2008年03月27日

[特許]アメリカの中に先願主義へ転換を嫌がる声がある理由は何か?

米国の特許法改正作業は、まだまだ議論が続いているようである。最大の争点は、損害賠償額算定規定であるとはいえ、主要な争点の一つに先発明主義への転換があることは間違いない。

では、なぜアメリカの中に先願主義へ転換を嫌がる声が少なからずあるのだろうか?少なくともグローバルな展開をしている企業にとっては、他の主要国と制度が整合している方が有利であるように思う。個人発明家や大学にせよ、世界に潜在的ライセンシーがいる。彼らにとっても、同じような制度の方が望ましいのではないだろうか。

あるいは、先願主義に比べ先発明主義には明白に合理的な利点があるのだろうか。合理的な利点の有無を少し考えてみた(注1)。(私は米国特許制度に明るくないし、しかも世にある多くの先行研究に目を通せていないので下らないことを言っているかもしれない。その場合はご教示いただければ幸いである。)

■先発明主義は個人発明家、中小企業にとって公平な制度か?
先発明主義を擁護する見解は、先願主義への批判として、次の理由を挙げる(注2)。
 ○先願主義は出願のための資本・労力の投下を、発明の完成まであるいは完成直後に求めることになり、発明完成のための資本・労力を削ぐ。
 ○出願のための資本・労力は大企業ほど割きやすく、個人発明家・中小企業にとって不公平である。

確かに前者については否定の余地はない。しかし後者は抽象的に一般化できるのだろうか。実証が必要ではないだろうか。私も実証できている訳でないので非常に不毛な話になるが、次のような批判を思いつく。
 ○大企業よりも個人発明家・中小企業の方が、出願の是非判断を迅速に行うことができ、想起の出願準備をできる場合が少なくないのではないか
 ○特許代理人が一般化したいま、大企業と個人発明家・中小企業との間で出願のために割く資本・労力の差は「不公平」と言えるほど大きくないのではないか

また、後者については、現状のアメリカの制度は次の理由から個人発明家・中小企業にとって不利であるようにも思う。
 ○グレースピリオドがあるため、最低1年間権利関係が安定しない。これにより、特定の特許に依存した事業展開を行う場合、特許権を担保ないし収益源とした資金調達を行うことが、先願主義に比べ遅れることとなる。これは資本力に劣る個人発明家・中小企業にとって不利ではないか。(なお米国の制度では、出願後、第三者が当該発明に関し、特許権取得をする可能性がある。これは、日本や欧州の制度に比べ、事業化に対する大きなリスクと考えられる。そのようなリスクを負う個人発明家・中小企業が十分な資金調達ができるのだろうか。)

■誰が喜ぶのか?
現状の制度は、近時、個人発明家にとって有利に働いていないとの指摘もある(注3)。

他方で、大学を中心とする研究機関にとっては、研究成果を発表し、事業化のパートナーや応用研究のパートナーを募った後で、権利化の有無を判断できるというメリットが想定される。
米国では、大学からの研究成果の公表が多いとの指摘もある(注4)。このような研究成果の公表は、先発明主義、あるいは、グレースピリオドがあることに起因する合理的な行動なのかもしれない。

先発明主義に喜ぶのは大学であり、その大学が世界的に見て強いから、先発明主義、少なくともグレースピリオドを維持したい、というロジックがあれば面白い。この点は、今後注視したい。

(注1)これを考える材料にと思い、Suzanne Konradさんというシカゴ・ケント大の大学院生の論文The United States First-to-invent System: Economic Justifications for Maintaining the Status Quo, 82(3) Chicago-Kent L. Rev. 1629-1654 (2007) available at pdf" target="_blank">http://lawreview.kentlaw.edu/articles/82-3/Konrad%20Author%20Approved%20Edits(H)(P).pdf を読んだ。学生さんの論文とはいえ、先発明主義擁護の立場から、しかも経済学的分析ということで、我々が見落としている先発明主義の利点の発見に期待したが、失礼ながら粗末な内容であった。経済学的分析とはほど遠いものであったし、立論に根拠が無かった。せめてcitationに参考となるものはないかと願ったが、それも期待できなさそうである。これを拡大解釈することは望ましくないが、アメリカの先発明主義擁護の議論はそんなものなのだろうか、と思ってしまう。
(注2)id at 1634はこれを所与のものとしている。
(注3)米国上院公聴会でのGerald J. Mossinghoff氏の発言。吉田哲「米国の特許法改正における主要な論点と産業界の反応(中)」知財Awareness 2005年9月15日記事 http://chizai.nikkeibp.co.jp/chizai/gov/nara_yoshida20050915.htmlも参照。
(注4)日経産業新聞 2008年3月25日記事「オープン化が変える知財戦略」
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2008年03月24日

[著作権]インド著作権法に関する覚え書き

必要があってインド著作権法を調べていると日本法と異なるところが少なからずある。
おもしろかったので、覚え書き程度に書き留めてみた(注1)。

■立法上の相違点
□貸与権の対象がプログラムの著作物に限定

インド著作権法は著作物の類型ごとに著作権の権利内容(支分権)を規定している。その中で貸与権に該当する権利はプログラムの著作物にしか与えられていない(14条(b)(ii))。
日本において貸与権は貸レコード対策として立法され、その後著作物一般を対象とする支分権とされたものと説明されるが、インドでも同様にレンタルソフト対策として規定されたのであろうか。その立法過程が知りたいところである。
なお、同号但し書きはプログラムを貸与の本質的目的としない貸与には及ばない旨を規定している。

□著作権譲渡は原則時限譲渡
インド著作権法は著作権譲渡にあたって書面での契約を要求しているが、その中で譲渡の期間を定めないと5年の譲渡であるとみなされる(19条5項)。
このような立法例は管見の限り主要国で見られない。
利用許諾でなく譲渡契約の期間を限る理由はどこにあるのであろうか。

■余談:私の誤解

インド著作権法を調べている中で、恥ずかしながら、大きな発見が2つあった。

□英米法だって著作者人格権の規定がある
「英米法は著作者人格権の規定が無く、一般人格権で処理している」と妄信していたのだが、インド著作権法第4章にはばっちり著作者人格権の規定がある。インドはイギリス法を継受している点が多いので、イギリス著作権法を調べてみると、これまたばっちり規定があった。
これは、ベルヌ条約に批准した影響であるようだ(注2)。
歴史的な経緯としては正しいのだろうが、現状もそうだと理解していた自分が恥ずかしい。

□著作権の譲渡には書面性が要求される立法が多い
上にも挙げたようにインド著作権法は著作権の譲渡に書面性を要求している。
特異な例かと思いきや、アメリカ、イギリス、フランスも同様の規定があった。
著作権の譲渡契約が支分権ごとや、地域的範囲などを限定した契約がなされること(つまり細分化されること)がしばしばあるという実務状況を反映し、紛争の防止のためこのような規定が設けられていると考えられる。
日本においても平成17年に書面性の要求について検討がなされていたが、
 ○我が国では主要な契約は諾成契約であり、著作権譲渡契約のみ要式契約とする合理的理由が見いだせない
 ○自由心証主義のもとに契約締結の事実についての認定が行われた方が妥当な解決を図ることができる
 ○些細な著作権譲渡に要式性を求めるのは煩雑
 ○弱者保護の観点は下請法で達成している
との理由で否定的な結論が下されている(注3)。

■参考
インド著作権庁(人的資源開発省中等・高等教育局)
http://copyright.gov.in/

社団法人著作権情報センター>外国著作権法>インド編(山本隆司・岡雅子共訳)
http://www.cric.or.jp/gaikoku/india/india.html


(注1)なお、私は2月段階にこれを調べたのだが、わずか1ヶ月後、日本語訳がCRICから公表された…。なんとムナシイ。
(注2)神繁司「ギリス新著作権法寸描」カレントアウェアネスNo.128(1990年) http://current.ndl.go.jp/ca658
(注3)文化審議会著作権分科会法制問題小委員会契約・利用ワーキングチーム「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会契約・利用ワーキングチーム検討結果報告」 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/013/05072901/003.htm
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2008年03月17日

[つぶやき]「忙しい」は言い訳!

時間の使い方が下手で、きちんと勉強ができていません…。
その影響でブログも閑散としてしまいました。

何処の世界でも(学問の世界でも、ビジネスの世界でも、法曹の世界でも)バリバリ仕事をしていて、しかも、見識の深い方というのがいらっしゃるので、見習いたいところなのですが、実践できていないのが恥ずかしいところです。

いちど、そういう方の一人に、仕事と勉強をこなすノウハウを尋ねたところ、

「勉強にさしさわるほどの仕事をしない」

と教えられました。確かに、勉強しないと仕事は効率的に進みませんしね。

しかし、残業を続ける同僚を背になかなか勇気を持って仕事を切り上げられない小心者です…。
posted by かんぞう at 00:50| Comment(2) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[時事]米国特許法改正の行方とその背景についてちょっと考えたこと

財団法人知的財産研究所で開かれた講演会で、米国弁護士の服部健一氏から、米国特許法改正の動向やその背景について話を聞く機会があった。とくに、なぜ改正がなかなか進んでいないかが、これまでいまいちわかっていなかったので、参考になった。

■米国特許法改正のネックと動向
特許法改正案は下院を通過。しかし、大統領はバイオテクノロジー産業・製薬産業(現行特許法に親和的)寄りのため、同案を受け入れない旨を表明しており、上院案の修正作業中である(修正点は下記、改正の焦点と一致)。
改正の焦点は2点のようだ。
  ○損害賠償の計算規定(現状は損害賠償額が多額になる傾向があるため、低減する方向)
  ○登録異議申立て制度の創設

バイオテクノロジー産業・製薬産業は、特許ライセンス料に依存しているため、損害賠償額が減ることは望ましくないと考えているようである。表向きには、
  ○改正の計算規定では立証の負担が増大する
  ○知的財産権保護を緩和したとの誤ったメッセージを伝える
ことを理由としていることが窺える。

■考察:なぜバイオ産業は現状の損害賠償規定が望ましいのか?
これに関しわからないことがある。なぜ、バイオテクノロジー産業・製薬産業がなぜ多額の損害賠償すら容認する規定が望ましいと考えるのであろうか。もちろん、多額の開発費を回収するため、ということはわかるが、メーカーである以上、第三者の特許権侵害のリスクを有しているようにも思う。高額の損害賠償は経営の重大なリスクにならないのだろうか。

バイオテクノロジー産業・製薬産業では、1点の特許発明が製品に結びつくことが多いと言われている。これを敷衍して、仮に1点の特許発明だけで製品がなりたち、他の特許が混入する可能性が低いのだ(仮説A)とすれば、先行技術調査さえしっかりしていれば第三者の特許侵害の有無を確認することができるだろう。そうでならば、損害賠償が高額であろうと経営の問題になることはなく、しかも高額の損害賠償を背景に、自社の特許権利用許諾のライセンス料を高くすることができるため、彼らの主張は合理的であるとわかる。

しかし、仮説Aが正しくないのなら、別の仮説として、米国のバイオテクノロジー産業・製薬産業がきわめて高い開発力を有し、他社の特許権侵害となる可能性が低く、仮に侵害をしたとしても、他社から得たライセンス収入額が遥かに損害賠償額を上回っている(仮説B)という状況が考えられる。もっとも、この仮説では米国企業間での特許権侵害の場合について説明できない。この仮説を支えるためには、米国企業間では何らかの協調関係が存在する、という背景事情もいるのではないだろうか。

あるいは、別の仮説として彼らの多くが特許権侵害の可能性が全くないファブレス企業になっているという可能性もある(仮説C)。ただし、Buyerなど大手製薬企業についてはこれは当てはまらないような気もするが…。

私には知見がなく、ここでは各仮説を検証することができないが、彼らの行動の背景は非常に気になる。

■考察:バイオ産業寄りの政策は米国のためになるのか?
しかし、果たして彼らバイオ・製薬産業のこのような行動は、米国のためになっているのだろうか。

仮に米国における高額の損害賠償を背景に、交渉において自社の特許権利用許諾のライセンス料を高く設定しているのであれば、米国のような損害賠償が認められてない他国は不公平感を禁じ得ない。
自国に有力な製薬産業を抱える国にとっては、強制許諾を認める方向につなげたくなるのではないだろうか。しかも、少なくとも製薬については自国の国民の健康福祉に関わるため、大義名分はたつ。
その典型がインドであろう。

そうすると、米国のバイオ・製薬産業はそのような国からは高額のライセンス収入を得ることはできなくなる。高額の開発費の回収が背景にあるとすれば、開発費の負担は、米国民および米国との二国間関係を考慮して強制許諾を講じない国の国民の負担に帰する。

このような状況は本当に米国にとって望ましいかについては疑問である。何か私が見落としてることがあるのだろうか…。

■参考資料
・澤井智樹「ニューヨーク発 知財ニュース」(2007年4月28日)
www.jetro.go.jp/biz/world/n_america/us/ip/news/pdf/070428.pdf

・IPNEXT「米特許法改正案は米国経済を弱体化、バイオ団体が主張(BIO)」(2008年2月20日)
http://www.ipnext.jp/news/index.php?id=2833
posted by かんぞう at 00:39| Comment(4) | TrackBack(0) | ★時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月03日

[著作権]行政目的の複製に対する複製権の制限(著作権法42条1項)に公衆送信権は含まれると解するべきか?

〔社会保険庁LAN雑誌記事事件〕東京地判平成20年2月26日(判例集未搭載)平成19年(ワ)第15231号(※設樂コート)は、著作権法42条の興味深い論点を示している。

■事案の概要
被告(国)の設置した社会保険庁内のLAN(利用者:社会保険庁全職員約17000人)に、原告が著作権を有する雑誌記事(社会保険庁に対する苦情に関するものであった)を掲載したことが、原告の当該著作物にかかる複製権または公衆送信権を侵害するものとして争われた事案。
被告は、複製権侵害の主張に対しては著作権法42条1項(行政目的の複製に対する複製権の制限)に該当するとし、公衆送信権侵害の主張に対しては、文言上著作権法42条には公衆送信権は含まれないが、その趣旨を没却しないためにも、公衆送信権が同条の対象に含まれると解釈するべきと述べていた。
他方原告は、複製権侵害の主張に対する抗弁への反論として、「国家意思等を決定するに必要であり、その著作物を複製しなければ行政の目的を十全に達成できないような場合でなくてはならない」と述べていた。

■判旨(42条1項の該当性について)
「42条1項は,…(中略)…特定の場合に,著作物の複製行為が複製権侵害とならないことを認めた規定であり,この規定が公衆送信(自動公衆送信の場合の送信可能化を含む。)を行う権利の侵害行為について適用されないことは明らかである。」
「また,42条1項は,行政目的の内部資料として必要な限度において,複製行為を制限的に許容したのであるから,本件LANシステムに本件著作物を記録し,社会保険庁…(中略)…及び社会保険事務所内の多数の者の求めに応じ自動的に公衆送信を行うことを可能にした本件記録行為については,実質的にみても,42条1項を拡張的に適用する余地がないことは明らかである」


■考察
本事案は42条1項にいう「行政目的」の該当性について判断する機会であったが、判決はその判断を避けている。42条の文言上公衆送信権が含まれていないことから、公衆送信権は同条の対象外と述べた上で、公衆送信権の侵害を認定して原告の請求に応えている。

しかし、これには疑問がある。

42条1項の文言上公衆送信権が含まれていないことは間違いないが、複製と公衆送信の違いを区分する必要性があるのだろうか。仮に行政内部において公衆送信可能化することにより当該情報を受領する者の数が増えることを問題にしているのであれば、同条但し書きに言う、
「当該著作物の種類及び用途並びにその複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない」

に該当するとして同条の適用を否定すればいいのではないか。
このような判断の背景には、あるいは30条以下は限定列挙であるから限定的に解釈しなければならないという考えがあるのかもしれない。しかし、そのような一般的な命題には異論のあるところである(注1)。

もっとも、判決が本件行為について「実質的に見ても,42条1項を拡張的に適用する余地がない」と述べていることに鑑みれば、行為態様によっては同条が公衆送信に拡張して適用される可能性もある。
しかし、仮にそのような意図であるとすれば、42条1項但し書きに照らし、本件行為が不当な利益を害するものか否か、判決は丁寧に述べているはずである。おそらくそのような読み方は出来ないのであろう。

■余談
余談になるが、執務の参考情報として行政が著作物を共有する場合、著作権者への許諾が必要…となると、そのライセンス料契約は『随意契約』となる。これって大変な手間では…などと余計な心配もしてしまう。

(注1)総論的にそのように触れるものとして中山信弘『著作権法』(有斐閣、2007年)241頁。なお、42条1項にいう行政目的を限定的に解するべきと述べるもの(本件原告の主張である)として、加戸守行『著作権法逐条講義 四訂新版』(著作権情報センター、2003年)283頁。
posted by かんぞう at 01:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする