タスクフォース」のミッションに「仕分け」を行う余地がないような運用を望む

知的財産戦略本部が2010年4月22日に設置した「国際標準化戦略タスクフォース」について、私は疑問を感じている点がいくつかある。運用によっては解消できると思われるので、素人考えながら懸念点を整理して、望ましい運用を巡る議論の基礎としたい。なお、2010年5月22日段階においてインターネット上では懸念が示されていることはないので、私の杞憂かもしれないことはご容赦頂きたい。

■知的財産戦略本部 国際標準化戦略タスクフォースのミッション
知的財産戦略本部の資料(注1)によると、第一に「国際標準化特定戦略分野」を決定することとされている。報道(注2)によると、
1)次世代自動車
2)先端医療
3)省エネや電池などのエネルギーマネジメント
4)水
5)鉄道
6)クラウドや3Dなどのコンテンツメディア
7)ロボット
に決定されたようだ。

これからのミッションは、同じ知的財産戦略本部の資料では以下のように記されている。
知的財産戦略本部において「国際標準化特定戦略分野」が決定された後は、各府省・民間における各分野の戦略策定を支援するため、次のことを行う。
a) 各分野の戦略を策定する際の基本的な考え方を提示する。
b) 各府省・民間における戦略策定プロセスについて必要な指導・助言を行う。
c) 各府省・民間が策定した各分野の戦略案を企画委員会に報告する。


■国際標準化戦略タスクフォースのミッションへの懸念
国際標準の策定はそれぞれの企業がそれぞれの思惑を持って臨む、ある種、政治的な場である(注3)。そのような場で国がリーダシップをとることはどれほど必要で、適切なのだろうか。

国際標準化戦略タスクフォースのミッションはまだ詳細化されているとは言えないものの、私は、以下の5つを懸念する。
・戦略に関する情報が漏れ、交渉上不利になる可能性が生じるのではないか。
・どの企業(あるいはコンソーシアム)の戦略を国として採用するかについて、公正に決めることは難しいのではないか。
・仮に国として特定の戦略を採用した場合に日本企業が単一の方向性にまとめられてしまい、標準化に失敗した際や、ビジネスとして失敗した際に脆弱になる懸念があるのではないのか。
・官が関わる場合、透明性が求められることとなるが、透明性は私的な経済主体の駆け引きの場では足かせになりうるのではないか。
・官が関わる場合、標準化することが望ましくないと判断できる場合に、撤退することができるのか。標準化しないことも戦略であるが、標準化を作ることが自己目的化しないか。

そもそも、標準化戦略策定になぜ官が関わらなければならないのか、なぜ民間では出来ないのか(あるいは上手くいかないのか)が明確に示されていないように思う。この考え方は事業仕分けで通底していたはずである。ミッションを具体化する際には、一つ一つ仕分けに耐えられるようにした方がよい。

なお、最後に付け足しておきたいことがある。標準化に関しては「海外でも官民一体となっている」とのことが理由となっている点がタスクフォース設置の理由の一つとなっているが、海外ではそれは民間が決めたことを政治家が売り込みの支援をしているだけなのか、それとも役所がリーダシップをとって主導しているのか(そしてそれは役所がリーダシップをとったから上手くいったのか)を見なくてはいけないのではないだろうか。

(注1)知的財産戦略本部 国際標準化戦略タスクフォース「国際標準化戦略タスクフォースのミッションについて」(2010年)
(注2)日本経済新聞 2010年5月21日朝刊5面「自動車・先端医療など7分野、国際標準化を後押し、政府の知財推進計画」
(注3)原田節雄『世界市場を制覇する国際標準化戦略―二十一世紀のビジネススタンダード』(東京電機大学出版局、2008年)、山田肇『標準化戦争への理論武装』(税務経理協会、2007年)参照。
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2010年05月21日

[著作権]違法ダウンロード行為を抑止するために日本版三振(スリーストライク)アウト制を導入するとしてもISPによる自主的な取り組みを促すためには解決しなければならない課題

著作権の権利者団体の方がいわゆる違法ダウンロード行為(無許諾でアップロードされた著作物をダウンロードする行為)を抑止するために、日本版三振(スリーストライク)アウト制の導入を求めていく、と発言されたことを受けて、ここ半年、三振(スリーストライク)アウト制について議論が活発化している。

■三振(スリーストライク)アウト制度への批判
著作権を侵害するアップロード行為を抑止する手段を超えて、違法ダウンロード行為を抑止する手段として、三振(スリーストライク)アウト制を選択肢とすることについては以下のような批判がある。
1)インターネットとの接続を遮断することに伴う基本的人権の侵害が、著作権侵害を抑止することに伴う社会的利益と釣り合わない可能性がある
2)著作権侵害行為に対して国際的に手厚い救済手段があるにもかかわらず、さらに過剰な保護を与えることは合理的でない(もっとも、これは現在のところ刑事罰が科されていない違法ダウンロード行為には、有力な理由にはならないかもしれない)
3)家族、ルームメイトの1人が違法ダウンロードを行っていた場合に、そのISPを共同して利用していた人の表現、情報受領を妨げてしまうことは妥当でない(過剰な私的差止行為となる懸念)(注1)
4)著作権者にとっても負荷が大きい(注2)

1)、2)は価値判断にゆだねられるものであり直ちに結論を出すことはできないが、3)は立法にあたって十分に留意する必要があるだろう。

他方、4)については、インターネットサービスプロバイダー(ISP)側が自発的に著作権侵害をチェックする仕組みがあればよい、との意見もあると思われる。しかし、そのような反論に対しては、私は新たな課題として、
・ISP側が自発的に違法DLを監視し、接続を遮断することは現行法上期待しにくい
ことを指摘したい。

■ISP側が自発的に違法DLを監視することは現行法上は法的に期待しにくい
前述のとおり、著作権者の負担を軽減するには、ISP側が自発的に違法ダウンロード行為をチェックすることが求められることが推測される。

ISPが一方的に違法ダウンロードかどうかは判定できないため、おそらく違法にアップロードされた著作物のデータを特定し、当該データを含むダウンロード行為があったかをISPに判定させる、というスキームが想定される。(以下、この想定のもと議論を展開している点に留意いただきたい。)

その場合、ISP側はパケット解析をしてチェックを行うことが一般的になるものと思われる。その場合、単にアクセス先だけでは違法ダウンロード行為がどうかわからないため、パケットの内容を解析(ディープ・パケット・インスペクション(=Deep Packet Inspection(DPI)))することになる。

しかし、違法ダウンロード行為を自動的に判定するためにDPIを実施することは、通信当事者(この場合は、違法ダウンロード行為者と当該著作物がアップロードされているサーバー間)以外の者が積極的意思をもって通信の秘密を知ることになる。このようなことを行ったISPは電気通信事業法179条にいう「電気通信事業者の取扱中に係る通信の秘密を侵す」行為にあたると考えられる。

著作権者の利益を守るための行為であるから、正当防衛にあたると見ることもできるかもしれないが、憲法に定める通信の秘密を具体化したと解釈できる電気通信事業法の規定を正当防衛で一蹴できるかについては容易に判断しがたい。ISP事業者にとってはコンプライアンス上のリスクとなろう。ISP側の自発的な違法DLの監視を期待するのであれば立法上の対処をしておくことが望ましい。

もちろん、事前に通信当事者の同意を得ていれば電器通信事業法179条の問題は生じないが、「ホームページ上の周知だけであったり、契約約款に規定を設けるだけであったりした場合は、有効な同意があったと見なすことは出来ない。」との理解が一般的である(注3)。そうであるならば、事前に契約者に明確な同意を求めることとなると思われる(注4)が、違法ダウンロードを意図している者であれば、合理的にはそのような同意をしないであろうし、また、同意を求めないようなISPと契約することになるだろう。同意を求める場合、監視は実効的に機能しない。

このような事態を防ぐには、違法ダウンロードを監視するためのDPIを実施することを同意したユーザーとのみ契約することをISPに一律に求める立法を行うことも手であるが、これは国が間接的に国民の通信の秘密を侵すことになりうると思われる。憲法上の論点を整理する必要が生じることとなる。

■結論
違法ダウンロード行為を抑止するために日本版三振(スリーストライク)アウト制を導入するとしても、同制度では著作権者の負担は小さくない。これを解消するために、インターネットサービスプロバイダー(ISP)側が自発的に違法ダウンロード行為をチェックすることを期待する意見もあるかもしれないが、チェックのためにISP側がディープ・パケット・インスペクション(DPI)を実施することは、法的な課題があるため、自主的な実施を期待することは難しいと考えられる。

通信当事者の同意がない場合、電気通信事業法違反になりかねず、ISP側は実施することをためらうであろうから、自発的なチェックは実施されにくいと考えられる。また、通信当事者の同意があったとしても合理的には違法ダウンロードを行うような者しか同意していないと考えられるため実効性は担保されないだろう。

□参照
追記:
知的財産戦略本部 コンテンツ強化専門調査会 インターネット上の著作権侵害コンテンツ対策に関するWG「インターネット上の著作権侵害コンテンツ対策について 報告書(案)」(2010年5月)では、三振(スリーストライク)制度について継続的な検討を行う必要性があるとして、以下のようにまとめられている。

そのなかでISPの自主的な取組を期待する向きもあるが、過大な期待は出来ないであろうことを私は指摘したい。
 インターネット上の反復的な著作権侵害行為への対策として、フランスや韓国などでは、数回の警告を経た上でインターネットへの接続の制限(接続の遮断)やアップロード等のアカウントの利用の制限(アカウントの停止)を行う制度(いわゆる3ストライク制度)が導入されている。
 常習的で悪質な侵害者に対して、社会全体で取り組むことは重要な課題であり、また、こうした制度は特にファイル共有ソフトを通じた侵害には有効な対策であるが、実効性の確保の観点、自由の一定の制約とのバランスとの観点等について課題があり、現行制度における警察の取り締まりによる効果、諸外国における実施状況とその効果等も見極めながら、さらに検討を行う必要がある。
 なお、一部プロバイダは、自主的な取組として、プロバイダと利用者の契約約款において、侵害行為者に対してプロバイダがインターネットへの接続の制限等の必要な措置を取ることを定めている。こうした自主的な取組は重要であると考えられるが、通信の秘密との関係で許容範囲が明確でないため、その許容範囲の明確化や手続きも含め、検討する必要がある。

(注1)heatwaveさんのブログ記事「日本版スリーストライク法に断固反対する」『P2Pとかその辺のお話@はてな』(2009年12月16日記事)
(注2)小倉秀夫弁護士のブログ記事「スリーストライク法導入を検討するよりアップローダー対策した方が効率的では?」『benli』(2009年12月21日記事)
(注3)一例であるが、『利用者視点を踏まえたICTサービスに係る諸問題に関する研究会 第二次提言(案)』総務省Webサイト(2010年)54頁-59頁(右報告書は、DPI技術について法的検討を加えている(もっとも、より公共の利益とは関わりのない行動ターゲティング広告について検討を行ったものである)。今後、最終提言が公表される見込みである)。
(注4)余談となるが、私は実効的な同意の取得は可能であると考える立場にある。DPIについては別の機会で整理したい。
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2010年05月20日

[特許]無償で発明を公開する背景

ソフトウエア技術を中心に、ユーザー側が発明を行い、しかもその発明を無償(ただし、オープンソースソフトウエア(OSS)のように無償ではあるが、その他の製薬条件が科されていることがある)で公開する動きは既に定着している。MITのvon Hippel教授の研究によると、オーストラリアでの図書館の蔵書検索システムやTechnicon Corporation社の血液分析機器においても、同様の現象があったことが紹介されている(注1)。

独占的利益を得ることとは対極的な行為にある、この無償で発明を公開する背景を考えてみたい。

■ユーザーによるイノベーションを無償公開する理由(von Hippelの分析による)
ユーザーにより達成されたイノベーション(またはインプルーブメント)の成果は、以下の理由から無償で公開されやすいことがvon Hippel教授らによって指摘されている。
・メーカーにそのイノベーションを採用させやすくする
・自らの環境に最適化したイノベーションを普及させることで有利な立場に立つ
・名声を得る
また、ユーザーにより達成されたイノベーションが細分化されたニーズを反映している場合、当該イノベーションの成果を公表してもユーザー側の競争力をそがない(注2)ということも無償公開の要因となる場合あるようだ。

また、同教授が行ったゲーム理論モデルによる分析からは、ユーザーが起こしたイノベーションについては、何らかの模倣から守ることは合理的な選択肢でないことも指摘されている(注3)。

■von Hippelの分析は日本でも妥当するか?
もっとも、同じことが日本で直ちに当てはまらないのではないか、と私は考える。

日米で特許制度の効果に対する認識が異なっており、発明を無償で公表しないことの効用への評価に差異があるのではないだろうか。

米国では、製薬・化学分野を除けば、古くから特許制度の効用はあまりないと捉えられている。たとえば、1987年に異なる業界の650人の研究開発担当幹部にアンケートを実施した調査結果によると、化学・製薬業界からの回答者以外の全員が特許を「比較的効果がない」と判断していたことが紹介されている(注4)。

また、1994年に実施された日米企業に対する質問表調査では、イノベーションにより生み出される利益を回収するために特許が有効であるとの回答が米国企業に比べ日本企業で多かったことが指摘されている(注5)。

このことから考えると、日本ではユーザー側が自らが起こしたイノベーションの成果を特許権によって保護し、それを材料としてメーカーに交渉を持ち込むことが起こりやすいのではないだろうか。

(注1)Dietmar Harhoff, Joachim Henkel and Eric von Hippel, "Profiting from Voluntary Information Spillovers: How Users Benefit by Freely Revealing Their Innovations." Research Policy 32 (2003):1757.
(注2)ここでのユーザーは例えば、製造機械のユーザーであると想定すると理解しやすい。
(注3)supra note 1:1768.
(注4)Richard Levin, Alvin Klevorick, Richard Nelson and Sidney Winter,"Appropriating the Returns from Industrial Research and Development." Brookings Papers on Economic Activity 3 (1987):783-832.(原文未入手。エリック=フォン=ヒッペル(著)・サイコムインターナショナル(訳)『民主化するイノベーションの時代 メーカー主導からの脱皮』(ファーストプレス、2006年)113頁(Eric von Hippel, Democratizing Innovation (Cambridge: The MIT Press, 2005), 84)からの孫引き。
(注5)Wesley M. Cohen, Akira Goto, Akiya Nagata, Richard R. Nelson and John P. Walsh, "R&D spillovers, patents and the incentives to innovate in Japan and the United States." Research Policy 31 (2002):1349-1367.
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2010年05月19日

[特許]発明者に「技術で勝ってビジネスで負けないようにさせるインセンティブ」を与えるためには

ここ1ヶ月、なかなか知識の充電が進んでいなかった。反省…。

日本の職務発明制度(特許を受ける権利をあらかじめ定めた規定等によって使用者に承継させる代わりに、「相当な」対価を求めること)は経営側にも知的財産部門にも評判が良くないように感じられる。
経営者からすると、「ビジネス上のリスクをとって利益を上げたのに…」という思いが、
知的財産部門からすると、「特許を権利化するにあたって自分たちの貢献は小さくないのに…」という思いが、それぞれあるのは自然なことだと思う。

後者については、いわゆる特許の法的な質を上げることが特許権による収益にどの程度貢献したかが定量的に明らかでないことが要因であるし、それが明らかになると「相当な」対価の算定も納得性の高いものに近づくように思われる。

ただ、前者についてはいかんともしがたい。対価算定の在り方をめぐってはまだまだ議論のあるところとなるように思う。

では、そもそも「相当」の対価算定にあたって、現行法の下ではどのような枠組みが良いのか考えてみた。

裁判例を俯瞰すると多くの場合、当該特許権を用いた事業により生じた、または、生じるであろう利益に基づいて対価の算定がなされている。この算定方法を違う角度から眺めると、発明者にとって、当該特許権を用いた事業がうまくいくようにさせるインセンティブを与えているものと評価することもできる。特に、製薬・化学産業を除けば、一つの製品に複数の発明が関わってくることが当然となっている。事業により生じた利益を分配するようにしておけば、周辺技術やより改良した発明を発明者に促すことになる。ひいては産業発展にもつながり、特許法1条に定める適合するように思われる。

他方、事業により生じた利益を分配する手法であると、特許化に失敗した場合や事業に失敗した場合に発明者に対価が分配されないことが公平に反すると評価する意見もあるとは思う。そのような評価に基づいて、同等の技術であればいくらであったか、という仮想的な特許権の価値に基づき算定を行う方法もあるかもしれない。しかし、これだと追加的な発明を促進しない。

ここから、裁判所がポリシーレバーを握るならば、仮想的な特許権の価値に基づき算定を行う方法を裁判所は採らない方がよいということができ、企業も労使の間で対価の約定をするときはそのような方法をとるべきでないと言える。

…とまぁ、結論としては当たり前なのであるが、そんな議論を目にしたことがないので、つぶやいてみた。
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