2010年04月14日

[特許]Patent Failureでの日本でのあてはまりを考える際の留意点

■Patent Failureは普遍的に妥当するのか
企業の株式市場での価値にもとづき特許の価値を推計し(注1)、そこから1件あたりの特許の価値を導くと、製薬・化学産業を除く産業では特許1件当たりの訴訟コストの方が特許1件あたりの価値を上回ってしまっている、という研究成果がBoston大学のBessen教授らから示されており(注2)、日本の政策検討にあたっても2年前の段階で参照されている(注3)。

読者の方には当たり前と思われる方が少なくないことと思われるが、訴訟コストの国による違いは大きく(図1参照)、とくに米国の訴訟コストが高いことを考えると、Patent Failureは特許制度に普遍的に当てはまるものと直ちに言えるものではないと結論づけることが出来る。
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(出典:WIPO, WIPO Magazine, Febrary 2010, p.19に基づき筆者作成)

図1 特許侵害に関する第1審の訴訟費用の一般的な上限(代理人費用を含む)


■日本はPatent Successと言える可能性はあるか
古くから日本企業は特許制度が技術の専有に有効な手段と考えており、少なくとも米国企業との対比においては確実に有効性を評価している(注4)。
Mark Lemley教授が指摘する米国特許法の改善すべき点を見ると、いずれも日本の特許制度が改善例を実践しているようにも見える(注5)。
こう考えると、日本はPatent Successといえる部類に入るのかもしれない。

しかし、この具体的な現れとして、特許出願件数が多いことを挙げることにはためらいがある。

Bessen教授が指摘(注6)されるように、米国では訴訟のコストが高いにもかかわらず特許取得が多数行われている。第三者からの攻撃から守るために特許出願を行う、ということが行われており、社会から見ればパレート効率的でない行為が各特許出願人により行われていると評価出来る。

同じ事が日本でも当てはまっている可能性がある。

実際、訴訟費用と特許出願への積極性(代理指標としてGDPあたりの特許出願件数を設定した)を取る(図2参照)と、訴訟費用は必ずしも特許出願件数を抑制する一義的な原因となっているようには見えない。
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(出典:筆者作成(注7))

図2 特許侵害に関する第1審の訴訟費用の一般的な上限と特許出願への積極性の関係


一般的な損害賠償額や権利の安定性などを加味しなければ評価出来ないものと考えられる。

(注1)手法はJames Bessen, "Estimates of Firms' Patent Rents from Firm Market Value", Boston University School of Law Working Paper No.06-14, 2007 available at SSRN Website
(注2)James Bessen & Michael J. Meurer, Patent Failure: How Judges, Bureaucrats, and Lawyers Put Innovators at Risk, Princeton University Press, 2008, p.138
(注3)イノベーションと知財政策に関する研究会・特許庁『イノベーション促進に向けた新知財政策 報告書』(2008年)79頁 available at JPO Website
(注4)1994年に日米企業に対する調査を行った結果、イノベーションの専有可能性を確保する上で、米国では日本よりも特許以外の方法が有効とされていることを明らかにしたものとして、後藤晃・永田晃也「イノベーションの専有可能性と技術機会:サーベイデータによる日米比較研究」文部科学省政策科学研究所 Report No.48(1997)、Wesley M. Cohen, Akira Goto, Akiya Nagata, John P. Walsh. Richard R. Nelson, " R&D Spillovers, Patents and the Incentives to Innovate in Japan and the United States", Research Policy 31, 2002。
(注5)拙稿(本ブログ2010年1月1日記事)「[特許]2010年は「特許権の無視」をしない年にしたい
(注6)前掲注3・イノベーションと知財政策に関する研究会・特許庁79頁。
(注7)訴訟費用額はWIPO, WIPO Magazine, Febrary 2010, p.19に基づき筆者算出、GDPはUN, National Accounts Main Aggregates Databaseに基づき筆者算出、特許出願件数はWIPO Statistics Database, December 2009。
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2010年04月13日

[意匠]意匠法24条2項の導入が禁反言法理に影響を与えるものでないことを明示した事例

〔ウェッジソール事件〕大阪地判平成21年11月5日 平成21年(ワ)第2726号(最高裁判所Weサイト 知的財産判例集掲載)
大阪地裁第21民事部
キーワード:意匠法24条2項、意匠の類否判断手法、禁反言

■事案
ウェッジソールに係る意匠の意匠権(意匠登録第1339016号、平成19年9月4日出願、平成20年8月1日登録。以下、原告意匠権といい、意匠権に係る意匠を原告意匠という)を保有する原告(X)が、被告ら(Y1、Y2)の輸入・販売するイ号物件がXの意匠権を侵害するとして輸入等の差止を求めた事案。
なお、原告意匠は筒部が5段になっているが、被告イ号物件は筒部が3段になっていた。
また、原告意匠に係る出願に対して公知であることを理由とする拒絶理由通知が下された際に、被引用意匠の筒部が3段であったが原告意匠は筒部が5段であることを強調し両者が類似しないことを強調していた。
さらに原告は原告意匠と同日に出願し、原告意匠の関連意匠としなかった意匠において筒部を3段とする意匠を採用していた。(下図参照)
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図 原告意匠および原告出願意匠(参考)(出典:特許電子図書館 意匠公報)


■争点
以下の2点である。

(1)イ号物件は原告意匠に類似するか
なお、被告は複数の公知意匠が筒部が3段構造となっている点を指摘し、要部を筒部の段構造にあると主張している。他方、原告は段数の違いは共通点が与える美観を凌駕するものでもなく、また、意匠法24条2項制定(平成19年4月1日施行)後、物品の特定の部分をもって意匠の要部であるとする考え方は採用できないと主張した。

(2)原告の主張はいわゆる包袋禁反言にあたるか
前述の通り、原告は原告意匠に係る出願に対して公知であることを理由とする拒絶理由通知が下された際に、被引用意匠の筒部が3段であったが原告意匠は筒部が5段であることを強調し両者が類似しないことを強調していた経緯があり、イ号物件と原告意匠の類否の場面で段構造の違いの影響が小さいとすることは包袋禁反言にあたると被告は主張した。

(3)原告意匠権は無効事由を含むか
仮にイ号物件と原告意匠の類否の場面で段構造の違いの影響が小さいならば、そもそも原告意匠は公知であったと被告は主張した。

■判旨
結論として原告の請求を棄却した。

□(1)類否について
意匠の類否を判断するにあたっては、意匠に係る物品の性質、用途、使用態様、さらには公知意匠にない新規な創作部分の存否等を参酌して、意匠に係る物品について需要者の注意を惹きつける部分を意匠の要部として把握し、両意匠が要部において構成態様を共通にするか否かを中心に観察 して、両意匠が全体として美感を共通にするか否かを判断すべきものである。
原告は、意匠法24条2項制定後は物品の特定の部分をもって意匠の要部であるとする考え方は採用されないなどと主張する。意匠法24条2項は、意匠の類否判断が「需要者の視覚を通じて起こさせる美感」の類否に基づいて行われる旨を定めているところ、この観点でされる美感の類否判断の手法として、需要者の視覚を通じて起こさせる美感の観点から上記事項を参酌して本件意匠の要部を把握し、被告意匠がその要部における構成態様と共通するか否かを判断することは、むしろ同条項の趣旨に沿うものであり、かかる判断手法が同条項により排斥されたものとする根拠はない。
以上のように述べ、筒部の段構造が要部であるとしたうえで、要部が共通していないことを理由にイ号物件は原告意匠権を侵害していないと判断した。

□(2)禁反言について
傍論ではあるが、以下のように説示した。
原告は、本件意匠の出願経過において、本件意匠が 乙2意匠に類似し、意匠法3条1項3号に該当するとした拒絶理由通知に対し、本件意匠は乙2意匠に類似しないとする意見書を提出したものであるところ、原告は、同意見書の中で、…(中略)…筒部の絞りの段数の相違を強調して乙2意匠とは類似しないと主張していたのに、本件訴訟において、胴部の絞りの段数が乙2意匠と同じ3段である被告意匠との類否判断に当たり、段数の相違は需要者に与える美感に影響を及ぼさず、被告意匠は本件意匠に類似するなどと主張することは、出願経過における上記主張と相反するものというほかない。侵害訴訟である本件訴訟において原告が上記主張をすることは、禁反言の法理ないし信義則(民法1条2項、民訴法2条)に違反し、許されないものというべきである。そして、このように解することは、意匠法24条2項とは無関係に導き出されるものであり、同条項が制定されたからといって、かかる主張が許容されるものでないことは明らかである。

■コメント
□24条2項の制定が類否判断の手法に与える影響について

判決によると原告は以下の主張をしていたとまとめられている。
意匠法24条2項制定後は、物品の特定の部分をもって意匠の要部であるとする考え方は採用されない。すなわち、本件意匠は、意匠法24条2項によって、需要者の立場からこれを把握すべきである。

これまで物品の特定部分を要部とし、要部間の相違を比較する手法がとられてきた(注1)。上記「意匠法24条2項制定後は、物品の特定の部分をもって意匠の要部であるとする考え方は採用されない」との主張だけを一般化すると、従来にない考え方であると言えるが、このような見解(学説等)や裁判例は管見の限り見られず、一見すると不可解さが残る。

判決文ではこの記述の後に「古い時代の公知論を前提とする議論である」との記述があることから、おそらく原告側は、被告が公知である部分を除外し本件意匠の要部を把握するとの考えに基づいて主張したことが、従来のいわゆる創作説の立場に立った上で公知意匠との関係での要部の把握の仕方(公知意匠は要部認定において必ず除外する立場:公知意匠除外説)を採っていると評価した上で、創作説は24条2項制定後はとることができないのであるから、公知意匠除外説をとることは間違いであると批判しているものと思われる。その上で、混同説(注2)の立場に立った上で公知意匠との関係での要部の把握の仕方(公知意匠だからといって要部認定において必ずしも除外しない立場:公知意匠参酌説)を主張されたのではないか(注3)。

しかし、従来から公知意匠参酌説であっても公知意匠に関する部分は著しく低い評価が与えられていたことが指摘(注4)されており、本件の具体的判断において大きな影響を与えるものではないと推測される。

□禁反言について
類否判断の判断主体が需要者となったことで、あくまで需要者の目において類似していれば禁反言は問題にならない、との解釈は採ることができないと明示したものと考えられる。
そもそも意匠権者が権利範囲の外としたのであるし、意匠を創作する者の予測可能性を担保する点でも適切な説示といえる。

ところで、余談ではあるが、本件は禁反言との関係では興味深い可能性を示唆したように思う。
当事者の主張になかったようなので、仮定の話になるが、このような例も考えられる。
公知意匠と出願意匠の類否が問題となった場面で、ある構成要素の差異が出願時の需要者にとっては両意匠が類似していないとの評価を生み出す、との主張を意匠権者が出願経過においいてしていた。しかし、その後、権利行使の場面で、権利行使段階での需要者においては当該構成要素の差異があっても類似していると意匠権者は主張した。
意匠権者が以前の主張を翻しているものと評価すれば禁反言とすることは妥当であるが、単に出願時点での客観的現状を述べたものと評価すれば、これを禁反言とすることが躊躇われる余地もあるように思われる。需要者の視点は時の経過とともに変わる点が問題点を投げかけているように思う。

(注1)小谷悦司「登録意匠の要部認定と類否判断について」『牛木理一先生古稀記念 意匠法及び周辺法の現代的課題』(2004年、発明協会)240頁。
(注2)ただし、意匠法24条2項はあくまで判断主体を需要者とすると定めたのみであり、他の条文との関係を考えると混同説を採ったものとは評価することはできないとの指摘がある(小谷悦司「改正意匠法24条2項について」パテント60巻3号(2007年)6頁-16頁)。筆者もその理解をしている。
(注3)なお、両者の整理について意匠法24条2項制定前の文献ではあるが、加藤恒久「類否判断における意匠の要部」『判例意匠法』(1998年、発明協会)59頁参照。
(注4)加藤・前掲注3。
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2010年04月12日

[特許]特許の補正・分割・訂正に関わる制度・運用の変遷を知る資料

特許の補正・分割・訂正に関わる制度とその運用はめまぐるしく変わっている。過去の判例や学術文献、実務家からの記事を読む際には十分にそれらの制度の差異、運用の差異を踏まえていけないのだが、なかなかやっかいな作業と思っていた。

が、2008年にその点をまとめた文献が出ていたをある論文を読んでいて知った。
自らの研究用の備忘までに記しておく。

西島孝喜・日本弁理士協同組合『明細書の記載、補正及び分割に関する運用の変遷―特許法改正と実務上の留意点(昭和50年改正から平成18年改正まで) (単行本)』
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2010年04月09日

[その他]プライバシー侵害と個人識別性:インターネット広告の発展で変わるもの

■インターネット広告の強み:ターゲティングの容易さ・明確さ
最新の(株)電通の発表によると、日本でのインターネット広告への広告費の2009年の総額は、新聞を抜きテレビ、インターネット、新聞、雑誌、ラジオ、衛星メディア、プロモーションメディアの中で第2位を占めたようだ(注1)。

インターネット広告の利点の一つは、特定の属性をターゲットとした広告を打ちやすいということにあるだろう。

雑誌では大規模な読者アンケートをしなければ属性自体が明らかでなく、テレビでは視聴率の集計で属性ごとの視聴状況を大まかに図れていたものが録画機器の進歩と視聴のユビキタス化(どこでもテレビが見られる状況の進展)によって測定が難しくなった結果、受け手の属性が明らかで無くなってきた。

他方、インターネットでは、直接利用者が提供した情報以外を用いなくても、閲覧履歴などの過去の行動履歴に基づいて属性を推定することが出来る。

■行動ターゲティング広告で問題になりうるプライバシーとの関係
しかしこのような行動履歴に基づいた広告(「行動ターゲティング広告」)はプライバシーとの関係で問題があるのではないか、との不安感が生じることもやむを得ないと思われる。もっとも個人情報との関係で問題となる場面もあるが、これらは個人情報保護法で既に対処されている問題である。残された問題は個人情報でない情報(個人識別情報を伴わない行動履歴情報など)によるプライバシー侵害の可能性である。

新潟地裁の裁判例(〔防衛庁リスト事件〕新潟地方裁判所平成18年5月11日判決・判例時報1955号88頁)が以下のように指摘するように、個人識別性が無い限りプライバシー侵害を具体的に肯定することは難しい。少なくとも個人識別性が無い情報を収集されることがプライバシー侵害になるというような法的規範は形成されているとはいいにくと思われる。
プライバシー等が侵害されたというためには、そのリストに記載された原告に関する個人情報が個人識別性を有することが必要である。

そうであるならば、行動ターゲティング広告とプライバシーの関係について、現状では問題は発見できない。

しかし、米国連邦取引委員会ではそのスタッフレポート(注2)で「技術が急速に変化している現在の状況下では、個人識別の可否の境界線はますます不透明になっており、個人識別性の持つ意味は低下している」とのポジションを取っていることが指摘されている(注3)。

先日発表された、総務省のレポート「利用者視点を踏まえたICTサービスに係る諸問題に関する研究会 第2次提言」でも、個人識別性が無い情報であっても直ちにプライバシー侵害の該当性から除くべきでないとの意見があがっている。

だからといって行動ターゲティング広告を規制せよ、という話には結びつかないし、おそらくプライバシーの懸念が生じるものは相当に限定的な領域に限られるだろう。

だが、インターネット広告が発展することで、個人識別性の境界線を巡る事例が蓄積され、プライバシーを巡る法解釈については新しい刺激を与える動きであるように思う。

(注1)株式会社電通「2009年日本の広告費ハイライト」電通Website, available at here.
(注2)Federal Trade Commission,"FTC Staff Report: Self-Regulatory Principles For Online Behavioral Advertising" (2009)
(注3)二関辰郎「ライフログ・行動ターゲティング広告とプライバシー」『骨董通り法律事務所』Webサイト available at here.
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2010年04月07日

[つぶやき]1位、2位でなきゃダメなんですか?…って考えてみた

昨年行われた政府の取組では、あるスーパーコンピュータの開発プロジェクトの妥当性に対して「どうして2位ではダメなんですか。」との質問ばかりがメディアに取り上げられていたが、私は1位であることによる名声の効用が重要でないならば的を射た発言だと考えていた。

おそらくスーパーコンピュータに関しては、1位であるからといって研究者が専ら集まるということはなく、一定の性能を超えていれば優秀な研究者が集まり、利用するだろう。その点で、財政状況にゆとりがない中、支出の妥当性を検証するための発言としては、私は適切なものだったと思う。

同じ事がGDPにも当てはまらないだろうか。
2010年段階で世界2位の経済大国から世界3位に落ちた、といわれ、さらに2050年の予測では順位を下げ、8位になることが示されている(注1)。

これに対しては様々な反応がある。なかには悲観的なものもある。しかし、ここで立ち止まってみたい。
8位になることがどの程度悲観的な未来なのだろうか。

前述の予測では1人あたりのGDPの予測も示されていた。結果は以下のグラフの通りである。
おそらく日本の社会保障の負担や積み重なった財政赤字によって経済成長が阻害されるであろう事は勘案されていないと考えられるが、2050年でも日本はカナダ、フランスなどと同じ程度の1人当たりのGDPを示している。

GDPin2050
(出典:Dominic Wilson & Anna Stupnytska, "Global Economics Paper No: 153 The N-11: More Than an Acronym"を基に筆者作成)

絶対的な豊かさが保障されるというわけではないが、同じような国と同じような道筋をたどることはわかる。確かに2050年には韓国やロシアに1人当たりGDPは抜かれるけれど、ひどく落ちるということはない。だから、安心してチャレンジできる、と考えることが出来るように思うことはできないだろうか。

(注1)Dominic Wilson & Anna Stupnytska, "Global Economics Paper No: 153 The N-11: More Than an Acronym", Goldman Sachs Economic Research(Web), 2007, available at here
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