2007年01月31日

[商標]アメリカ連邦商標法におけるサーティフィケーションマークについてのメモ

サーティフィケーションマークってのがあるんだ。ふーん、という思いのメモであるが、制度の違いが面白かったので、まとめてみた。

アメリカの連邦商標法(注:連邦制であるので、州法で定めることが出来る。商標に関しては、州内では州法が、州際取引では連邦法がそれぞれ守備範囲となっている。)では、商品・役務の原産地・品質表示について、商標の一類型として捉えられ、独自の規制が吹かされている(なお、サーティフィケーションマーク:Certification Markの定義は15 U.S.C.§1127)。

その独自性は、次のような使用をした場合に、登録が取り消されるところにある。
・商標権者が、他者による使用を管理・規制していないとき
・登録商標が使用される商品・役務の製造・マーケティングに携わったとき
・原産地・品質等の表示以外の目的で使用したとき
・規格を満たす商品・役務等についての使用許諾における差別的取り扱いをしたとき
・商標権者自身の商品・役務に用いたとき
(15 U.S.C. §1064、邦訳筆者。)

このことから分かるとおり、かなり消費者保護を意識したものとなっている。
このような制度は日本には無い。かなりの程度制約が大きいものであり、米国でのそのような商標登録には注意が要る、ということだろう。

ところで、日本には無いから同様の制度を容れるべきだ、という論を、比較法をやる初学者は言いがちである(という言い回しではいかにも偉そうだが、自分自身は比較法をやるド素人である)。だが、日本ではこの制度は必要ない。単に、登録商標として何らかのマークを取得し、特定の品質を保証する使い方をすればよいからである。

もちろん、品質管理に対して、「形式的には」国が関与できるという点では、サーティフィケーションマークも意味があるのかもしれないが、事後的にしか関与できない点では、あまりメリットが無い。むしろ、結果としては商標に対する信用という形で市場に任せた場合と変わらない。

昨日の森田先生の論文を読んで、安易な比較法は怖いなーと思っていたところなので、おもしろい例が目の前に現れて、嬉しくもなった。

ちなみに、アメリカ商標法についての概略の邦語文献は、創英知的財産研究所『米国商標法・その理論と実務』(経済産業調査会、2004年)がある。つかみには最適である。より理論的なもの、あるいは、実務上詳細なところを知りたい場合は、いまのところ、英語文献に当たるほかなさそうだ。
posted by かんぞう at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆商標 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[つぶやき]読み応えのある雑誌が続いた!

久しぶりに民法の話題を書いたが、森田先生の論文が掲載されたNBL2007年1月15日号は他にも面白い論文や、コメントが載っている。

中でも興味深かったのが、大学入学時に支払う授業料の入学辞退の際の返還に関する最高裁判決についての潮見先生のコメント。消費者契約法が施行されたら、不返還特約は無効になるのに、施行前で公序良俗に反しない、というのは、公序が施行日を境に大転換したのか、という趣旨。

鋭いの一言に尽きる。

他にも(こちらはようやく知財の話題)、ジュリストの2007年1月1日15日合併号(1326号)も興味深い。「知的財産法の新展開」として力のある学者・実務家が単なる法改正紹介に留まらない論稿を寄せている。
まだ、少ししか目を通せてないが、次のものは特に興味深い。

茶園成樹「著作権法の最近の諸問題」は、私的録音録画保証金制度についてDRMとの関係で考察されている上、DRMが私的複製の範囲を狭め得ることについて3ステップテストからの検討をされている。
牧野利秋「意匠法の諸問題」は、改正24条の点について紹介、検討をされている。意匠法自体の論稿は限られており(ほぼ牛木弁理士を中心になされているといっていい)、その中で、議論の広がりの可能性を示された意義は大きいと思う。

ちなみに、上野達弘「著作権法における『間接侵害』」はぱっと見が、紋谷先生古稀と同じでうっかり先入観を持ってしまった(つまり、「このやろー使いまわしだナ」という先入観である。上野先生、ごめんなさい。)。それゆえ、まだ読めてない。一番興味があるテーマなので、あとでじっくり読みたい。
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[その他][民法]射倖契約と有意義な棘

●森田果(もりた・はつる)「射倖契約はなぜ違法なのか」NBL849号(2007年)35頁以下 ざっと読書メモ

知財の話題ではないが、刺激的な内容であり、また、学ばされるところもあった論文。若手の力のある学者の書いた生きのいい論文で、切れ味が鋭い。なにより面白い(interestingとamusingの両方の意味で(笑))。

1.論文のえー加減な概略(門外漢なのでまともにまとめる能力も無いが)
「射倖契約」、すなわち、「偶然の利益を得ることを目的とする契約」(『大辞林』より)は、公序良俗に反するとの処理が日本ではなされてきた。では、なぜ違法(あるいは公序良俗に反する)といえるのか。
この説明をするのに、フランス法での議論を用いるべきだという意見がある。フランス法での分析によれば、「偶然性」が、違法性の論拠だというのである。
しかし、これは説明になっていない。偶然性を言うならば、保険契約もデリバティブ契約も偶然性をもつものである。そうであるならば、違法性の論拠は他に見出さざるを得ない。
ここで、ファイナンスの視点から分析を加えると、興味深いことが分かる。保険契約やデリバティブは、当事者がリスクを避ける選好を有するときに合理的なものである。同時に、射倖契約である賭博契約も当事者がリスクを好む場合には合理的なものなのである。
しかし、後者は当事者の中で合理性があっても社会的効用をもたらさず、また、派生する効果の懸念から、禁止されているものと考えられる。

2.感想
本論もさることながら、「比較法をやったからって、なんでもかんでも使いたがっちゃダメ。使えなかったら捨てる勇気を。」という趣旨のメッセージがあり、身につまされた(もっとも、私の場合は日本法で調べたことを何でも載せたがる、という傾向があることに対する反省である。比較法すら出来ていない努力・能力不足の輩である)。
ところでこれは、第70回私法学会の個別報告で大盛り上がりを見せたやり取りがあったようなのだが(私はそのやり取りの場にいなかったが、参加していた先輩から聞いた)、その当事者からの論稿である。それゆえ、相手方への鋭いとげがしっかり埋め込まれている。
ちなみにハツル先生のブログによると、NBLの検閲…ではなく自主規制がかかった論文らしい。あれで、マイルドなのか!?と思う(笑)
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2007年01月25日

[その他][パブリシティ]パブリシティについての内藤説

●内藤篤「標識法としてのパブリシティ権の限界:ブブカアイドル訴訟判決を読む」判例タイムズ1214号(2006年)19頁以下 読書メモ

パブリシティに関する問題に造詣が深い内藤先生の、パブリシティ権への切り口についての考え方がわかりやすい言葉で時に面白く書かれている論稿である。ちょっとした遊び心が含まれているあたりが個人的に好み。

1.この論文の概要
(1)ブブカアイドル訴訟判決への評価
〔ブブカ2002事件地裁判決〕(東京地判平成16年7月14日判タ1180号232頁)は、顧客吸引力に着目しながら、その利用行為態様を総合判断するアプローチを取っている。、同様の手法は、〔ブブカ2002事件高裁判決〕(東京高判平成18年4月26日判タ1214号91頁)にも用いられていると考えられる。この方法は、主観的・恣意的なものにとどまる。現に、両判決の認定の違いがその問題を浮き彫りにしている(25頁)。
他方、〔ブブカ2003事件〕(東京地裁平成17年8月31日判タ1208号247頁)は、情報の事由流通を確保する見地から、著名人の顧客吸引力を根拠に著名人に関する情報をコントロールできないとした。この一般論については、看過できないパブリシティ権侵害に対処できないことから問題であると考える(25頁)。
では、いかなる判断基準を取るべきか。その前提として、パブリシティ権の位置づけを次のように捉える。

(2)パブリシティ権の位置づけに対する考え方
パブリシティ権の発端は著名人の宣伝推奨機能にあったが、現在は、商品化事業にも用いられている(例えば、タレントグッズ)。同様に商標も多量の宣伝等によりそれ自体が財産的価値を持ち、商品化事業のコアとして機能している。社会通念として、両者の機能は変わらない。ここから、標識法としてパブリシティ権を考えることが出来るのではないかと考えられる(27頁)(方向性を同じくするものとして、井上由里子「『パブリシティ権』と標識法体系」日本工業所有権法学会報25号(2001年)37頁)。(なお、パブシティ権については、人格権を基礎とするものという考えが有力であるが、少なくとも〔ギャロップレーサー事件最高裁判決〕最判平成16年2月13日民集58巻2号311頁では、人格権を基礎とする旨の言及は無い。(19頁脚注(2)))
標識法と考えた場合、標識性の冒用が規制対象となるが、具体的には顧客吸引力の利用という実質があるか否かが判断基準となる。

(3)パブリシティ権侵害の判断基準
パブリシティ権が問題となる場面が多様であるため、判断基準は相関的・総合的なアプローチにならざるを得ない(29頁)。この点について具体化すると、「広告・宣伝における使用の態様」(広告で特定の顧客吸引力をイチオシか)(この点に関して、内藤篤=田代貞之『パブリシティ権概説 第2版』(木鐸社、2005年)338頁の記述が若干改められることとなる)、「商品それ自体における使用の態様」(商品として特定の顧客吸引力をイチオシか)であると考えられる(30頁)。この考えからは、多数の顧客吸引力を満遍なく使う場合にはパブリシティ権侵害と構成できないが、これは標識性を出発点とする以上やむをえないことである(31頁)。

2.感想
この論文のミソは、顧客吸引力の持つ標識性を基礎としたパブリシティ理論のひとつである内藤説の、最新の修正説であるという点にある。もっとも、この論文や内藤先生の本の読み込みが足りないせいか、なぜ(3)のような判断基準に至るのかが分からなかった。ともかくも、この見解はパブリシティ権を考えていく上で重要な軸の一つと思われるため、今後もこの見解には注目したい。
ところでこの論文で示したロジックに立つと、いわゆる物のパブリシティもありうることとなるように思われた(人格を基礎にしていないからであり、かつ、人格の制約について触れていないからである)。この点については、今後さらに見解が示されることを期待したい。
なお、瑣末な点であるが、〔ブブカ2002事件地裁判決〕〔ブブカ2002事件高裁判決〕のアプローチへの批判として、総合判断アプローチの端緒である〔キングクリムゾン事件控訴審〕(東京高判平成11年2月24日(判例集未登載)(LEX/DB未登載))との事案の違いを一つの論拠にされている点(23頁)はおかしいと思う。いずれの事件も判断基準についてキングクリムゾン事件を引用しているわけでない。異なる事案においてキングクリムゾン事件での判断基準と同様の判断基準を「初めて」用いただけとも思えるのである。

なお、この論文では、従来の裁判例を検討したとき、パブリシティ権の主体の「セクシーさ」が結果に重大な影響を与えているのではないか、と軽妙な冗談がなされている。この仕掛けが素敵である。
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2007年01月23日

[商標][時事]登録拒絶理由としての公序良俗違反と政治問題

※お断り
政治問題も絡む事案です。政治的な立場からのご意見もあるでしょうが、私はあくまで法律の解釈論のお話を政治的な立場を交えずに進めています。おかしい!とお思いになるのであれば、それは法律がおかしいのかもしれません。法律がおかしい場合には、国会議員に陳情し、世論を喚起することをなさるべきであるとお断りします。


新聞報道(産経新聞2007年1月19日)によると、隠岐島での土産品として「竹島」の名称を含む饅頭菓子を販売している東京の土産菓子屋が、商品名につき商標登録出願したところ、4条1項7号違反(公序良俗違反)を理由に拒絶されたようである。その理由の詳細は、「大韓民国と我が国との間で領土問題化している島根県の『竹島』の文字を含ん」でおり、「商標として採択・使用することは、両国の関係に無用の混乱を招くおそれがあり、社会通念上穏当では」ない、という点にあるようだ。

同号は国家の一般的利益擁護を含む趣旨であると理解されており(平尾正樹『商標法』(学陽書房、2002年)142頁)、外交上の弊害を懸念して拒絶すること自体(今回の判断という意味でなく、判断の前提という意味である)は、同号の解釈としては問題の無いものと考えられる。同様の事案としては、「征露丸」(正露丸ではない)が拒絶された例(大判大正15年6月28日)があり、これは、ロシアとの外交関係上の弊害を懸念している。ここから今回の判断は、前例に無い判断ではないとわかる。若干、考慮材料は異なるものの、外交上の弊害を懸念したという意味では、〔『Anne of Green Gables』商標事件〕知財高判平成18年9月20日平成17年(行ケ)第10349号の判断とも共通性があるように思われる(もっとも、同判決は正面からは国際商道徳という観点からの拒絶を正当化している。しかし、それだけでは説明できない面もある)。

ただ、問題は何をもって「外交上の懸念」とするかの基準である。今回の判断に対する批判があるように、多分に恣意的な要素は免れ得ない。極力謙抑的であるべきである。では、どのような場合に「外交上の懸念」を理由とした登録拒絶が許されると解するべきか。

そもそも外交上の懸念が生じる理由は、商標登録を許すということは国家が権力によりその標章(名称など)の利用において排他性を肯定するということである。ある種のお墨付きを与えることであり、他国を刺激することは十分に想定される。つまり、政府当局が進めている外交に、特許庁が横槍を入れる事態を起こしかねないのである。また、そのような名称の独占使用を許可することで、第三国からその「品格」を疑われることも懸念される(「品格」を疑われるか否かの判断基準は、その当時の国際的な社会通念や国際外交儀礼に求められよう)。端的に言えば、第三国の関係においても自国の国益を損ない得るのである。

もちろん、そのようなことは懸念に過ぎない。どう捉えるかは、態度決定の問題である。

この態度決定に関して、「特許庁が外交に横槍を入れる」という点を問題視すべきという立場ならば――すなわち、主権者たる国民が正当に選挙により選出した国会議員による主権行使の過程を、選挙による審査を受けていない一行政庁が妨害しうるという点を考慮するならば――、「外交上の懸念」が生じるものは極力登録すべきでないと言えるのではないだろうか。そうすると、恣意性という弊害との調整が必要となる。これを考察すると、政府が外交問題として検討しているか否かが一つの基準となろう。

第三国との関係、つまり国際外交儀礼を重視するのであれば、これに加えて当該行為が国際外交儀礼上、許容されているかが判断基準となろう。今回の場合で言えば、領土問題となっている地名にちなんだ商標登録がどれほど他国で許容されているか、である。今回、そこまでのリサーチはしていないが、そのような国際儀礼があるかは注目したい。

この問題は、結局のところ、公共の利益――つまり国益――をどこまで考慮するかに最終的には帰着するように思われる。商標登録を許すことで守られるのは私益である。国益と私益、どちらにより重点を置くかの立場は分かれるところであろうが、国益を守るという立場からすれば、この判断はあながちおかしなものでないように感じられるのである。

なお、このような理由で商標登録を許さなかった標章が周知となった時、不正競争防止法上の保護を受けられるかについては、検討の余地があろう。仮に受けられるとすれば、商標登録を受けられない不都合は軽減されることとなる。

※先輩とこの話題をしていたら、「竹島」が挑発的でダメなら、じゃぁ「独島」だったら登録が許されたのか、というウィットのきいたチャチャを入れていた。実はまじめに考えると面白い点かもしれない。どうなんだろう…。

※※産経新聞は、『竹島問題に詳しい拓殖大学の下條正男教授(56)は「竹島が韓国領なら分かるが、どうしてだめなのか。問題が起こらなければ、よしとする役人的な発想だ」と話している。』と記事に書いてあったが、歴史の専門家に聞いても…と思う。問題はあくまで「商標法」なのだから、知財法の専門家に聞いてほしかった。法律家からすれば、政治的責任をとらない役人が問題を起こしてはまずいのである。たとえば、日本と友好的な国であるアメリカとの外交問題を揶揄するような商標をあっさり登録されることの弊害を考えてほしい。それを考慮すれば、現状の法律からは、今回の恣意性はやむを得ないのではないか。今後、基準について立法論として政治家が議論を進めるべきであるように思う。
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2007年01月21日

[時事][著作権]未知の利用にかかる実演家の著作隣接権の報償請求権化?

新聞報道(朝日新聞2007年1月21日《asahi.comへのリンク》(リンク切れとなる可能性あり))によると、知的財産戦略本部が、テレビ放送用の番組について、いわゆるビデオポッドキャスティングとして再利用する際に、出演者の著作隣接権に関してその許諾を得なくても良い方向で検討するようだ。

この問題も、「未知の利用」に関する検討課題の一つである。対象行為をポッドキャストに絞るのか、対象を実演家の著作隣接権に絞るのか、今後注目される。おそらく報償請求権としての方向で検討されるのだろうと思っている。

しかし、検索サービスについては経済産業省が、ビデオポッドキャストについては知財戦略本部が、それぞれ文化庁の所管する著作権法について提言しているわけである。それぞれの動きが面白い。
posted by かんぞう at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月18日

[知財一般]ライセンス料収支から見た知財の経済貢献

知的資産(資産、の方である)の移転についての課税問題について話を聞く機会があった。(税がらみのことはさっぱりなので、一大トピックなんだな〜くらいしか学び取れなかったのは勿体無いところであったが…)。その中で、知的財産(財産、の方である)の移転の一形態であるライセンスにより得られる使用料の国際収支についての言及があり、面白かった。

特許料収支については、従来は赤字(ライセンス料支払いの方が多かった)のだが、2002年以降黒字化しており、ここ3年は1000億円級の伸びを見せている(JETROの国際貿易収支統計《JETROへのリンク》参照)。他方、著作権料収支は恒常的に赤字になっている。そのうち音楽映画などの古典的創作物については1割程度に過ぎず、大半がソフトウエアのライセンス料となっているようだ(山口英果「特許等使用料収支の黒字化について」《日本銀行へのリンク》参照)。

ライセンス料だけの観点からは、トータルでは日本経済に貢献している度合いはさほど大きくない(もちろん、収支バランスがプラスにするのが良いという評価基準からであって、経済をまわすという意味の評価からは十分に貢献していると言える。)。
ここから単純に知財が役立ってないとは言えない。先進国の中でも非常に良い状態であるとの指摘もされている(例えば、日下公人「まれに見る発展段階の日本経済〜トリプル黒字がもたらす発展の可能性〜」日経BPへのリンク》)。

現状の特許料収支はアジアで黒字、対米、対欧では若干の赤字のようだが、これが黒字に転換すれば新たな貿易摩擦を生むのかもしれない。対アジアでの黒字過多は、その国での知財のエンフォースの負のインセンティブになりかねない。考えるとなかなか面白い事実であるように思えた。
posted by かんぞう at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆知財一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月17日

[商標]ひよこ立体商標事件知財高裁判決の意義を探ってみた

〔ひよこ立体商標事件控訴審〕(知財高判平成18年11月29日(判例集未登載)平成17年(行ケ)第10673号)の意義とは何かを整理する。

1. 基本構造
「立体商標」について〔特殊事情〕、「普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる」商標(商標法3条1項3号)ではあるが〔論点1〕、「使用をされた結果需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができるもの」(商標法3条2項)に当たるか〔論点2〕が争われた事案である。
事案においては〔論点1〕については争っていないが、「立体商標」との関連で議論があるところであるので、理論面の理解を深めるための参考として触れる。

2. 商標法3条1項3項〔論点1〕と立体商標〔特殊事情〕
(1)学説
「普通に用いられる方法で表示する標章」が、立体商標の場合にどのように解釈されるかには、議論があり、次の2説がある。
(i)意匠法との調整必要説
立体商標が、もっぱら標章として用いられる物に限らず、商品についても対象となるため、意匠法を中心とする知的財産法の意義を没却しかねない(注1)。であるならば、機能的な点あるいは意匠的な点から「普通である」ものを除外すべき、と考えることが出来る。具体的に、「用途、機能から予想し難いような特異な形態や特別な印象を与える装飾的形状等を備えている」(〔筆記具立体商標事件〕東京高裁平成12年12月21日判例時報1746号129頁)もののみを対象とすべき、と述べるものもある(注2)。
(ii)意匠法との調整不要説
しかし、3号の列挙事由に鑑みれば、機能的な形態のみを対象としていると読めること、意匠的な観点からの「普通」が観念できないこと(注3)を理由に、同号を(1)のように読む必要が無いとする見解もある(注4)。この見解からは、機能的な観点から「普通である」ものが除外されることとなる。

(2)理論面の検討
制度間調整の必要性については意匠が関係する局面では、しばしば問われるものであり、実際著作権との間では調整が図られている(注5)。意匠法の趣旨を没却しかねないことは見逃しがたく、(i)意匠法との調整必要説に立つ見解に妥当性があろう。
理論的な面から、「普通」であることを分析すれば、「他にもある」という意味の「普通」と、「競争上不都合を生じさせる」という意味の「普通」があると考えられる。後者の意味がある以上、(ii)意匠法との調整不要説が言う点は当たらないのではなかろうか。

(3)本事案の検討
本事案は「他にもある」表示であることを理由に3条1項3号の認定において出所識別性が無い、とされている。指定商品が「まんじゅう」であるため、機能的な形状というのはおそらく「まるい」という点くらいに限られよう。そうであるなら、本事案は意匠的な観点から「普通である」と判断されたものと考えられ、(i)意匠法との調整必要説に立つ事案であると考えられる。
この点については、従来の裁判例と変わるところは無い。また、理論的にも適切であると考えられる。

(注1)厳密にはどういう点が、を明らかにしなくてはならない。今後の課題とする。
(注2)この考えを支持するものとして、三山峻司「〔筆記具立体商標事件〕判批」判評514号(2001年)38頁。特異な形態とまでは述べていないが、審査基準は立体商標につき登録の対象となるものを限定的に捉えているようである。
(注3)後掲の渋谷教授の指摘する点を誤解している可能性があるので、少なくとも管見として、という留保を付す。今後精査する。
(注4)渋谷達紀「商品形態の商標登録」紋谷暢男教授還暦記念(発明協会、1998年)321頁。
(注5)応用美術の問題として取り扱われている。

3. 商標法3条2項〔論点2〕と立体商標〔特殊事情〕
(1)論点の整理
3条2項を巡っては、更に細かく論点がある。「使用された結果…」の解釈〔論点2−1〕と、立体商標と文字標章との関係を巡る点〔論点2−2〕である。

(2)「使用された結果」の解釈〔論点2−1〕
(i)周知性要求説
出所識別性を欠く標章を例外的に保護する制度であることに鑑みれば、自他識別機能が十分に発揮されていることが必要であるという立場に立ち、全国的な周知性を求める(注6)。
(ii)周知性不要説
他方、文理上周知性が読み取れないことから、「現実的な」識別力のみを問題にする見解も存在する(注7)。この立場からは、標章が本来的にもつ識別力によって分けており、識別力が極めて乏しいものならば全国的な周知性を求めるものの、多少識別力があるものならば、使用による現実的な識別力獲得を問題にすれば良いとしている。

(3)立体商標と文字標章との関係を巡る点〔論点2−2〕
立体商標は言語性を欠くため、言語つまり文字標章と組み合わされたときの識別力認定には見解が分かれ得るところである。
この点については、立体商標としての独立の自他識別性を求めることで一致しているものと窺える(注8)。

(4)理論面の検討
識別力の余地があるとはいえ、3条1項3号の解釈について、(i)意匠法との調整必要説を採ったがために否定されたような場合であれば、識別力を相当高度に求める、もしくは、3条2項の適用を限定的に解するのが整合的であると考えられる(注9)。

(5)本事案の検討
〔論点2−2〕については、本件では文字標章を含まないことから、自明の点であるが、周知性の認定において大きく影響している。審決では文字標章による出所識別力の高さも含めた周知性認定が行われていたようなのである。
話が前後するが、〔論点2−1〕については「周知性」を問題にしていることから、(i)周知性要求説に立っている。これは過去の裁判例も採るところであり、目新しいものではない。
唯一独自性がある箇所かもしれないと思われるところは(注10)、大量の広告を行っていても「他にもある」「普通な」ものであるが故に、周知性を否定している点である。商品形態に関わる立体商標ゆえの判断基準なのであろう。

(注6)田村善之『商標法概説 第2版』ほか。
(注7)平尾正樹『商標法』(学陽書房、2002年)130頁−131頁。
(注8)東京高判平成13年7月17日判例時報1769号(2001年)98頁。
(注9)本当か?という突っ込みが入りそうなので、とりあえずの考え(下手の考え)として…。
(注10)要は、本当に独自か検討できてないのである…。反省。

4. 結論
理論的には従来の裁判例や有力な学説に沿ったもので目新しさは無い(FJneo1994さん《企業法務戦士の雑感》「[企業法務][知財] 立体商標の行く末」が指摘している。)
以前、感想として触れたように判決文が目新しいもの…と今のところは結論付けておく。
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2007年01月13日

[その他]論文を書く上で学んだこと

分量だけは論文並みの「論文まがい」(笑)を書いてみて、いろいろと勉強になった。終わってみるとできなかったなぁという点を列挙してみる。

構成面では、2点。
「問い」に対する答えを示すものが論文の基礎だということを常に意識する必要がある。そして、その答えを示すために、さらに「問い」が派生するが、派生したそれぞれの問いの必要性を十分に吟味しなければならない。

表現面では、3点。
接続詞は答えを導く過程で、読み手がその過程をたどるのに重要。だからこそ、接続詞において、「この点」という接続詞は使うべきでない。「この点」は「この点については」「しかし」と置き換えられる。論理的なつながりについて思考停止をする危険な言葉になる。(もっともこれは会社法の伊藤先生の受け売りである。)
次は、表記。「できる」「いう」「うる」など、表記ゆれは読みにくくなる一つの要因となる。書き始めるときにどちらに統一するかを決めて書き始めることが望ましい。
最後に改行の位置。これだけで、論理構造がわかりやすくもわかりにくくもなる。できれば1つのことを表現するのが1段落としておきたい。
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2007年01月11日

[著作権]プラーゲ旋風の内容とその影響

日本の著作権法の萌芽期における、一大事件「プラーゲ旋風」について、よくわかってなかった。そこで、「プラーゲ旋風とは何か」「どのような影響を与えたのか」を、簡単にまとめてみた。恥ずかしながら、きちんとした歴史研究が出来ないため、すべて二次資料に拠っている(よって、「〜の解釈では」、「〜によると」、という留保をつけざるを得ない点、ご了承いただきたい)。

1.プラーゲ旋風の背景
(1)演奏権留保条項の存在
かつて演奏は原則自由だった。例えば、ドイツの1870年著作権法50条2項は、楽譜として発行された音楽的著作物について、その楽譜上に「上演権が作曲家に留保される」旨の表記がされていないとき、作曲家の許諾を得ることなくその楽曲を自由に公に演奏できると規定されていた(注1)。これを演奏権留保条項と呼ぶ(注2)。
しかし、演奏権留保条項は、レコードの登場・普及に伴って、作曲家・作詞家から疎まれることとなる。そこで、1908年ベルヌ条約ベルリン改正条約11条3項は、演奏権留保を明示せずとも演奏権が発生する旨を規定し、これを受けてドイツ著作権法などは同条項を外す改正を行った。
ところが、日本は、演奏権留保条項を著作権法から外さなかった(注3)。これが、プラーゲ旋風のひとつの契機となる。

(2)ラジオ放送の開始
しかし、1920年アメリカでラジオ放送が開始されると、音楽著作物の利用は格段に増える(というよりは著作権者の目に付く)ようになった。日本でも1928年に開始され、これとともに、演奏権留保の無い音楽が無断で用いられたのである。
ラジオでの著作物の利用については、世界的な議論となり、1928年ベルヌ条約ローマ会議で、無線放送による伝達について著作者の権利が及ぶこととなった。この会議の結果、日本では、昭和6年著作権法が改正され、同権利が導入されたうえ、演奏権留保については放棄されることとなった(注4)。これにより、ラジオでの音楽利用について演奏権留保の有無を問わず権利行使が可能となったのである。
(注1) 〔R・シュトラウス作品の保護期間事件〕東京地判平成18年3月22日判例時報1935号135頁における被告の主張参照。
(注2) その理由は、管見は覚知できなかったが、推測するに慣行を法制化したものであったのだろう。
(注3) その理由もまた良くわからないが、改正に関わった水野錬太郎博士が、その意義を簡潔に記載しているのみであることの指摘があり(著作権法百年史編集委員会編『著作権法の百年史』131頁〔吉村保〕(著作権情報センター、2000年))、単なる手落ちや重要性の認識が低かったことから、改正の検討に漏れただけに過ぎない可能性もある。
(注4) 前掲注(3)『著作権法の百年史』229頁〔豊田きいち〕によると、演奏権留保についてはあまり議論の俎上に上がらなかったようである。

2.第1次プラーゲ旋風(注5)
(1)第1次プラーゲ旋風の中身
権利行使が可能になったことを受けて、ドイツ・フランス・イギリス・イタリア・オランダの音楽著作権管理団体(略称・カルテル)は1932年、東京の府立高校教諭であったドイツ人のウィルヘルム・プラーゲ博士を代理人とし、権利行使を委任した。
プラーゲ博士はまず、NHKに対し1931年(昭和6年)の著作権法改正以後の使用料として2000円を交渉により勝ち取り、以後は年額7200円を支払うことで妥結、しかも翌年には更新を拒絶し、年18000円を請求したのである(カレーライスが当時10銭弱ということを勘案すれば、現在の価値にして1億8千万円となろうか。)。結果、NHKでは1年近くにわたって欧州の音楽のほとんどが流れない事態となったのである。このほか、各所に対してプラーゲ博士は訴訟を行っていった。
これらの要求が法外であることや、プラーゲ博士の高圧的な態度、また、当時外交上孤立しつつあったことの3点が影響し、プラーゲ博士に対する反発が沸き起こった。中には、ベルヌ条約を脱退すべきであるという議論まで登場した。

(2)第1次プラーゲ旋風の影響
このことを受けて政府は、1934年(昭和9年)、著作権法を改正した。プラーゲ旋風の影響と目されるのは次の2点である(注6)。
・適法に複製されたレコードを放送に用いる場合、著作権者の許諾は不要
・著作権者との協議ができず、利用が不能になった場合は、一定の条件下で強制許諾
(注5) この章は全面的に、前掲注(3)『著作権法の百年史』228頁以下〔豊田きいち〕の記述によっている。
(注6) 前掲(注5)参照、豊田きいち氏の解釈による。

3.第2次プラーゲ旋風(注7)
(1)第2次プラーゲ旋風の中身
プラーゲ博士は、1937年(昭和12年)、自ら権利管理団体を立ち上げた。これに権利を預けた代表的な日本人は、山田耕筰ぐらいであったものの、当時の権利者や利用者は大いに危機感を持った(注8)。

(2)第2次プラーゲ旋風の影響
第1次プラーゲ旋風を受けて、権利者と利用者の間の仲介機関の必要性も感じられていたことから(注9)、1938年(昭和13年)、権利管理団体につき許可制を取る仲介業務法が制定された。許可制にした点は、プラーゲ博士らの締め出しにあったと一般に理解されている(注10)。
(注7) プラーゲ旋風というとき、本稿のように分けて考えるものは無いが、時間的な隔たりと、影響の観点から、分けて考えるべきではないかと思われる。
(注8) 前掲注(3)『著作権法の百年史』238頁〔大家重夫〕。
(注9) 斉藤博『著作権法 第2版』(有斐閣、2004年)321頁参照。
(注10) 実際、プラーゲ博士の団体は許可されず、後に違法に仲介業務を行ったとして逮捕されている。なお、かようなやり方には「偏狭な陰湿さ」が感じされると、斉藤教授は非難されている(前掲注(9)322頁)。

4.おわりに
プラーゲ旋風の内容と影響を考察すると、その主要な意義は、日本における著作権保護が弱いことに対する外圧でも、当時存在した日本バッシングの風潮の現れでも無く、日本人に著作権者の権利行使と利用の円滑化のバランスを意識させれられた点にあるのではないかと思われる。
外圧と考える見解に対しては、次のように疑問を指摘できる。なるほど演奏権留保に端を発するものの、これが日本の著作権制度独自の保護の弱い点であったのだろうか。先述したようにドイツでも同様の制度を採っていた。単に、新技術の登場により利用の機会が増大したことに対し、日本の対応が遅れていた(あるいは意識していなかった)だけである。ましてラジオの登場の際には日本はきちんと対応している。
日本バッシングであるという指摘に対しては、当時の日本の反応を見ればそのような一面もうかがわせる。しかし、これは日本人がそのように感じただけ、つまり単なる過剰反応ではなかったか。現にプラーゲ博士は、日本が定めた(旧)仲介業務法に則り権利管理団体を設立しようとしている。単なるバッシングならばこのような行動は取らないだろう。あくまで合理的に権利者の代理人として行動していた証左ではないか。
プラーゲ旋風は、強制許諾制度、また、権利管理団体制度という2つの利用円滑化を図ろうとする制度を生み出す契機となった。そして、その背景には新技術の登場という事情があった。この点は、コンピュータネットワークの登場による著作権へのインパクトとなんら変わりないのである。

なお、さらに詳しくは、以下の資料が良いと思われる。
・大家重夫『著作権を確立した人々――福沢諭吉先生、水野錬太郎博士、プラーゲ博士…』(成文堂、第2版、2004年)
posted by かんぞう at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月06日

[時事][著作権]あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
今年もまた良き年でありますように。

さて、早々に著作権関係のニュースが。
新聞報道(6日朝日新聞など)によると、経済産業省がネットワーク上の検索サービスが行うキャッシュについて複製権の制限規定の中に織り込む改正を今年中に行うと決めたようだ。

瑣末なフェアユースの明文化だが、これらの報道によれば現在のところ、検索サービスはサーバーをわざわざ米国においていたというのであるから、なるほどビジネスでのインパクトはあるのだろう。

昨年末に提出された著作権法改正案でも、修理等のための一時的な複製は同じく権利の例外として追加されている。広く射程(これは実際にその利益を享受するという意味での)を持ったフェアユースの個別な明文化が立て続けに起こっていることは面白い。身近にそういう種は無いか探してみたくなる。

ところで、このニュース、「経済産業省が」というところが面白い。著作権法を所管する文化庁ではないのだ。知的財産政策室がんばってるなぁ、といったところである。

追記(07/01/21):
検索サービスのキャッシュの著作権法上の問題については、昨年12月6日に知的財産戦略本部で中山先生が指摘されて《知財戦略本部「議事録」へのリンク》いた。あるいはここが端緒なのかもしれない。それにしても、ベテランでありながら新しい問題を追いかけてらっしゃる中山先生は凄い。
posted by かんぞう at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ★時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする