2010年01月31日

[著作権]1%が全体を止める(『破天荒力』著作権侵害事件 地裁判決)

松沢成史さんの著書『破天荒力』に、山口由美さんの著書『箱根富士屋ホテル物語』で用いた表現が複数箇所用いられている、として『破天荒力』の販売差止と損害賠償を求めた訴訟の第1審判決が下され、1カ所(240頁中2行)の著作権侵害が肯定され、販売差止が命じられたとの報道がなされた。

■侵害認定について興味を引く点:微妙な侵害認定
判決文が入手できていないが報道を読む限り、問題となった表現は以下の箇所のようである。(あくまで、報道の限りであるので不正確である可能性がある)
「彼は、富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない」との部分が、山口さん記述の「正造が結婚したのは、最初から孝子というより富士屋ホテルだったのかもしれない」の複製と指摘
(共同通信2010年1月29日「松沢知事の本、販売禁止命じる 著作権侵害と東京地裁」)

判決を読まないとわからないが、直観としては非常に微妙な認定である。アイデアにとどまるのではないか、という思いを持つ方もいるだろう。「YOL記事見出し事件」での創作性の評価と照らし合わせると、著作権の侵害を巡る悩ましさがいっそう増す。裁判官も相当悩んだのではないだろうか。

■1%が全体を止めること:当然であるがいいのか?
この結果差し止め請求が認められた点も興味深い。

損害額の認定にあたっては、報道をみる限り、
松沢知事の著書、約240ページのうち、「2行が著作権侵害にあたる」と指摘。松沢知事の著書が約1200万円の売り上げだったことから、損害額を5万円と算定。これに慰謝料5万円と弁護士費用を加えた。
(MSN産経ニュース2010年1月29日「松沢知事の著作権侵害認める 12万円賠償命令 東京地裁」)
とあり、単純な計算では全体の0.4%の著作権侵害が全体を止めた、ということになる。

もちろんこれは著作権法上、著作権侵害の場合に常に差止請求が認められるようになっているからであり、差止を認めたことは至極真っ当な結論であるのだが、感情論として違和感を持つ方もいるだろう。

とくにプロの作家の方にとっては、無意識に第三者の特徴的な表現をわずかでも利用してしまった場合に、自著の出版が止められる可能性を意味しているのであり、反発があってもおかしくない。

■出版社に取っての示唆
この判決を評価するには、本来は被告(侵害とされた側)の主張をみてからでないといけない(主張が残念ながら適切でなかった可能性もある)。また、高裁(知財高裁)で覆される可能性もある。そのためこの件は直ちに一般化できない(著作権侵害を否定して不法行為で処理する可能性があるように思う)。
しかしあえて先取りして出版側の立場に立った点を検討しておきたい。
本件は、紙で出版しつづけることのリスク(注1)を認識させる一つの事例であるように思う。電子出版とした方が、侵害箇所を削る場合のコストは少ない。電子出版のベネフットを認識させる一つのポイントになるだろう。
(注1)ただし、本件については同著が平成19年に出版されていることから、現状ではほぼ販売を行っていない可能性もあり、実質的なダメージは少ないかもしれない。(だからこそ裁判所も差止を認めることに躊躇がなかった可能性がある。)
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2010年01月25日

[意匠]IP5での画面デザインの意匠制度による保護状況の整理

日本ではまだあまり使われていない(年間150件程度)画面デザインに関する意匠登録であるが、たとえば欧州ではOSメーカなどが積極的に画面デザインについて意匠登録を行っているようである。
覚え書きとして、主要国(いわゆるIP5)での保護状況とその根拠について、特許庁の資料(注1)をもとにまとめてみた。

□米国:画面デザインの保護=運用により○
根拠:審査指針1540.01(a)(注2)
保護の要件:物品(画面)に応用または具現化されてること

□欧州:画面デザインの保護=○
根拠:EU意匠規則1条(物品性を求めておらず、また、製品にグラフィックシンボルが含まれること明示している)

□中国:画面デザインの保護=運用により×
根拠:2006年に改正された審査指針で明示的に保護しないことが書かれている(注3)

□韓国:画面デザインの保護=運用により○
根拠:2004年に改正された意匠審査基準で保護することが明示されている
保護の要件:物品に一時的に具現化されること

(注1)産業構造審議会 知的財産政策部会「意匠制度の在り方について」(2006年)35頁を参考にした。
(注2)USPTO, MPEP:1504.01(a) Computer-Generated Icons
(注3)呂媛媛「中国における商品携帯の保護の現状―2008年改正専利法の特徴を中心に」Design Protect 83号(2009年)6頁。
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2010年01月24日

[時事]日本新聞協会の著作権の包括的フェアユース規定への反対意見に思う

■文芸協、日本新聞協会のフェアユース規定への反対声明の読み方
(社)日本新聞協会を含む6団体から権利制限の一般規定に反対する声明「「権利制限の一般規定」導入に関する意見書」が出されたことは、報道や知財系ブログで多々触れられているところである。
これを読むと、この声明は大きく2つで構成されていることを読み取ることができる。(一連の流れのようにも読めるが、論理的に考えると2部構成とみた方がよいように思う。)

前段は、包括的なフェアユース規定への反対の意思表明である。

後段は、具体的な「フェア」の基準について議論が尽くされていないことの例として、知的財産戦略本部デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会『デジタル・ネット時代における知財制度の在り方について』に
形式的に違法となる例として「ネット上の写真への写り込みやウェブページ印刷などの行為」
と記載されていることへの反論の提起である。

後段については、知的財産戦略本部での議論であるから、文化審議会 著作権分科会 法制問題小委員に文句を言っているのであれば筋違いである。ここは前向きに解釈し、「ウェブページ印刷などの行為について議論してほしい」との著作権分科会 法制問題小委員への要望とみるべきだろう。

■新聞業界のビジネスモデルの試練を著作権問題にすり替えていないことを願う
この声明には、小倉弁護士からは「これからは新聞記者は資料としてウェブをプリントアウトしたりなどしない」(注1)という厳しい皮肉が寄せられていたり、『企業法務戦士の雑感』のFJneo1994さんからは新聞記事見出しの著作権による保護を否定した事例を持ち出して補強に用いようとしてしまったことのお茶目さ(笑)(注2)の指摘が寄せられている。

私はこのほかに、この声明の着眼点が、新聞というビジネスモデルがいま世界的に直面している状況から目をそらすものになってはならないことを注意喚起したい。

すでに言い尽くされている感はあるが、米国を中心に新聞業界は試練の場面にある(注3)。インターネットの登場により、新聞は購読数を減らしている(このほかに、高齢化(複数誌を購読しない)、グローバルな価格競争のなかでのコストカット(企業は無駄な新聞を買わない)、専門情報事業者からのメール配信へのシフトなども要因だろう)。

その中で、Webのプリントアウトはビジネスモデル全体に与える影響は微小ではないだろうか。
声明で指摘しているように、
日本複写権センター、 学術著作権協会、出版者著作権管理機構という主要3団体だけでも、「企業内での著作物の 複製利用」の年間使用料収入は10億円
という。そうならば各新聞社・出版社が受けている分配金は1社あたりよくて年間1億円ほどだろう。地方支局1つないし2つ賄えるか否か…という額である。

そうならば、Webを媒体を買ってもらう呼び水と位置づけ、積極的に利用してもらった方が、新聞社には利益につながるのではないか。新聞のWeb版を印刷して誰かに資料として見せることは、前向きに解釈すれば、Webページの閲覧者が新聞社の営業マンとして働いてくれている、ということを意味する。

広告モデルに固執するのではなく、他の戦略を検討することも重要である(無料を戦略的に活用するビジネスを整理した注3記載の書籍は大いに参考になるだろう)。おそらく新聞業界の方はすでにいろいろと検討されているのであろうが、上記の声明ではそのような将来の新聞業のあり方の検討に目をつぶるような後ろ向きな視点が感じられなくもない。その点が残念であった。

(注1)小倉秀夫『benli』(2010年1月22日記事)「これからは新聞記者は資料としてウェブをプリントアウトしたりなどしない」。
(注2)FJneo1994『企業法務戦士の雑感』(2010年1月21日記事)「[企業法務][知財]「日本版フェアユース」の叩き台公開。
(注3)クリス・アンダーソン (著)・小林弘人 (監修)・高橋則明(訳)『フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(日本放送出版協会、2009年)
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2010年01月20日

[時事][著作権]権利制限を幅広く認める包括的フェアユース規定導入を諦めた(であろう)ことの意味

(2010年1月21日一部修正)


■日本版フェアユースの行方を報道から探る
非公開であった文化審議会著作権分科会法制問題小委員会 権利制限の一般規定ワーキングチームの報告内容が報道された。詳細は末廣さんのブログ『Copy & Copyright Diary』に詳しい(注1)が、報道を見る限り、かなり個々の行為の価値判断について言及されているようである。
「ITベンチャー企業によるテレビ番組の転送サービスなどは適用対象から外れる見通し」(NIKKEI NET 2010年1月19日記事「著作権侵害、対象外に 写真の端に写った絵画など、文化庁方針」)
「テレビ番組のロケで偶然に他人の絵画を撮ってしまう「写り込み」など、付随的な著作物の利用行為は認めるべきだとする意見が大勢だった。」
(朝日新聞2010年1月19日朝刊「「公正」なら許可は不要 著作物利用の緩和、範囲は限定的に」)
この報道の限りでは、包括的フェアユース規定にしたとしても、かなり要件を絞った上で詳細なガイドラインを提示する予定であるように思われる。あるいは、包括的フェアユース規定でなく、個々の権利制限規定の追加で対処するのかも…とも思えてしまう。いずれにせよ、具体的な報告書の公表を待ちたい。

■権利制限を幅広く認める包括的フェアユース規定導入を諦めた(であろう)ことの意味
さて、もし、要件を絞った規定であるとするならば、その意味はどのように考えられるだろうか。

私は、ワーキングチームの提言は、著作権の権利範囲の調整について、著作権法の所管官庁(現状では文部科学省文化庁)が相当程度のウエイトを担うことを提言していると読み取ることが出来るのではないかと考えている。

「1億総クリエーター」の中で利害関係者が極めて多数になっている問題の利益調整を、文化庁が引き続き担うことは、その担当の方たちにとっては必ずしも容易な仕事ではないものと推察する。とくに、著作権に関して文化庁の当事者であった方から、
社会全体に「権利者寄り」の意見を言いにくい雰囲気がある。
自由闊達、建設的な議論が出来ない。
との印象も指摘されている中である(注2)。利益調整の大きな負担を、文化庁が引き続き負い続けることをになる。見方を変えると、ワーキングチームの有識者は文化庁に厳しい提言を行った、と評価することも出来るのではないだろうか(注3)(注4)。そのような文化庁に厳しい提案を、文化庁側が受け入れるのか、気になるところである(もちろん、最終的な立法の権限は国会にあるのであり、ワーキングチームの結論を基に議員立法の形をとってもよいのだが)。

もっとも、「要件を絞った規定」となるのでなく、要件は限定的にせず、たとえば、ガイドラインに行政としての価値判断を記すやり方を選ぶのであれば、上記の私の見方は当てはまらない。というのも、訴訟においてガイドラインの内容が覆されることは十分にあり、利害調整の場は裁判所にシフトする余地が大きいからである。

■余談:期待したい個別の権利制限
ここは話が逸れるが、日本経済新聞の記事によると、
「本来の利用でない複製(言語分析のために小説を複写するなど)」
(日本経済新聞2010年1月19日朝刊)
も権利制限の対象としてワーキングチームでは評価されているようである。

膨大な量の著作物に基づき分析を行うことに意義がある情報学分野では長年念願としてきたことであり、そのような権利制限が確立すれば、言語分析学を中心とした学術的発展が期待される。また、さまざまな展開も想像できる。歓迎したい権利制限である。

(注1)『Copy & Copyright Diary』2010年1月19日記事「日本版フェアユースの範囲」。
(注2)甲野正道「デジタルコンテンツの流動化と知的財産権制度の課題」日本知財学会誌5巻3号(2009年)12頁。
(注3)伝統的には官公庁の審議会(およびその下部のワーキンググループ等)の提言は、そのメンバー選定や進行を通じて相当程度、当該所管官庁の意向を反映していると指摘されており(森田朗『会議の政治学』(慈学社出版、2006年))、今回のワーキングチームの提言も文化庁自身が著作権に関する利害調整から逃げないことの決意を表明したものである可能性がある。
(注4)最近、私は、包括的フェアユース規定は、著作権の権利範囲の利害調整の役割のウエイトを官庁(文化庁)から裁判所にややシフトさせるものと捉えている。包括的フェアユース規定により、官庁が些末な利害調整に追われず、政策的課題に人的資源を割くことが出来る点が、利点であると考えている。

※注:ここでは単に「フェアユース規定」と呼ばず「包括的フェアユース規定」と表現した。
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2010年01月11日

[つぶやき]創作活動は税で支える方向にしないほうがよい

フランス政府が出資し、作成、公表された、パトリック=ゼルニクらによる報告書「創作活動とインターネット」(Patrick ZELNIK, Jacques TOUBON and Guillaume CERUTTI, "Creation et Internet" (2010)、いわゆるZelnick Report(Le rapport Zelnik))によると、
Google、MSN、Yahooなどの大手広告企業とインターネットサービスプロバイダ(ISP)に課税し、その税収を音楽および出版業界に対する助成金に当てることを提案している。
(出典:CNET Japan記事)(注1)
らしい。

■特別目的税による音楽・出版業界助成はこれら業界にとって望ましいのか
それ以上に日本にとって示唆がある点は、そもそも論として「税収を音楽および出版業界に対する助成金に当てることを提案している。」であろう。もしかすると、これを読んでわが国でもさらなる助成とそのための財源を検討するべきだ、という議論が起こるかもしれない。

もちろん、文化振興策としてそのような選択肢が選ばれてきたことはわかる。だが、そのような国費による助成を深める方向に進めていくことがが、創作者(クリエイター)やその頒布の仲介者(ディストリビューター)にとって望ましいことであるかどうかについては、私は疑問がある。

近年、税による助成を受けた者が説明責任を果たすことがますます求められるようになっている。税からの分配を受けたのであれば、その使途が目的において妥当で、額が適切なものであるか、情報を開示する必要が生じる。このようなことがクリエイティブな活動に向くのだろうか?クリエイティブな活動を行うためには、納税者の視点から見れば妥当でなく、不適切な出費を行うことも、必要なのではないだろうか。

そうであれば直接の助成でなく、たとえば出版・音楽を行う企業に対する寄付に対する控除税制の設立を求め、市民の意思に委ねたほうが、創作活動には適していないのだろうか(もちろん、控除も間接的な助成とみて、説明責任を求める声が生じる可能性はあるが…)。

特段の理論的な根拠のないつぶやきで恐縮だが、私は上記の提言が軽々に利用されないことを期待している。

■余談:その理由は適切なものか
CNETの記事によると、同報告書は上記の提案の理由として、
Googleは、音楽アーティストや書籍出版者に対する「何の配慮もなく利益を上げている」(前掲注1)
とのことであるが、原文を斜め読みしてみると、ここでいう利益は「広告による利益」を指しているようであり、しかもフランスの企業でないことを問題にしているようにも読める(もっとも、筆者の読解が誤っている可能性もある。フランス語に自信はない!)。(該当箇所は以下の通り)
Compte tenu de la taille du marche publicitaire sur internet, cette mesure pourrait a terme rapporter une dizaine de millions d'euros par an, acquittes principalement par les grandes societes operant des services supports de publicite en ligne telles que Google, Microsoft, AOL, Yahoo! ou encore Facebook.
(※文字中のアクサンテギュは省略。)

確かに、インターネット上で発生する利益の課税国についてはさまざまな思いのあるところであることはわかるが、それと「音楽アーティストや書籍出版者に対する配慮」と結びつけることには違和感がある(カウンターパンチのように、他の諸国からもフランスのサイトが広告から得た利益の分配を求めてくる可能性はないのだろうか?)。また、もし仮に自国の検索サイトでないから、という主張であるならば、情報が国境なく流れる環境にあっては筋の悪いものに見える。

(注1)CNET Japan(2010年1月8日)「フランスの報告書、グーグルやMSNへの課税による音楽業界などの助成を提案」
posted by かんぞう at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月09日

[知財一般]Qualcomm事件(日本国公正取引委員会決定不服審判)の注目点

Qualcomm社の3G標準規格に関する特許のライセンス契約において、クアルコムおよびそのライセンシーに対する知的財産権の不行使を定めた条項(非係争条項)が含まれており、この拘束条件を契約したとして、不公正な取引方法に該当すると公正取引委員会から判断された事案に関する不服審判を開始することが、2010年1月8日、報道された。

Qualcomm社の日本の訴訟代理人によると、
「拘束条件を強制した事実はない。非係争条項は競争の阻害要因ではないという点を審判で強調したい」(注1)
との主張をしたい旨報道されている。おそらく、非係争条項の競争に対する影響について反論を試みるものと推測される。

この論点は、(報道が理解を誤っていないのであれば)Qualcomm社の主張の主要な点の一つとなるものと思われるが、公正取引委員会側はその点を主に考えておらず、非係争条項の受け入れを余儀なくされた、という主観的態様をやや重視しているきらいがある、と指摘するものもある(注2)。

実質的な競争阻害性がどの程度考慮されるか、あるいは、公正取引委員会の考え方と十分にかみ合うのか、が大変興味深い。

(注1)日本経済新聞(2010年1月4日朝刊19面)「3G携帯での拘束条件付き特許契約、公取委、クアルコムに排除命令(法務インサイド)」
(注2)鈴木孝之「判例評釈」ジュリスト1391号117頁(2009年)。なお、鈴木教授はマイクロソフト事件において、審決が行為の「量的または質的な影響」の判断を求めていたにもかかわらず、同審決において非係争条項の受け入れを余儀なくされることは研究開発の意欲を妨げると述べたことに影響されすぎたために、Qualcomm事件の審決においても主観的態様が強調され、行為の「量的または質的な影響」を考慮すべきと述べたマイクロソフト事件の審決の趣旨を生かし切れていないと批判する。
posted by かんぞう at 18:23| Comment(2) | TrackBack(0) | ☆知財一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月03日

[知財一般]育成者権のライセンス契約において研究開発禁止特約を独占禁止法上違法としないという選択肢について

野津喬「独占禁止法によるライセンス規制に関する経済分析―植物品種の開発市場に関する考察」日本知財学会誌第6巻1号(2009年)67頁-82頁読書メモ

知的財産権のライセンスにあたって、ライセンシーの研究開発を制限する特約を付する行為は、「知的財産の利用に関する独占禁止法上の指針」(公正取引委員会、2007年)によって、将来の技術市場または製品市場に置ける競争を減殺する恐れの強い行為として、原則として不公正な取引方法にあたる、とされている。

特許権や技術に関するノウハウを想像した場合、直観的にも理解できる法運用であるが、種苗法に基づく育成者権のライセンスについては、競争減殺は生じず、むしろ、研究開発を制限する特約を付する行為を禁止することが技術開発に負の影響を与えてるとの分析を行った研究成果が公表された。直観に反する分析であり、大変興味深い。しかし、いくつか疑問も残った。ここで簡単に紹介をする(なお、論文の概要は筆者の責任でまとめたものである。本記事をお読みの方はできる限り原典にあたって頂きたい)。

■論文概要
種苗法では、農業事業者による自家増殖には権利が及ばないこととなっているが、契約でオーバーライドが可能である。しかし、試験研究の例外があり、かつ、侵害の立証が容易でないために、仮に契約で自家増殖を禁止していたとしても、ライセンシーが試験研究の例外に基づく増殖行為であると言い逃れをし、契約に反する自家増殖行為を行うようになる。そのため、試験研究の例外に基づく言い訳をさせないよう、研究開発をそもそも禁止する(研究開発禁止特約を結ぶ)ことが育成者権者にとっては妥当な選択肢となりうる(注1)。
研究開発禁止特約を独占禁止法上禁止することが技術開発市場に与える影響を、契約のゲームモデルを構築し分析すると、ライセンシー(農業者)は契約不履行の立証費用が十分に高いならば、自家増殖をしないとの契約を締結しながらこれを履行しないことがもっとも合理的な選択となる(そのうえ、ライセンシーは研究開発をしないことも合理的な選択となる)。しかも、現状に鑑みると、契約不履行の立証費用は極めて高いことが推定される。これが意味することは、研究開発禁止特約の制限は、育成者権者へ還元される利得を減らす上に、研究開発を活性化させないと考えられる(75頁)。
また、研究開発禁止特約を締結する慣行が存在した品種と、そうでない品種の、個人による育成者権登録件数の推移を、「(研究開発禁止特約の)契約慣行定着(ダミー)」「出荷量」(切り花、球根類、鉢物、花壇用苗もの類それぞれ)で回帰分析すると、研究開発禁止特約の契約慣行が定着していることが育成者権登録件数にプラスに作用していることが示された(77頁)。
ここから考えると、研究開発禁止特約は、新品種開発市場においては、競争阻害に働くものでないと言える。そうであるならば、「育成者権の利用許諾契約における研究開発制限条項の設定に対する独占禁止法の適用には慎重に対応すべきである」(80頁)。

■私見
末尾に示すように、分析には3点の疑問を感じるものの、「知的財産の利用に関する独占禁止法上の指針」に対する実証的なアプローチとしての意義は小さくない。単純に知的財産権としてひとくくりにしてはいけない例になるかもしれない。実証研究分野として深堀が行われて良いテーマであるように思われる。
もっとも、政策的インプリケーションとしては、独占禁止法の適用を慎重にすることよりは、前提となっている契約不履行の立証費用の低減化施策の実施(種苗Gメンの強化)や、サンクションを適切に働かせること(後述の通り、育成者権侵害には刑事罰が科されているにもかかわらずその検挙を確認できない)を提案することの方が、より妥当(注2)であろう。研究開発が行われない下地を作ることは将来の消費者に害を及ぼすと、理念的には考えられるからである。

なお、私は契約理論的分析や回帰分析に明るくないので、素人的な疑問に留まるが、私が感じた疑問点は以下の通りである。

□1.契約ゲームモデル分析において、ライセンシー独自の研究開発によるライセンシーに生じる利得が含まれていない
ライセンシー(論文では農業者として代表して表記している)が行った独自の研究開発により、育成者権者(論文では種苗企業として代表して表記している)の販売する種苗を購入しなくて良いことによる利得は含まれているものの、独自に研究開発を行ったことで生じる追加余剰が考慮されていないことが気になる。これがゲームの中で当然にライセンシーが研究開発をしない要因につながっているように思う。
もちろん、研究開発から1年で独自の追加余剰が発生することがあり得ないことは、種苗の研究開発の現場から考えると妥当なものである可能性は高い(注3)が、そうであっても将来のレントへの期待値を追加して分析するべきではないだろうか。

□2.契約ゲームモデル分析において、ライセンシーが契約を履行しないことによるライセンシーのサンクションが考慮されていない
育成者権侵害は「十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金」が科される(種苗法67条)。決して軽い刑罰ではない。契約不履行の場合、育成者権侵害になると考えることができることを考慮すると、ライセンシーは果たしてそれほど容易に契約を履行しないという選択肢を採るのだろうか。刑事罰が科されることは、育成者権にとっては自らが費用を負担せずにライセンシーの違反行為をコントロールしうるということを意味する。この点を考慮しないことは適切でないように思う。
もっとも、統計をみる限り、育成者権侵害での検挙の例がみられないようであり(注4)、このような現状を鑑みると、現実にはサンクションとして機能していないのかもしれない。ただし、現実に機能していないのであれば、それを機能するよう運用することを促すことの方が適切な政策的インプリケーションであろう。

□3.回帰分析において、研究開発禁止特約の契約慣行が定着した品種とそうでない品種との間の育成者権登録件数の平均値の差が契約慣行定着ダミー変数の係数に影響を与えている可能性がある
回帰分析では、(契約慣行定着ダミーに関する係数)×(契約慣行定着ダミー)+(出荷額に関する係数)×(出荷額)という推計式を設定している。ところで、記述統計分析を見ると、契約慣行が定着した品種とそうでない品種との間の育成者権登録件数の平均値は、前者が1.8程度であるのに対し、後者は0.5である。契約慣行定着ダミーはあくまで0,1の値であるため、上記推計式では、契約慣行が定着した品種とそうでない品種との間の育成者権登録件数の平均値の差は、契約慣行定着ダミーに関する係数が吸収することになる。これが契約慣行定着ダミーに関する係数をプラスにさせたのではないだろうか。

(注1)この1行は論文で明示されている訳ではないが、当然に前提にしているものと考え、筆者が追加した。
(注2)より非制限的で代替的であるという意味において妥当と考えている。
(注3)野津喬「独占禁止法によるライセンス規制に関する経済分析―植物品種の開発市場に関する考察」日本知財学会誌第6巻1号(2009年)77頁も「新品種の開発には少なくとも3年程度かかる」ことを示している。
(注4) target="_blank">警察庁「平成20年中における 生活経済事犯の検挙状況について」(2009年)23頁では、2008年中における知的財産権侵害事犯の概要として、検挙件数を、商標権侵害、著作権侵害、その他の区分で紹介し、その他の内訳として「「その他」の内訳は、不正競争防止法違反(19事件、69人)、特許法違反(1事件、3人)、農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律違反(1事件、4人)、関税法違反(3事件、12人)である。」と記している。この中に育成者権侵害(種苗法違反)は含まれていない。なお、それ以前の年度における同様の統計は管見の限り見当たらない。
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2010年01月01日

[特許]2010年は「特許権の無視」をしない年にしたい

マーク=レムリー(著)・島並良(訳)「特許権の無視」財団法人知的財産研究所・島並良『岐路に立つ特許制度―知的財産研究所20周年論文集―』(2009年)67頁-89頁(Mark A. Lemley, "Ignoring Patent", 2008 Michigan State Law Review, p.19- (2007)の翻訳)読書メモ

2010年の『新成長戦略』は示された。
さて、その基盤はどうか。

特許制度がこれからの経済の発達に寄与できるものであるかどうか、新年の初日に考えてみた。

"Patent Failure"や"Patent Crisis"という言葉が特許制度を巡って登場するようになった中、特許制度のあり方について、日本、米国、欧州、中国、インド、ブラジルの代表的な研究者・実務家が著した論文をまとめた、大変読み応えのある本が出ている。
この中に、スタンフォード大学のLemley(レムリー)教授が著された興味深い論文がある。
法学、経済学双方の観点から特許制度を研究されてきた教授が示された、望ましい特許制度像は、日本の制度のあり方に示唆を与えていると私は考える。

■Lemley教授が考える特許制度の課題とあるべき方向性
Lemley教授は、産業界の多くで少なからず特許権の存在を無視している、言い換えると、すべての特許権の非侵害を確かめた事業展開が行われていない、と指摘した上で、現在の特許制度の下ですべての特許権の非侵害を確かめた事業展開を行わせる社会の非合理性を指摘している。現在の特許制度の問題の根には、知的財産制度を所有権制度のアナロジーとして制度のあり方を考えていることがあると述べている。Lemley教授は、所有権制度のアナロジーとして制度設計を行った場合の、社会が負うコストとして、以下の4点を挙げられている(注1)。
・特許出願から、(少なくとも)出願公開まで、あるいは(より厳密には)特許権として設定登録されるまで、権利の存否が不明確であるために、確実に権利侵害を避けようとするならば事業化が著しく遅れる。しかも、米国においては継続出願(Continuation)により権利範囲が不明確である。
・特許権者が自ら実施しているのであれば独占的実施を、実施していないのであれば、より高額の便益(ライセンス料)を得るために、独占的実施許諾を、それぞれ行うために、技術のイノベーションが阻害される。
・権利行使される特許権の多くがそもそも無効か、権利侵害でない場合があり、そのような権利行使によって無駄な負担が生じる。
・1製品当たり多数の特許権が関与する場合、たった1つの特許権に所有権と同じく排他権を与えると、ホールドアップが生じる。

上記の4点のうち、第1の点に掲げられた継続出願以外は、国際的に特許制度が共有している点である。言い換えれば、現在の特許制度においては国際的に普遍な社会的コストということができるだろう。

ところが、あるべき特許制度の提言(注3)をみると、米国に特有の点に焦点が当てられているように見える。
・権利範囲の早期明確化と有効性の早期確定((1)審査の迅速化、(2)継続出願の制限、(3)全出願の出願公開、(4)ピアレビュー制度の導入、(5)特許登録異議制度の導入、(6)Gold-Plating制度(Lichtman教授とLemley教授が提唱する、審査官による特許要件に関する自発的な追加調査であり、出願人に先行技術提供を求めて行うもの)(注2)の導入)
・独立発明の抗弁または先使用権の導入
・故意侵害に対する懲罰的損害賠償制度の存在による、先行特許調査回避の排除
・合理的実施料算定方法の改革

■Lemley論文から伺うことができる示唆
上記の提言をみると、権利の有効性の早期確定に関するもののうち、特許登録異議制度とGold-Plating以外は日本の制度は既に達成している。そうだとすると、実は日本の制度は望ましいものであるのかもしれない。
少なくとも、米国の現状からみると、日本の制度は望ましいものとして映っている可能性がある。(もちろん、米国の現状から望ましいからといって日本の現状に適していると、直ちにいうことはできないが。)

振り返ってみて、日本の制度に置いて課題となっているものは何だろうか。強引な言い方をすると、グローバルな制度統一がもっぱらな課題ではないだろうか。
そうならば、一度、胸を張って日本の制度を海外の標準とすることを売り込むのも手かもしれない(注4)。

そのためには、日本の制度が競争力に寄与したことを実証していくことが必要だろう。
また、停滞気味の米国の特許制度改革法案を後押しする政治的アピールも適切だろう。
日本からできることは複数ある。

(注1)マーク=レムリー(著)・島並良(訳)「特許権の無視」財団法人知的財産研究所・島並良『岐路に立つ特許制度―知的財産研究所20周年論文集―』(2009年)70頁-74頁。
(注2)Douglas G. Lichtman & Mark A. Lemley, "Rethinking Patent Law's Presumption of Validity", 60 Stanford Law Review, p.45 (2007) available at SSRN
(注3)レムリー・前掲注1「特許権の無視」76頁。
(注4)ただし、グレースピリオドの導入に関しては、日本の制度には改良点があるとの議論がある。
posted by かんぞう at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆特許 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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