2007年08月31日

[時事]特許による「待ち伏せ」行為に対して欧州委員会が動いた

ITpro(2007/8/24日記事)(http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20070824/280233/?L=top5)によると、欧州委員会がRambus社に対し、EC条約87条違反に関する異議声明を送ったようだ。

形式的には純粋な特許権の行使であるが、競争法上の違法性が認められている点で、興味深い事例である。

Rambusに対しては、米国FTCが処分を下している。米国では「自己の特許権が技術標準に含まれる過程に参加していた」かつ「意図的に情報開示をしなかった」上で行った点などが、競争法上の違法性の根拠とされていた。
おそらく、欧州でも同様の判断が下されるだろうが、仮に根拠に違いがあれば、おもしろくなる。
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2007年08月26日

[著作権]国会審議をインターネット配信することの著作権法上の議論を紹介する記事の疑問と、これが示唆する問題提起(下)

[著作権]国会審議をインターネット配信することの著作権法上の議論を紹介する記事の疑問と、これが示唆する問題提起(上)(2007/8/25記事)の続きです>

■疑問3:「日本の著作権法[引用者注:の権利制限規定]は限定列挙であるという一部の知財法専門家の常識は、知財法に定められた以外の多種多様な権利の存在を失念した思い込み」か?
瑣末なことであるが、私はこの行は「書かなければ良かったのに」と感じている。

まず、コンテクストとして疑問がある。
太田さんのこの記事は、40条2項の行為類型が「限定列挙」と解する文化庁への批判ではなかったのだろうか。
なぜ、広く限定列挙(おそらく権利制限規定のことを指す)を問題にするのだろうか。なぜ、「一部の知財法専門家」まで対象が拡大されるかのような表現をされるのだろうか。

確かに、著作権の権利制限規定は限定列挙と理解されている。
もっとも、その不都合は認識されているところであり、必要に応じて解釈論で対処し(注7)、あるいは、必要に応じて法を改正すればよい(注8)。
立法の態度決定として、予測可能性を担保するため、ある程度明確に線を引くことを選んだのである。

また知的財産法の現状の理解としても疑問がある。
制限規定は少なくとも憲法上の権利との衝突が問題となる場面はかなり網羅されている。本件のような「参政権」との衝突(注9)も、40条は対処していたのであり、問題は40条に含まれる行為類型に本件のようなものが想定されていないために明記が無かっただけであり、議論の途中となっているだけである。技術の進歩が想定外の事態を生じさせたのであるから、法が後追いで対処すればよいだけではないだろうか(注10)。

このセンセーショナルな一文があることで、本件の問題点がぼけてしまっているように思われる。

■何が問題か、どう対処すべきか
私は「衆議院TV」はの問題の核について、次のように考えている。

疑問2のところで触れたが、問題の核心は40条2項にどのような行為を挙げており、挙げられるべきかに尽きる。IPマルチキャスト放送が含まれるべきであるならば、文言解釈か立法による対処が望まれる。この点について私は、現状でも40条2項の文言解釈で対処可能かもしれないと考えている(重ねて述べるが、文言上苦しいことは間違いない)。

もっとも、壇俊光弁護士が「国会審議のネット中継の適法性」『壇弁護士の事務室』(2007/8/23記事)(http://danblog.cocolog-nifty.com/index/2007/08/post_8c41.html)で指摘されているように、
しかし、悲しいかな、世間で認められれば立法されて合法になるが、それまでは犯罪者というのが、日本の著作権法の一般的な解釈である。

というのは、予防法務の観点からは当然であり、まっとうな感覚である。

そうであるならば、40条2項の対象に自動公衆送信一般を含めることの是非を、Three Step Testに留意しつつ検討し、立法で対処することがベストだろう。

この点について、なぜ40条2項が結果として、視聴者に同時に届くことを問題にしているかが気になる。
仮に、編集など恣意的な改変のおそれを懸念しているのであれば、それは著作権法上の考慮の対象外ではないだろうか(注11)。
この点については40条2項の研究にゆだねたい。

縷々疑問点は挙げたものの、40条2項の問題点を浮き彫りにした点で、太田さんの記事は興味深いものであった。

(注7)例えば、ネットオークション上での美術の著作物出典に当たってのサマリー画像掲示について引用の解釈論での対処を志向するものとして、たとえば、田村善之「絵画のオークション・サイトへの画像の掲載と著作権法」知財管理56巻9号(2006年)1307頁以下。
(注8)限定列挙の不都合については立法サイドの方も認識されている。加戸守行『著作権法逐条講義 四訂新版』(著作権情報センター、2003年)224頁。※版が古いですが…
(注9)もっとも、参政権がそのようなものであるかはなお憲法学上の議論があるだろう。ここでは、松井茂記『日本国憲法 第2版』(有斐閣、2002年)で示されているような、表現の自由と参政権を結びつけた理解(つまり、政治参加のためには政治に関する情報の取得と伝達が必須であり、これは憲法上保障されている、との理解)に、敢えて基づいて捉えている。
(注10)口の悪い人ならば、「知財法に多種多様な権利との調整が既に織り込まれていることを失念した思い込み」によって、この記事を太田さんが書いたと批判されると思う。
(注11)そもそもそんなことを言い出したらマス・メディアが伝えるものも恣意的な編集はされているし…。問題は、情報を受領する国民がきちんと判断できれば良いのである。判断できない、との思い込みの下に、過剰なパターナリスティックな介入が行われることは望ましくないように思う。
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2007年08月25日

[著作権]国会審議をインターネット配信することの著作権法上の議論を紹介する記事の疑問と、これが示唆する問題提起(上)

太田昌孝「国会審議のネット中継が浮き彫りにした、フェアユースをめぐる矛盾」CNET Japan(2007/8/23記事)(http://japan.cnet.com/column/pers/story/0,2000055923,20354036,00.htm)に触れた。

非常に面白い問題提起を含むものであるが、法律を学んでいる者の視点からは3点疑問が沸いた。まずはこれを検討し、何が問題の根にあるのかを整理してみた。

■この記事の概要
その概要は、次の通りである。
(以下、要約)
衆議院の事務局が議員運営委員会の議決を踏まえて行っている「衆議院TV」は、国会審議をインターネット中継し、また、ビデオライブラリーとして配信している。
だが、国会審議等の著作物としての側面の自由利用を認めた著作権法40条2項は、自動公衆送信を明示していない。つまり、条文上は著作権侵害に当たる。
この点、衆議院事務局は「自動公衆送信」ではあるが同項に挙げられる「放送」または「有線放送」に当たると解し、「衆議院TV」は合法であると主張している。他方、文化庁著作権課は著作権法40条2項に挙げられた行為類型は限定列挙であると解し、自動公衆送信は「放送」または「有線放送」に当たらないと解している。
しかし、国会審議を国民が視聴することは「参政権」である。その点から、「衆議院TV」のような利用方法はフェアユースとして認められるべきである。より踏み込んで、日本の著作権法は、著作権と他の権利が衝突する場面では「フェアユース」が認められている、と解するべきである。
(以上、要約)

結論に当たって、太田さんは次のようにも述べられている。
日本の著作権法[引用者注:の権利制限規定]は限定列挙であるという一部の知財法専門家の常識は、知財法に定められた以外の多種多様な権利の存在を失念した思い込みに過ぎない。


■疑問1:「日本の著作権法はフェアユースを認めている」か?
細かな点にこだわれば、太田さんの使われているこの問いは表現が正確ではない。
もし「フェアユース」=「著作権の権利制限」と理解するならば、答えは簡単である。30条以下で認められている。
他方、もし仮に「フェアユース」=米国著作権法107条に定めるようなルール、というのであれば、これは苦しい。もっとも、太田さんもこの点は言葉を選ばれているようであり、
権利と権利が対立する場合には
という限定を附されているので、米国著作権法107条の意味でのフェアユースとは違う、何らかの前提をもったフェアユースを言っているように読める。
おそらく「日本の著作権法は、明文にないフェアユースを権利衝突の場面では認めている」との趣旨であろう。

なお、ここでいう「権利」が単なる私法上の権利一般を指すのか、あるいは、憲法上の権利を指すのかは判然としないのだが、参政権に言及されていることから憲法上の権利と読むのが適切であるように思われる(もっとも、表現の自由を盾にすれば多くの場合に憲法上の権利との衝突がある、と考えることも出来るかもしれない。)

仮に以上のように太田さんの主張を理解するならば、当たり前のことを言っていることとなる。
著作権といえども財産権の一つである(注1)から、「公共の福祉」による制限を受ける。
ただし、安易に制限を認めると、裁判所による立法を認めることにつながり、あまり望ましいことではないと考えられるし、また、TRIPs条約13条のいわゆるThree Step Testとの関係で問題が生じる場合がありうる。慎重な考慮が必要だろう。

■疑問2:この場面は広義のフェアユース議論の場面なのか?
さて、次に疑問が沸くのは、『40条2項の条文上挙げられていないが、参政権との関係で「フェアユース」を認めるべきである』、というように大上段に構える必要性があるのか、という点である。

40条2項は次のように定めている。
(平成19年7月まで)
国若しくは地方公共団体の機関…(略)…において行われた公開の演説又は陳述は、前項の規定によるものを除き、報道の目的上正当と認められる場合には、新聞紙若しくは雑誌に掲載し、又は放送し、若しくは有線放送を行うことができる。
(平成19年7月以降)
国若しくは地方公共団体の機関…(略)…において行われた公開の演説又は陳述は、前項の規定によるものを除き、報道の目的上正当と認められる場合には、新聞紙若しくは雑誌に掲載し、又は放送し、若しくは有線放送し、若しくは当該放送を受信して同時に専ら当該放送に係る放送対象地域において受信されることを目的として自動公衆送信(送信可能化のうち、公衆の用に供されている電気通信回線に接続している自動公衆送信装置に情報を入力することによるものを含む。)を行うことができる。
※強調部は平成18年改正(平成一八年一二月二二日法律第一二一号、平成19年7月1日施行)

さて、この問題への対処の可能性として、40条2項の文言解釈ではだめなのだろうか?

平成19年7月以前については、そもそも40条2項の立法時に自動公衆送信を「意識していなかった」と理解すれば(注2)、あとは法目的上自動公衆送信を認めることの是非が検討されることとなる。文言上は苦しい(定義規定との整合性は欠く)が、参議院事務局の言うように40条2項に限り「自動公衆送信」は「放送」「有線放送」に当たる、と解することができよう。

仮にこのように解しても、「著作物の通常の利用を妨げ」てはいないし、「権利者の正当な利益を不当に害していない」ものと思われる(注3)。また、国会審議という「特別な場合」であるから、Three Step Testに照らしても問題が無いのではないか。

もっとも、平成19年7月以降は状況が変わる(注4)。「自動公衆送信」が含まれたのである。ただし、送信の同時性が求められているため、「衆議院TV」にあっては、国会審議をインターネット中継することは40条2項で許容されるが、ビデオライブラリーとして配信することは、条文上明らかに40条2項で許容されない行為となる。

ただ、平成18年改正で40条2項にいう「自動公衆送信」に同時性が求められたのは、改正時の状況としてやむをえないものであったにすぎず、明示に自動公衆送信を除外する意図は無かったのかもしれない。平成18年当時(から現在に至るまで)IPマルチキャスト放送をめぐる議論が活発に行われているところであり、送信の同時性を持つ自動公衆送信が有線放送と同視しうるのか否かで議論が進められていた(注5)。

この中で、送信の同時性を持つ自動公衆送信についても40条2項の対象としたことは大きな前進であったのだと推測される。そのような中で、広く「自動公衆送信」一般についての議論は深まっていなかったのではないだろうか。
あるいは広く「自動公衆送信」一般について議論すると、議論が混乱することを恐れたのかもしれない。

文化庁著作権かはこのような背景があるからこそ、40条2項の行為類型を限定列挙と述べているのではないか。

仮にそうならば平成19年7月以降であっても、文言上は苦しいが、解釈論として自動公衆送信一般が認められる余地が無い、とはいえない。
以上のところからは、(少なくとも私には)大上段にフェアユース一般の議論を持ち出すことへの疑問は解消されていない。

<長くなりすぎたので明日へ続きます>

(注1)細かい点は憲法学の世界にお任せしたい。ただ、どこかで長谷部泰男先生がそう仰ってた気がするので、ここではあっさり財産権として扱った。
(注2)もっとも立法の経緯は管見の限り明らかでない。詳細な研究を行っている方はいらっしゃらないだろうか?
(注3)この点は、異論があるかもしれない。こんな場面では問題がある!とお気づきの方はお教えいただきたい。
(注4)衆議院TVのスタートが数年前であることから平成19年7月以前の規定の議論を持ち出されているのかもしれないが、改正法に触れていない点で、太田さんの議論にはちょっと首を傾げてしまう。
(注5)詳しくは文化庁『著作権分科会(IPマルチキャスト放送及び罰則・取締り関係)報告書』参照。
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2007年08月24日

[著作権][競争法]頒布権の消尽は知的財産法が競争秩序の中に位置づけられることを表しているか

若手の競争法学者で、著作物再販制度について業績を挙げられている石岡先生の論文、「消尽原則と競争秩序―頒布権の行使と取引の制限」日本経済法学会年報27号(2006)年117頁以下に触れた。

■石岡論文の要旨
その要旨は、おおよそ次のようである。
知的財産権であっても競争秩序との関係で権利内容が考慮されるようになってきた。その表れが、権利の消尽原則である。特に著作物の頒布権の消尽を認めた〔中古ゲームソフト事件(大阪)〕(注1)は、権利保護の前提として「市場における商品の自由かつ円滑な流通」という
社会公共の利益が考慮されなければならないことを示している。」

■知的財産権の保護においても市場における商品の自由かつ円滑な流通の保護という競争秩序が前提とされているのか
知的財産法秩序と競争秩序の関係については、近時議論のあるところとなっている。石岡論文が主眼としている、知的財産法秩序が競争秩序の中に位置づけられる、という理解は、田村善之教授や白石忠志教授によっても示されている(注2)。
石岡論文は、ここでいう競争秩序を独占禁止法が規律する競争秩序と理解されているようにも読める(注3)が、ここでいう競争秩序は、独占禁止法が規律する秩序と同義と考えることができるかについては、異論が存在する。たとえば、稗貫俊文教授は、独占禁止法が規律する競争秩序と知的財産法が規律する競争秩序は性質が違うと理解されている(注4)。ここでいう競争秩序は私法一般の秩序と理解することもできよう(注5)。
この点については、なお検討の精緻化の余地があるところと思われる(注6)。

■頒布権の消尽は知的財産法が競争秩序の中に位置づけられることを表しているか
石岡論文は最高裁判例等を分析することにより、知的財産法の権利内容確定にあたって市場における商品の自由かつ円滑な流通と言う視点が考慮されるようになってきたと観察されている。しかし、私はなお、慎重に検討すべき点があると考える。
最高裁が著作権との関係で明示的に流通の自由を保障しようとしたのかについて、判然としないように思われるのである。
著作権法学においては頒布権が特殊な存在として位置づけられてきた(注7)。著作権は伝統的に流通をコントロールするものでないと(半ばドグマティックに)理解されてきたようにも思われる(注8)。その理由には、著作権が保護するものが表現物であるが故に、表現の自由との関係が生じうる点もあるのかもしれない。もしそのようなドグマからの帰結にすぎないのであれば、積極的に石岡論文のような主張をすることは、なおためらわれるように思う。

■石岡論文に学ぶ点
以上のような議論点を示している点、また、裁判例の観察として流通の自由保障と言う競争秩序の観点が知的財産法の権利範囲の考慮に含まれてきつつあることを指摘している点は、この論文によって大いに学ばされたところであった。

■補遺
なお、石岡論文の中で挙げられている興味深い論点として、『頒布権の内容には「価格制限をおこなうこと」も含まれているか』という点もあるが、これは別の記事で検討したい。

(注1)最判平成14年4月25日民集56巻4号808頁。
(注2)たとえば、白石忠志『独占禁止法』(有斐閣、2006年)334頁。
(注3)石岡論文126頁の記述から読める、というだけであるので、正確なところは不明である。
(注4)金井貴嗣ほか編著『独占禁止法 第2版』(弘文堂、2006年)〔稗貫俊文執筆部分〕337頁注3。
(注5)精読をしていないので挙げるのは恐縮なのだが、田村善之「競争政策と民法」NBL863号(2007年)はそのような理解をされているように思われる。
(注6)もっとも抽象的な「秩序」を議論することが、知的財産法の権利範囲内用の確定にあたって決定的なものとなるようには思われない。むしろ、事後観察の際に、概括的な評価としてどのような秩序に位置づけられるかの議論になるのに留まるのではないだろうか。
(注7)未だ議論のあるところである。世界的な議論の俯瞰は、斉藤博『著作権法 第2版』(有斐閣、2004年)172頁〜178頁参照。
(注8)この点については別途検討したい。
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2007年08月22日

[つぶやき]学問に餓える

最近仕事が忙しくなってきてしまった。
その影響で、ついつい最新の情報収集を怠りがちになってしまっている。
ちょっと学問からはなれると、考える力があっという間に鈍ってしまう。

学部から大学院の6年かかって、ようやく身につけだした、と思えた法学の思考の仕方(方法論)も衰えるのはあっという間なのだなぁと思う。
ちょっと反省して、NBLの競争秩序と民法の特集を読んで力を取り戻したい。
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2007年08月16日

[特許]米国における進歩性判断手法をめぐる重要判決(KSR事件連邦最高裁判決)についての覚書

相田義明「発明の進歩性・非自明性について――KSR米国連邦最高裁判決に接して」ジュリスト1339号(2007年)143頁以下を読んでみたのだが、米国の進歩性判断基準について全く知識が無いため、いまいちよく分からなかった。そこで、簡単ながら判決意義について調べてみたので、覚書を残すこととする。誤りがあればご指摘いただければ幸いである。

■KSR事件連邦最高裁判決(注1)の意義

進歩性判断にあたっては当業者の技術的常識を考慮すべきである、と述べた点が最大の意義である。

争点となったのは、連邦巡回裁判所や米国特許庁が実務基準として用いてきたTSMテストの是非であった。TSMテストとは、既存の発明の組合せからなる発明(以下、組合せ発明)の進歩性判断に当たっては、当該既存発明から組合せ発明に至る「直接の示唆(teaching)が既存発明に存在」「なんらかの示唆(suggestion)が既存発明に存在」「組合せ発明完成への積極的な動機づけ(motivation)が既存発明に存在」している場合(以下、「TSMテストを満たしている場合」という)には進歩性を否定する、というもの(のよう)である。
連邦巡回裁判所はTSMテストを満たしていない場合に進歩性を肯定する実務傾向があったようである。

今回示された判決のロジックは次のように集約できる。
連邦巡回裁判所が用いるTSMテストは、法的評価を加える余地が乏しい。進歩性の判断は、法的判断であるとの前例があることから、TSMテストを進歩性充足の唯一の判断基準として用いることは、進歩性判断を法的判断から単なる事実判断に貶めるものであり、適切でない。
以上のように述べた上で、当業者の技術的常識を考慮して進歩性を判断している。
裁判所としては、TSMテストを満たす場合以外にも当業者の技術的常識を考慮して進歩性を否定される場合がある、言いたかったのだろう。

KSR事件判決の与える影響としては、前掲の相田調査官が指摘されるところであるが、日本など諸外国の実務に近づくものであり、世界特許への障害を一つ減らすものと考えられる。

■私見:KSR事件判決自体のロジックは自然

あくまで以上のような理解が正しいならば、という前提で私見を。

『TSMテストを満たすときに進歩性が否定される』、ということに対しては直感的に異論はない。だが、その逆の命題である『TSMテストを満たさないものは進歩性が肯定される』ということが正しいかは慎重に考えなければならない。本件連邦最高裁は後者の『TSMテストを満たさないものは進歩性が肯定される』という命題が正しくない、と述べたものと思われる。

ロジックとしては自然なものであるように思う。念のため弁図にまとめてみた。
KSR.PNG

逆に言えば、なぜTSMテストを厳格に適用してきたのかが不思議でもある。

■Web上のKSR事件米国連邦最高裁判決に関する情報
KSR事件についてのWeb上での情報は多い。インパクトの大きさを物語っている。優れたブログ記事などもあるのだが、ここでは次の2つを紹介するに留める。

原判決のエッセンスは、ジェトロ(知財研の客員研究員も兼任されている)の澤井さんが書かれたニュースレターが分かりやすい。
参照:澤井智毅『ニューヨーク発 知財ニュース』2007年4月30日記事
http://www.jetro.go.jp/biz/world/n_america/us/ip/news/pdf/070430.pdf

KSR事件最高裁判決の日本語訳には、神奈川大学の奥邨先生(注2)が取り組まれている。
有益な情報を公表していただいて、本当にありがたい。
参照:奥邨弘司『Digital & Law研究室資料倉庫』
http://dandlarchive.sblo.jp/

(注1)KSR International Co. v. Teleflex Inc. et al., U.S., No.04-1350 (2007)
(注2)著作権の間接侵害や検索エンジンキャッシュ問題などを研究されている、注目すべき若手研究者のお一人である。
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2007年08月15日

[時事]裁判員に選ばれる可能性の地域差と、裁判員として扱う可能性のある事件の地域差

最高裁判所が、地域ごと(地方裁判所の管轄ごと)の裁判員に選ばれる確率を試算し、公表した(注1)。
それによると、大阪千葉三重が上位3府県で、およそ0.2%〜0.4%の確率で裁判員に選ばれるようだ。対して、石川、島根大分は下位3県で、0.05%〜0.15%の確率とのことだ。

最下位と最上位の差は若干多いように思うが、中位はおおよそ分布がまとまっている。上位数府県に住む人は「ひょっとしたら裁判員になるのかもな」という覚悟は強く持つ必要があるかもしれないが、それ以外の都道府県の住民にとっては、大きな差でないように思われる。

さて、裁判員制度は、大まかに言うと凶悪犯罪(殺人や、致傷結果をもたらした強盗など)および危険運転致死、傷害致死ならびに覚せい剤・大麻に取締法違反および通貨偽造を対象にしている。気の弱い人には、前者の物騒な系統の事件の裁判員になる確率が高いのか否かは気になるところかもしれない。

ただ、残念なことに、都道府県ごとの裁判員対象罪状の起訴件数の統計は、管見の限り見つからなかった。また、最高裁判所の資料(注2)によると、覚せい剤・大麻に取締法違反および通貨偽造の件数はそれほど多くない。おそらく、裁判員として扱う事件は物騒なものが中心となるだろう。

では、物騒なら物騒なりに、どういう系統の事案を扱う可能性が多いのだろうか。扱いうる事件の傾向にも地域差はあるのだろうか。この点を調べてみた。

ただ、先ほども触れたとおり、都道府県ごとの裁判員対象罪状の起訴件数の統計がなかったので、警察庁から公表されている犯罪統計(平成18年度)と国政調査結果に基づく人口推計(平成18年度)を用い、確率を導くよりは、他府県との比較を中心に推計できるよう、データをいじってみた。裁判員対象事件の中で中心的な「殺人」「強盗」「放火」「強姦」について抜き出してみた。

なお、この推計の前提は次のとおりである。
・「強盗」「放火」「強姦」について、致死傷結果を発生させた事件の割合は全国一律と仮定している
・検挙された事件が起訴される率は全国一律と仮定している
・20歳以上人口に含まれる外国人登録者は無視できるほど小さいと仮定している
かなりいい加減な前提に立っているので注意していただきたい。あくまで、この推計は、「こんなもんかなー」程度のお遊びである。

さて、有権者人口1000人当たりで、「殺人」「強盗」「放火」「強姦」の検挙件数を比較したのが以下のグラフである。(作った後で気がついたのだが、殺人は全件裁判員対象事件となるが、残り3つは違う。単純に積み上げて見ることはミスリードであるので、注意してほしい。)

saibanin.PNG
(出典:警察庁統計より筆者作成。ただし、かなり粗々の算定結果なので注意)

この結果を見ると、地域差は少なからずあると言えそうだ。大都市部が高めである傾向があるが、地方だから凶悪な事件が少ないということは無いようだ。

個別に見ていくと大阪の突出度合いが気になる。上位3府県の中ではダントツに物騒事件度が高い可能性がある。実は私は大阪に住んでいたことがあるのだが、正直言って物騒さを体感していた。それゆえ、ああやっぱりな、とついつい思ってしまう。

これに比べて、三重、千葉はこのグラフ上は上位ではない。千葉に関しては、「強盗」「放火」などにおいて致死傷事件の割合が多いことも考えられるが、あるいは、危険運転や傷害致死などが目立っているのかもしれない。少なくとも三重は人口1000人あたりの交通事故件数が多いことから、危険運転関連の裁判員事案が多い可能性がある。

また、殺人事件数に注目すると、沖縄の突出具合が目を引く。四国も総じて多い。これは裁判員対象事件となるので、興味深い点である。

(注1)地方裁判所別に想定される裁判員候補者数とその選挙人名簿登録者数に占める割合の試算表(平成18年)≪最高裁判所へのリンク≫
(注2)罪名別に見た対象事件数(平成17年度)≪最高裁判所へのリンク≫
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2007年08月06日

[知財一般]ウイルスは知的財産権だ!とインドネシアが言うことはナンセンスか?

8月1日に産經新聞から「鳥インフルのウイルスにも知財権? インドネシアの主張に困惑」という記事が配信された。Yahoo!JAPANのニュースに出ていたのでご覧になった人も多いのではないだろうか。残念ながら産経Webにも出ておらず、産經新聞の本紙にも見当たらなかったので(そのために図書館まで行ったのに…)主要部を引用する。
新型インフルエンザのワクチン開発をめぐり、インドネシアなど途上国側が提供したウイルスに「知的財産権」を認めてほしいと主張、ワクチンを研究・開発している先進国側に困惑が広がっている。7月31日からシンガポールで始まった“医薬品の南北問題”を討議する世界保健機関(WHO)の専門家会議の行方次第では、インドネシアがWHOへのウイルスの検体提供を再び拒む事態が懸念されている。
 鳥インフルエンザの人への感染が最多のインドネシアは今年2月、「検体を提供しながら開発されたワクチンを高く購入させられるのは不公平」と、提供を中止。5月のWHO総会でワクチンを公平に供給する体制を構築することを確認したことから、提供を一時再開したが、その後、ストップしている。

■ インドネシアの主張は理論的にナンセンスか?
--------------------------------
正直なところ、そんなナンセンスな!という反応が先に立ってしまったが、冷静に考えると、「知的財産」の捉え方次第で違和感は解消されるように思えた。

ここで問題となっているのはウイルスという遺伝資源である。遺伝情報を中心とする無形の価値が存在するもの、という点は間違いない。
さて、知的財産という日本語を使わず、懐かしい「無体財産権」で考えてほしい。
遺伝資源を無体財産権の対象とすることは、理論上あり得ないものではない。

ではなぜ「知的財産」と言われたときに反発を覚えるのか?その深層にあるのは「知的活動が関わっていない」と言うところにあるだろう。
しかし、「知的活動の成果」であることが常に知的財産の正当化根拠ではない。この点を巡っては争いがあるところであるが、少なくとも「人の精神作用の成果は自然権として創作者に帰属するからである」という正当化根拠は近時あまり支持されていない(注1)。

いわゆるインセンティブ説に立つと、『公開・豊富化による社会的厚生増大をはかるため、公開・豊富化インセンティブを与えること』が正当化根拠となる。

ウイルスについては、全世界での流行に備えるため早期に公開されることが望まれる。『公開』へのインセンティブ設定をすることは、あながち知的財産の考え方から外れるものではない。

もっとも、情報の豊富化に資する訳ではない。この場合は、ウイルスという遺伝資源が豊富化することを意味するが、利益に預かるインドネシアがウイルスを創作している訳でもないし、まして、創作されても困る(笑)この観点からは、利用の自由を阻害してまで保護すべきかは難しいところとなる。

次の反発の原因は、「知的財産権」というと排他的独占権を想起するところにあると推測される。
だが、転々譲渡が予定されるようなものに比べ、1回の譲渡で十分であるウイルスについては排他権は必要不可欠なものでない。
排他権の設定は実質的に問題が出ることも容易に想定できる。たとえば、世界中で大流行しうる可能性があるウイルスにアクセスできないことが起こりえてしまうからである。

しかし、広義の知的財産権、つまり報償請求権的な権利としての「知的財産」だと理解すれば、違和感は格段に失われないだろうか。
例えば、reasonable and non-discriminatoryという条件でアクセスが保証されているならば、あとは、ウイルス情報の公開による利益と、利用の自由が阻害される不利益の衡量に持ち込まれる。そのいずれを採るかは国際社会の政治的決定にゆだねられる。


■ インドネシアの主張を認めることは適切か?
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ご存知の方は、ウイルスなどの遺伝資源の提供国は、生物多様性条約15条に基づき、利益を受けることになっている点が気になったと思う。本来であれば、インドネシアはウイルスの提供により、それによる利益の配分を受けているはずである。

しかし、現実には利益配分の枠組みが出来上がっておらず、途上国を中心とする遺伝資源提供国には不満があるようだ。それゆえ、知的財産という耳目を惹く主張をしたのかもしれない。

生物多様性条約に定める遺伝資源提供に対する利益配分の正当化根拠を、先進国と途上国の過去の経緯もふまえた衡平の実現にある、と考える(注2)ならば、現状の方が問題であろう。

それゆえ、排他性の無い財産権を認めることが公平に叶う可能性があると言える。

ただし、2点留意点があると思う。

1点は、ウイルスの情報提供ルートのうち公的研究機関への提供については、できる限り保証すべきである、という点である。下記の記事では私企業との関係が問題となっているが、WHOは、東京(国立感染症研究所か?)、メルボルン、ロンドン、アトランタにある研究機関への無償提供ルートを設けている。世界的な感染症流行を防ぐ観点から、少なくともこれらへの情報提供はできる限り安価に保証されていてほしい。

もう1点は、ウイルスの提供元が、今年2月にインドネシアが行ったような、遺伝資源の秘匿を行わせてはならない、と言う点である。自国でも感染症が流行することになるが、他国にとっても脅威となる。ある種の自爆テロであるので、これを防ぐ仕組みは必須である。具体的には、強制的にアクセスを保証する手段を用意する必要があろう。


参考
(特許庁)
http://www.jpo.go.jp/torikumi/kokusai/kokusai2/iden_sigen_hatumei.htm
(BBC 2007/2/7)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6337435.stm
(産經新聞 2007/2/7)
http://www.sankei.co.jp/kokusai/world/070207/wld070207001.htm
(ABC News(Australia) 2007/2/8)
http://www.abc.net.au/am/content/2007/s1838108.htm

(注1)ただし、憲法でそのような規定があるアメリカでは別の議論となる。
(注2)田村善之「伝統的知識と遺伝資源の保護の根拠と知的財産法制度」知的財産法政策学研究13号(2006年)59頁。
posted by かんぞう at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆知財一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月05日

[つぶやき]あんまりに暑いので

もうすぐ夏休み!ということもあり、デザインを変えてみました。
最近seesaa(このブログのサービス提供元)もデザインが充実してきたのがありがたいところです。
posted by かんぞう at 15:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[つぶやき][著作権]早く読みたい!

何気なく見ていた2chの法学板の投稿で、驚愕の事実を発見。
著作権法   中山信弘 著
有斐閣       9月下旬発売予定  
本体価格4500円 A5判480頁

(成文堂 法律専門書インターネット書店)
http://www.seibundoh.co.jp/shoten/index.htm

あの中山先生がついに著作権法の教科書を書かれた!?
残念ながら、有斐閣のサイトには情報が無かった。
何とも言えないが、本当だとすれば早く読んでみたい。
(→とおりすがりさんの情報提供で、確認できました!本当に9月下旬発売とのこと)

中山先生の特許法の基本書は法学を学ぶものにはきわめてわかりやすく、また、示唆に富むものであった。著作権法についても、仮に出るならば、法学の学生、実務家、研究者は必読の本であることに間違いない。
posted by かんぞう at 15:39| Comment(2) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月01日

[知財一般]成果冒用と不法行為、松村論稿を読んだ

(2007/8/5修正)

松村信夫「他人の成果の冒用と不法行為」知財管理57巻6号(2007年)859頁以下読書メモ

他人の成果の冒用行為のうち、知的財産権での保護が否定された行為について不法行為とされる裁判例が存在する。それらの裁判例を分析し、おおよその射程を整理されたのがこの論文である。

■ この論文の概要
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まず、近時の知的財産法の理解を手がかりに、知的財産権での保護が否定された行為であっても、競業法的な規制が及びうることを指摘される。
その上で、「タイプフェイス」「商品形態」「デジタル成果物」の冒用が争点となった裁判例の射程を分析している。
「タイプフェイス」については、複数ある裁判例の示して基準の中でゴナ書体事件判決の基準を松村弁護士は重視されているようである。
「商品形態」については、不正競争防止法2条1項3号の創設後の判例からは、混同惹起、信用毀損、加害等の他の違法性考慮事由があいまった形の裁判例が多いことを指摘されている。
「デジタル成果物」については、裁判例の傾向から、他人の先行成果の冒用のデッドコピーが禁止されていることを指摘されている。

■コメント
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この領域は私にとっては思い入れの強い分野で、かなり追っかけたことがある。
その経験から思うのだが、要件論については、決定的な理由を見い出すことは難しい。やもすると、裁判例の基準に依拠するになる。しかし、裁判所による基準を重視すると、結局のところ「裁判所による法創造」を追認することになる。「何故そのような基準なのか」というところがなかなか明らかにならない。

この論文について言えば、松村弁護士の射程分析は優れていると思うが、概要で抜き出したように、そこで述べられている要件論についての若干のコメントの理論的な裏付についは弱いように思えてしまう。そもそも、裁判例自体が少なく、裁判所による規範が定立されたと見るにはなお苦しいのではないか。
私は、松村先生には申し訳ないが、本論稿は事件の見取り図としての価値は高いが、まだまだ検討すべき点が残されているように思う。

「成果冒用と不法行為」という問題について、裁判所による規範定立がなされたと見るには苦しいという理由は次の点である。
事案によっては、不法行為とされたのが消極的な理由からではないか、と思われるものもある。たとえば、当事者の主張立証の仕方の問題点を伺わせるものもある(〔法律書籍事件控訴審〕(注1))。
さらに、著作権での保護は行き過ぎだ、という価値判断が働いたため、不法行為を選択したとも推測できる事案が存在する(具体的には、〔ヨミウリオンライン事件控訴審〕)。
今後あり得る点として、知的財産権の排他性が主たる問題となり、差止め請求権を排除したいが為に、知的財産法による保護を否定し、不法行為の成立により衡平を保とうとする事案も登場するかもしれない(注2)。

(注1)もっとも、仮にそうだとしても適切なリードをすることが裁判所に求められているのであり、一概に当事者は批判できないのだが。
(注2)法制度が違うので、同列に論じることはできないが、アメリカの事案で興味深いものがある。標準化技術に必須の特許を行使した者に対し、その者が標準化過程で当該技術に関する特許出願の存在を明らかにしていなかったことを捉え、特許権が行使できない、と判断し、他方、衡平法上のequityを要求している判決が存在する。
posted by かんぞう at 01:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆知財一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする