とあるコミュニティに「著作権法の授業のレポート課題で『マルチメディアの法的保護のあり方』が問われて、どう書いて良いかわからない」という(おそらく)学生の書き込みがあった。
レポート課題の意図は分からないが、もしこれが、「マルチメディアは著作権法上予想されていなかったものなので、
コンピュータプログラムのように独自の保護や、特質に合わせた保護が検討されるべきだ」という前提の下に出された課題ならば、これはおかしいように思う。
表現媒体(これは文字とか音声という意味での媒体である)が異なるものが集合した、とはいえ、そこには個々の
素材の創作行為があるのであるし、個々の素材を集合させる過程での「編集」という創作行為があるのである。問題はせいぜい個々の素材の利用にかかる権利処理で、そういう問題が多数になる、というだけではないだろうか。
確かに「マルチメディアの法的保護」というのはかつて議論の盛んなところであった。
マルチメディアというものが注目されたのが1990年ごろからで、1992年には著作権審議会内に「マルチメディア小委員会ワーキング・グループ」が設けられているのであるから、当事の動きの迅速さが窺われる。
その後、一般向けに書かれた中山先生の『マルチメディアと著作権』(岩波新書、1996年)が著されている。それからもう10年以上も経っている。議論は、技術的保護手段の法的保護、さらには、特定の形態で公表された著作物の利用についての報償請求権化の議論などに結びつき、少なからず影響を与えたことは間違いない。
しかし、今は議論の中心ではない*1。中山先生の議論も、個々の素材の利用による創作活動が中心となることが予想される、という点を見抜かれた上で、いかに情報の豊富化をもたらす制度設計をするかという、著作権法のパラダイム
チェンジを問うものであると思われる*2。「マルチメディアの特性」という議論は、もう廃れたものといって良い。
そうならば、レポートの意義は他に求めるしかない。考えてみると2つの可能性が考えられる。
1つは、マルチメディアの法的保護をめぐる議論とその結果を歴史的に記述することが求められているというものである。これに対しては、問題点が、
デジタル著作物に対して技術的に権利管理ができるようになったことへの対処に移っていった点、それに加えて、素材の利用をめぐる議論が書ければマルといったところだろうか(この点については、正しく理解していない点もあると思われる。諸兄・姉の見解をコメントで頂ければ幸いである)。
このような課題は悪くないが、学説史を書かせるようなものだし、膨大な資料の読み込みがいるためハードルは高い。果たして課題として適切かどうかは疑問が沸く。
残る1つは、思考実験としてのマルチメディアの特性に基づいた「著作権法以外の」法的保護のあり方検討である。しかし、これはなぜ複合的な表現媒体であれば特別な保護が与えられるのかというところに、答えを出さなければならず、しかも
映画の著作物との重なり合いもあることから著作権以外に求める理由付けが難しい。デジタルの特性を言うのであれば、最初から「デジタルの創作物の法的保護」を言えば良い話である。であるならば、そのような意義に基づく場合は、私は課題として適切で無いように思う。
おそらく、気の早い学生さんが、教員から与えられたレポートの要点を聞き逃したから起きた混乱であると思うのだが、仮に、「マルチメディアは既存の著作権法で十分に保護されていない」という理解をさせるような授業が展開されていたのであれば、その課題を出された教員の
勉強の程度を疑ってしまう*3。
*1 紋谷暢男教授古稀記念『知的財産権法と競争法の現代的展開』(2006年、発明協会)所収の岡本薫氏の論文においても同様のことが述べられている。
*2 上野達弘「著作物の改変と著作者人格権をめぐる一考察(一)(二・完)」民商法雑誌120巻4・5号(1999年)も、中山先生の議論をそのように理解している。
*3 こういう批判をしたときに限って、自分の無理解が明らかになったりする。