2009年05月15日

[時事]櫻井よしこさんの特許制度についての誤解

このブログでは優れた研究や、優れた意見を整理して、それに対して思ったことを残しておくことが主な目的になっている。
人の間違いを公に指摘することは、余り意味のあることではないことだと思っている(ご本人に直接言えばよい話だからだ)。間違いを批判することは、良いものを理解しそれに基づいて考えることに比べると、格段に容易なことなので、好みではない。
だけれども、影響力のある方が行った知的財産政策に関する情報発信に誤りがあった場合については、拙いなりにも知的財産政策を見続けている人間として、その情報を目にされた方が万が一同じような誤解をされないようにして頂きたいという思いから、誤りを指摘することとしたい。

■櫻井さん、誤解です
櫻井よしこさんのブログ記事の中に、米中経済安保調査委員会の報告書の中の中国の知的財産政策に関する記述について取り上げたものがある。その中に以下の記述があった。この記述は誤解に基づくものだと思う。
「中国は2008年8月、特許法改正の検討を開始した。重要点は『絶対的新規性』基準の採用である。これによって、すでに公知の知的財産は、中国では特許の対象として認められなくなる」

中国がまだ所有していない技術や仕組みであっても、日米欧などで商品化され公知となっていれば、絶対的新規性はないとされ、中国では特許として認められないという意味だ。他国の技術を、特許料を払わずタダで使える国内法を作ったともいえる。報告書はさらに記述する。

「もうひとつの変化は、中国企業及び個人は、中国国内で達成した発明に関して、(他国の企業や個人に先駆けて)最初に出願する法的義務を免れるという点である」

この点について報告書は、さらなる情報収集が必要としているが、想像されるのは以下の悪夢のような事柄だ。中国以外の企業や個人が新技術や新案を発明したと仮定する。中国人がそうした知的財産を“不法”に入手して、中国に持ち帰ったとしよう。当然、そのような新技術や新案は中国の特許事務所には出願も登録もされていないはずだ。それでも、中国側は、それは、出願・登録されていないだけで、中国の企業、もしくは個人として、すでに中国にもあるのだと主張する。そのような主張の余地を作ったのが、昨年の特許法改正だと思われるのだ。
(出所:櫻井よしこ「中国の知的財産丸ごと乗っとり策」『櫻井よしこブログ』(2009年5月14日記事))
URL: http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2009/05/14/

知的財産制度を知っている方ならば、すぐにお気づきになることと思われるが、「他国の技術を、特許料を払わずタダで使える国内法を作ったともいえる」との受け取り方は大きな誤解だ。文脈を見る限り2つ誤解がある。

□絶対的新規性は世界的には趨勢
まず、絶対的新規性について大きな誤解をされている。
絶対的新規性は中国が独自にとっているものではない。我が国も下記に示すとおり同じ制度(絶対的新規性)であるし、G8諸国においても米国を除く全ての国が絶対的新規性を取っている(注1)。

第二十九条  産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。
一  特許出願前に日本国内又は外国において公然知られた発明
二  特許出願前に日本国内又は外国において公然実施をされた発明
三  特許出願前に日本国内又は外国において、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となつた発明
(日本国特許法)

このような制度が不公平であるとの批判は我が国においても聞いたことが無い。それどころか、特許制度の中で世界公知性導入を推し進めている立場に日本は立っている。

米国では、他の主要国と異なり、以下のような限定的な世界公知性(絶対的新規性)を取っているため、報告書で取り上げたのであろうことが推測できる。しかし米国でもその採用(若干の留保はあるが)を求める声も少なくない(注2)。
米国内のみが評価対象:発明前に他人が知っていたor使用していた、
世界が評価対象:発明前に特許査定or刊行物記載、特許出願日前1年より前に特許査定or刊行物記載
(米国特許法102条(a),(b))
(出所:米国特許法をもとに筆者作成)


□第1国出願制度は自国民にとって望ましいとは言えない制度だが…
記事では「中国企業及び個人は、中国国内で達成した発明に関して、(他国の企業や個人に先駆けて)最初に出願する法的義務を免れるという点である」という点も取り上げていらっしゃるが、このような自国を最初の出願先としなくてはいけない制度は、その国の国民や、その国で共同研究開発を行う者には制約になりはしても、それ以外の者(他国民の多く)には影響を与えない。

我が国ではそのような制度を採っていないが、これは国際的な日本の研究者や企業に不利益を与えないためであろう。もちろん、日本では軍事特許制度(または秘密特許制度)を採っていないので、そのような制度を採る意味が無い、ということも理由に挙げられる(注3)。

いずれにせよ、上記の文脈で取り上げることは、意味が無い。制度をよく理解されなかったのかもしれない。

□報告書でも両制度については批判的な立場ではない
櫻井さんは経済制度のジャーナリストではないので、特許制度を正しくご存じないことはやむを得ないと思う。しかし、元となる報告書を読むと、ご自身の思いをやや写し込みすぎて読んでしまわれているきらいがある点は指摘しておきたい。
実際に、当該箇所を見てみると報告書では懸念材料であるとの文脈で示してはいない(単に改正事実を述べただけである)。その周辺にも懸念として取り上げている文は見当たらない。
U.S.-CHINA ECONOMIC AND SECURITY REVIEW COMMISSION, 2008 REPORT TO CONGRESS, pp.34-35
Intellectual Property Rights and Patents
China has a history of flagrant violations of intellectual property rights (IPR). It now appears poised to revamp its IPR laws and regulations,which could either strengthen the protections or place another tool in Beijing's arsenal for promoting domestic industry by constraining the rights of foreign companies. In August 2008, the National People's Congress Standing Committee, China's top legislative body, began consideration of the Third Amendment to China's Patent Law. An important new proposal involves the adoption of an "absolute novelty" standard that will make it hard to obtain a Chinese patent for inventions that are already in use overseas (amended article 23 of China's Patent Law).65 Another proposed revision (amended article 21 of China's Patent Law) would removethe statutory requirement for any Chinese entity or individual first to file applications in China for inventions made in China. The new patent law is of considerable interest to U.S. companies, and its implementation and effects on trade and investment bear further scrutiny.


■注記
このように書くと、「親中派」による中国擁護意見とレッテルを貼ってしまう方もいらっしゃるかもしれない。誤解しないで頂きたいのは、私が行っていることは、櫻井さんの当該記事の中のロジックのうち1箇所が間違っていること(そして我が国の立場に沿っていないこと)を指摘していることだ、という点である。当該記事を全て批判しているわけではないし、櫻井さんを個人攻撃しているつもりもない。

前者(記事に対する賛否)について言えば、私は下記のようにやや異論はある。批判するべきは貿易障壁となる点であると考えている。だが、中国の強制認証制度は不適切な制度だと思っている点で、記事で伝えたいことに共感する点がある。私は政府調達に限るとしても貿易障壁であるとしてWTOを通じて強くメッセージを訴えていく必要があると考えている。

■注記2
ソースコード開示により「知的財産が流出する」という意見には私は懐疑的である。本当にそうだろうか?少なくとも日本の企業は、本当に重要な情報をみすみす流すようなバカではない(注4)。おそらく、強制認証によって、諸外国の企業は最新製品を中国に輸出しなくなり、型落ちのものばかりを輸出するだけになることは想像に難くない。(もちろん、その影響で中国の情報通信機器メーカーは優位に立つことは出来る(これは貿易障壁によるものと言えるだろう)。だが、世界の最新技術を積んでいるとは限らない。)
型落ち品が入ってくるだけになることは、決して中国の国民・企業にとって利益になるとは思えない。国家としては、安心・安全のためには構わないという立場をとり続けられるのだろうか。

もちろん、中国は、民間に市場を任せると失敗をするという立場を採っているだろうから、国家が安心・安全の確保を行わなきゃならんのだ、という考えが根幹あることは理解できる(が、共感はしない)。

だが、この制度が貿易障壁になりうるものである以上、自由貿易を旨とするWTOに加盟したたのだから、そのような立場を対外的に取ることは許容されない。中国はこのことに向き合わなければならない。

(注1)特許庁「各国産業財産権法概要一覧表」『特許行政年次報告書2008年版〈統計・資料編〉』掲載の7列目に各国の新規性の判断基準が整理されている。
(注2)例えば、米国の知的財産関連団体であるIPOやAIPLAはそのような立場を示している。
JETRO「特許制度調和に対する産業界・法曹界のスタンス」『ニューヨーク発 知財ニュース』(2007年7月4日記事)
(注3)我が国でも秘密特許制度導入の動きがあるが、そうすると第一国出願制度の導入も検討されるかもしれない。しかし、まずは米国で出願をする企業が少なくない中、反対の声は必ず上がるだろう。
(注4)「知的財産が流出する」との言葉は事情を十分に踏まえていないメディアのどなたかが作った可能性もあるが、貿易障壁となる点を問題視させるために、メーカー側もそのようなキャッチコピーをつかった可能性もある。だが、この言葉だけが一人歩きされると、メーカーを馬鹿にしていることになってしまっているように思う。
posted by かんぞう at 22:00| Comment(4) | TrackBack(0) | ★時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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