2008年06月30日

[特許]特許の法的安定性から見た特許の質

「特許の質」の評価方法がいくつも試みられている。

おそらく日本で有名な評価手法の一つは、株式会社パテントスコアがサービスして提供してうr出願経過情報をもとに評価を行う方法だろう。明細書の記載の傾向と、「良い特許には出願人、競合他社とも時間をかけるはずである」との前提に基づいたスコアリングは、なかなかうまい(注1)。

日本知財学会で、永田健太郎さん(東京大学)が報告されていた「日本特許の質に関する実証分析」はなかなか面白かった。

■報告概要
東京高裁(知財高裁)が拒絶審決取り消し訴訟、無効審決取り消し訴訟の結果下した、特許特許の有効性を特許の質の評価指標と、特許の質を高める要因をモデル分析を行ったものであった。

報告によると、
○外国特許先行技術文献を特許庁が参照すれば特許の法的安定性が38%向上
○国内優先権主張を用いると特許の法的安定性が37%向上
○審査機関は特許の質に影響を与えない
とのことがわかったようだ。

■考察
正確には「特許の質」の一側面であり、知財高裁判事がどういうところを見ているか、というところをあらわしているように思うが、そうはいっても面白い。
とくに後者、国内優先権主張を用いる=出願まで時間をかけていると、法的安定性が向上するとの点は、直感的には当たり前に思うが、それを実感させる点が興味深い。
仮にこれを拡張すると、12ヶ月のグレースピリオドの導入は特許の安定性向上に資するのかもしれない。(ただし、権利の利用者、市場側の悪影響はあるだろう。)

(注1)株式会社IPB Webサイト参照。

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2008年06月29日

[特許]なんで米国の代理人は何も仕事をしないんだよ!という日本のクライアントの不満の要因

吉田哲「米国における保守的代理人の存在理由、知識共有分化の相違点」(日本知財学会第6回年次学術研究発表会2008年6月28日発表)受講メモ

■報告概要
米国の特許代理人が日本の出願人のニーズに応えず、言われたことのみしかしないと批判されている。吉田弁理士によるとその要因は2点あると指摘されていた。
1つは日本からの依頼が理解されないところにある。たとえば、「指示に従ってくれ(According to)、でも、必要があれば(if necesarry)修正してくれ」との指示を送ると、According toの言葉が強すぎて、「じゃあやめとく」という風になるらしい。
また、もう1つは保守的対応が合理的な選択であることである。具体的には、顧客側が米国代理人に積極的な対応を取ってほしいとき、代理人が積極的に補正をすることはリスクになる。他方、言われたままの対応であればリスクは少なくなる。他方、顧客が余計な補正をしてほしくないときには、積極的な補正はトラブルとなることが多い。
この問題は、国内代理人との関係は以心伝心であることによる日本側顧客の認識、米国代理人が積極的な補正をした際にフィードバックが無いことによる米国側代理人のモチベーションの低下、タイムチャージ制ゆえに顧客側に質問しにくい文化が代理人側にあると指摘されていた。
これらのことを可決するには、詳細な指示を行うこと、可能ならば会って酒を飲むことが重要であると提言されていた。海外との折衝に馴れていない場合は、いい国内代理人を選定することを併せて提言されていた。

■考察
実務感覚に基づくもので参考になった。もちろん、他の米国で仕事をされている方には異論があるかも知れない。それも併せて知ることが出来れば、日本において米国の特許代理人を選定する上で重要なポイントを学ぶことが出来るように思う。
海外とのビジネスでは文化の違いが思わぬトラブルになることがあるが、特許エージェントにおいてもあてはまるのだろう。私の乏しい知見ではあるが、特に中規模の日本企業を中心として、米国を初めとする海外の特許代理人への不満が存在する。
その背景には、吉田准教授が指摘されるように、日本の代理人との違いがあるのだろう。私は、これは、日本の弁理士がクライアントのために単なる特許出願のエージェントに留まらない付加価値を提供してきた、すなわち、すばらしすぎた故、と思うのだが(注1)、それが国際的な出願にあたって、文化的な障壁になっているとすればなんとも残念である。
文化の違いを認識する機会が増えることが望まれる。

(注1)たとえば、特許庁『知財で元気な企業2007』を読むと、弁理士との息がぴったり合っている企業が、知的財産の活用に成功しているような印象を受ける。
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[特許]進歩性についての日本弁理士会の研究成果

日本知財学界第6回年次学術研究発表会 日本弁理士会協賛セッション「進歩性の判断は如何にあるべきか」(2008年6月28日発表)は、米国の進歩性判断を巡る議論・運用を手がかりに、日本の判例を丁寧に分析し、望ましい進歩性判断のあり方を提言するものであった。(ただし、弁理士として望ましい、という側面もあるような…。いずれにせよ期著な研究である。)
以下、その概要を備忘のために整理する。なお、恥ずかしながら、理解の誤りがありうることをあらかじめ明示しておく。

■日米の判断基準の相違と、日本における実務感覚を手がかりにした、日本の進歩性判断の課題
報告によると、判例の分析結果として、日米の判断基準は大きく相違するものでない。ただ、実務上の感覚として、進歩性の判断が厳しいと感じていらっしゃるようだ。課題は運用上の3点に集約されているようである。

○1.進歩性の判断主体において想定される知識水準
日本においては、当業者の技術分野の平均的技術水準の全ての知識を有していることを仮定したものとなっている。しかも、関連する技術分野の発明もある程度知りうると判断されている。
しかし、弁理士の実務感覚からするとこれは「スーパー当業者」であって、発明者に酷であると捉えているようだ。たとえば、技術分野の成熟性が高ければそのような全ての知識、関連する知識を有していることはありうるが、成熟過程であればそうではない。
報告では、発明の技術分野の実情の考慮を提言すると共に、少なくとも審査等において当業者のレベルの明示を行うことを求めていた。

○2.技術分野の相違への考慮が不足
日本においては、技術分野の相違がそれほど考慮されない傾向がある。他方、米国では、強く意識されるところであるようだ。
これに関しては、弁理士サイドも技術の相違を丁寧に主張し、技術分野の相違を印象付けることが重要であると提言されるとともに、特許・裁判実務に対しては、技術分野が類似していることをきちんと説示することを求めていた。

○3.後知恵(Hindsight)も考慮?
日本の特許・裁判実務において後知恵の考慮を避けることが明示されている例も無いわけではないが、感覚として、後知恵の考慮が行われているように感じられているようだ。
これを防ぐために、米国のような二次的考慮事項を含めるべきと提言されていた。もっとも、これについては難しいかもしれないとのニュアンスであった。

そのうえで、「進歩性」との用語法が、判断基準のハードルを高めているのではないかと指摘していた。報告は、「想到非容易性」とすべきと結んでいた。

■考察
同報告は、米国実務をあくまで手がかりにしたものとと思われる。決して、安易に米国実務に倣うことを述べたものではないと私は理解している(注1)。
二次的考慮事項については、なぜそれが考慮事項として適切化、合理性を有しているかの説明がつきにくいように感じていたが、たしかに後知恵考慮を排除するため工夫としては、経験則上有効なのかもしれない。
なお、「進歩性」の用語を改める点は、非常にシンボリックな意味しか持ち得ないとは思うが、それはそれで重要なのかもしれない。ただし、実用新案法との切り分けはどのようにするか、気になるところである(注2)。

(注1)ゆえに、一部で聞かれるような、「ハーモナイゼーション」には米国制度・実務へのすりよりが適切と捉える意見に組するものではないと考える。
(注2)参考としている米国では実用新案制度が無いから問題は無いわけで。
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2008年06月26日

[商標][時事]新しいタイプの商標、導入を検討へ

■新しいタイプの商標の導入を検討
欧州の主要国や米国で採用されている、音、におい、動き(ホログラフ)などの商標(おそらく色彩も含まれるのだろう)の登録を認めるか否かに関する検討を特許庁が開始するようだ。
特許庁は音やにおい、動きなど新しいタイプの商標を導入する検討に入る。インターネットの普及などで企業が自社の製品やサービスを他社と区別する方法が多様化し、新しい権利の保護が必要になっているためだ。商標の対象を文字、図形など「目に見えるもの」に限る従来方針を転換するため、7月に研究会を発足。2年後にも商標法改正案の提出をめざす。
(日経新聞2008年6月25日)

知的財産研究所などで既に研究が行われていたものであり、また、他国の制度例が少なくないことから目新しいものではない。だが、審査用の情報システムの改変も伴うものであり、日本の中での商標の一般的な認識に影響を与えるものでもあり、興味深い検討であると感じた。

私は他国の運用例についてまだよく知らないので、大変興味深いところである。これらについて、審査がどのようになるか、類比判断はどのようになるか、検討すべき点は多い。
検討すべき点の1つである、音の商標についてすこしばかり考えてみた。

■音の商標の登録要件の運用はどのようになると考えられるか
音の商標と言った場合、社会的には2つのグループが考えられる。1つは、サウンドロゴである(「♪すみともせいめい」など)。もう1つは、テーマソングである(Sofmapのテーマソングなど)。
前者のサウンドロゴについては、短い間に表現するという性質上、表現選択の幅が限られているとも考えられる(注1)。そうであるとすると、音楽の独占を防ぐ観点から商標法3条1項3号の適用がなされるかもしれない。その場合、登録されるのは3条2項の要件を満たす場合、すなわち、立体商標と同様の運用がなされるかもしれない。
後者については、タイアップ曲のような場合に若干問題を生むように思う。他の事業者が「楽曲」として使用した際に、商標的使用にあたるか、というところの争いを生じさせるのではないか。もっともこれは法制度上の問題というより、運用上の問題に帰着するだろう。

■参考文献
○(財)知的財産研究所「新しいタイプの商標に関する調査研究 報告書」(2007年)
 なお、要約はhttp://www.iip.or.jp/summary/pdf/detail07j/19_07.pdfにて入手可能。

また、今週末の日本知財学会で青木博通弁理士が報告されるようだ。

(注1)もっとも「どこまでも行こう事件」(東京高判平成14年9月6日判時1794号3頁)で裁判所は、サウンドロゴよりは長い旋律に対して、多様な創作の余地を認定している。
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2008年06月25日

[著作権]著作隣接権学習メモ

著作隣接権の内容をきちんと整理していなかったので、まとめてみた…。

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2008年06月24日

[知財の本]書評:山崎茂雄ほか『デジタル時代の知的資産マネジメント』(白桃書房、2008年)

今年も知的財産に関する本が多数出版されている。良書も多く、追いつくだけで大変である。気分転換がてら、知的資産に関する薄めの本を買ってみた。

残念ながら、私にとって新しい発見となる点や、頭の整理につながる点が限られている本であったが、それはそれとして意義のある情報発信かもしれないのでここにまとめる。

なお、本書は6人の著書がそれぞれの章を執筆しているが、統一したテーマを膨らませている内容とはいえなかったので、それぞれの章を論文と見なして書評を書いた。

■興味深かった点:デジタル化と非営利組織
山崎茂雄「知的資産マネジメントのファイナンス論」、立岡浩「欧州諸国における映像コンテンツ公共非営利事業のマネジメントとその関連法システム」は、双方とも知的資産、とりわけ著作物(後者は映像の著作物についてであるし、前者も著作物を前提とした議論をされているように読める)の創出過程において、非営利組織の関与が進みつつあることを指摘している。
山崎准教授はこれを現状の観察の結果として述べており、立岡准教授は、実例としてイギリスにおいて映画製作に非営利組織が関与していることを紹介されている。

デジタル化とネットワーク化、さらに、関連する情報技術の進歩により、著作物を作り出すコストが減少し、伝統的な資金調達の枠組み(たとえば、営利法人による間接金融)に依らなくても著作物を創出できるという変化は理論的には考えられてきた(注1)。これが実際に起きつつあることを観察できる点で面白い。

立岡准教授は、著作物を中心とする知的資産の創出を行う、産業以外の組織のマネジメント方法の研究、および、政策検討の上での配慮が不足していると指摘している。私は組織マネジメントがわからないので研究状況は把握していないが、政策検討の上でこれらを意識することは重要であると思う。

なお、立岡准教授は法的マネジメントの確立も求めている。少なくとも著作権の処理については、著作権法が建前上、文化振興を目的としており、営利性により取り扱いを分けていないので、著作物を作り出す行為に関する法的マネジメントの議論を特に行う必要はない(注1)。組織マネジメントとしての法的マネジメント以外の点では検討すべき点は少ないだろう。

■疑問点:非営利組織の関与を促すことまでが必要か?
上記の点に関し、立岡准教授は著作物の創出、とくに映像コンテンツの創出に非営利組織が積極的に関与することについて、望ましいものと価値判断をされていることが窺える。その理由は、営利組織や政府組織に出来ない、社会性のあるコンテンツ創造に求めているものと読み取れる。

これを前提として、立岡准教授は映像コンテンツの創出に関わる非営利組織を政府が資金的に支援することが日本においても「必要」と述べられている。

私はこれには疑問である。伝統的な映像産業の事情を前提にすると、コンテンツの創出に多額の投資が必要であり、非営利組織の関与は困難であったから、政府による支援が欠かせなかったのであろう。これに政治的事情が加味されてイギリスでは映像コンテンツを創出する非営利組織への支援が伝統的に行われているものと考えられる。

しかし、同書で山崎准教授が指摘されているように、デジタル化、ネットワーク化により「誰でも」「多額の投資を要すること無く」コンテンツ創出に関与できるようになっているのである。このような背景の変化があるにもかかわらず、政府の支援が必要と価値判断するには合理性が乏しい(注3)。

■残念であった点
大変言いにくいのだが、同書の辻幸恵「知的資産とマーケティング」は、何が言いたいかもわからないし、テーマにそった議論を行っているようにも読めない(注4)。また、初歩的な誤りを含んでいるようにも感じた(注5)。その点が残念である。なお、同章に私が見逃している有意義な発見点が含まれている場合はどうかお教えいただきたい。

■頭の整理につながった点
ここまで述べてきたように疑問点がある章もあるが、本書は入門情報として役立つ章もあった。生越由美「知的資産と知財戦略」は、最近の知的財産を巡る動向、考え方のポイントをコンパクトにまとめている。林紘一郎「放送・通信の融合と著作権」は、ここ数年重要な課題となっている問題を非常にわかりやすく整理している。

(注1)すでに1980年代から指摘されていた。その時代に指摘していた方々の先見の明には強く学ばされる。
(注2)もっとも、著作権法が産業規律法に変容しているとも感じるところはある。
(注3)あるいは「非営利」であることを「善」とする先入観をお持ちなのかもしれないとも思う。が、私は「非営利組織」=「善」と即断することをおかしいと考える。当たり前であるが、非営利と言ってもそれは利潤を分配しないことを意味しているにすぎず、「採算をとっていない」「お金をとらない」ということではない。であるならば、営利性と非営利性で大きく価値判断を違える理由が無い。もし「お金をとらない」非営利組織があり、それが望ましいとしても、それは営利組織に比べると理論的には持続可能性に乏しい。そうすると「望ましい」状況は持続しない。そういう状況は「望ましくない」と判断する余地が十分にある。
(注4)構成を私の読解に従って概説すると、若者は携帯電話を使い、携帯電話上で映像を見るようになっている(第1節)、女子学生や子供は「目新しい」キャラクターや「なごむ」キャラクターを好む(第2節)、ブランドは重要である(第3節)、映像・音楽のデジタル配信が進んでいる(第4節)、多様な消費者ニーズに対応した映像の提供が重要である(第5節)、となっている。何が言いたいんだ…。
(注5)たとえば、映像作品のダビングが違法かと問うアンケートを若者に行った結果、コピーを良しとする回答が少なくなかったことを挙げ、「日本人は複製に寛容」と結論づけている(同書35頁)。アンケート調査の設問がわからないので即断は出来ないが、設問次第では「私的複製」を念頭において回答した可能性がある。また、別の箇所(本書41頁)ではキャラクターの「所有権」(なお、著作権とは別に所有権を挙げている)との関係で複製が出来ないと整理をされているように読める。仮に私の読解が正しければ、この箇所は明確な誤りである。さらに、アート的な作品は映像の作品と異なり、複製では価値が落ちる、と述べ、映像の特殊性を指摘されている(本書45頁)が、これは分類がメルクマールなのではなく、複製技術の問題にすぎない。(アート的な作品である写真は「複製物」が本物と同一の価値を有する)
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2008年06月19日

[時事]知財推進計画2008がでた

知的財産戦略推進本部において「知財推進計画2008」が採択された。

ざっと見ると、重点戦略はiPS細胞の成果保護に躍起という感じも窺える(確かにすばらしい研究成果であるが、特定の発明の成果ばかりに注目して政策を作っているのではないと信じたい。(注1))。
眼を引くものとしては、
○国際出願への支援
○コンテンツ産業の振興のため包括的な権利制限規定の導入も含めた検討を2008年中におこなう
との記載があることだろうか。

後者は、フェアユース規定のことを意味しているもの思われる。
ただ、一般の利用者が文化的利益を享受することを目的としていないところは気になる。どこまでがターゲットになるのだろうか。

なお、重点戦略以外では
○Licence of Rightの検討
が挙げられてた。これは非常に興味深い。

ただし、
○有害情報のフィルタリング
など、知的財産に本当に関係しているのか?と思われるような計画も挙げられている。だんだんと総花的…というよりは、発散してきているのではと危惧もする。

(注1)知的財産の保護・活用はその分野によって望ましい姿が異なるからである。
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2008年06月17日

[つぶやき]携帯電話を禁止することに疑問

内閣の教育再生懇談会が、小中学生に携帯電話を所持させないよう求める提言を出した。

私的領域での行動の制限を強化すること、情報統制を強化することに対して、私は気持ち悪さを感じる。
なんかさ、日本の近くにある、かの国みたいで。
ま、これは私の個人的な感じ方ではあるが。

もちろん「子供を守りたい」という気持ちはわかる。

が、その思いを実現するのに、その方法は本当に正しいのか?
その方法しかないのか?
それ以外の方法を考え、それ以外の方法を磨くことを考える努力を、大人たちは怠っていないのか?

「有害情報」による悪影響を問題視するならば、有害情報に触れることがいかに子供たち自身の成長に影響するかを、情緒的にではなく(注1)、科学的に教えるのでは不十分なのだろうか?

それでは効果がないことは確かめた上で、携帯電話という有害情報に触れうるツールの一つの使用自体を禁じる提言を出したのだろうか?

あるいは、一定の効果はあるが、一部では効果がないことを問題視しているのだろうか。そうだとすれば、その一部が残ることが世の中に重大な悪影響を与えることがわかっていなかれば、その他大勢の行動を制限することに見合わないのではないだろうか。有害情報に触れることによる悪影響はそんなに大きいのだろうか?

情緒的なことを言ってみる。

携帯電話をもつことを「原則禁止」すれば、携帯電話をもっている子供は「悪者」になるかもしれない。
お父さんやお母さんが耳の聞こえない人の場合、メールは親子をつなぐ道具になる。(少なくとも家への重要な連絡手段である)
もちろんそのような背景事情を知っている人は、批判的な眼で見ないだろうが、何も知らない世間の多数の人はその子を批判的な眼で見ることは想像できる。
そんなのはレアケースだから切り捨ててしまうのだろうか。

いつでもどこでもネットワークにアクセスできることは、興味を持ったものをその場で調べることが出来ることを意味する。
好奇心おう盛な子供の興味をその場で(たとえば山や川で)、満たすことが出来る。新たに考える契機になるかもしれない。

…さて、ここで挙げた「情緒的なこと」は世間がユビキタス、ユビキタスともてはやしていた時に指摘されていた、ユビキタス化による利点である。(前者はバリアフリー、後者は間隙時間学習)

ユビキタス社会に関わるであろうツールを摘まなければならないほど子供たちに「有害」なのだろうか。「有害」と価値判断して、スタンダードをつくることは望ましい未来を作るのだろうか。

それとも子供たちは「昔ながら」に育ってほしいから、敢えてユビキタス社会から排除するのだろうか。「昔ながら」に育つことは至上の価値なのだろうか。ただのノスタルジーで規範を作られたのではたまらない(注2)。

(注1)子供たちの科学離れ、学力低下を唱える声が多いが、それを唱える声のもとは本当に「科学的で」「教養に満ちている」のだろうか…と教養も無く、科学の基礎である論理性も不十分な私が言ってみる(笑)
(注2)規範を作る者の考える力が乏しい場合、その規範の正当性を正確に判断できず、結果として望ましくない政策が実行され、考える力を乏しい世代を生み出すことに寄与してしまう蓋然性が高いと(経験上)思われる。なお、規範を作る者とは、主権者であり政治をコントロールできる私たちであることを付言しておく。(そう書いたところで、自分の考える力の無さがすごく恥ずかしくなった…)
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2008年06月16日

[特許法]米国連邦最高裁の最近の判決への評価

米国連邦最高裁については、e-Bay判決やKSR判決など、プロパテントの見直しを発想の基礎とすると読める判決を出していると受け止める意見が多い(注1)。

私もそのように理解していたが、批判的な意見を聞く機会があり面白かった。

批判的な意見は、
○最高裁判決は特許法を正確に理解していないと思われる記述がある。その要因は、知的財産に詳しい調査官がいないからである(制度的に担保していない)。
と、指摘している(注2)。

あるいはそうなのかもしれないが、少なくとも一部の業種ではプロパテントの変化を歓迎する声があり、それが最高裁判決の結論を歓迎しているのだろう。
歓迎の声が大きくなれば、早晩、CAFCとて無視は出来なくなるだろうし、あらたな立法論議が湧くかもしれない。

(注1)典型的には、特許庁 イノベーションと知財政策に関する研究会「イノベーション促進に向けた新知財政策(案)」
(注2)竹中俊子〔知財研セミナー2008年6月9日における発言〕
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2008年06月10日

[時事]「国際読書年」

国民読書年に関する決議が、国会で決議された。
平成20年6月6日
参議院本会議

 文字・活字によって、人類はその英知を後世に伝えてきた。この豊穣で深遠な知的遺産を受け継ぎ、更に発展させ、心豊かな社会の実現につなげていくことは、今の世に生きる我々が負うべき重大な責務である。

 しかし、近年我が国でも「活字離れ」と言われて久しく、年齢層を問わず、読書への興味が薄れていると言わざるを得ない。これが言語力、読解力の衰退や精神文明の変質の大きな要因の一つとなりつつあることは否定できない。

 我々はこの事実を深刻なものと受け止め、読書の価値を見直し、意識の啓発を目指し、政府と協力してあらゆる活動を行ってきた。一九九九年に「子ども読書年に関する決議」を両院で採択、二〇〇一年には「子どもの読書活動の推進に関する法律」を立法、さらに二〇〇五年には「文字・活字文化振興法」を制定し、具体的な施策の展開を推し進めてきた。

 それらに呼応して「朝の十分間読書運動」の浸透、読書の街づくりの広がり、様々な読書に関する市民活動の活性化など、読書への国民の意識は再び高まりつつある。

 この気運を更に高め、真に躍動的なものにしていくため、二〇一〇年を新たに「国民読書年」と定めたいと思う。これにより、政官民が協力し、国をあげてあらゆる努力を重ねることをここに宣言する。

 右決議する。


さて、「政官民が協力し、国をあげてあらゆる努力を重ねる」とある。
どんなオプションが考えられるだろうか。

■読書離れの要因
読書に対する意識調査として、読売新聞社がおこなったアンケート調査が参考になる。
(参照)
「読書週間 本社世論調査 本離れ懸念 世代で差」
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20041028bf01.htm

本を読まない(文字通り1冊も読まない)理由は、「時間がなかったから」ということである。最もこれではたくさん読まないことの理由はわからない。参考になることは出版社への希望だろうか。
そこで出版社や書店に望むことを見ると、主なものでは「本の値段を下げてほしい」(38.5%)、「字の大きな本を増やしてほしい」(25.2%)が挙っている。なお、価格に関しては、「安ければ良い」と考える人が多いことは考えるし、本を読まない人に取っては価格は問題でない(3.3%しか本を読まない理由に挙げていない)ことを考えると、それほど大きな理由ではないのかもしれない。なお、「絶版になった名著を復刻してほしい」も15.6%存在する。

これだけでは多くくりな見方しか出来ないが、とりあえず読書の阻害要因は
○時間がない
○出版社のニーズ把握が不十分
○過去の名著が活用されていない
と仮定する。

■国民読書年に関する決議に対応する政策案
□「時間がない」ことはどうしようもない
「時間がない」という仮定への対応は複雑である。労働や教育の時間が過剰になっていることも示唆するが、単に「読みたくない」の言い換えだけであるかもしれない。これに対しては私は策を考えられない。

□ニーズ把握が不十分の要因は?再販制度?
さて、次の「出版社のニーズ把握が不十分」であるとの仮定には、このような疑問がわく。「なぜ数多くの出版社があるのにニーズの把握ができていないのか?」
同じ本でもお年寄り向けの大きめの文字で、しかももちやすいもの。働く人向けには文庫サイズ。こだわりの人向けに想定にこだわったもの…など、多様な版を出版することはそれほど難しくないのではないだろうか。あるいはカスタマイズした版を印刷し、出力するビジネスモデルは考えられないだろうか(なお、その場合、150頁ならば2000円前後になろう。現在の書籍の価格より若干高いが、遜色は無い)。

その要因の仮説は3通り考えられる。
○出版社にはブレークスルー
○市場が小さすぎで対処できない
○出版社が現状の市場に満足している

2つ目の仮説であれば、読書の浸透を促すことがよりいっそうの解決につながる。読書の浸透方法についての政策案は後述する。

3つ目の仮説であれば、その要因は何であろうか。出版社が現状に満足できるのは、国により特別の保護を与えられているからである可能性が考えられる。特別な保護として考えられるのが、書籍再販である。

書籍再販に対して社団法人日本書籍出版協会は、
・本の種類が少なくなり、
・本の内容が偏り、
・価格が高くなり、
・遠隔地は都市部より本の価格が上昇し、
・町の本屋さんが減る、という事態になる
(社団法人日本書籍出版協会のサイトより引用)

と説明している。

たしかに「売れるものが作られる」ことは間違いないが、再販があろうがなかろうが、売れるものが作られるのには変わりないのではないだろうか。

「価格が高くなる」ということは私には理解が難しかった。価格を高くすれば需要が減り首を絞める。どうしても本を買わなくてはいけない人が要る場合にはそのようなことが成立するが、ありうるのだろうか。確かに個々の出版物は理論的に代替可能なものではない。が、著作権ではアイディアは保護されていないので、「記述されている内容」がミソとなっている本では代替性が生じる。「表現」がミソとなっている本では代替が出来ないが、そうはいっても、どうしてもアクセスしたい者が多い場合は市場原理が働きやすいのではないだろうか。なお、前述の通り「本を読まない理由」に価格が上位の理由となっていないことも気になる。

「地方と都市の格差」も疑問である。これは移動可能性が極めて乏しい場合に成り立つ仮説である。オンライン書店もあり、しかも、多額の道路財源を投入して移動可能性を高めた現在の地方で、そのようなフィクションは成り立っているのだろうか。

「街の本屋さんが減る」ことは、これは私には否定できない。感情的には、これは避けたいとも思う。しかし、これを違った眼で見ると、社会厚生を犠牲にして、国民の富を街の本屋さんの保護に投入していることになっている。その結果として、出版社が現状に甘んじ、さらにその結果として国民の読書離れが進んでいるというフィクションが成り立つならば、これは望ましいことではない。

私は本を読むのが好きな人間で、年に数十冊買っている人間であるからこそあえて言いたい。
読書文化を盛り上げるために「敢えて2010年だけでも再販制度をやめてみませんか」。

音楽でも、CDビジネスにこだわったら世界的に低調になってしまった。が、他方でデジタル音楽やライブという形で音楽はいっそう栄えていることが示唆されている。

再販制度を止めることで今のような「出版社が決めたデザイン・レイアウト・紙」で販売されるビジネスモデルは崩れてしまうかもしれない。しかし、活字文化は違った形で栄えるのではないだろうか。あるいは、崩れること無くかえって栄える可能性もある。
(注)再販廃止は価格を問題にしているのでなく、ビジネスモデル見直しを促すシンボリックなものとして議論している。他に方法があるならば、そちらもいいんじゃない、と思っていることにはご留意いただきたい。


□過去の名著の再活用
最後になったが、これについては、絶版となった著作物で権利者が明示的に絶版の意思を表明した者でないものの裁定利用を促す、あるいは、公衆送信権に限り権利制限を課すことも考えられる。
これも、恒常的なものでなく、一時的にやるだけで読書離れ対策になるかもしれない。

■で、話を戻す
とまぁ、おそらくおしかりを受けそうなオプションを検討してきた。さて、その原因は何だろうか?
「決議がアバウトだよ!」
に尽きるように思う。もう少し、何をするか明確にしてほしいなぁ〜。
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2008年06月05日

[特許]特許に対する研究者の意識―グレースピリオドは望ましいか?―

山形敏男*「知的財産権と研究の自由にかかわる問題―研究者の意識調査より―」技術と経済496号(2008年)42頁〜45頁は、研究者へのアンケート調査を行い、リサーチツール特許が研究の阻害になった例は極めて少ない、特許出願にあたって公表が制限されることが学問的自由を制約すると考える大学・公的機関の研究者は過半数を超えていることを示している。研究者の認識を示す資料として有益である。

■論文の概要
日本の大学・公的機関・企業に所属する研究者(それぞれサンプル数は585、467、23)に対しアンケート調査を実施し(なお、分野別には生命科学が653、化学/物理/天文が147、工学/数学/計算が275)、研究者の意識を調査した。
第三者の特許権のライセンスを受けた研究者は約12%であり、そのうち80%以上がリサーチツールである。ただし、ライセンス拒絶を受けたとの回答は0.2%にとどまった。
次に、特許出願のために研究成果の公表が妨げられることが学問的自由を阻害すると答えた研究者は、大学で50%強(なお、阻害しないとの意見は10%程度)、公的機関では50%弱(阻害しないとの意見は10%程度)、企業では30%程度であった。

■考察
リサーチツール特許の問題については、それほど大きな問題となっていないのかも知れない。その理由は詳しく検証する必要があるだろうが、研究社会のアウトサイダーからの特許権行使がそれほど多くないからなのかもしれない。(一時問題となっていたが、これは、短期的な視点で特許権行使をする者がいた、あるいは、単に適切な知的財産権行使ポリシーを持っていなかったことに起因するのかもしれない。そうであるならば、レピュテーション効果により抑制されたのであろう。)
特許出願のために公表が阻害されることが研究の阻害と考える研究者が少なくないことは面白い。しかも、企業内研究者との意識の差が注目される(ただし、企業内研究者は統計上有意なサンプル数でない)。山形さんが指摘するように、研究者評価指標として論文が用いられていることとの兼ね合いなのだろう。
このような意識の下では、グレースピリオドの導入に対して、研究者は前向きになるものと考えられる。

*(財)未来工学研究所 主任研究員
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2008年06月03日

[著作権]著作権法学会2008年研究大会を通じての示唆2:フェアユース規定の導入か、あるいは立法での対処か?

前回に続き、今回は、フェアユース規定の導入の可否について、研究大会での示唆を紹介し、考察する。

■フェアユース規定は導入することが望ましいか
権利制限規定を類推解釈しても、対処しようの無い、許容すべき利用形態もあるかもしれない。それに備えてフェアユース規定を導入するべきであろうか。

□研究会で得られた示唆
導入をするべきとの見解が複数見られた。その根拠としては、社会変化への柔軟な対応を挙げるものが多いようであるが、欧州の教訓を挙げる意見もあった。具体的には、EUの情報社会指令(2001/29/EC)は、権利制限規定を列挙し、加盟各国がこれ以外の権利制限を設けることを許容していない。その結果、欧州では、技術の進展、社会の変化に対応できていないところがある。そのような予測のできない領域に備えた一般条項の制定は行ってもよいのではないかというものである(注1)。
なお、研究会のシメには、新たなビジネスモデルの芽を摘まないためにフェアユース規定を入れるべきとの意見が挙っていた(注2)。
他方で、フェアユース規定は判例の集積がない限り、予測可能性が担保できない点を留意点として挙げる意見も見られた。

□考察1:なぜ「フェアユース規定」が望まれるのか?
少なくともインターネット上での議論では「フェアユース規定」導入を望む声が多い。
しかし、社会の変化に伴って生じた著作権法上の不適合の回避手段としては、立法的対処でも良いはずである。では、なぜ「フェアユース」に親和的なのであろうか?その理由として3つ考えられる。

○立法的対処では迅速な社会の変化に対応できない
これは、従来から指摘されているところである。しかし、フェアユース規定では予測可能性が担保されない点でデメリットであり、立法的対処の場合と同じように、なんらかの判決が下るまで行動の自由は保障されない(しかも立法的対処と異なり、行動の自由は「完全に」保障されない)。これでは、フェアユース規定導入の決定的理由にならないのではないように思う。

○広範な刑事罰があるため、フェアユースの領域が無いと立法的対処のニーズが育たない
著作権侵害に対する刑事罰のサンクションは大きいものであり、著作権に抵触しうる利用は控えるように行動することがおそらく合理的であると考えられる。しかも、コンプライアンスが重視されつつある企業文化の醸成を併せ考えると、少しでも著作権侵害となりうる利用は控えるのではないか。
そうであるならば、そもそも立法のニーズを醸成するまでに至らないままになってしまう。もっとも、迅速に立法が対処するのであれば、その趣旨を加味して権利濫用法理で処理されることが期待されるであろうから、問題としては大きくないのかもしれない。(ただし、立法的対処が迅速であること、立法的対処によって適切な利益調整が期待できることが前提である。)

○立法による利益調整への不信
立法の場で適切な利益調整ができていないため、立法的対処では不足と考えられている可能性もある。とくに近時、文化庁の審議会で、適切な委員が選ばれていないのではないか、との声もある。もちろん、文化庁の思いもわかる。一億総クリエーターといわれるなかで、利害関係者の一人である一般の利用者の代表は誰なのか定めにくいだろう。また、事実上の産業法となったいま、多様な利害が絡むため誰を委員に選ぶか極めて難しいこともよくわかる。とはいえ、もし不信が生じてしまっているならば、それはそれとして受け止める必要があるだろう。

仮にこの推測が正しいならば、著作権法の制度設計にあたり、適切な刑事罰の範囲が設定されること、および、十分な利益調整がなされることの2点が達成されると、フェアユース規定を導入する声は必ずしも高くならないようにも思う。

もし、フェアユース規定は著作権者の利益を害する、とお考えの方がいたら、ぜひ
○刑事罰規定の適正化
○著作権法改正の審議における十分な利益調整(これは一億総ユーザーとなった今、特定の利益団体だけでは十分な利益調整とはいえないだろう)
を訴えていただきたい(注3)。これが、フェアユース規定の導入を阻止する適切な手段であると私は考える。

□考察2:「フェアユース規定」は導入するべきか?
訴訟の長期化という弊害を招きかねないものであるとはいえ、私は導入に賛成である。その理由は、上記に挙げた2つ目の理由(=広範な刑事罰があるため、フェアユースの領域が無いと立法的対処のニーズが育たない)にあげたところにある。おそらく刑事罰規定の見直しはかなりの労力を必要とするだろう。ならば、フェアユース規定の導入が適切である。
また、立法的対処の迅速化も難しい。現在は、前年の秋頃に翌年度の審議会予算を確保しなければならない。機動的に審議会をひらくことが予算上難しいのである。

(注1)駒田泰士〔著作権法学会2008年研究大会おける発言〕。
(注2)BLJ Online「著作権法に未来はあるのか」(レクシス・ネクシスジャパン)参照。
(注3)端的に言えば、著作権者の利益保護にあたって、文化庁あるいは権利者(こちらはそのような方法を望んでいないのかもしれない)が「万全の」方法をとれば、かえって主権者の行動が著作権者の利益保護に不利な方向に転化させている、と感じている。これは刑事罰規定についても同様である。厳罰化すればするほど(これは量刑と、構成要件の双方を意味する)、かえって著作権者に利益になっていないのではないかと感じている。
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2008年06月02日

[著作権]著作権法学会2008年研究大会を通じての示唆1:フェアユース規定の導入か、制限規定の解釈での解決か?

筆者の怠惰が原因で大変遅いペースでの著作権法学会参加報告となっている。お恥ずかしい限りである。
残りの個別報告については、各報告のまとめではなく、その場で得た知見とそれに基づく考察をまとめていきたい。
そのようにする理由は単純である。
○実は午前の部は駒田先生以降しか聞けなかった(注1)
○島並先生の報告の時間は、不覚にも寝てしまった(注2)
…ごめんなさい…。

なお、今週末の工業所有権法学会も、午前の部が聞けない。どなたか聞きに行かれる方、レポートしていただけないだろうか…。

ともかくも、以下、社会の変化によって著作権法を適用すると「社会通念上」妥当でない結論が出る場合にどのように対処すれば良いか、という問題を出発点に、フェアユース規定の是非を考えていく。

■権利制限規定の類推解釈は可能か?
まず、現在の権利制限規定の解釈論で解決可能かが問題となる。しかし、これまで、制限規定のような例外規定は厳格に解釈されるべきとされてきている(注3)。

□研究会で得られた示唆
研究会の大勢は、制限規定であるから類推解釈が不可能との理解ではないように窺えた。また、制限規定自体の性質は権利者と利用者の利益調整にあるとの理解が多数を占めているようである。このような考えは、日本に留まらず、ドイツでも同じようである(注4)。
ただし、規定ごとに類推解釈の可否が検討されるべきとの考えが示されていた。具体的には、立法趣旨として例外を認めない趣旨であれば類推適用は認めるべきでないとの指摘があった(注5)。
なお、裁判実務上、地裁レベルで類推解釈を行うことは、上級審で覆された場合、以後の当該条文の類推解釈を困難にする可能性があるため、難しいとの発言があったことは興味深い(注6)(注7)。
他方、権利制限規定をより厳格に解釈する方向での類推解釈自体は許されるべきでないと指摘されていた。著作権侵害には刑事罰が存在するため、厳格に解釈すると侵害罪の範囲が拡張し、罪刑法定主義に抵触するというのがその趣旨である(注8)(注9)。

□考察
制限規定の厳格な解釈を示唆するような判決は依然としてあるものの(注10)、学説として制限規定の類推解釈に態度が緩やか(=類推解釈を許容する方向)であることが窺えた点は一つの収穫である。類推解釈の事例ではないが、飯村敏明判事の報告も示唆的である。
各権利制限規定の性質について吟味した上で、解釈により妥当な解決を導くことができる余地がないか、理論的な検討のポイントがまだまだあるのではないだろうか(注11)。

とはいえ、類推解釈で対処できないものもある。それに対して、フェアユース規定の導入を行うべきであろうか。次回では、「フェアユース規定の導入の可否」を考察し、その後、「一般条項を導入した場合における条約との関係と課題」をささやかではあるが考察する。

(注1)病院行ってました。
(注2)お昼食べ過ぎました。
(注3)駒田先生の報告によると、ドイツには「例外は厳格に解釈すべし」との法格言があったらしい。もっとも、〔そんなのおかしい」という考えもドイツにはあるようだ。いずれにせよ、日本における制限規定の厳格解釈の態度の根底にはドイツの法格言が影響していたようにも思う。
(注4)駒田泰士〔著作権法学会2008年研究大会おける発言〕。
(注5)島並良〔著作権法学会2008年研究大会おける発言〕。
(注6)事例に応じた適用の可否を論じたにもかかわらず、一般的解釈論として受け取られるから、という趣旨と理解した。
(注7)飯村敏明〔著作権法学会2008年研究大会おける発言〕。だから、知財高裁はがんばっているのかもしれない…。
(注8)島並良〔著作権法学会2008年研究大会おける発言〕。
(注9)今後述べていくところであるが、現在の刑事罰規定のあり方が、罪刑法定主義との関係や、サンクションの過大さとの比較衡量に基づく萎縮的な著作権規定の適用を生んでいるようにも思う。実は著作権の保護強化は、かえって著作権を弱めるインセンティブに作用しているのではないか。
(注10)本ブログ「[著作権]行政目的の複製に対する複製権の制限(著作権法42条1項)に公衆送信権は含まれると解するべきか?」(2008年3月3日記事)参照。
(注11)修士論文のタネですよ。
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