2007年06月29日

[商標]ひよ子事件に次ぐ立体商標に関する興味深い事件―ミニマグライト事件ー

判決文をざっと眺めただけであるので、後で「ごめんなさい」という間違いがみつかるかもしれないが、速報として簡単にまとめてみた。

ひよ子立体商標事件以来となる、立体商標の登録可否に関する判決が知財高裁で下された。しかも登録肯定例である。インパクトがある。
それが、〔ミニマグライト事件〕知財高判平成19年6月27日(判例集未搭載)平成18年(行ケ)第10555号である。

判決を読む限り、3条1項3号については、若干興味深い言及があった。3条2項(使用による識別力獲得)についての基準はひよ子事件で示された基準と矛盾するものではなく、むしろ、ひよ子事件があげた基準を偶然満たした事案であるようだ。

3条1項3号(普通に用いられる形状)について
商品の機能確保のために不可欠と言えない形状は自他識別力を有し得ないとはいえないとしながら、多くの場合、形状に美感を持たせることは自他識別力をもたせることが目的でないため、3条1項3号が適用されるべきであるとし、さらに、仮にこれを商標法で保護することは特定の美観を特定人に独占させる帰結となり、公益の観点から不適切と述べている(注1)。
本件についても上記の理由から3条1項3号に該当すると判断。

3条2項(使用による自他識別力獲得)について
本判決は自他識別力を使用により獲得したと述べている。
その要素を、ひよ子の基準と対応させる形で本事件の特徴を述べる。

1)立体商標自体が自他識別力を獲得しなければならず、
1-a)ともに付された文字商標による識別力は割り引いて判断しなければならない→本件は、商品名が小さく目立たなく付されていた。
1-b)立体商標それ自体が自他識別標章として用いられてきた→商品名を出さず、ミニマグライト自身の形状で宣伝を行ってきた。

2)似たような形状の商品が無く、需要者において出願人の出所との認識が得られている→本件は類似の形状の商品に対し積極的に不正競争防止法2条1項1号違反であるとして排除を行ってきた。

という感じで、実例としておもしろいが、法的な議論点はそれほどないのかな、と思える物だった。(というときに限って、たくさん論点があったりする。所詮浅はかなエセ知財(元)学生のやる所行であるのでお許しいただきたい。また、お教えいただきたい。)


(注1)ひよ子商標事件でも似たようなことは述べられていた気がする…。


ちなみにミニマグライトはこんな形らしい。
http://www.maglite.ne.jp/lineup/top_index.html
うーん、まぁ格好いいかな。奇抜…なのかな?余談だが、かんぞうはこの手の雑貨は大好きなのでつい飛びついた次第であった。
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2007年06月28日

[特許]独占的通常実施権者から侵害者に対する損害賠償請求における損害額の算定についての覚え書き

(2007/06/29修正)
特許権の通常実施権者からの損害賠償・差止請求の議論について、この間の学会報告に受けて、ちょっと考えてみた。すると、損害額算定についてよくわからないところがあるので、覚え書き程度に整理をしてみたい。読者諸兄に私の不明な点をご指摘いただければ幸いである。

独占的通常実施権者が第三者である侵害者に対して損害賠償請求を行う場合に、考えられる法的構成は2つ。1つは独占的地位と言う債権侵害に基づく構成。もう1つは、債権者代位構成である。

さて、それぞれの場合の損害額算定について、疑問のある場合がある。
問題となるポイントは次の3点だと思われる。

損害額の計算規定が使えるかどうか、がまず問題となる(注1)。
また、計算規定の適用条文を巡っても議論があろう。
最後に、特許権者も損害賠償請求をした場合、どのように調整するかが問題となる。場合によっては、通常実施権者と特許権者双方が独自に損害賠償債権を持ち、事後的に見ると、侵害者は102条1項から3項のうち最大額となる計算結果にもとづき特許権者一人に支払う損害額よりも、より多い損害賠償額を課されることがあり得る。もちろん、102条4項が認めるように、1項ないし3項までの計算額を超えてもかまわないわけで、それが直ちに不当とはいえないが、たまたまアクターが多かったから額が増えるというのは、どこかしっくりこない(注2)。

以下、債権侵害構成と、債権者代位権構成で分けて述べる。

1.債権侵害構成

(1)特許法102条は適用可能か?
債権侵害構成の場合には、計算規定が使えるというには、理論的に障害があるように思える。条文上は「特許権」の侵害における損害の計算をしているのであり、「独占的地位」という債権の侵害について、文言上からは適用は困難であるように思う。

ここで、仮に適用が認められないとすると、損害額は原則独占的通常実施権者が立証することになるが、これはなかなか困難であろう(注3)。民事訴訟法248条の活用場面といえるかもしれない。もっとも、それは通常実施権だからだ仕方ないのだ、といわれればそれまでのことである。

他方、双方とも特許権に基づく「独占性」という利益が概されているのであるから、共通の性質を持つということで適用ないし類推を認めることもできるかもしれない。少なくとも、完全独占的通常実施権であれば特許権の同視しうる性質を持つのであり、102条の適用または類推に違和感は少ないように思う(注4)。

(2)102条1項ないし3項いずれの適用が可能か?
仮に計算規定が使えるとして、その根拠は「非侵害利益の共通の性質」に求めるのではないか、と(1)で触れた。すると、「独占性に基づく利益の侵害」と同視しうる規定しか適用できないのではないか、という疑問がわく。

すなわち、102条2項は「特許権の侵害について特別に定めた規定」と理解する立場(注5)からすると、2項の損害は「独占性の侵害」以上の損害を認めるものであるといえ、債権侵害構成において適用することはふさわしくない可能性があるのである。

もっとも、このような考え方は裁判例がとるところではないようなので、実務的な問題からは遠い。

(3)特許権者も損害賠償請求をした場合について
完全独占的通常実施権者が存在する場合には、特許権者はロイヤリティ分しか請求できない、と考えることが自然であろう。完全独占的通常実施権者からの損害賠償請求額は、専用実施権のときと同じく(注6)ロイヤリティ分を控除されるべきなので、トータルとしてバランスはとれている。

問題は完全独占的通常実施権でなく、単なる独占的通常実施権の場合で、この場合、それぞれ別個に計算を認めると額が大きくなり、不当と評価される余地もある。不当であるとして解消を目指すならば、特許権者と按分する方法もあるが、共有関係に無いので、そもそも持ち分を考慮している訳も無く、その按分方法の決定が困難である。あるいは、無理にでも1/2づつと決定するのかもしれないが、これはきわめて難しい問題である(私の力では結論を出すことができない)。

2.債権者代位構成の場合

(1)特許法102条は適用可能か?
特許権者の損害賠償請求権を代位しているので、102条を用いることは問題が無いと思われる。

(2)102条1項ないし3項いずれの適用が可能か?
問題はどの項が使えるかで、特許権者が実施していないような場合、1項、2項が使えるのかが怪しい。判例では、特許権者が実施していない場合は3項しか用いることができない、という傾向があると指摘される(注7)。

裁判例の傾向に沿う限り、特許権者が実施していない場合は、独占的通常実施権者は3項に基づく損害額、すなわち、ライセンス料相当額の賠償にしか預かることができない。やはりこれも仕方ないといわれればそうかもしれないが、特許権としては実施しているのであり、どこか釈然としない。

(3)特許権者も損害賠償請求をした場合について
悩ましいのは、特許権者からの損害賠償請求との兼ね合いである。代位行使構成では、独占的通常実施権者からの請求が先にあった場合は権利行使は不可能となる。そこで特許権者が独占性通常実施権者の訴訟に参加するとして、その利益の配分はどうするのだろうか?共有関係に無いので、そもそも持ち分を考慮している訳も無く、その按分方法の決定が困難である。先程1(3)で述べたように、無理にでも1/2づつと決定するのかもしれない。

小括

以上のところを見ると、損害賠償額算定に当たっては、債権者代位構成の方が、トラブルは少なそうである(だからといって理論的に有意ということにはつながらないと思うが)。わかったのはそれくらい。なぜかもやもやが残ってしまう。

(注1)判例では、完全独占的通常実施権に計算規定の適用を認めたものがあるようだ。大阪高判昭和61年6月20日など。
(注2)特許権の共有のときにも生じる問題である。もっとも、別個の損害が観念できるのだから、やむを得ないという開き直りもあり得る。
(注3)これは無体の財産侵害に共通することであり、それゆえ、知的財産権制度には計算規定が設けられている。
(注4)あるいは前掲(注1)の判例は、完全独占的通常実施権限りの判決と読むべきのようにも思われる。
(注5)田村善之『知的財産権と損害賠償 第2版』(弘文堂、2004年)など。
(注6)中山信弘『工業所有権法(上) 第2版増補版』(弘文堂、2000年) 346頁。
(注7)牧野利秋・飯村敏明編『新・裁判実務体系4 知的財産関係訴訟法』〔高松宏之〕(青林書院・2001年)307頁。当然批判もある。田村・前掲(注5)230頁以下参照。
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2007年06月26日

[著作権]著作権延長の効果の実証的研究

Paul J. Heald, Property Rights and the Efficient Exploitation of Copyrighted Works: An Empirical Analysis of Public Domain (1906-1922) and Proprietary (1923-32) Fiction Best Sellers, UGA Legal Studies Research Paper No. 07-003(2007) 読書メモ

著作権延長の効果として、著作者によって「著作物の改良」と「効率的な利用」が促進されることを挙げる見解がある(注1)。この論文は、これを実証的に分析したもの。なかなか面白いものであるので読んでみた。

論文の概要

著作権延長の効果として、著作者によって「著作物の改良」と「効率的な利用」が促進される
という見解が真か否かを検証するため、出版後75年を経過し著作権が切れた1906年〜1922年までの著作物と、少なくとも85年は保護される1923年から1932年までのベストセラーにつき、著作物の利用の程度等を調査し、分析している。

分析の結果、少なくとも近年においてはパブリックドメインとなった物の方が利用が盛んがであり、しかも値段も安いことがわかった。それまでの傾向は、著作権の保護があろうが、なかろうが、利用の程度はあまり差がなかった。つまり、著作権での長期の保護により「効率的な利用」が促進されるという仮説は証明されなかったといえる。

Healdは、利用の促進という観点から見た場合、再出版・頒布コストが高い場合には、長期的な投下資金回収の期間が無いと供給が過小になるため、著作権による保護の長期化は支持できるとしているが、他方、現代のように再出版・頒布コストが低い場合には、長期の著作権による保護には懐疑的な態度をとっている。

また、著作物の改良についても、「版数」について見る限りパブリックドメインとなった物の方が、改良されていることが窺えていた。これは、パブリックドメインでは著作物の改変を行うと、その部分が著作権で保護され、また、その部分が競争力の源泉となることから、頒布者には改良のインセンティブがあることを考えれば妥当な結果であると述べている。これらを考えると、著作権延長の効果としての「著作物の改良」促進という仮説は誤りである可能性がある。

しかし、著作権の保護がないと、「コモンズの悲劇」が生じ、過剰な利用によりイメージの低下がおこるのではないかという懸念もある。Healdはこのような考えは、利用が頻繁になることによる広告効果を見落としていると指摘し、さらに、少なくとも書物については、複数の同一書籍が書店に一気に並ぶことが無いことを考えると、イメージの稀釈化もおこらないのではないかと述べている。

以上のところから、適切さを欠く著作権保護の長期化は問題である、との結論を導いている。

私見

保護期間が長過ぎるために困難な著作権の効果の実証研究であり、大変興味深い。著作権延長の効果としての「著作物の改良」と「効率的な利用」促進効果については有力な否定の根拠となるのではないかと思う。

他方、米国で出てきたこれらの延長根拠は「Copyright」としての理解によるものであり、日本では「人格的な利益の保護」としての側面もある、というのが伝統的なタテマエであるから、直ちに日本での議論の決定打になるものではない。

例えば、著作者の人格の発露としての著作物であるから人格同様、長期に保護されるべきであり、3代を目安に保護が続くべきである(そして、現代は寿命が延びたから70年が適当である)、という理由が日本など「Authors Right」では挙げられ得る(注2)。

「人格の発露」に関わるから、「コモンズの悲劇」によるのイメージ稀釈化の恐れも長期の著作権による保護により「防がねばならない」という主張もあり得る。

しかし、そもそも論として人格の発露として著作物の保護というスタイルは、人格権議論の側から疑問が呈されているところであるし、著作権法の歴史的発展経緯から人格的な要素は後漬けであることの指摘もある(注3)。

また、人格的なものを理由にできない法人著作についてはどうしようもない。さらに、実際上の起こりうる問題として、長期の著作権保護をしても結局多数の相続人が存在し、結局権利行使が困難になることが予想される(注4)。

あるいは、長期の保護でも権利が活用され得たのは、制度として分割相続が採られていた大陸法諸国でも、実際は長子相続が一般的であったから、上記のような問題が起こらなかったのかもしれない(注5)。

いずれにせよ、著作権延長の正当化理由にはもっと深堀りが必要なように思う。「コンテンツ大国化」を錦に御旗した論調が進められないことを願う。

(注1)William M. Landes & Richard A. Posner, Indefinitely Renewable Copyright, 70 U.Chi.L.Rev.(2003)、この見解は米国議会でも採られた。
(注2)斉藤博「著作物の保護期間に関する考察」L&T35号(2007年)4頁〜10頁はこのような見解を示唆しているかもしれない。
(注3)白田秀彰『コピーライトの史的展開』(信山社、1998年)。
(注4)もっとも現在の少子化を前提にすればそのような懸念は乏しくなるが。
(注5)誰か調べた人いませんかね?


追記(2007/06/28)
早稲田大学のRCLIPがHeald教授を9月に呼ぶようだ。
http://www.21coe-win-cls.org/project/activity.php?gid=10052
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2007年06月25日

[つぶやき]知っている人は知っている演説

最近固いネタを続けたのでたまにはラフに。

こちらをご覧頂きたい。元ネタを知っている人は笑えるし、そうでなくてもちょっと面白い(私は後者の方なのだが、面白かった)。

http://anond.hatelabo.jp/20070620004915

法政の白田先生の主張を基にしたパロディらしい。

白田先生の主張は突飛だ、とは私は思わなくて、知的財産権は歴史的な経緯として"Porpety"というツールが便利だよねーと言う感じで、いつの間にか情報を扱うルールの標準となっていっただけ、と思っている(注1)。

政治家が好きな「抜本的見直し」をするならば、知的財産は"Property Rule"でなくても良い。
どのルールが望ましいかは民主的に決めれば良いのであって、各アクター(利害関係人)が自由に物を言えれば上等、さらに、議論に発言権を持てばなお良いように思う。

(注1)たしか、本来の"property"=所有権も、歴史的に便利だよねーで標準となった、という主張を加藤雅信先生がおっしゃってた気がする。
posted by かんぞう at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月24日

[時事]知的財産推進計画、その他の法制度関連ポイント

昨日は重点ポイントを指摘したが、それ以外の法制度関連の話題は次のものがあった。これは、今日述べたように研究テーマを選ぶ際のネタに使えるかもしれない

デジタル著作物の特別な保護?

デジタル化・ネットワーク化の特質に応じて、著作権等の保護や利用の在り方に関する新たな法制度や契約ルール、国際的枠組みについて2007年度中に検討し、最先端のデジタルコンテンツの流通を促進する法制度等を2年以内に整備することにより、クリエーターへの還元をる進め、創作活動の活性化を図る。

なにやら懐かしいテーマである。総務省、外務省、文部科学省、経済産業省の取り組むべきテーマとなっている。中身が気になるのでざっと調べた見ると、次のような感じであった。

総務省では「情報通信審議会 情報通信政策部会 デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会」で、(a)「コピーワンス」か「コピーネバー」か、(b)コンテンツに関する著作権処理の窓口、(c)権利行使範囲を明示した登録制度(GPLライセンスのようなものをイメージしていただくとわかりやすいかもしれない)、について議論が進んでいた。
文化庁では、「文化審議会 著作権分科会 法制問題小委員会」で、(a)デジタルコンテンツを保護する特別法、(b)権利行使範囲を明示した登録制度、(c)デジタルコンテンツに関するフェアユース制度が検討されていた。
経済産業省と外務省の取り組みは簡単に調べた限りでは分からなかった。

文化庁での議論は、10年前に盛り上がった「デジタル著作物の特別の保護」に関する話でおもしろそうである。ただし、あの時の議論が収束したことを思えばいまさら…という気もしないでもない。

海賊版ダウンロードの違法化

合法的な新しいビジネスの動きを支援するため、インターネット上の違法送信からの複製や海賊版CD・DVDからの複製を私的複製の許容範囲から除外することについて、個人の著作物の利用を過度に萎縮させることのないよう留意しながら検討を進め、2007年度中に結論を得る。

ターゲットとしているのは「ファイル共有ソフト」からのダウンロードであろう。気持ちは分かるが、程度問題もある。注視したい。

権利者不明の場合の不都合解消制度

我が国が蓄積してきた豊かなコンテンツを有効に活用するため、諸外国の動向も踏まえ、権利者の不明その他の理由により利用者が相当の努力を払っても権利者と連絡が取れない場合に、利用の円滑化を進める新たな方策について検討を進め、2007年度中に一定の結論を得る。

権利者不明、というのはありがちな話で、著作者の死後50年も経っていると、著作者が自然人の場合3世代先になっており、長子相続が原則でない今となっては誰に帰属しているか分からないことが多いものと思われる。それどころか、一般の相続に関する解説書では相続財産に著作権を挙げているものがまず見られない。あるいは著作権についてきちんと遺産分割協議をしていない場合も少なくないのではないかとも思う。こういう状況では、このような制度の検討は歓迎されるべきと思う。

もちろん、そんな不都合を生むのは無駄に保護期間が長いからだよ、というつっこみはありえるだろうが…。

著作物のデジタルアーカイブ収集とクリエイターへの補償

公共的なデジタルアーカイブにおける著作物の収集・保存や絶版等に至った著作物で一般ユーザーが入手困難なものの提供など非営利目的や商業的利用と競合しない利用について、クリエーターへの補償措置も考慮しながら、コンテンツの保存・収集・利用を円滑に進められる方策を検討し、2007年度中に一定の結論を得る。

意地悪をして著作権保護期間延長の反対の立場からの批判を考えると、こうなる。
『入手困難になる制度的原因は2つ考えられる。一つは、上記に挙げたように権利者が複数居て増刷が難しくなっていると言う可能性。もう一つは、著作権の保護があるからこそ、公共の利用が過少になっているという可能性である。この点は、アメリカでの実証研究(注1)が示唆するところでもある。このような不都合は保護機関が長すぎるから起こるのだ。』
保護機関については政策的考慮もあるからしかたないとして、ユーザーへの補償措置については気になる。権利者側が敢えて利益を得ていないのに、利用が過小化してるからといって政府が保証してあげるというのは、クリエーターの「遺族」に都合が良すぎないだろうか?

非重点項目で気になること

推進計画は重点項目と、非重点項目を分けていた。非重点項目について気になったのは次の2つ。
タイプフェイスに関する保護の在り方について検討し、必要に応じ適切な措置を講ずる。

またまた懐かしい議論である。

私的録音録画補償金制度の見直しについて結論を得る

これがなぜ非重点項目なのだろうか?こそっと通したい意図が…などと勘ぐる人も出てくるだろう。

(注1)Heald, Paul J. "Property Rights and the Efficient Exploitation of Copyrighted Works: An Empirical Analysis of Public Domain and Copyrighted Fiction Best Sellers", UGA Legal Studies Research Paper No. 07-003(2007)
posted by かんぞう at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ★時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[つぶやき][時事][知財一般]卒業論文・研究計画書・修士論文のテーマ選定方法論

一介のエセ修士として、私が会得した「楽で」「最低限のものは書ける」学生用論文テーマ選定方法論を示してみたい。なお、能力のある方にはおススメしない。あくまで、「おもしろそうだから知的財産法で卒論(卒業論文)を書きたい」「なんとなく知的財産法で研究系の院に進みたい」「うっかり知的財産法の研究をしてみたけど修論のネタがない」人向けである。ちなみに私は2番目と3番目であった。お恥ずかしい限りである(笑)

コツ1:でかい獲物は追わない

まず、あまりでかいテーマは追わない方が良い、というのが私の経験である。「知的財産法の再構成」などとぶってみるのもいいが、そこまで知的財産法をやりこんだのか?と聞きたくなる。そんなものができれば「神」である。

もっとも、細かいテーマではつまらない、というのも多くの学生の本音だと思う。
卒業論文や研究計画書では抽象的にはこれから1ランクブレイクしたレベルでかまわない。問題意識が明確であるし、着地点は見えるからである。例えば、「著作権の間接侵害について」、や、「著作権の非親告罪化」などのレベルのテーマだ。

ただし、これらのレベルを真正面から取り組んでオリジナルなことを言うのは困難だ、というのも私の経験である。多くの優秀な先生方が取り組んでいるものなのだ。若い私たちではまだまだ未熟だ。卒業論文では、学説のまとめと自分のコミットする意見の提示でよいだろう。

研究計画書では、おおよその方向性を示した上でさらにブレイクダウンする可能性を提示して見ると良い。たとえば「これまでの判例はほんとうにおかしかったのか」とか「これまでの判例は法の欠缺を補うためむちゃくちゃ努力してるっぽい」を検証するなどである。

コツ2:テーマは新しいものが楽(でも本当は古いところにもタネがある)

知的財産法学も成熟してきた学問であるので、大方のテーマは堀りつくされている。多少オリジナルなものが書ける余地があるものを、学生が見つけるのはなかなか難しい。とっかかりとなるのが、ここ1年に出た裁判例(で、あれ?何でこんな「結論」になったのだろう?というもの)や、昨日の記事で話題にした「知的財産推進計画」である。(具体的な面白そうなポイントは本日の別記事参照)

裁判例でとっぴなもの(に見える結論が出たもの)は往々にして、何か訳があってそのような結論が出ている。その背景を探ると、以外に条文解釈の変化の芽が摘めることがある。あるいは、法の穴を見つけられるかもしれない。

次に、知的財産推進計画で取り組まれようとしているものは、これから議論が深彫りされるものだから、「やってみたけど、新しいことはいえなかった」などということはない。もちろん、ホットイシューだからこそ真正面の話は他の研究者に先を越されてしまう可能性があるのだけれど、「○○先生の考えで問題はない」というあたりのことを結果的に検証できるかもしれない。学問的に価値は薄くても、自分の中での価値は大きいように思う。

そんな甘いことをしたくない人は、その問題を1レベル分解して、明らかにすべき点(たとえば現状の運用の問題など)を詰める事でそれなりの貢献になる。

コツ3:安易な比較法はやめたほうが無難

最後になるが、安易に比較法はやめた方がいい。外国の法律について、日本で、しかも、日本語で考えることに何の意味があるのか?という疑問がまず出てくる。日本法への示唆を見出すには、外国法解釈の背景事情を抑えないと、検証段階でつまづいてしまう。

ただし、知的財産法においてある概念をめぐっての解釈論では使えるかもしれない。よく調べたら制度背景が違った、なんてことがあれば「外国法の紹介で〜す」っていう風に逃げるのも手ではあるので、絶対やめろ、とは言わない。
posted by かんぞう at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ●つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月23日

[時事][知財一般]知的財産推進計画2007から拾うポイント

(ちょっと前の話になってしまったが)「知的財産推進計画2007」が発表された。
法制度の検討ポイントについては、すでに審議会で議論が始まっているものが並べられているだけである。当初は「行動計画」として始まったはずだが5年経った今は、各省庁の取り組みをまとめて一覧できるようになっているもの、という性質が強いように思われる(注1)。

知的財産推進計画2007のポイント

今年度の特徴を私なりに把握すると、「IPDL(特許庁電子図書館)の充実」と「海賊版・模倣品取り締まり強化の継続」は柱のようだ(注2)。

前者のIPDLの充実は歓迎したい。民間のデータベース屋さんのの圧迫と言う面もあるだろうが、ユーザーとしては利便性(そしてコスト)の前に目をつぶってしまう(理屈ではなく、単なる感想(笑))。

もっとも、特許出願データについて、
企業の出願戦略策定に役立つ情報の提供を拡充する2007年度も引き続き、企業における特許出願戦略を策定するに当たって参考となる情報として、主要企業の海外出願比率や特許率等の情報を公表するとともに、2007年度中に、各企業が自社の出願件数や審査実績等のより詳細な情報を加工、抽出、経年比較できる「特許戦略ポータルサイト(仮称)」の試行を開始する。

らしいが、これはさすがにおせっかいなのでは、という気もする(これも理屈でなく、感想であるが)。

後者の海賊版取り締まり強化については、話題となった著作権の非親告罪化や水際での取り締まり強化のための人材育成のほか、目についたのは2点である。

海賊版取り締まり強化策としての個人輸入・個人所持の禁止について検討

まず
必要に応じ、模倣品・海賊版の個人輸入・個人所持の禁止について更に検討を
行い、新法の制定等法制度を整備する。

、とある。
これはかなり大きなインパクトがあるものではないだろうか。どの範囲を禁止するかがきわめて重要であるように思う。また、現状の法の中で違和感のある部分もある。
以下、浅い検討ではあるが、特許、商標、意匠、不正競争、著作権に分けて考察を行ってみた。

特許権や、商標権、意匠権では従来、個人の一回的行為は規制対象外である(注3)。
ここに法の手が及ぶことになる。
まず、「わかっていて偽物を買うこと」が禁止されることになる。特許については難しい者があるが、商標権については本来的には「商標に化体した信用」が保護されているのであり、「わかっている」ならばその点を保護する必要は無い。商標権侵害の共同正犯的あるいは幇助的行為だとして取り締まりたい、というならわかるが、仕出国において当該商標権が無いような場合には不当性を感じる。

また、「海賊版」の意味次第では危うさもある。「著名な技術的製品」や「著名なブランド」の「模倣品」の限りにおいては、理解できるものではあろう。
だが、「海賊版」が「侵害物品」の意味でとらえられると、一気に納得しがたいものとなる。特許権の場合のように、後から評価すると侵害がわかったもの、商標では著名でないロゴがたまたま使われていたもの、が考えられる。ここが禁止されると、何か息詰る感じもする。例えば海外旅行で物を買うときに、「個人の旅行者が」侵害抵触調査をしなくてはいけないのである。もちろん、そんな検討をしているとは思えないが、明確な定義をしてほしいものである。

不正競争については「競争秩序」を概しているとは言い切りにくいと思われる。これが取り締まられることになるのは、これまた不思議な感じがする。

著作権については現状の法制度との整合に乏しい。譲渡を行った者のみが取り締まられる法体系の中で、突然私的領域の受領が禁止されるのである(注4)。まして「所持」が禁止されることにも違和感がある。従来、妨害排除請求の実現として認められてきた「廃棄請求」により所持を排除してきたが、これが、一足飛びに違法行為となるのはどうなのだろうか。

以上のところは輸入についてであったが、まして、「所持」の禁止には行き過ぎの感も受ける。従来、所持行為は知的財産法の感知するところではない。妨害排除請求の実現として認められてきた「廃棄請求」により所持を排除してきたが、これでは不足なのだろうか?

以上のところをまとめると、政策論としてはわからないでもない面があるのだが、「行き過ぎではないか」とも思う。いたるところに「侵害犯罪者」をつくるのが、望ましいのだろうか。現状の出口規制だけでは足りないのだろうか。どこか疑問が残ってしまう。この点は、本ブログで今後考えていきたい。

海賊版取り締まり強化策としての著作権侵害「海賊版」の広告行為規制

著作権法において、インターネットオークションへの出品など海賊版の
広告行為自体を権利侵害とすることについて、2007年度中に検討し、
必要に応じ法制度を整備する。

ことを挙げている。

広告行為規制は商標権では存在することを挙げて、本件についても説明する新聞報道もあったのだが、需要者の信用を保護する商標と同列には論ずることが出来ないものと思われる。あくまで、譲渡権侵害の予備的行為規制である。おそらく、この改正の本論はそのような出品を削除する義務をオークション管理者に負わせたいのだろう。(微妙な解釈問題ではあろうが、侵害物品自体の売買申し込み行為は侵害行為でなく、プロバイダーの責任ではない、という点が懸念だと思われる。)

最後に:知的財産推進計画で学生さんに役立つもの

最後に余談となるが、学生さんに役立つ資料があったので挙げておく。
知的財産推進計画の参考資料「知的財産戦略の進捗状況」(首相官邸へのリンク)
である。

2003年以降の知的財産法改正が、果たした機能ごとにまとまっている。
勉強の際や、ゼミでのレポート課題に使えそうである。これが筆者の学生時代にあれば、とふと思った次第である。
(注1)各省庁の取り組みを「ホッチキスで留めたもの」(日経新聞社説、NIKKEI NETへのリンク)には変わりないが、骨太の方針と違って、省庁ごとの枠を超えて取り組みが一覧でき、政府の取り組みがわかりやすくなる点では良いのではないか。また、「方針」(ある程度政治のリーダーシップが求められるであろうもの)と「計画」(行政側が具体的な行動をしめすもの)との違いもあるし、ここではとやかく言わない。
(注2)前者の視点には、依然として「知的財産権の保護強化」の色彩を感じる。もちろん社会の変化に応じて考えていくべき問題ではあるが、そこに将来つくりあげたい社会像を見据えた議論を行っていて欲しい。中山先生がかつて指摘したように、現在の利益擁護という片方の側の議論では困る。この点、各省庁を超えた知的財産戦略本部には、高所に立った検討を行う昨日を期待したいのだが…。
(注3)海賊版を製造した者につき当該行為が禁止されることは言うまでもない。
(注4)もちろん譲渡権等の侵害者の幇助者として責任追及をする手はあるが、現状では苦しいように思われる(この点は調査が必要である)。
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2007年06月21日

[知財一般]伝統的知識の現状をまとめた論考

●山名美加「遺伝資源・伝統的知識をめぐる国際紛争と特許制度」
Law&Technology35号(2007年)読書メモ


先日、インドがアメリカに対し、ヨガに関する特許の無効を求めたと伝えたが、
そのような特許と伝統的知識について近時の状況も交えた整理はなかなかなされ
ない。この点を、かねてからインドの特許制度など、ニッチではあるが面白い分
野を研究されている山名先生がまとめてらっしゃったので、読んでみた。

論文の概要
山名先生はまず、伝統的知識についての問題のうち「Bio-Piracy」に触れ、それが新規性がないにも関わらず先進国側が特許としてしまうこと、と、伝統的知識等の資源にアクセスしながらその利益配分を行っていないこと(への不満)、の2種に分かれていることを指摘される。
後者については生物多様性条約で各国の天然資源について主権的権利が認められたこと、また、その中で生物的多様性と共生する先住民の知識がもたらす利益の衡平な配分にも言及している点などに触れ、伝統的知識も「財産的情報」として扱えるのではないか、という途上国側のロジックに触れられている。
もっとも、知的財産として捉えることには、帰属の問題点などから難しいとされながらも、EU、ブラジル、インド、アフリカの趨勢として伝統的知識を用いた発明には出所開示義務を課す方向にあることを指摘し、日本特許法の中に出所開示義務を課すことの可能性について言及されている。日本政府は出所開示義務に消極的なことを山名先生は否定的に捉えられ、国際的趨勢を意識するべきだと締められている。

私見
勉強になった点は、次の2点である。
まず、伝統的知識について特許が与えられてしまうことの原因の一つは、伝統的知識が「文献」になっていないことにあるという点だった(注1)。
もっとも、この点について、欧州特許においては口伝の知識であっても、公知公用として扱う。それゆえ、伝統的知識について新規性の問題は容易にクリアできる、また、そうでなくても伝統的知識のデータベース化で対処できる。現にインドはデータベース化につとめている、という点である。

さて、伝統的知識について考えたときに、日本が出所開示義務を課さない理由はわからないでもない。伝統的知識として何らかの評価の対象にする際、現在の議論では(というかその性質上)特許発明と異なり、ある時期をもって考慮対象外となるものではない。常に懸念の対象となる。それが調査しにくいものであったら(それこそ、口伝のもの)特許を出してもいつかつぶされるという見えにくいリスクを増やすことになる。
また、科学技術の発展において「自然のまねをする」というアプローチが使われやすい。これは伝統的知識と「偶然」似る可能性も秘めている。偶然の一致であっても、出所開示義務違反だと騒ぐことはできる。
私が先進国の人間だからか、どうしても伝統的知識の保護にはためらいがあるが、立場はともかくとして、興味深い話である。

(注1)2007年06月02日の本ブログ記事では欠落していた視点であった。
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2007年06月20日

[時事]弁理士法改正―かんぞう、千載一遇のチャンス!?―

弁理士法改正案が国会で成立した。その中に、
知的財産に関する大学院の修了者及び弁理士試験の一部科目の既合格者に対する、弁理士試験の試験科目の一部免除制度を導入

というのがあり、大学院で知的財産を学んだ人間としては飛びついてしまった。

もしや、弁理士資格ゲットのチャンス!?(注1)

という訳で詳細を調べてみた。
特許行政年次報告書2007年版』(注1)
によると、
大学院修了者であって、省令で定める科目の単位を修得した者について、大学院の課程 を修了してから2年以内に行う短答式試験のうち「工業所有権に関する法令及び条約」の 試験を免除することとした。

とのことである(注3)。

「2年以内」というのがネックだが、本改正法のこの規定に関する施行日は、特許庁ウェブサイト(注4)によると平成20年1月で、来年にはギリギリ間に合う。

次の問題は、「省令で定める科目の単位」だが、これはまだ省令が出ていないからわからない。しかし、「工業所有権に関する法令及び条約」の短答式試験を免除することから推測はできそうだ。
短答式試験は現在、「特許法」「意匠法」「商標法」「工業所有権に関する条約」「著作権/不正競争防止法」である。
ここから「工業所有権に関する法令」と「条約」を引くと「著作権/不正競争防止法」だけしか残らない。

これはいかに言っても免除範囲が広すぎるのではないか。

すると可能性は2つ。
・年次報告書の誤り。
・各法律の単位を要求することが予定されている。

後者であるとしよう。現在、多くの大学院で「特許法」くらいの授業は展開しているところもあるが(注5)、「商標法」などはおそらく知的財産大学院くらいでしか展開していないのではないか?だが、知的財産大学院は全国2つしかなく、この法改正のインパクトはそれほど大きくない。
問題は研究系の大学院である。管見の限り少なからず「知的財産法」という包括的な科目のみである。これが対象外ならば、研究系大学院卒の私には限りなくつまらないこととなる。

あまり大きくない期待を持て眺めたい。

最後になるが最初にこれを見たとき、ロー生の就職先確保か!?と思ってしまった。そう、かれらも見方と場合によっては対象になりうるのである。真相はわからない。密かな期待のうちに入れておこうと思う。

(注1)運用より政策に興味があるので、個人的にはなりたい!と熱望はしていないが、もらえるものならもらいたい(笑)もちろん、その先はそんなに甘くないことくらいは知っている。
(注2)pdf" target="_blank">http://www.jpo.go.jp/shiryou/toushin/nenji/nenpou2007/honpen/3-6.pdf
(注3)法案からはわからないので、年次報告書を参照するしか無い。
(注4)http://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/torikumi/kaisei/kaisei2/benrishi_kaisei_h190620.htm
(注5)MOT大学院やロースクールで展開している。
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2007年06月19日

[知財一般][時事]日本工業所有権法学会を聴きに行ってみた(その3)

工所法学会報告の3回目。これで完結である。

(3)松村信夫「商標の類似」
概要
不正競争防止法2条1項1号の「混同」と商標法4条1項にいう「類似」と同37条にいう「類似」の概念の違いを裁判例から汲み取られていた。松村先生の検討結果のポイントの1つは(注1)、商標法37条(つまり侵害の場面)では、他方に周知性がある場合に、外観・称呼の範囲が若干緩やかに判断をしており、混同について直接判断している訳ではないようだ、という点であった。しかしこれには類似概念は中立的であるべきという批判があることを紹介され、その上で松村先生としては、混同が無いような類似の範囲については違法性阻却のような形で侵害の責任を否定するべきと述べられていた。

感想
もっとも難関のテーマに挑まれていただけあって、興味深い報告だった。惜しむらくはプレゼンの方法で、判例分析をするならば、概要は表などにまとめた上で、分析箇所を丁寧に説明されるべきでは…と感じた。
内容に関しては、私自身の考えがまとまっておらず、これからの勉強課題のため留保。
(注1)このように書いたのは他のポイントを聞き逃したからである…。


(4)宮脇正晴「著名商標の保護」
概要
混同概念と稀釈化概念を整理された上で、稀釈化はイメージの保護であり信用保護とは一線を画すものとの説明をされていた。そして、裁判例分析から不正競争防止法2条1項1号は「混同」概念を拡張してでも用いられているのに対し、2号が用いられることが消極であることを指摘し、その理由として稀釈化を構成する「不鮮明化」を禁止することへのためらいがあるのではないかと指摘された。本題の著名商標の保護については、商標法の現在の原則に反してしよう主義的となること、また、保護する手法としては稀釈化からの保護と考えられるが、これは商標法の行う信用保護と性質が異なることを理由に、消極的な立場であると述べられていた。

感想
個人的には一番面白かった報告であった。丁寧な裁判例分析と、商標/標識の機能の概念整理は根源的で、かつ、意欲的なものであると思う。商標分野では宮脇先生は注目すべき存在だ、と思われた方もいるかもしれない。
一点だけ疑問を述べれば(ただし私の聞き漏らしが原因かもしれないのだが)著名商標の保護に消極的な理由は、「現行の」商標制度の概念的な点との不整合を理由にされていた(と思う)が、はたしてそれが決定的な理由になるのか、という点である。既に江口先生が述べられていたように、不正競争法との統合という方向もある訳で、そうすると、競争秩序維持に死する限りで「商標」制度を使ってイメージを保護しても良いのではないだろうか。
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2007年06月18日

[知財一般][時事]日本工業所有権法学会を聴きに行ってみた(その2)

昨日からの続きである。あと1回続く!!

3.シンポジウム「商標法による商標の保護ー不正競争防止法との関係からの考察ー」
(1)江口順一「総論」
概要
米国、ドイツスウェーデンでの不正競争防止法と商標法の位置づけが、競争秩序法として一元的に捉えられていることを紹介され、知的財産諸法の基本法として不正競争防止法を捉えていくべきであることを述べられた。

感想
標識法についてはどうしてもそういう方向になるのだろうという漠然とした(それは不勉強によるものだが)共感を覚えた。ついでに、「著作隣接権なんかも不正競争規制で十分なんだよ!」とかアグレッシブなことをおっしゃってくれれば…と勝手な妄想を抱いたが、残念、今回は著作権は対象外であった(笑)

(2)鈴木將文「新しい形態の保護」
概要
におい、音など新しい形態の商標の保護可能性について欧州、米国の状況を中心に記述的に整理されていた。色、音については欧州、米国ともに登録事例が存在するとのことであった。米国は登録要件として視覚性について強く求めておらず、その結果、においの商標すら存在していることを指摘された。
なお、音の商標については、データベースで再生用曲データまで添付する工夫までされていることを紹介されていた。

感想
簡潔、明快な整理で最新事情の勉強となった。今後日本の商標法において色、音のなどの商標が認められるか否かの検討に当たって影響を与えうるものと思われる。
その場合、IPDLの更新がいるなぁ、だれがやるのかなぁ?(お金が動くなー)などと思ってしまった。(感想がこれだけなのは、貴重な報告にも関わらず、朝早く出たことがたたって熟睡してしまったからである…)
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2007年06月17日

[知財一般][時事]日本工業所有権法学会を聴きに行ってみた(その1)

京都で開かれた工所法学会を聴講してきた。研究界の大先生や、著名な弁護士先生、また有名企業の法務責任者をはじめとする豪華な参加者、そこに、誰しも名前を聞いたことがある勢いのある若手・中堅研究者の報告があるのだからなんとも贅沢なものである。そんな中で、私は師匠の横で小さくなって聞くしかできないのだが、聞くだけならできる!ということでとったメモをお伝えすることにする。

なお、本メモは報告の内容を誤って伝えている可能性がある。その責任はすべて私にあるので留意されたい。

1.島並良「特許権の排他的効力」
概要
特許制度が、発明の取引費用を減少させるものである、というMergesらの議論(注1)を紹介し、日本のクレーム確定理論について取引費用という視点から記述的な分析をなさっていた。
取引費用に注目する議論の出発点は、特許制度は、発明創作のインセンティブであり、発明成立後にはある種「邪魔者」である、という理解がなされることへの反論(注2)にある。
均等論、間接侵害、消尽、職務発明規定につきそれぞれ取引費用減少の制度と理解できる、とされ、このような理解が今後規範論において示唆を与えうると述べていらっしゃった。
もっとも、島並教授はローエコに直ちに組するものでなく、規範論における分析ツールとしての可能性に触れていたのにとどまることは注意が必要である。

感想
研究サイドや政策サイドには、なかなか興味深いものであったように思う。ローエコも使い方次第であることは気をつける必要があるが、不毛な観念的価値判断に陥ってしまった際には、一つの客観的指標として多いに使えるものではないか。そのように感じさせた報告であった。

(注1)Robert P. Merges, A transactional View of Property Rights, 20 Berkeley Tech. L.J. 1447 (2005)
(注2)もちろん、特許制度は発明成立後においても十分効用があるという理解は十分可能である。無対物ゆえ排他性を確保しないと公表へ負のインセンティブとなり、公表することが社会的効用を増大させる、という前提の元では特許制度が無いと困るのである。


2.諏訪野大「独占的通常実施権について」
概要
独占的通常実施権者の差止・損害賠償請求権行使の可否について、肯定的立場から述べられていた。肯定されるのは当事者間に侵害者排除の合意がある場合という前提が付された場合について、であるが、その場合債権者代位構成により認めたとしても、そもそも債権者代位の構成が限定的にしか認められていないことから不都合はない、と考えられているようだ。その上で起こりうる既判力の問題については民訴法115条により特許権者にも及ぼして良い、と述べていらっしゃった。ただし、実用新案については審査というスクリーニングを経ていないため、独占的通常実施権者に差止・損害賠償請求権行使を認めると不都合があるため、これを認めるべきでない、とされていた(その不都合、とは濫訴だ、と理解したが聞き違いかもしれない)。

感想
学説上の通説的見解をフォローするものが、いまいち根拠がわからなかった。非常にまとまっていた発表だけに、不勉強な私がついていけなかったのだろう。まったく反省である。
そもそも論で恐縮なのだが、それほどまでに独占的通常実施権者に差止・損害賠償請求権行使を認める積極的な理由があるのか疑問であったが、報告後考えても解けなかった。諏訪の先生があげられるように「当事者間に侵害者排除の合意」があるならば、原則は通常実施権者は契約に基づいて特許権者に損害賠償を請求すれば良いのではないか。ここで仮に責任財産が確保できないならば、この場合はなんら違和感無く債権者代位が使えると思うのだが…。
この点は、私自身の勉強課題としておいておくとして、ともかくも諏訪野先生の報告は刺激を与えるものであった。実務的な観点への配慮もあり、机上の空論にとどまらないところがすばらしかった。実務家の方の間ではなかなかの評判であったようだ。
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2007年06月13日

[つぶやき]知財の貴重な情報源

財団法人知的財産研究所の図書室が一般に公開されている旨、ウェブサイトで公表された。
http://www.iip.or.jp/library/index.html

実は私は一度、調査のためお世話になったことがある。知財系の文献、とくに論文誌が充実している。アクセスが容易になり、首都圏の知財人にはありがたい場所と言える。惜しむらくは平日しか開いていないことであるが、人手を考えればしかたがない。(むしろ、ボランティアとして月一くらいの休日の管理に名乗りをあげたいくらいであるが)
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2007年06月12日

[著作権]著作権保護期間の歴史がまとまった論文

●斉藤博「著作物の保護期間に関する考察」L&T35号(2007年)4頁〜10頁読書メモ

大御所斉藤先生がホットなテーマを扱っているので思わず手に入れてしまった。「考察」ではあるが自説の展開は乏しく、欧州、米国、日本の著作物の保護期間の変遷とその背景についてコンパクトにまとめた論文であった。しかし、経緯を抑えるには最適な論文の一つであることは間違いない(注1)。

論文の概要

著作権の保護が50年という世界的な趨勢になったのは、ベルヌ条約部ラッセル規定(1948年)。当時の欧州では「著作物=人格の発露」との理解が強く、「3世代先まで」保護することが必須だと考えられていた(注2)ことが影響している。次なる転機は欧州統合である。統合にあたり各国まちまちの保護期間を統一するには、長い者にそろえた方がよい、という考えが働き、「著作者の死後70年」にそろえられた。このときの正当化理由には「寿命が伸び3世代先まで保護するには50年では足りない、というものがあげられていた。巨大ソフト産業国の米国も欧州に追随した。現在、70という数字は保護期間のシンボルとも言えるものとなってきている。

私見

著作権の一元説に立つなら、「3世代先までの保護」も否定しにくいところであるが、日本のように法の構造を見る限り二元説に立つと思われる制度を採る国には「財産権」にすぎない部分の「3世代先までの保護」への違和感は残る。実証的な研究を進めるべきではないか、と思う。経緯を読む限り、延長論についての賛同へ傾く、というものではなかった。

さて、本論より興味が持てたのはシェーン事件に対する言及と思われる箇所である(注3)。
すなわち、
映画の著作物の著作者を映画製作者とする規定が無い旧著作権法下では(注4)映画監督も著作権者たりうる。すると、著作者の死後38年間の保護の余地がある。シェーン事件に置いて監督は1981年に没していた。

ここから先は行間を読んだのだが、
映画配給会社は監督が共同著作者と言っておけばよかったのかもよ

という主張をされたいのかもしれない。

もっとも、権利をまるまる欲しい配給会社にはそんなことをしたいわけもない。実は強烈な皮肉なのかも…。

(注1)なんて書くと不遜に聞こえるかも…。読んだ方は誤解しないでね。
(注2)その核は「個人に対する追慕の情」ではないかと考える。
(注3)直裁におっしゃっている訳ではないのだが、行間を読んでみた。
(注4)私は確認できていないので、斉藤先生に丸乗りしている。
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2007年06月09日

[その他][書評]本間義人『地域再生の条件』

●本間義人『地域再生の条件』岩波書店(2007年)読書メモ

地域の再生成功事例集と言える本で、どのようなことがポイントかの検討を行うのに一つの材料となるものと思われる。

リピーターを集める工夫をした横浜・元町、スローライフの場として棚田を都会の人々に貸し出す鴨川市、地元の良さを生かした町づくりをした会津若松など、いずれも自己の強みを、継続的に生かせる形で再生のきっかけをつかんだ事例が取り上げられている。

成功例に共通するものは、住民の自発的な取り組みと、地域として続けている要素が存在することである、と指摘している点は、うなずける(注1)。地域においてサステイナブルでない、キャッチーなテーマで再生できるほど甘くない、という感覚を抱いているが、本書も、そのことを示唆するもののように思えた。

ただし、この本の第1章、筆者の価値観を大きく反映した章については異論が多々ある。本書の切り口を示している章なのであるが、まず、「人権の尊重」こそ公の役割であるとした上(注2)で、そこからブレイクダウンし、「ノーマライゼーション」と「交通弱者の救済」が必須の条件である、とし、後者については再三のみに着目して第三セクター鉄道を廃止することは「人権を損なうもの」と評価している。どうように「公営住宅」がないこともセーフティーネットの欠如としている。

ここでいう「人権」が何をさすのかわからないが、仮に「人間的な生活の保障」の意味での人権と捉えるなら「鉄道がないこと」や「公営住宅がないこと」は人権侵害に当たらない。鉄道については、バスなりタクシーなり代替手段の提供もあり得るし、運賃補助という手もある。思い切って白タク解禁を特区で唄うのもありかもしれない。住宅については、単に家賃補助をすれば良い。

以上のように筆者の価値判断の点において問題は感じるが、事例集としての価値はあるものと思われる。

(注1)なお、これに加えて本間教授は国の施策が地方の特性を生かしておらず画一的であったことを批判する。過去にあってはそうなのかもしれないが、現代においては、中央の取り組みに甘んじ、自らのレベルにブレイクダウンを行ってこなかった地方自治体が一部に存在していたことが要因の一つであるように思われる。
(注2)「人権」とまで持ち出す必要があるのか、という疑問点がまずあるのだが、これについては高齢の識者は比較的好みやすい議論の仕方なので一歩譲ることとする。
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2007年06月05日

[特許][時事]特許出願制度の国際ハーモナイゼーション…に何度触れたことだろう

6月3日付け読売新聞によると、Heiligendammで開かれているG8サミットの合意文書に、
特許の審査制度を共通化」を中心とした「各国の特許制度の統一を目指す方針が盛り込まれる」
ことになったようだ。

どの点を共通化するのがわからないのだが、拒絶理由通知や補正時期の共通かに進むのであれば画期的である。この点は、より詳細な報道を待たなくてはいけない。
(参考:G8公式サイト http://www.g-8.de/Webs/G8/EN/Homepage/home.html

G8とは別に、日米欧三極は相互承認制度の検討、出願書類様式の統一を進めているところであるようだ。出願書類の様式統一だけでも出願実務上は手間が翻訳だけになるし、特許情報を利用する側も、明細書を読むことが少し楽になる。これは、大きな前進では無いだろうか。(もっとも、特許調査しかしたことの無い筆者には、出願の苦労はわかっておらず憶測にすぎないのだが)。

もっとも、相互承認制度の難点は、言語の違いであり、日本が若干の不利を受ける可能性もある。長期的な視野に立てば、理工学学生に対する技術英語等主要な外国語の教育をさらに深めていくことも手だろう。同様にイノベーティブな発明が日本で盛んに行われるようになれば、少なからず諸外国が日本語を学ぶインセンティブになる。高等教育改革の議論では、この点の意識が欲しい(注1)。

(注1)筆者はドライな人間なので、倫理観や教養は国が力を入れるものでなく、大学が勝手にやれば良いと思っている。教養教育の大事さも直感的に感じるが、その効用がいまいち見えないので、重視するかしないかは社会に任せるべきだ、というのが浅はかながらの考えである。むしろ、外部性の存在が比較的見えやすい、技術外国語教育やイノベーション促進政策を真剣に検討して欲しい、と願っている。
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2007年06月02日

[時事][知財一般]インド政府が伝統的知識の帰属に関してアメリカにたいしてアクションを起こした?

知的財産に関する世界的な議論のホットイシューの1つ、「伝統的知識(Traditional Knowledge)」に関して面白い記事が時事通信から配信された。
(6月2日7時0分配信 時事通信)
ヨガの知識やポーズ、関連商品などが米国で特許・商標登録されているのはインド数千年の知的財産を侵すものだとして、同国政府は2日までに登録の取り消しを求めて米国に抗議する方針を決めた。

しかし、これだけは、詳細がわからない。「商標」「特許」に分けていたので、それぞれについて検討する。

商標について

「知的財産を侵す」というからには、ヨガに関する「名称」による利益はインドに帰属する、という議論なのだろうか?仮にそうであれば、これまでの伝統的知識の議論とは少し違うものとなる。

従来の伝統的知識の議論は、技術的思想や著作物について、その利益の一部は伝統的知識を有する集団に帰属させるべきである、という議論が主であるように思う。それに比べ、「名称」が伝統的知識の発祥集団の独占によるべきである、という議論は聴かなかったように思う。こちらの主張であれば、なぜそれが正当化されるのかについて、国際的に議論が行われるべきであろう(注1)。

他方、伝統的知識の発祥集団以外の者が商標権を取得するべきでない、という議論は少なからずあった。仮にこちらの主張であれば、議論としては新しくない。もっとも、伝統的知識名の冒用を登録拒絶事由とするか否かの政策的な議論が展開される契機になりうる(注2)。興味深い。

残念ながら管見の限り、いずれの主張かわからなかった。今後の報道等を待ちたい。

特許について

特許については商標に比べ議論状況が異なるように思う。技術的思想から得られる利益が伝統的知識を創出した集団に帰属させるべきであるという議論はすでに存在する。

本件もそのような主張の一環か、と思いきや、オーストラリアNew.com 2007/6/1の記事を読む限り、ヨガに関する特許については、新規性が無いなど特許要件を欠く、という主張をしているように読める。そうであるならば、きわめて真っ当な主張であって、目新しさは少ない。

補足

ところで、インドではTraditional Knowledgeの保護が注目されているようである。
参照:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/544861.stm

新興経済大国がこの問題を取り上げ出すと、少なからず議論は盛り上がることになるだろう。
(注1)現状の議論は少なからず南北問題解決の政治的ツールのように感じている。あるいは人格権的な発想からスタートして、当然に創出者に帰属するのだ、という主張もあるだろうが、ではなぜ「集団」に帰属するのか、なぜ世代を超えて「継承」されるのか、について説明が難しいように思う。
(注2)伝統的知識の問題ではないが、他国の文化資源の冒用を公序良俗の問題で処理した興味深い日本の判決として、〔Anne of Green Gables事件〕。
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[つぶやき]大変なことが起こってしまった

拙い知財系情報発信ブログ(本音では個人的な情報整理なので、お読みいただくこと自体恐縮なのだが)である本ブログが、知財系ブログの巨頭の一つ『企業法務戦士の雑感』(FJneo1994さん)に取り上げていただいた(記事はトラックバック参照)。

FJneo1994さんや、『駒沢公園行政書士事務所日記』の大塚先生、あるいは一緒に取り上げていただいた『KTSK』kiyosakariさんに比べると、本ブログは深みも何も無いのが現状であるが、今後精進していきたい(注1)。

『企業法務戦士の雑感』というすばらしいサイトを通じて、本ブログをはじめて訪れた方は、その落差に愕然とされるかもしれないが、暖かい目で見守っていただき、叱咤激励をくださるとありがたい。

(注1)「精進」と入力すると「消尽」と出てしまうのが悲しい性である。ほんとうに消えて尽きてしまうかもしれない。
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