2006年11月24日

[著作権]潮海先生の著作権制度観をさらってみた

●潮海久雄『職務著作制度の基礎理論』(東京大学出版会、2005年)斜め読みメモ

今回は読書メモと言えない、かなりいい加減な読みに基づいている。潮海先生には申し訳ないほど誤解があるものだろうが、覚え書きとして残す。どんなもんなんだろう?と思った方は是非原典に当たっていただきたい。

この本は、潮海先生の博士論文に加筆したもの。創作者主義の検討にとどまらず、不正競争法としての著作権法制度を提言するものであり、著作権法の大胆な再構成を提言するものとなっている。

1.この本の概要
(1)問題意識
創作者主義は貫徹すると弊害がある。そこで、職務の範囲内で捜索されるものについて、その著作物の性質、利用の態様から類型化して、権利帰属制度の立法論を述べる。
(2)創作者主義の弊害
流通面での弊害は次の3点。
・多数人が創作に寄与すると創作者の確定が困難。ひいては利用を阻害(74頁)。
・創作者に帰属し法人に権利譲渡と構成した場合は、権限移転の限度が必ずしも明確でない(75頁)。新しい利用態様等について法的安定性を欠いてしまう。
・著作者人格権が権利の譲受人にリスクとなり、著作権移転に当たって十分な対価が還元されない。創作者に弊害。(このような点を問題視し、経済的利益の最大化を求める議論として、Schricker G.の議論参照。)(77頁)
時代変化の面では、
・著作物の更新、部品化といった問題に契約で対処しきれるか疑問(81頁、82頁)
・創作性に対する理解も変化している
(3)創作性の理解の変容と著作権制度の変容
近時の裁判例では創作性の高さを著作物の性質に応じて求めることがある(82頁)。しかし、裁判所が判断できるのか、また、創作性が低いものであっても模倣からは保護されるべきとの価値判断に立てば、創作性は低く捉え、「選択の蓋然性」という規範的判断によるべき(これは<中山信弘>教授と同じ立場)(85頁脚注266)。
この背景には、著作権法に対する理解の変容、すなわち不正競争法を補完するものとの理解がある。民法規律では差止請求ができないことにかんがみれば、創作性が低い場合は、著作者人格権を制約してでも、著作権で保護されるべき。
(4)著作者人格権の性質
職務著作から見ると、著作者人格権の位置づけは次の3説に分かれる。
 i)一般的人格権と同等<斉藤説>
  →職務著作は例外。著作者人格権を政策的配慮に基づき解釈することは不可。
 ii)創作者と著作物の結びつきを保護するもの<半田説>
  →職務著作は創作者の権利の代理行使となる。ただ、現行法との整合性を欠く。
 iii)法人の人格との結びつきを保護
  →職務著作制度とは整合的
これらと著作権制度の理解の変容をあわせ考慮すると、現在の著作者人格権は民法の一般的人格権と性格を異にすると理解すべきと思われる。少なくとも、法人に帰属した著者九社人格権は制限的に解釈すべき(205頁)。また、立法論としては、著作者人格権を付与しない類型を設けても良いと考える(232頁)。
(5)類型化
・創作者が複数いる場合は職務発明方の処理をすべき。
・創作性が低いものは、法人に財産権を帰属させ、人格権は制限的に。これは投下資本の保護のため。

2.私見
まず、前提として立たれている、著作権制度の不正競争規律としての変化という点には賛同したい。創作性判断についても私見と同じ立場(正確には、一学生である私が創作性判断って何!?と迷い迷った挙句いきついたのが中山先生のお考えだったわけだが・・・)であり、そこから演繹されることを示すものであり興味深い。
著作者人格権の扱いについても刺激的である。一般人格権としての性格を持つ部分があるとし、こと、同一性保持権について肯定的であると思われる松田政之先生の近著との関係が気になるところである。
ただ、一点疑問なのは、投下資本回収制度としての著作権制度の理解を前提としていながら、創作性が低い場合の著作権保護を肯定するならば、翻案の範囲で類型的表現しか取れない場合も独占でき、結果として競争制限が起こらないだろうか?むしろ、差止のない、不法行為として理解し、競争条件を整えるほうが良いのではないか。(この点については、私の課題。)
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2006年11月22日

[著作権]間接侵害についての整理

cr_indirectinfringement061122.JPG著作権の間接侵害について、選録見撮以降いよいよ固まってきたのかな、という感じなのでまとめてみた。

※こういう図を作るのは好きだが、往々にして間違っていたりする。
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2006年11月16日

[知財一般]データベースからのデータ抽出権をめぐる覚書

EUがsui generis権を導入してから10年が経つ。導入時のインパクトは強く、データベース保護法制の議論も盛んになった。とくにデータの抽出に対する排他的権利を与えることの是非は中心的な論点であった。権利を導入することに肯定的な論者が特に問題視したのは、主要なデータを抽出され、それを利用した成果が公表されてしまうと、データベース制作者の投資回収の機会は大きくそがれてしまうことである。これは、現行の不正競争防止法や不法行為の枠組みでは対処不可能と考えられるものである。データ抽出に対する排他的権利の創設の必要性を説く論者はこの点を一つの有力な根拠としている〔蘆立順美『データベース保護制度論』(信山社、2004年)参照〕。

翻って、EUの現状を見れば、sui generis権には少なからず否定的な見解がある。主な批判は、「本質的部分」との要件が不明確であるとするもの、データの囲い込みによる学術・研究の阻害となっているとするものである(Commision of the Europian Communities,"DG INTERNAL MARKET AND SERVICIES WORKING PAPER, First evaluation of Directive 96/9/ED on the legal protection of databases"(2005),P4)。

前者の点については、欧州裁判所(ECJ)が2004年9月に下した予備的裁定によって、単に投資の多少を問う意味であることが示された(本サイト「[知財一般]EUにおけるデータベース保護の近時の動向」参照)。後者の点についての考慮は、おそらく同予備的裁定の中で、「データ収集への投資」を保護し、「データ生成のための投資」を保護しない旨を明らかにした点に表れていると思われる。特定のものがデータ生成した段階では、そのデータは特定人に帰属しているのであって、これを保護することで情報(生のデータ)の独占が可能である。しかし、「データ収集行為」のみを保護対象とする場合は、生のデータは通常、他人が有しているのであり、情報独占は生じないと想定される。

だが、このように考えても、予備的裁定の示した基準は容易に潜脱可能である。前掲のワーキングペーパー("First evaluation",P24)が指摘するように、Directiveはデータの「収集・検証・提示」への投資を保護するため、提示のレベルで多額の投資を行えばよい。すなわち、アクセスコントロールを充実させれば、保護対象となってしまうのである。これでは情報独占への懸念は増してしまう。

問題は、sui generisがデータ保護に近いものである点ではないか。そうであるならば、やはりデータ抽出権なるものは導入に消極的であるべきのように思われる。

なお、米国では2003年にデータベースを不正競争型の保護の対象とする法案が提出されているが、廃案となっている。この法案では、「データベース作成のための投資」を保護対象とし、「データの鮮度」「フリーライド」「無断利用者とデータベース製作者の市場での競合」をファクターとして違法性を決するものであったようだ。日本で考えられるとすれば、こちらのタイプではないだろうか。
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2006年11月15日

[著作権]ローマの休日事件―著作権延長をめぐって―

●横山久芳「著作権の保護期間に関する考察――「ローマの休日」東京地裁仮処分決定に接して」NBL884号(2006年)32頁〜読書メモ

平成15年12月31日に著作権が切れる昭和28年に作られた映画、しかし、平成16年1月1日から、著作権を70年とする改正法が施行される…さて、昭和28年作品は著作権延長の対象なのか?平成15年12月31日23時59分と平成16年1月1日0時00分との近接性を根拠に延長の対象であると主張する文化庁・映画の権利者サイドと、そのような解釈は採れないとする利用者サイドがぶつかった注目の事案。東京地裁高部コートが下した決定《裁判所へリンク、PDF》は、昭和28年作品延長の対象でないというものだった。この決定を法解釈論として妥当なものとする横山助教授の論稿である。

1.この論文の概要
(1)東京地裁決定要旨
・民法が採用する暦年法の計算からは、平成16年1月1日時点で昭和28年作品の著作権は消滅している。ゆえに改正法の適用は無い。
・文化庁見解は、「瞬間」を問題にするものであるが、暦年法とは異なるし、また瞬間を問題とできる文理上の根拠が無い。
・立法者意思としても、本改正時に議論があったと認められない。
・権利の保護と公正な利用のバランスを考えたとき、延長の有無により刑事罰の適用有無すら変わってくるのであって、適用の有無について利用に文理上明確である必要がある。ゆえに、著作権者の保護ばかりを強調することは妥当でない。
(2)横山助教授の見解
長期間の保護の終期を自然的計算法(瞬間を問題とする計算法)にゆだねることは民法上不自然な解釈であるといえる(横山・36頁)。自然的計算法が用いられるのは、厳密かつ正確な時間を算定する必要がある場合であり、これを常に妥当させると、「12月31日返せ」というのは「12月31日23時59分に返してもいいのだ」という社会的に妥当性を欠く結論を招く(加藤雅信『民法総則T〔第2版〕』(有斐閣、2005年)381頁参照)。
また、改正法の効果が利用の自由に与える影響は大きいことから、法技術的に事前に確定させることができる保護期間に関する規律については、明確な立法を行うべきで、不明確な立法を行ったうえで立法者意思を根拠に著作者のみを保護する解釈を取ってはならない(横山・37頁)。もっとも、事前に外延を確定できない事項である、著作権の効力については、事案ごとに柔軟な対応をとってもよい。たとえば、差止請求の対象については、合目的解釈も許されうると考えられる(横山・38頁)。

2.私見というか感想
高部コートの決定は、なるほど!と思わせるものであった。暦年法の解釈も説得的であだるし、罪刑法定主義まで匂わされると肯かざるをえない。横山助教授の見解もこれを説明するものであり、東京地裁決定のレビューとしてわかりやすかった。
ただ、この論文の面白いところは、脚注で間接侵害について合目的解釈をしてもよいのではないかという先生の私見を匂わせたところで、事後の批判に備えているのだなぁという感じを受けた。
なお、横山先生は「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」《同会議サイトへのリンク》の発起人でもある。
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[知財一般]EUにおけるデータベース保護の近時の動向

●ジェレミー・モートン著(平野正弥訳)「EUにおけるデータベース保護:近時の動向〜英国競馬公社対ウィリアムヒル」国際商事法務33巻2号(2005年)188頁〜読書メモ

EUはデータベースをsui generis(独自)権で保護している。しかし、不都合も生じているのではないだろうか。それに対応したと思われる、近時のECJ(欧州裁判所)の決定を紹介する論文に触れたので、ここに覚書として残してみた。

1.論文の概要
(1)EUにおけるデータベース保護(おさらい)
EU Directive 96/9/EC《EUへのリンク、doc形式》は、(i)コンテンツの収集・検証・提示に際して実質的な投資(substantial investment)が行われたデータベースの、(ii)コンテンツの全部または実質的部分を、(iii)許諾無く抽出または再利用した場合、独自のデータベース権侵害とする。

(2)近時の動向
British Horseracing Board v William Hill(ECJ Case refference C-203/02)において、見解を求められたECJは、(i)〜(iii)について解釈を示した。
まず、(i)については、データ収集への投資が保護されるのであり、「データ生成のための投資」――その副次的効果としてのデータ収集――は保護されないとした。たとえば、新聞社が新聞発行のために生成する見出しを新聞社がデータベース化しても、それ自身は副次的なものであるから保護されない、ということになる。これは各国での裁判例に沿ったものと評価できる。
次に、(ii)については、本質性はデータの中身の問題でなく、投資が保護されるべきものか否かの視点であることを明らかにした。ただし、非実質的部分の抽出であっても、反復継続的な抽出の後の再利用によって、データベースの実質的部分が復元された場合、データベース権の侵害にあたるとした。
(iii)については、データが元のデータベースから抽出されたかを問わない(データベースから抽出したデータを含むコンテンツからの抽出でよい)、また、営利性は問わないとした。

(3)Jeremy Morton(イギリスの弁護士)の見解
EUでのデータベース保護を包括的なものから後退させる結論をECJは示したものと評価できる。

2.私見
データベースを作ることを主目的にした投資を保護しているという趣旨と解した点がユニークであり、疑問も覚える。副次的であれ、提示に際して何らかの投資はあったのであり、総体としては本質的投資があったと評価もできよう。推測に過ぎないが、データ抽出に関して広く保護するため、場合により「生のデータ」保護につながることの弊害を抑えるため、このような解釈をとったのであろうか。
しかし、(i)をこのように解すると、データベースとしての保護をのデッドコピーに対してもなんら主張ができない(著作権法上の保護があれば別論)こととなり、保護の後退としては程度が著しくないだろうか。「本質的部分の抽出」とは相応の投資がなされた部分であることを要し、副次的なものの場合は、投資が少ないため、本質的部分がほぼデータベースそのものとなる、という理解のほうがよいのではないか。
なお、EUでのデータベース権に対する第1回目の公的評価は2005年12月5日のワーキングペーパー《EUへのリンク、PDF形式》で示されている。
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2006年11月13日

[著作権]応用美術の保護基準―作花説―

●作花文雄「著作権制度における美的創作物(応用美術)の保護――法目的制度間調整に基づく著作物相応性の視点による対象範囲の確定基準――」コピライト544号(2006年)44頁〜読書メモ

応用美術の保護について、意匠権との調整を図る必要があるとの立場に立ちつつも、従来と若干異なる基準で応用美術の保護の当否を決めるべきとする論稿である。従来の判例が指し示すような「純粋美術と同視しうる程度に美的鑑賞の対象になりうるか」否かで、著作権法上の保護の当否を決する基準を批判し、制度的調整であることを正面から認め、美術の著作物としての保護相応性を、当該物品の分野での生産・利用上の弊害を勘案して決する立場を示すもので、応用美術の法的保護について、ひとつの参考となるものと思われる。

1.この論文の概要
(1)応用美術の概念の転換
応用美術については、従来、純粋美術と対になる概念として受け止められてきた。両者を分ける基準に創作の意図や目的を据えるものがあるが、目的において実用目的と鑑賞目的は並存することがあるのであり、おかしい。そこで、応用美術は利用態様に応じた概念であると整理をする(作花・47頁)。従来の裁判例は、「純粋美術と同視しうる程度に美的鑑賞の対象になりうるか」を判断基準にしていたが、「純粋美術」も多様であり何をもって基準とするか明らかでない(作花・47頁)。さらにいえば、純粋美術にあたるか否かで「高度の創作性」を問うものは、それが司法審査になじむかという点で疑問がある(作花・56頁)。
(2)実用品であるがゆえの制約要素と判断基準
実用品である場合、付加的デザイン(たとえば、物品の面の上に模様などをつけたもの)であれば機能に基づく制約は受けないが、そうでなければ、機能と審美性をどのように見分けるかが問題となる。この点、物理的な分離可能性を問題にすると、特異な要素を付け加えたもののみが保護され、デザインに対する社会的通念上の評価と乖離しかねない。著作権法上の保護を与えることの当否、という観点から審美性を問題とすべきである(作花・58頁)。

2.私見
雑な理解かもしれないが、従来の裁判例とそれほど距離のある見解ではなく、むしろ、大きな流れに対して整合的な説明を加えるものであるようにも思われる。ただし、そもそもの前提として、制度間調整を図る解釈論をとるべきかについては異論もあろう(半田正夫「応用美術の著作物性について」青山法学論集32巻1号(1990年))。ともあれ、少なくとも、立法の課題としてデザイン保護のありかたは今後の大きな課題である。
(…といったあたりで、私見は留保。難しい!)

なお、私は、本来は著作権法上保護されうるが(機能性の縛りで創作性がないものは別)、意匠権との重複、そしてそれにともなう意匠権の意義の毀損(より深く言えば、意匠法が創作奨励のため保護期間後の自由利用確保を行ったことの意味を無にする――もっとも、意匠法をこのように解釈することが前提で、異論はあろうが――)から、応用美術と呼ばれるものについては、特別な基準を設けている、それが、裁判例では「純粋美術と同視しうるか」という基準である、と整理している。おそらく一般的な整理だと思うが…。
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[時事][著作権]松本零士「銀河鉄道」騒動雑感

世間で話題になっている、松本零士が槇原敬之の歌詞の一部に対して盗作と公言したことについて。
松本先生は、マッキーの「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」という歌詞のフレーズが、自身の『銀河鉄道999』に登場する「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」の「盗作」だと言っている。
「盗作」で意味するところは実は違うのかもしれないが、一応著作権法上の主張だと読み取った上で話を進める。

正直なところ、なるほど、アイディアは同じだねー、とは思う。
奇抜なアイディアだし、松本零士も素敵な着想をしたものだ。
しかし、これを著作権で保護すべきかどうか?
この「独創的な」アイディアを表す表現が、これだけの短いフレーズで言う場合、表現を選択する幅が限られているのである。これを気楽に著作権で保護してしまうと、「時間と夢は相互に裏切らない」というアイディアはおそらく今後1世紀近く事実上独占されてしまう。

これは不都合だ、と考えるのが多数の感覚ではないだろうか。
創作性を肯定するべきか、悩ましいと思われる。仮に創作性を肯定しても、複製ないし、翻案の範囲はほぼデッドコピーに限らせるべきだ、という近時の有力な見解があるが、まさにその射程にすべきではないか。
(私見はさらに進んで、市場競合の程度も見るべきでは・・・と直感的に思っている。まだ、思っているだけであるが。)

あるいは松本先生は、着想を借用する場合には、出所元を示せ、というのだろうか?それはそれで、うなづける場面もあるが、当の松本先生はそれでよいのか?
漫画のいたるところに、
「天然パーマはいいやつなんだよぉ! 41)」なんて脚注がつけられて、下に
「41)空知英秋『銀魂 第1巻』(集英社ジャンプコミックス、2004年)4頁に着想を得た。」
なんて書かれている事態は、正直、イヤ、である。

感覚的なところを書いてきたが、著作権は市場のシステムにも影響する。どういうものを作っていくか(どういう結果を招くか)意識しながら、知的財産権のあり方を考えていくのも、うちらの仕事だなー、と思ったしだいである。
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2006年11月11日

[著作権]おまけフィギュア事件判決簡単まとめ

omakefigure061111.jpg〔おまけフィギュア事件〕(あるいは〔チョコエッグおまけ事件〕)判決(原審・大阪地判平成16年11月25日、控訴審・大阪高判平成17年7月28日)について、簡単にまとめてみた。創作性に対する考え方の違いは興味を引かれるところである。

追記(06/11/15)
自信満々にまとめてみたら、間違っていた。
原審妖怪フィギュアについては、創作性は肯定され、美術の著作物該当性が否定されていた。読み違えである。恥ずかしい…。
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2006年11月10日

[時事][特許]世界特許?

読売新聞・日経新聞が報道するところによると、日本の特許庁が米国特許庁・欧州特許庁と、審査結果の相互活用、ひいては、相互承認に向けて検討しているようだ。
この報道を読む限り、日本で特許を出願し、登録されたら、直ちに米・欧で特許権も発生する、というものではないようだ。記事によっては「世界特許へ」なんて書いてあったが、これはちょっと言いすぎだ。
世界特許化するには、言葉の壁が大きい。

あくまで読む限り、であるが、日本に出願しPCTに則って米・欧を指定国とした場合で、いずれかの国で審査が行われた場合、他の特許庁での審査が事実上スキップされるというものと思われる。
相互承認自体は発展途上国では取られている手法であるし、導入への抵抗はさほどないだろう。
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2006年11月07日

[時事][その他]失業率と犯罪発生率、再犯率

時事通信によると、今年度の犯罪白書公表にあたり、法務大臣が、「一般刑法犯の認知件数と完全失業率の推移がともに下がっている。つまり、失業率下がると刑法犯も減少していると言える。出所者を雇用することが抑止効果になっている。」との旨を述べたらしい(あくまで伝聞。もしかするとメディア側のミスかもしれないし)。

これは厳密にはおかしい。単に、「一般刑法犯の認知件数」が「失業率が下がった」ら減った、だけで、「出所者の雇用」とは100%リンクしない。再犯者による刑法犯の認知件数が下がったのであれば良いが、少なくとも15年度、16年度を見る限り相関があるとは言い切れない。
posted by かんぞう at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ★時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月05日

[著作権]著作権の方向性

●中山信弘「著作権法の動向」鴻常夫先生古稀記念論文集『現代企業立法の軌跡と展望』(商亊法務研究会、1995年)873頁〜読書メモ

特定のテーマに関し、解釈論などを示したものではないのだが、今後の著作権法の向かう方向について示唆した論文として、興味深いものだった。10年前の論文で少々古いが、短くまとまっていて読みやすく、大学4年生などの研究はじめの人には向いているはず。

1.論文の概要
伝統的には人の精神的な創作活動の成果を保護するのが著作権法であり、それで問題は生じてこなかった。伝統的なパラダイムでは人格が重視されてきたのである。
しかし、表現=機能であるプログラムを保護するようになったことにより、パラダイムが変わった(876頁)。また、データベース保護ということも、著作権の性格を変えたものと考えられる(878頁)。技術が進歩した今、データベースにおいては、いかに多くのデータを集めるかが重要であって、それは額の汗の保護につながる。ここから、事実上の不正競業法的要素の混在が見て取れるのである。
競業法的な性格については、プログラムの法人著作についても伺える。プログラムの場合、ほぼ使用者に著作権が帰属することとなるからである。同様のことは、映画の著作物においても言える。
今後の方向については、。マルチメディアとコンピュータ・ジェネレイッテッド(Computer Generated)、この2つをどう取り扱うかが問題になるであろうと考えられる。特に後者については、誰にも帰属しないとの取り扱いは、成果物それ自体からは伺えない要素によって、権利の有無が分かれることになり不都合であるから、現在の枠組みを越えた形で帰属確定がなされるべきである(886頁)。

2.私見というか感想
著作権法が競争規範としての性質も有するという認識には、賛同したい(というか、先生ッ!ついて行きますといった感じだが)。中山教授が指摘するように、史的発展の中では、人格に基づくようになったのはフランス革命以後である。所与のものでも、必須のものでもないのである。同様の指摘は、白田博士が『コピーライトの史的展開』でも述べられていたように思う(うろ覚え…)。「人格の発露」と言い切れず、経済財としての側面が顕著な情報の保護については、少なくとも立法論においては、競争秩序をいかに規律するかという観点から検討されるべきであろう。
マルチメディアと著作権については、具体的な問題が指摘されていなかったが、足りない頭で考えれば、どのような順序で何を出すといったことに関わるパラメータの改変だろうか。ときめきメモリアル事件や三国志3事件などが既に著名であるが、インタラクティブ故の表現順序の幅をどう取り扱うかは、さらに検討する余地があるのかもしれない。(この点、松田政之教授が『同一性保持権の研究』(有斐閣、2006年)で検討されているであろう。一度読まなきゃ。)
posted by かんぞう at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月03日

[著作権]ソフトウエアと著作権に関する法律相談(その1の続き)

※あとから考えたら、これ、すごーくアヤシイ。考え直します。

Q2.ソフトウエアのバックアップのために、コピープロテクトがかかっているデータのプロテクトを外してコピーをとることは、著作権法上違法か?

A2.グレーであるが、原則、違法と考えた方が安全。
1.47条の2との関係
ソフトウエアのバックアップについては、著§47-2が定めるところであるが、コピープロテクトとの関係については規定していない。
要件からいえば「必要と認められる限度」かどうかが問題となり、ソフトウエアの性質(バックアップがないと業務に支障をきたすということがない等)によっては、そのような複製が認められない可能性がある(ゲームソフトにつきバックアップの必要性がないとするものとして、加戸・前掲『逐条講義』305頁)。
また、後述するように私的複製においてはコピープロテクト等(技術的保護手段)を回避して行うものは私的複製にあたらないとされている。であるならば、プロテクト外しによるバックアップ作成は違法と読むのが素直とも考えられる。
しかし、私見としては、著§47-2は、ソフトウエアの機能性に着目した、使用者の財産上の利益と著作権者の利益衡量規定と解釈する。ソフトウエアは機能性を有するものであるが故に、使用者は継続してそのソフトウエアが存在することを通常期待するものである(いわゆるロックインが生じる)が、その滅失により、新たに同一のものを購入することを要求することは、使用者に酷である。また、いわゆるロックインされた状態にあることは、著作権制度が想定していなかったものではなかろうか。
もちろん、立法趣旨は、ソフトウエアが高価であった時代においてその事情を考慮したものと思われるが、だからといって、ソフトウエアが安くなったから今は問題がない、という解釈に結びつけてよいものかどうか。
それゆえ、私見はプロテクトを外したバックアップは適法と考える余地があると解する。少なくとも、使用者の財産上の損害が著しい場合(とくに、営業上利用しており、営業行為遂行に支障が出る場合)には許容されるものと思われる。
もっとも、契約によりこれを禁じた場合は別段の考慮が必要であろう(その点につき、勝久・前掲は、著§47-2の立法趣旨と、時代の変化から、バックアップを禁止する、いわゆるオーバーライド契約は原則有効であると判断される、と述べる)。
2.私的複製との関係
著§30TAは、「技術的保護手段の回避」による複製は、私的複製にあたらないとしている。つまり、意図的にプロテクトを外したことによって、複製した場合は、「私的複製」にならないのである。だが、「技術的な制約による除去または改変」によりプロテクトが無視ないし外れてしまった場合はこれにあたらない。たとえば、コピープロテクトがかかったCDからインストールしてできたデータはプロテクトがかかっていないものだが、これを私的使用目的でコピーすることは許容されるものと思われる。
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[著作権]ソフトウエアと著作権に関する法律相談(その1)

2があるのか、というツッコミは無しとして(きっといつかあるでしょう)
とある先生から相談を受けたので、考えてみた。

典型的な問題だけれど、間違ってたらイヤなので念のため晒してみる。
ご存知の方ご意見ください。
あと、後々のメモのため残してみる。
(※おことわり:私は一介の学生であり、ここに書いてあることを信じるかは自己責任でお願いします。また、法律相談に乗ることはしてません。著作権情報センターのページや教えてgooなんかで、調べてみてください。)

Q1.ソフトウエアを中古で販売することは、著作権法上違法か?
Q2.ソフトウエアのバックアップのために、コピープロテクトがかかっているデータのプロテクトを外してコピーをとることは、著作権法上違法か?


A1.原則は違法でないと思われる。
1.一般原則
適法に手に入れた著作物を他に販売する行為に対しては、「映画の著作物」以外には著作権は及ばない(著§26-2U@)。そこで、特に問題となるビジネスソフトウエアとマルチメディア*1ソフトウエア(ゲームソフトウエアを含む)に分けて検討する。
2.ビジネスソフトウエアの場合
(1)一般原則
ゆえに、ビジネスソフトウエアの販売行為は著作権(譲渡権:著§26-2T)侵害にあたらない。
(2)利用許諾による制限がある場合
(i)検討対象
仮に使用許諾契約において他人への元のソフトウエアの譲渡禁止(この場合は、譲り渡す人のコンピュータから、譲り渡すソフトウエアをすべて抹消した場合であっても譲り渡してはならない、という条項を念頭に置いている*1)が定められていた場合には、若干検討が必要である。もっとも、そんな条項は通常存在しないが…。
(ii)譲り受けた人の著作権侵害の有無
まず、著作権の譲り受けた人は使用権限がないが、だからといって本件では著作権のみなし侵害(著§113U)にはあたらない。著§113Uは、「著作権を侵害する行為によって作成された」複製物を使用することを対象としているのであり、オリジナルのソフトウエアデータをやり取りする場合には、著作権侵害とみなされないのである。なお、バックアップ用の複製物であっても、これを譲り受けた人が、バックアップ用であることを知って(なおかつ、譲り渡した人の手元にはオリジナルのソフトウエアが存在することを知って)使うことは著§113Uの対象となる。
(iii)譲り渡した人の責任の有無
譲り渡した人は、契約上の責任を問われうる。しかし、そもそも譲り渡すことを禁止することが許容されるのかどうか。まず、契約方法が先決の問題となり、契約内容が使用者にとって覚知できないような方法(いわゆるシュリンクラップ契約)によって行われた場合には、公序に反するとされる可能性がある(一律に公序違反とする学説として、勝久晴夫「ディジタル情報の保護手段と著作権規定」『第4回 著作権・著作隣接権論文集』(著作権情報センター、2004年))。次に、当該条項について、@似たようなソフトウエアが譲渡できないのが一般的か、A譲渡することによって権利者に著しい損害が発生するか、を検討し、譲り渡し人に著しく不利な条項でないかの精査を行って、契約の有効性について争う余地はある。
3.マルチメディアソフトウエアの場合
映画をDVDで提供する場合のマルチメディアと、ゲームソフトウエアの場合では、さらに分けて検討が必要である。
(1)映画などのマルチメディアの場合
映画や放送番組をマルチメディアとして記録したものは、解釈上「映画の著作物」と解されるものと思われ、これを中古販売することは、頒布権(著§26T)の侵害にあたる。ただし、私見としては、著§26の規定は映画業界における配給制度保護規定と解釈できる(加戸守行『著作権法逐条講義 四訂新版』*3(著作権情報センター、2003年))ことから配給制度とかかわりない、映画の著作物には適用されないと考える。
(2)ゲームソフトウエアの場合
ゲームソフトウエアについては、最高裁が中古販売を適法とする判断を下している(最判平成14年4月25日 民集56巻4号808頁)。よって、適法であると考えられる。

*1 ここでいうマルチメディアとは、映像、音声などを組み合わせたもの、さらには、プログラムとの組み合わせも指すこととする。
*2 BtoB間のソフトウエアの取引で、営業秘密として管理されているものを、秘密保持を条件に、提供を受けた場合は別。
*3 版は古いですが…。高いんですよね、あれ。
posted by かんぞう at 13:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月02日

[商標]商標機能論についての与太話

並行輸入と商標権の問題について、同輩の報告があった。FRED PERRY事件最高裁判決が出て以来、だいぶ議論が進んできた感じだが、部分部分で整理されていない箇所(理論がというより、それぞれの論者の表現やいいまわしについてである)もある感じを受けた。

まず、「品質保証機能」という用語について、下手をすると混乱する。

私は、
(1)「需要者」が一定の出所の物であることを期待し、一定の(これには上限も下限もある)品質を期待している事実状態、
または、
(2)その事実状態が損なわれないならば、≪少なくとも並行輸入について≫商標権侵害でないとする違法性阻却事由、
と整理している。
しかし、事案によっては、ライセンス中の「品質保証」条項との関係が持ち出されるため、「品質保証」義務との関係を勘違いする場合がある。私見としては、ライセンスで問題となるのは「品質管理義務」と表現する方が良いと考えている。

そうでなくても、論者によって捉え方が違うようだ、というのを工業所有権法学会で宮脇先生がおっしゃってた。

次に、国内でのライセンス違反との関係も気になる。

「品質保証機能」や「出所表示機能」を害さない限り、ライセンス違反は債務不履行に留まるといえるのか否か。
もちろん、FRED PERRYの射程は並行輸入に限るが、ロジックとしては国内でもあたるだろう。
私見は、商標権の場合、流通にも効力が及ぶことを考えれば、同様に商標機能論による違法性阻却をするべきであると考えている。ライセンス違反の有無を流通に関与した者が関知することは難しいからである。もっとも、何をもって「品質保証機能」を害していないかはライセンス違反の類型により検討されるべき問題である。

思いっきり恥ずかしい余談だが、一時期「FRED PERRY」というのは、ソースの会社だと思っていた…。ウスターソースの創始「Lea and Perrins」社と混同(!?)してたっていうありえないボケっぷり。
もちろん、FRED PERRY社はアパレルブランドってことは今は認識!買ったことはないけど…。
posted by かんぞう at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆商標 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[不正競争]市場地位権説を読んでみた

●満田重昭「不正競争防止法による知的財産権諸法補完の根拠」鴻常夫先生古稀記念『現代企業立法の軌跡と展望』(商事法務研究会、1995年)822頁〜読書メモ

1.この論文の意義
不正競争防止法と知的財産法の関係について、概念的な点から検討している。顧客獲得可能性という市場地位という無体の財産が不正競争防止法の保護法益であるとし、無体の財産を保護するという点で知的財産との連続があり、これを補う関係があると述べられているらしい。らしい、というのも伝統的なドイツ流の議論の仕方で、ちょっと読みづらくて…。何が言いたいんだろ〜と思い悩んだのは、きっとオイラの勉強が足りないのだろう。

2.この論文の概要
(1)問題意識

知的財産法は、排他的支配権を設定するものであるが、それは行為規範の典型的なものとしての設定であり、その点で不正競争防止法と同質性がある(824頁)。権利付与かそうでないかという違いをいたずらに強調する意味は無い。では、更に進んでどういう点で連続性があるか(または無いのか)を、不正競争防止法の理論的根拠を見ることにより検討する。
(2)不正競争防止法の理論的根拠
不正競争防止法の元となった、1925年ヘーグ会議での経緯に基づけば、「営業体の有する顧客吸引力」がその根拠であるとされる。顧客吸引力に裏付けられた顧客獲得可能性は無体財産として捉えることができるが、これは競業関係の中でのみ削がれるものではない。市場地位という権利を考えることは、問題を単に競争者間に押し留めない点で有益である。また、権利として観念することで、政治的・経済的自由の保護も意識される。
(3)顧客獲得可能性の保護
顧客獲得可能性の侵害行為に対しては、不正競争防止法に一般条項が無い現状で、利益考量による違法性認定を経て一般不法行為の問題とするべきである。

3.私見
市場地位権の論拠は、結局のところ、不正競争防止法の規定の仕方からの解釈、および、「母法」での経緯にあるのでは無いか、と思われた。なぜ、「市場地位権」を観念しなくてはならないのかという必然性については疑問を感じる。
この点については、田村教授が不正競争防止法をわざわざ私法として意識するための「権利」概念であり、少なくとも立法論としては自由に考えられる、との批判をされている(『競争法の思考形式』(有斐閣、1999年)5頁)(また、2005年11月10日の記事参照)。
ただ、その有用性は2点あるのではないか。今後、検討する余地があるように思われる。
・行為規範を利益衡量によって決する立場からは有用である可能性がある。市場地位という権利をどのように根拠付けるかによるが、仮に営業の自由の表れとして理解するのであれば、利益衡量の中で劣後しやすい単なる財産権以上の考慮がなされることになるように思われる。
・少なくとも不法行為の問題場面では、不法行為理論との接合が容易であると考えられる。
posted by かんぞう at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆不正競争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする