2013年03月13日

[その他]「斜め上」の宣伝に「斜め横」からツッコミを入れてみる:『アラサーエアコン』に見る宣伝・マーケティング、おまけで商標

#知財とは関係のない話題ではあるが、面白かったので…。

テレビコマーシャルや通勤電車内のデジタルサイネージで流される、パナソニックのエアコンの宣伝に対して、「斜め上」だ(どこかおかしい、現実にあっていない)という批判が出ているのを見かけた。

批判や違和感の要点としては、
・絵の中に比較的大きい子供がいる(6歳〜10歳程度に見える)が、現在のアラサー(27歳〜33歳)の家庭では考えにくい。
・そもそもアラサー世代で核家族に子供というのが標準的な世帯像ではない。
・前提としている世帯像が「昭和」の常識を引きずっている。
というところだろう(注1)。

これについてはアラサー世代の筆者も、この批判・違和感に共感できるところである。ただ、一歩立ち止まって定量的に違和感を確認してみたい。実際に数字で見るとこの違和感はどのように説明できるのだろうか。

■宣伝に出てくる、子供ありのアラサー世帯ってどれくらいあるのか?
家庭用エアコンの購買の主導的意思決定を担うのはおそらく女性だ、ということにして(注2)、この宣伝でのアラサーは女性(お母さん)を指している、ということとしたい。
また、絵面では6歳〜10歳程度に見えるが、現代の状況に合わせて、6歳未満の子供がいる世帯のみを前提とすることとしたい。

ここで、国勢調査、人口統計(いずれも平成22年(2010年)の値)を用いて、アラサー世代の女性の数、うち配偶者を有する女性の数、さらにそのうち6歳未満の子供を有する女性の数を計算してみた。

その結果、6歳未満の子供を有する女性の数は169万人(世帯)、アラサー世代女性の31.2%に留まることがわかった(図1参照)。
「アラサー」の残り68.8%は対象外(注3)というのであれば、反発を覚えられても仕方ない。

→結論1:宣伝の手法として「アラサー全体を対象としている」かのような印象を一部(又は大部分)の受取手に与えてしまったのは失敗。

図1.『アラサー子供あり世帯』はどのくらいあるのか?
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■アラサーエアコンは市場を見ていない製品なのか?
宣伝の手法の課題はともかく、ニッチ市場向けの製品として当初から想定されていた可能性は少なくない。仮にニッチ市場向けであれば、宣伝から昭和の香りがしようと、当該需要層に届けば良いのであるから問題は無い。

まず、この製品はニッチ市場向けなのだろうか?

前述の推計をそのまま用いて、エアコンの耐用年数(買い替えの平均年数)が7年と仮定して、アラサー子供あり世帯でのエアコンの買い替え需要をラフに推計すると、24万台程度であることがわかった(図1参照)。(もちろん、実際の宣伝文句は「アラサー」であっても「アラフォー」だって買うかもしれない。ただ、「アラサー」とつけてしまった以上、「アラフォー」は手を出しにくくなるだろう。)

ルームエアコンの2010年〜2012年の平均出荷台数は836万台(注4)であるので、24万台の需要は全体の2.8%である。これくらいの推計はマーケティング部門は行っていると想定できる(注5)。そうだとすると、どちらかといえばニッチ市場向けの製品であったと見た方が良さそうである。

ニッチ市場向け製品は、製品あたりの付加価値額が高いことが多い。そこで、この「アラサーエアコン」(パナソニックエアコン Tシリーズ)について見てみると、価格は15万円〜20万円である(定価はオープン価格であるが、40万円程度と表示している小売があった)。『小売物価統計調査』によると2011年の平均小売価格は17〜18万円前後であるため、「アラサーエアコン」が特別に高い製品とはいえない。特別に安くできる製品とも思えないため、付加価値額は特別に高くないと推測せざるをえない(注6)。

そうすると、せっかくニッチ市場を狙ったのに付加価値を効果的に挙げられていない(マイケル・ポーターの競争戦略のフレームワークに載せれば、差別化戦略を採ったのに、付加価値面で十分なうまみを得られていない)ということになるだろう。

→結論2:ニッチ市場向け製品と考えられるが、やや高めの製品として発売できていないようである点はもったいない。

■違和感の本質
上記をあわせると、「アラサーエアコン」の宣伝から感じる違和感は以下の2点に集約できる。
・宣伝とマーケティングの不整合
・競争戦略としての不整合(こちらはそれほどでもないが)

いずれも違和感の発端は「アラサー」を宣伝につけてしまったことにある。この「アラサー」の宣伝文句の本気度の一端を知るために、商標登録されているかを確認してみた。そうすると、
アラサーエアコン」での登録例は2013年3月13日段階ではない。いわゆるWeak Markであるので拒絶されている可能性も少なくはないが、パナソニックとしては、とりあえずのところ「アラサー」を本気でマーケットとしようとしているわけではなさそうだ、と推測できる。

(注1)諌山裕「パナソニックが妄想する顧客像「アラサーエアコン」」BLOGOS2013年03月05日記事。
(注2)これはF1層(20歳〜34歳の女性)がどのような消費材に対しても積極的に購買を行う傾向があるので、エアコンに対しても購買の中心となるだろうという推測が根拠である。決して、アラサー世代で専業主婦が一般的で、家の中のことは全て女性が担っているという「昭和」のイメージを前提にしていない(筆者個人の周りでは既婚の同世代で専業主婦は少数派である。また、専業主婦/主夫で暮らしていけるような所得を片方が稼いでいるという例は極めて少ない)。
(注3)この中には、6歳以上の子供が居る女性も含まれているので、もう少し低く見た方が良いとは思うが…。
(注4)一般社団法人日本冷凍空調工業会の統計に基づく。
(注5)筆者がここで行ったチャチな推計よりずっとマシな推計を行っているだろう。(…チャチな推計を基に議論してすいません…。)
(注6)大手家電量販店で見る限りではやや高めであるし、また、メーカーからの卸売価格では十分に高い可能性もある。
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2012年06月28日

[著作権]Winny事件における控訴審・最高裁決定と、著作権侵害罪の構成要件・法定刑の妥当性

Winnyの開発者が著作権侵害の幇助に問われ、最高裁まで争った結果、無罪となったことは記憶に新しい。第一審、控訴審、最高裁決定(注1)とその判断・立論が異なった。これについて整理・分析をされた、佐久間修教授による刑法上の観点からの論稿(注2)に触れ、著作権に関する刑事政策の観点から考えるところがあった。

■Winny事件における共犯論と著作権侵害(佐久間(2012)の概要)
佐久間教授はまず3つの裁判所の判断について以下のように整理されている(なお、整理は筆者(=私)の言葉に拠る)。
・第一審、控訴審、最高裁決定とも、ウィニーだけが違法な著作権侵害に利用されるものでないことをふまえ、幇助犯としての法益侵害の現実的危険性を認めるだけの行為状況を重視した。
・第一審は現実の利用状況や主観的意図に着目して幇助犯の成立を肯定した。
・控訴審は「特に違法な用途に使用することを勧めていること」を幇助犯成立の要件とし、幇助犯の成立を否定した。
・最高裁決定は、控訴審の考え方は幇助犯と教唆犯を混同するものと批判したうえで、現実の利用状況や主観的意図に着目したうえで、幇助の故意が欠けると認定した。

佐久間教授が、判例や判例に対する批評について批判されるポイントは次のとおりである。
・価値中立的、かつ、汎用性の高い重要な技術であることを理由に、刑事規制の対象外とする批評(注3)が一部にみられるが、理論的な根拠がない。
・控訴審判決が採る、積極的に違法行為を勧めた場合に限定することは理由がない。
・最高裁の故意の認定(とくに違法利用を禁止する発言をしていたことを加味して幇助の故意を否定した点)は、形式的な違法利用禁止の宣言により、刑事的責任を逃れられることにつながってしまう

そのうえで佐久間教授は、刑法の通説的な立場から、
「ウィニーの提供が客観的にも価値中立的行為でないとすれば、第一審判決や最高裁決定のように、被告人の主観的態度に着目して幇助犯の成否を決定することになる。その際、一般的可能性を超える具体的な著作権侵害を認識を必要とする最高裁決定にあっても、例外的でない頻度で正犯の実行に利用される状況下〔引用者注:著作権侵害に利用する者が40%超の状況であることが立証されている。また、Winnyが匿名性をうたった情報ツールであることも重視されている。〕では、その事実を知りつつ提供を継続したのであれば、被告人に幇助を認めるべきであった。」(佐久間(2012)37頁)

と述べられている。

■著作権侵害罪の構成要件・法定刑の妥当性に対する疑問
筆者は刑法理論に明るくないことは留保するが、刑法の視点から見たときに佐久間教授の論理は説得的あるように思える。しかし、刑法の理論をあてはめた結果については違和感が残る。

同じような違和感を控訴審および最高裁の裁判官は強く感じたために、控訴審では「結論の先取りに等しい」幇助犯の成立要件について厳格な規範を定立し、最高裁決定では主観的態度のうち確定的認識を否定する事実認定を行ったのではないか。

そのような背景には、『著作権侵害の構成要件か量刑のいずれかが社会通念上妥当でない』という漠然とした認識(または直観)がある可能性はないだろうか。

他の犯罪行為とそれを幇助する機器との対照が必ずしも妥当ではないと思うが、下表のように比べると、幇助犯まで想定したときに著作権侵害罪の構成要件または法定刑は妥当なのだろうか。
表 犯罪行為とそれを幇助する機器およびその法定刑

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著作権侵害行為は多くの場合、情報の流通行為である。著作権侵害の幇助行為は多くの場合、情報の流通機会の提供である。情報の流通機会を削ぐことは著作権法の目的に合致するのだろうか。また、そのような社会は望ましい社会なのだろうか。

ここで注意しなければならないのは、著作権侵害で民事的責任を問われる場面と、刑事的責任までも問われるべき場面は峻別しなければならないことである(たとえ話にすると、約束を破った場合に損害賠償責任は負わされるべきであるが、直ちに刑事的責任の可能性も生じる、というのはおかしい、ということである)。

仮に望ましくないのであれば、幇助犯を想定したうえで著作権侵害罪の構成要件または法定刑を見直すか、さもなければ、幇助犯をそもそも限定的な場合にのみ認めるとする立法をするべきなのではないだろうか。

なお、諸外国の例を考えると、日本の著作権侵害は厳しい部類にあるように思われる。このことは近いうちにまとめたい。
(注1)京都地方裁判所判決平成16年11月30日判例時報1879号153頁、大阪高等裁判所判決平成21年10月8日刑事弁護61号182頁、最高裁第三小法廷決定平成23年12月19日裁判時報1546号9頁。
(注2)佐久間修「Winny事件における共犯論と著作権侵害―最三決平成23・12・19裁時1546号9頁」『NBL』979号(2012年)30頁-39頁。
(注3)園田寿「Winnyの開発・提供に関する刑法的考察」『刑事法ジャーナル』22号(2010年)を佐久間(2012)は例示している。
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2012年05月17日

[著作権]出版社への著作隣接権の創設は、実体上は出版社への権利制限として働く可能性があるのではないかという暴論を言ってみる

出版社への著作隣接権付与が政府で議論されている。

出版社への著作隣接権の付与に対しては、新たな権利を創設することで、爾後、当該出版物を利用したい場合に権利処理の負担が増し、著作物の利用を阻害するのではないか、と懸念する声がある。

また、報道によると、当該著作隣接権は電子的な複製を行う権利を含める予定とある。そのため、当該検討案が仮に立法されると、著作者が紙媒体で出版後、他の出版社から電子出版を行おうとすると、特別の契約がない限りは当該電子出版が止められうることとなる。

ただ、結局のところデフォルト・ルールの変更に留まると思われる。力のある作家は特約で著作隣接権のうち電子出版に係る権利は留保させることができるだろう(逆に力のない作家に対してはそのような留保は認めないという運用が採られる可能性がある)。契約次第でなんとでもなる[注1]。

むしろ、次のように場合分けして考えると、実体上は出版社への権利制限として働く可能性が考えられてしまう。

1)出版社として、出版物に対する寄与・貢献が大きい場合
出版物の企画や編集、装丁のいずれかを行っている場合が想定される。このとき、完成された出版物について、本当に作家だけが著作者なのだろうか?ケースバイケースの判断にはなるが、出版社(厳密には編集者の機能をもつもの)も共同著作者と評価できる余地があるのではないだろうか[注2]
もしそうだとすると、出版社側は本来はフルセットの権利を持つ著作権者になることができるにも関わらず、事実上敢えてその地位を放棄して、権利の内容に限りがある著作隣接権者の地位に留まることにならないだろうか(もちろん、著作隣接権に加えて、著作権者としての地位を求めることもできるだろうが、社会通念上は難度が上がるだろう)。

2)出版社として、出版物に対する寄与・貢献が小さい場合
出版社として出版物に対する寄与・貢献が小さい場合に、著作隣接権を付与することにおそらく一般的な違和感があると思うのだが、そもそもの話としてこのような出版社は作家側に選ばれ続けるのだろうか?

出版社の機能を非常に荒く分解すると、
 企画→資金調達→創作支援→編集→校正→製本→広告→配本
という流れに整理できると思われる。

このうち、企画、編集→校正については、創作的な行為であると私は考えており、関与する出版社は著作権者としての地位を持ってもよい場合があると考えている。仮にこの箇所に出版社が創作的に関与していない場合については、実は中抜きをしてもよかった場合のように思われる。
資金調達や創作支援については、典型的な書籍の出版においては執筆それ自体に多額の費用が必要になることは現代においては考えにくいので、クリティカルな要素ではない。
次に製本、広告、配本機能が問題になるが、製本については印刷事業者に独自に発注できるし、広告も代理店に頼むことができる。残るは配本だけである。ここは議論があるところではあろうが、電子書籍を第一に考えるような時代になれば、配本に作家が頭を悩ますことは減る。

…と考えると、出版物に対する寄与・貢献が小さい出版社は中抜きをされてしまうだけではないか、という思いに至る。だとすると著作隣接権を付与しても、作家が合理的な判断をする限り問題がない。

というわけで、少なくとも現在および将来の出版業界事業を考えると、出版業界は実体上は自ら権利を制限することを申し出ているのではないか(あるいは著作権が出版社にとっては使いにくい権利であるので、権利をスリム化した独自の権利者の地位に立ちたいと言っているのではないか)と思える。

[注1]アンチ・コモンズの悲劇を避けるために、おそらく著作隣接権は作家の著作権に劣後する権利として定められるはずである(なお、アンチコモンズの原論文にあたると、「同じ対象に対して同一もしくは別個の核となる権利を有する、という状況が連続し、これらの権利の間に階層付けがなされておらず、権利衝突を解消するための明確なルールもないとすると」アンチコモンズの悲劇が生じる、としているMichael A. Heller, "The Tragedy of the Anticommons: Property in the Transition from Marx to Markets", Harvard Law Review 111 (1998): 621、訳は田村善之・立花市子に拠った(Nari Lee(著)・田村善之=立花市子(訳)「標準化技術に関する特許とアンチ・コモンズの悲劇」)。
[注2]この点は争ってはいけないパンドラの箱なのかもしれないが…。
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2012年05月05日

[特許]1980年〜90年の日米貿易摩擦時の知的財産制度問題からの示唆

■TPPの狙い=模倣対策とそのための知的財産権制度のハーモナイゼーション?
渡辺惣樹『TPP 知財戦争の始まり』(草思社、2012年)は、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)と知的財産制度の結びつきの可能性を推論したもので面白かった。
渡辺さんが米国政府発表等を広く分析したところ、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を推進する背景として、莫大な海賊版被害を抑え、農作物の輸出とは比べ物にならないほどの利益を既存の輸出品によってもたらすことが狙いとなっていると推論できるという。そのための手段として、TPPを使って、中国を抑え込み、知的財産権制度のハーモナイゼーションを進めることが意図されている、と渡辺さんは説明されている。

仮にこの推論が正しいとして、米国が求めたい知的財産権制度のハーモナイゼーションとは何なのだろうか。例えば特許法でようやく先願主義(ただし、先発明先願主義)を採用した米国は、日本や欧州から見ると、ハーモナイズすべきはまず米国の制度であるようにも見える。

ここでは、米国政府が求めている可能性がある点を、過去の日米の特許制度問題をアナロジーとして考えてみたい(なお、商標制度、著作権制度も同様に問題になっているかもしれないが、割愛)。

■日米貿易摩擦下の特許制度問題
□米国政府が指摘する日本の特許制度(1990年当時)の問題点

1993年に公表された米国会計検査院のレポート[注1]によると、以下の点が指摘されている。

・日本において特許に関して問題を抱えている米国企業は、米国または欧州で特許に関して問題を抱えている企業の3倍存在する。
・日本において特許に関する問題点として指摘されているものは
 −特許権設定登録までの期間の長さとコスト
  【要因】
  a)特許付与前異議申立制度の存在
  b)多数の特許出願の存在、特許庁の審査官の少なさ
 −特許権保護期間の相対的な短さ(当時、出願公告から15年、ただし出願から20年を超えないものとされていた)
 −パイオニア発明に対する特許権取得の難しさ(異議申立てが殺到し審査が長引いてしまうため)
である。
・特許権のエンフォースメントに課題があるため、米国企業は日本での特許出願を抑えている(ただし、特許に関する問題で事業が不利になっていると回答した企業は少ない)。具体的な課題は、
 −訴訟手続においてディスカバリーがないこと
 −訴訟審理が長期にわたること
 −裁判所が特許された請求項を狭義に解釈すること
 −仮処分命令を勝ち取ることが難しいこと
 −損害賠償額が適切でないこと(合理的な実施料が損害賠償額として認定されるため、侵害をした方が得になってしまうこと。なお、当時、損害額の算定規定、推定規定は存在せず、1999年改正を待たなければならなかった。また、懲罰的損害賠償がないことも言及されている)
 −文化の違いや距離の遠さだけでなく代理人(弁護士)の絶対数が少なく良い弁護士を探すことが容易でないこと、
である。
・ただし、米国企業の中には日本での特許出願方法に工夫をしているものもある。また、欧州企業も日本で同様の問題を抱えているが、欧州企業は米国・日本・欧州の特許保護に満足している。
・これに加えて、特許の洪水(Patent Flooding)問題が生じている。特許の洪水問題とは、外国企業が日本に出願すると日本企業が当該出願に関連する特許を多数出願し、クロスライセンスを求めるものである(しかも、出願の有効性を争うには10万ドル以上のコストがかかるため米国企業には大きな負担となる)。その発生は8件の出願中1件の割合になっている。

□日本の特許制度の問題点は本当に問題点か?
この違いを、米国の一部のジャーナリストは「日本の特許制度の驚くべき実態」であり、「日本が外国の技術を強奪する手段」とすら捉えていた[注2]。
たしかに、特許権設定登録までの期間の長さとコストや特許権保護期間の短さは、今の日本の制度から見ると課題ではあるが、これは研究開発力を有する日本企業にとっても障害になる。エンフォースメントについては、訴訟審理が長期にわたっていたこと、代理人が少ないこと、侵害し得の損害賠償額算定に(当時は)なっていたことは、同様に課題であるが、エンフォースがしやすければよいというものではない。

米国の特許の審査は緩やかであると評価されるが、このことと相まって、特許権のエンフォースが強力な米国では専ら非実施機関(いわゆるパテントトロール)による訴訟が頻発し、問題となっている。Bessen教授らの試算によると、非実施機関により失われている費用は毎年6兆円を超えているという。

また、ディスカバリー制度や、仮処分が得やすい制度は、欧州や日本から見れば米国固有の制度である。
実際、会計検査院の報告書にあるように、欧州企業の多くは問題を感じていない。自国の司法制度に特化しすぎた一部米国企業の問題が、日本の問題として捉えられてしまった感が否めない。

特許の洪水については、外国企業には異議申立のコストが高くなりがちであること、侵害訴訟で特許無効の抗弁ができないこと(キルビー特許事件最高裁判決が出たのは2000年)を考えると悩ましい問題であったことは理解はできる。だが、これは日本の制度に限った問題ではない。米国の特許代理人によって、同様の事例は米国でも存在することが報告されている[注3]。

□米国政府が要求したハーモナイゼーション
以上の指摘された問題点だけを見ると、妥当でない問題提起も含まれているように見える。しかし、実際に提言されたハーモナイゼーションに関する論点は比較的穏当なものだった。司法手続にはほとんど言及がされていなかった。

米国会計検査院のレポートでは以下の制度変更を日本に働きかけるべきと結論づけている。
(1)特許侵害訴訟に限定したディスカバリーの創設すること(GATT=TRIPsを通じた制度改正を働きかけるべき)
(2)出願から20年間の保護を行うこと(GATT=TRIPsを通じた制度改正を働きかけるべき)
(3)英語での出願を認め誤訳があった場合には英語に準拠すること
(4)特許審査の期間を2年以内とすること
(5)特許付与前異議申立制度を廃止すること
(6)12ヶ月のグレースピリオドを導入すること
(7)侵害訴訟において均等論を採用すること

これらの点に関して、日本は制度改正を行っている。要求が受け入れやすいものであった表れではないだろうか。
(1)に対応して:侵害訴訟における被告の行為の具体的態様の明示義務、書類の提出命令(1999年改正)
(2)に対応して:出願から20年間保護(1994年改正:従来は出願公告から15年、ただし出願から20年を超えないものとされていた)
(3)に対応して:外国語出願制度の創設(1994年改正)
(5)に対応して:特許付与前異議申立て制度は1994年改正で特許付与後異議申立制度に変更された(その後、2003年改正で異議申立制度自体が廃止)
(7)に対応して:均等論の採用(1998年最高裁判例『ボールスプライン軸受事件』最判平成10.2.24民集52巻1号113頁。ただし、下級審では一部で採用されていた。)

□現代へのアナロジー
現在、同様の問題は日本企業の中国における知的財産権行使を巡っても生じているように思う。おそらく米国企業も同様の悩みを中国に対して抱えているだろう。米国政府が狙うとすれば、1993年に要求したことと同じようなハーモナイゼーションなのかもしれない。

[注1]U.S. Government Accountability Office, U.S. Companies' Patent Experiences in Japan, GGD-93-126 (1993).
[注2]パット・チョート(著)=橋本硯也(訳)『模倣社会−忍び寄る模倣品犯罪の恐怖』(税務経理協会、2006年)265頁-267頁(原書:Pat Choat, Hot Property: The Stealing of Ideas in an Age of Globalization, Knopf (2005))
[注3]Sri Krishna Sankaran, "Patent Flooding in the United States and Japan", IDEA The Journal of Law and Technology 40 (2000), 393-425.
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2012年05月02日

[不正競争][時事]技術流出対策のために企業がとるべき対策は自社技術分析

□技術流出を制度で止めるために、これ以上制度強化をすることは望ましくない
有名な法務・知財系ブログ『企業法務戦士の雑感』のFJneo1994さんが「[企業法務][知財][労働]「技術流出に歯止め」をかけるために必要なこと。」で、技術者の引き抜き・転職を通じた海外への技術流出について言及されている。FJneo1994さんは、営業秘密流出の立証の難しさ、立証による技術流出の懸念が要因となって、司法を通じて技術流出対策を行うことは難しいと指摘され、『「技術者が海外企業に引き抜かれないようにする」という選択肢しかない』と述べられている。

私はこの意見に賛成する。司法を通じた技術流出対策の難しさに加えて、これ以上、国として技術者を縛るような動きはしない方がよいと考えているためである。

刑事罰をさらに加重することによって、技術者に対して萎縮効果を与えることを期待する意見もあるだろうが、後述するように技術者にモヤモヤ感がある中では適切ではないように思えるし、また、主要国の制度(下記)と比較してもこれ以上の加重はやりすぎではないかと思える。

技術者への萎縮効果という点では、損害賠償請求が元社員に対してもに行われたことが報道された今回のような報道で十分ではないかと思う。
※(参考)従業員の転職に付随した営業秘密の漏洩行為に対する主要国の刑事罰[注1]
アメリカ 国外への流出の場合、15年以下の懲役または50万ドル(日本円450万円程度)以下の罰金(経済スパイ法:Economic Espionage Act:§1831, 18 U.S.C. 90.)(その他州法による規制)/国内外への営業秘密の図利加害目的の流出の場合、10年以下の懲役または25万ドル(日本円220万円程度)以下の罰金(経済スパイ法§1832)
イギリス 秘密へのアクセス権源をもつ者による不正行為の場合、かつ、大陪審の正式起訴の場合、10年以下の懲役または罰金(詐欺法:Fraud Act 1条)/即決裁判の場合、1年以下の懲役または罰金(詐欺法1条)
ドイツ 雇用関係存続中の場合の、国内外への不正競争目的、図利加害の流出のみ3年以下の懲役(不正競争防止法(UWG)17条)
フランス 国内外への意図的な流出の場合、2年以下の懲役または3万ユーロ(日本円330万円程度)以下の罰金(労働法152-7条)/製造秘密の場合、2年以下の懲役または3万ユーロ(日本円330万円程度)以下の罰金(知的財産権法L621条1)
韓国 国外への流出の場合、7年以下の懲役(不正競争防止法18条)/国内への流出の場合、5年以下の懲役(不正競争防止法18条)/国家核心技術について外国での使用目的の流出の場合7年以下の懲役または7億ウォン(日本円500万円程度)以下の罰金(産業技術の流出防止及び保護に関する法律36条)
台湾 国内外へ故なく工業上・商業上の秘密を漏洩したときは、1年以下の懲役または1,000台湾ドル(日本円3000円程度)以下の罰金(刑法317条)
日本 国内外への図利加害目的の場合、10年以下の懲役または1000万円以下の罰金

□技術者が海外企業に引き抜かれないようにするために
同志社大学の中田喜文 教授・宮崎悟 特別研究員は、大規模かつ詳細なアンケート調査を行って、技術者の現状を明らかにしている。中田教授らが行った、技術者4000名近くを対象にしたアンケート調査の結果によると、2007年での技術者の意識を1997年の意識と比較すると、技術者総体としては「組織・仕事に対する思いが減退している」一方、「転職願望」や「現実の転職に必ずしもつながっていない」ことが明らかになっている[注2]。

組織への帰属意識(企業忠誠心)や仕事のやりがい感が減っているのに、外の組織に行くことはできない、そういうモヤモヤを抱えた技術者が相対的に増えていることがうかがわれる。これまでモヤモヤしていたのに、出て行くなという脅しばかりをかけられると、技術者は研究・開発に対するモチベーションを下げかねない。そうすると、今後の日本企業の競争力を下げてしまう恐れがでてくる。

企業忠誠心を上げる取組が必要であると私は思う。

ただ、ここで悩ましい論点が一つ出てくる。リタイア済/リタイア間近の技術者と、現役の技術者とでは、企業忠誠心を上げる取組が異なってくる、という点である。とくに前者への施策が難しいと考える。

リタイア済/リタイア間近の技術者は、老舗企業ではボリュームゾーンを占める技術者であり、均一の施策をうつと、一人あたりの投資は少なくても総体としては大きな投資が求められてしまうことがネックになる。また、その投資の負担を、数が少ない中堅・若手の従業員が負担するとなると、中堅・若手の負担感やさらにはモチベーション低下も招きかねない。

そうすると、流出しては困る技術(ノウハウ)を持つ技術者を狙い撃ちすることが適当ということになる。ここにも悩ましさがある。先端技術の持ち主は特定しやすい。しかし、新興国で重宝される一時代前の技術の持ち主は現場ですら意識されていない(場合によっては本人すら意識していない)可能性がある。

結局のところ、相当詳細に自社の技術分析を行っていくことしかないように思う。そうすることで技術者は自分がおこなってきたことが「見られている」「評価されている」と感じ、技術分析自体が企業忠誠心を高めることにつながることもありうるのではないだろうか(…と甘い期待をしてみる。が、正直にいって、この問題は悩ましい)。

なお、後者の現役の技術者に対する対処としては次の研究が参考になる。

東京大学の古井仁 氏(当時。現、亜細亜大学国際関係学部准教授)が研究開発集約型の医薬品・エレクトロニクス企業の研究開発部門に属する3000名を対象に1999年に行ったアンケート調査(有効回答者数885名)[注3]によると、まず、研究技術者と開発技術者は志向が異なっていることが指摘されている。それによると、以下のとおりである。
研究技術者のモチベーター
・専門分野の業績の公正な評価(業績中心の評価)
開発技術者のモチベーター
・組織人志向が強い=昇進がモチベーター

[注1]経済産業省「平成18年度 東アジアにおける不正競争及び営業秘密に関する法制度の調査研究報告−欧米の法制度との対比において−」(2006年)、張睿暎「韓国の「産業技術の流出防止及び保護に関する法律」の紹介」『季刊 企業と法創造』13号(2008年)を参照に筆者作成。
[注2]中田喜文・宮崎悟「日本の技術者──技術者を取り巻く環境にどの様な変化が起こり,その中で彼らはどの様に変わったのか」『日本労働研究雑誌』606号(2011年)、また、よりわかりやすくまとめたものとして、中田喜文・電機総研編『高付加価値エンジニアが育つ』(日本評論社、2009年)
[注3]古井仁「研究開発技術者のモチベーションプロセスに関する一考察」『研究計画技術学会 年次学術大会講演要旨集』14号(1999年)201頁-206頁(ただし、学会発表の要旨(未査読)である。)
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2012年04月27日

[著作権][時事]著作権侵害にあたる行為でアップロードされた著作物のダウンロードに対する刑事的保護は問題だ

著作権侵害に該当する行為によってアップロードされた著作物をダウンロードする行為に対する刑事罰の付与は当面見送られる見通しであることが報道された。

私はこの見送りを2点の理由から歓迎している。
対抗利益(著作権者の保護、ただし、後述するように「特定のビジネスモデルを取る著作権者の保護」であると考えている)と衡量したときに、私的領域に深く介入しうる規制は、個人的には釣り合わないと受け止めていたからである。[理由1]
また、著作権法が最終目的として謳う「文化の発展に寄与」するか疑問があるからである。要は、特定のビジネスモデルを取る著作権者にとっては有利な制度であるのだが、他のビジネスモデルをとる著作権者(それも直感的には文化的活動により近いもの)にとって不利な制度と考えられるため、妥当ではないと思えるのだ。[理由2]

■違法にアップロードされた著作物をダウンロードする行為に対する刑事罰の付与により懸念されること
まず、そもそも刑事罰の付与で何が懸念されるかを整理する。懸念は大きく二つである。
・私的領域の介入の道具として濫用される可能性があること(濫用されないとしても潜在的な犯罪者を多数創りだしてしまうこと)
・犯罪者となる懸念から本来分散的な流通が意図されているコンテンツも流通が阻害される可能性があること

著作権は登録なく権利行使ができ、登録なく許諾ができるため、アップロードされたものがそもそも著作権で保護されているのか、適法にアップロードされたものであるのか、一見してわからない。勘違いをして違法にアップロードされた著作物をダウンロードすることもあるだろう。

「適法である」旨のマークを付与すればよいという意見はあるだろうが、これには疑問がある。まず、自由な流通を望む著作者の便宜を重視して「適法マーク」が自発的に付与できる、または、簡易に取得できるようにすると、違法にアップロードされたコンテンツにも悪意で適法マークがふされるかもしれない。次に、「適法マーク」の信頼性を確保するため、厳重な手続を前提とすると、自由な流通を望む著作者のうち一部は「適法マーク」の取得を諦めるだろう[注1]。

また、勘違いをしてダウンロードすることを懸念する意見に対しては次のような反論があるだろう。
刑事罰は通常故意に当該行為を行った場合にのみ処罰される。だから、勘違いでダウンロードした場合には処罰されないのだから問題がない。
だが、故意かどうかという主観的意思は外からは見えない。裁判では客観的な状況によって判断されてしまう。

もちろん、限界事例はそもそも起訴される確率は低く、仮に起訴をされても実効的な罰が科される確率は低い。しかし、違法にアップロードされた著作物のダウンロードに関して、家や職場の捜索、さらには逮捕をされる可能性は少なくないと思われる。行為が私的な領域で行われているために、私的領域に立ち入って十分な証拠収集を行う必要があると考えられるからである。

日本の一般人の認識を見ると、捜索を受けたり、逮捕をされると、その者の社会的評価が即座に低下すると捉えられているといってよいだろう。つまり、捜索や逮捕は事実上サンクションとして機能しているといえる[注2]。民事上の責任が生じることと比べるとより大きなサンクションであるように思う。

そうすると、リスクを回避するため、仮に適法そうであっても、著作物をダウンロードしない者が多く登場したとしても違和感はない。つまり、分散的な流通(著作者やその委託者のみによる流通ではなく、ユーザー自身による流通を含むもの)は阻害されうる[注3]。

著作権と私的な自由が対立する場面で、違法にアップロードされたダウンロード行為への刑罰の付与は、利益衡量の点で妥当ではないように思う。

■分散的な流通の阻害は有償の著作物で収益を上げるビジネスモデル以外のビジネスモデルの阻害となる
そもそも、著作物を用いたビジネスモデルは一様ではない。分散的な流通を阻害することは著作物を用いたビジネス活動の一部を阻害する可能性がある。

梅花女子大学の服部准教授は、著作物を用いたビジネスモデルを次のように分類している。
1)市場における取引により収益をあげるもの
1-a)権利の運用管理が統合的:有償の著作物での収益をあげるもの
 ・複製等の対価をとる古典的な著作物流通モデル(例:出版業、新聞業、音楽レコードビジネス、映画製作ビジネス)
1-b)権利の運用管理が分散的:無償の著作物での収益をあげるもの
 ・著作物は無償で流通させ、補完財で収益を上げるモデル=フリーミアム(例:広告=アフィリエイトでの収益、ライブ・講演での収益)

2)非市場における取引により収益をあげるもの
2-a)権利の運用管理が統合的:再分配により収益をあげるもの
 ・国家等から政治的決定に基づき利益の分配をうける(例:文化事業(自治体に属するオーケストラ)、学術研究)
2-b)権利の運用管理が分散的:社会的関係により収益をあげるもの
 ・ユーザーからの寄付をうける(例:Amazon.com Artist)

(出所)服部基宏・國領二郎「デジタル財の市場構造と収益モデル」日本学術振興会 未来開拓学術研究推進事業プロジェクト「電子 社会システム」ディスカッションペーパー No.95(2002年)に基づき筆者が改変

服部・國領(2002)はそれぞれの収益モデルの消費者となりうる者の属性をアンケート調査結果のクラスター分析から明らかにしている。それによると、主流となるものは1-a)のモデルと整合する消費者ではあるが、数は5%程度に留まるが支出額は突出して多いグループが1-b)、2-b)に整合する消費者として存在していることが示されている。

このことは、フリーミアム・ビジネスモデル(1-b)やユーザーからの寄付(2-b)によるビジネスモデルが十分に成り立ちうることを示唆している。フリーミアム・ビジネスのうち一部は、無償配布する著作物を広告として位置づけ(例えば、コンサートで収益を上げることを重視し、楽曲をyoutube等のサイトにアップロードする音楽家)、ユーザーの手による流通が行われることが望ましいと考えているだろう。同様に、ユーザーからの寄付によるモデルも、その氏名表示さえ確保されていればユーザーの手による分散的な流通を歓迎するだろう。

同様に、ビジネスモデルとしての自律性には疑問があるものの、国家等による再分配モデルで(2-a)も氏名表示さえ確保されていればユーザーの手による分散的な流通を歓迎する場合があると考えられる(著作物が普及することで当該文化事業への理解が得られ、将来の収益機会が広がる可能性がある)。

そして、「文化の発展」という一点だけを見てしまうと、2-aのモデルを阻害することが最も法目的に沿っていないように見えてしまう。そうまでいわないとしても、古典的なビジネスモデルだけを保護する制度は著作物による文化の発展に寄与するのか疑問である。

図 まとめ
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[注1]著作者としては自分は権利行使をする意思がないのだからそれでよいと考えてしまいがちである。しかし、利用者は当該情報を得ていないか、得ていても信頼できるか躊躇する場合があるだろう。
[注2]逮捕によって抽象的ではあるが金銭的損害も生じる。最低でも給与の2倍程度は稼がなければ組織を維持させることは難しいという前提で計算すると、逮捕による3日間の拘束により、年収600万円のビジネスマンは最大20万円の機会を失わせる計算になる。
[注3]日本の著作権法では著作権の制限は限定的に規定されており、また、各規定は限定的に解釈するべきとの理解が裁判所でとられることがあるため、状況はダウンロード行為者にとって米国に比べて厳しい。(米国、ドイツは違法にアップロードされた著作物のダウンロード行為を刑事罰の対象としている。なお、ドイツは日本と同様権利制限は限定的である。)
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2012年04月26日

[著作権]著作権法学会研究大会(2012年度)個人的なまとめ:(4)筆者考察

■考察
□日本の著作権政策形成を考えたときに、改正をするために望まれる活動

著作権法の全面改正を行う、または、意見集約が難しい著作物の利用者や小規模なクリエーターにとって利便性のある改正を行うためにどういう手段があるのだろうか。今研究大会で得られた知見を基に、次の3つを簡単に考察する。
1)著作権の政治イシュー化
2)条約・現行法との整合的な代替案の提案、懸念点の払拭
3)立法事実の「見える化」

□1)著作権の政治イシュー化
京報告や討論で行われたように、現行の選挙制度の下では、著作権が政治的なイシューとなることは容易ではない。著作権法の全面改正が現行の政策形成過程の下で行われるためには、他の政治家とは異なる事情(選挙に強く、かつ、著作権問題に関心があり、かつ、政治的に有力である)を持つ政治家が登場することを待つしかない。ただ、すでに関心を持つ議員は与野党にいる。今、著作権に関心を持っていることが明らかな政治家を支援する、ということも手ではある。ただし、時間はかかる。

次に、草の根の活動で、若年層の票の掘り起こしになる、と思わせるようなインパクトを与える運動も考えられる。また、著作権法の改正が経済成長につながる、と思わせるような主張と論拠を提供する運動も考えられる。

このような活動は、Think C、MIAU(先進ネットユーザーの会)、あるいは、ロージナ茶会等の私的な団体が先駆者だろう。

□2)条約・現行法との整合的な代替案の提案、懸念点の払拭
京報告で紹介された研究成果を読むと、文化庁当局(官僚)は以下の点を考慮するようである。
・条約との整合性
・法体系との整合性

このモデルが正しければ条約・現行法と整合する代替案を提供することは、立法者側のアクターの一人である文化庁官僚には受け入れやすい。

討論で半田名誉教授が述べられたように、著作権課のマンパワーが限られ、大規模な法改正ができないこともあるので、代替案の提案は受け入れられる余地が少なくないだろう。半田名誉教授が提案されたように、学会として著作権法の改正案を提案することは大きな一石となる可能性がある。

ただし、民法改正案の先例を見ると過度に期待はできないように思う。民法改正案は学術側から複数案が示されているにも関わらず立法化はなかなか進んでいない。民法の改正は「市民社会のありように関わる」との学術側の期待[注1]とは裏腹に、進んでいない。産業界としては目立った反対はしていないが、積極的に支援もしていない様子である[注2]。現行のルールに基づいて、様々な契約手順を整備してしまっているため、仮に現行法が不便でもそれを改正する動機がないのだろう。産業界側から積極的な反対が行われている様子は改正をする動機があるとすれば、これまでの民法に対する知見の蓄積の少ない新規参入者、あるいは、中小規模の事業者に限られるのではないか。このような者の意見は集約しがたい。

まずできることと言えば、政府(官僚)が気にする点をつぶすことだろう。

討論で指摘されたとおり、権利制限に対しては3ステップテスト[注3]の考慮が欠かせないとされている。改正を検討するときに3ステップテストは重要な要素となるだろう。3ステップテスト自体の曖昧さ自体を問題視する学術論文もアメリカでは見られている。3ステップテストの解釈や、その妥当性について整理を自発的に進めておくことが大切なのではないだろうか。

また、外国の制度の運用を詳細に紹介することも欠かせないように思う。表面的な制度を比較するだけではなく、その裏に何があるかを見せることで立法の弾みになる。その点では、(私ではない)ブロガーの方や若手研究者が熱心に取り組まれており、心強い。

□3)立法事実の「見える化」
立法に携わるのは著作権所管当局(文化庁)だけではない。討論で示されたように日本版フェアユース規定創出にあたって内閣法制局の影響が無視できないことがうかがわれた。そして、内閣法制局は立法事実(立法が必要な事態の発生)を求めていることが示唆された。

そうであるならば、次の2つの手段で立法事実ができるとよいのではないか。
1:任意な団体による積極的な著作権行使によって現行著作権制度の課題が認識される。
2:外国等がよりよい制度を作り、制度を巡る国家間競争が意識される。

1:攻撃的なフォーラム
まず、現行の著作権制度の課題が顕在化すると、十分に立法事実は意識されるだろう。

例えばフェアユースの一般条項がないことに対しては次のようなアクションが考えられる。

現行の著作権制度ではフェアユース領域が限定的であるため、権利制限の対象となる写り込み等を除けば、わずかな著作物が含まれているだけでも著作権侵害となりうる(もちろん、裁判上、著作物性が否定されたり、複製行為該当性が否定される可能性はあるが)。

つまり、理論的には「著作権の薮」が生じてもおかしくない。
しかも著作物がデジタル化され、侵害を発見することが難しくない[注4]。

そこで、Creative Commonsのように、相互に条件を守る限りでは自由に許諾し合うフォーラムを作り、その上で、Creative Commonsとは異なり、条件を守らない者に対して積極的に権利行使を行う団体ができると興味深いことになるのではないだろうか。

2:制度の国家間競争
次に、ユーザー側にとって利便のよい制度が国、または、特定の条件・領域において定められ、その効果が目に見える形で現れる(例えば、クリエーターがその国、地域に移転する)とさすがに意識せざるを得なくなるだろう。

例えば、中国では次のように米国型のフェアユース規定を入れ、経済の発展につなげようとしている[注5]。
技術革新の促進と産業の発展において必要とされる特別な状況において、作品の使用行為の性質と目的、使用される作品の性質、使用される部分の数と量、作品の潜在的な市場あるいは価値に対する使用の影響等の要素を考慮し、作品の通常の利用を妨げず、著作権者の正当な利益を害さない場合には、合理使用と認めることができる。(出所:最高人民法院「知的財産権の裁判の機能的役割を充分に発揮し、社会主義文化の発展・繁栄及び経済の自主・協調的な発展を促進するための若干の問題に関する意見」。訳は[注6]に基づく)

さらに、中国社会科学院知的財産権センターのグループが国家版権局の指示に基づいて検討した著作権法の改正案では権利の束をシンプルに束ねる方向での提案がなされていた[注7]。

もちろん、これらの提案は条約で定める保護水準を下回る保護を定めるものではない。だが、理屈の上での話として、自国で生み出された著作物については条約を下回る保護を与え、外国で生み出された著作物については条約に定める保護を与え、以て自国で生み出された著作物を利用した創作活動を推進する仕組みは、ありうるのではないだろうか。

これは外国でその実験が進むと面白い。

また、国の制度としてではなく、特定の条件・領域において生み出された著作物の著作権を制限する手段も考えられる。

やや目的は異なるが、アメリカの国立衛生研究所(NIH)[注8]の取組が参考になる。同研究所の研究資金に基づく研究成果に係る論文は、同研究所が定めるサイトに必ず掲載しなければならないとされている。これは言い換えると、NIHからのグラント(競争的資金)を受け入れることで、その成果の著作物の公表権が制限され、公衆送信権の許諾を強制させられているのである。しかし、これにより研究成果が公衆によりアクセスされるようになり、より成果が生きることになると理解されている。

「○○パークに入るためには、著作権の行使制限をするように」などという政策を作ることはそれほど難しくないように感じる。このような仕組みは日本でもできる。Cool Japan特区(orインキュベーション施設)を作るなり、Cool Japan補助金なる著作権の行使制限を入れた補助金制度ができると面白いのになぁ、と思う。

[注1]大村敦史『民法改正を考える』(岩波書店、2011年)
[注2]法曹関係者からの反対論は存在する。
[注3]ベルヌ条約9条(複製権(録画、録音行為を含む)について規定されている)、TRIPs協定13条(排他的権利について規定されている)。
[注4]学生さんは「コピペルナー」に気をつけていただきたい。
[注5]中国著作権法のはらむ問題はあるのだが、そこは目をつぶって、フェアユースだけに焦点をあてている。
[注6]兎園「第268回:中国の著作権法改正案と最高人民法院のフェアユースに関する意見」(ブログ:2012年4月9日記事)『無名の一知財政策ウォッチャーの独言』(2012年4月23日閲覧)
[注7]李明徳「中国著作権法の改正及び提案」早稲田大学グローバルCOE《企業法制と法創造》総合研究所『国際シンポジウム 東アジアにおける知的財産の利用システムの研究』2012年1月28日開催。中国社会科学院グループの案が直接改正案になるものではないことには注意が必要である。
[注8]研究プロジェクトへの資金配分だけで164億7600万ドル(2011年度)(出所:NIH, NIH BUDGET HISTORY)に上る。
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2012年04月25日

[著作権]著作権法学会研究大会(2012年度)個人的なまとめ:(3)討論まとめ

■討論まとめ
本討論のまとめは、主な論点について、筆者がやりとりの要旨と考えられる点をまとめたものである。

□日本の著作権政策形成過程の特徴
本年(2012年)閣議決定された日本版フェアユース規定の形成を例に議論が行われた。主には、法案として示されたフェアユース規定に強い不満が示された。

同改正法案については、最終的な条文が審議会が提示した条文案から後退したとの意見が強いことが紹介された。一般規定として提案されたものが事実上個別規定化した(とりわけB類型は制限事由が縮減され、C類型は個別規定化したように見える)との意見が示された。
審議会段階では、いま問題が起こっていなくても将来への対処が必要であるとの議論であったにもかかわらず、その後修正が行われてしまったこと、しかも過程や根拠が見えていないことが問題として指摘された。また、個別規定となるとそれ以外は禁止されているものと解釈されてしまうため、個別規定化したことは問題であるとの指摘も行われた。
このような修正が行われたことに対しては、改正が必要なポイントに限った改正になろうとする力学が審議会段階から働いていたことが指摘された。具体例として審議会段階で立法が必要な事実を問う質問が多かったことがして指摘された。また、修正に対しては内閣法制局の影響があったとの噂があることが会場から紹介された。
また、知的財産戦略本部でフェアユース規定の検討を求めた意図は、経済力の回復にあり経済発展の道具とすることにあったことが指摘され、その意図が実現しなかったことに不満が占めされた。

併せて、審議会で決定された出版社に対する著作隣接権の付与が、経済団体の反対により未だに実現されていないことが紹介された。

なお、ロビイング自体については、登壇者から、否定的な評価をするべきでないとの意見が示された。

□著作権制度を巡る論点
著作権に表現の自由の規制立法としての側面があるとした場合、何が対抗利益として考えられるかについて会場から質問があった。これに対して登壇者から、著作権制度をインセンティブ論に基づくものとするのであれば、道具主義的な権利とするしかないとの回答が行われた。あわせて、M.Nimmerらが主張するように、著作者が自由な経済主体として表現できる道具として著作権を位置づけ、表現の自由のエンジンとして著作権をとらえる考え方があることも紹介された。
同様に、著作権が経済的財としての側面が強いことを指摘し、対抗的な利益は容易に設定できないと考えられることから、少なくとも立法によって報償請求権が設定されていることがメルクマールとなるとの意見が示された。

また、フェアユースを肯定する利益として表現の自由以外にどのような利益が考えられるかについて会場から質問があった。これに対して登壇者から、表現の自由はフェアユースを表現の自由の枠にとどめることは狭すぎると考えている旨の回答があり、より広い個人の自由と位置付けるべきとの考えが示された。他の登壇者からは、著作物に関するサービス提供者が利用者を代弁しえるが、その場面では権利対権利の戦いにした方がよい、そのためにはフェアユースに権利としての側面を認めた方がよいとの意見が示された。

なお、日本法の私的複製に対する権利制限については、フェアユースを明確化し、私的領域を保護するものとして、米国法から見た場合に評価できる可能性が示されたが、同時に、近年、ダウンロード違法化の議論で私的領域が過剰に制約されるようになってきたと考えられ、課題であることが指摘された。

□著作権改正のために行われるべき取組
著作権課は絶えず新しい現象に追われており、全面改正を行う余裕がない。そのことをふまえ、著作権法学会が検討し、意見を聞くことが必要なのではないかとの意見が会場から提案された。

また、実務家の力が伸びており、知的財産法学者の役割が問われていることも併せて会場からしてされた。
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[著作権]著作権法学会研究大会(2012年度)個人的なまとめ:(2)報告まとめ−大須賀報告、野口報告、田村報告−

■報告まとめ(つづき)
(4)大須賀滋「著作権法形成における判例と学説の協働」

大須賀報告では、カラオケ法理を題材として裁判での運用と学説の差異とその要因について分析結果が紹介された。
まず、従来カラオケ法理に対しては学説上批判が見られたことが紹介された。
近年、まねきテレビ事件(最高裁平成23年1月18日判決 民集65巻1号121頁)、ロクラクII事件(最高裁平成23年1月20日判決 民集65巻1号399頁)が示されたが、これら2つの最高裁判例についても学説との距離が縮まったとは言えないとの考えが示された。

その上で、学説との差異の要因は私的複製行為に対する権利制限規定の評価の違いにあるのではないかとの私見が示された。具体的には、私的複製に対する権利制限は零細的な利用を認めたものであり、複製行為に外部の者が介在することは許されない(加戸・逐条講義 226-228頁)と解釈する立場が有力にある一方、学説の中には権利制限規定を柔軟に解釈しようとする立場があることが示された。

その上で、平嶋教授の考え[注1]を紹介の上、カラオケ法理に関しては、いかなる行為をやめさせるべきかという視点が重要であり、著作権侵害と評価すべき私的利用行為の範囲を確定させた上で、それに対する権利実現の手法として差止範囲の拡張をすべきかどうかが検討されるべべきとの提案が示された。
結論的に、私的複製行為に対する権利制限の考察が進むことが望まれるとされた。なお、零細な理由を裏付けとして正当化する考え方であると、裁判上正当性が担保しにくいのではないかとの疑問が示された。

(5)野口祐子「著作権法における日米のNGOの役割」
野口報告では、米国のNGO/NPOが著作権のライセンス、立法、司法に関して行っている活動が紹介された。

まず、ライセンス活動としてコンピュータソフトウエアのライセンスに関する、Open Source Software License(OSS License)が紹介された。同活動では、強力な"copyleft"の考え方に立つ、GPL(GNU General Public License)が1986年に公表され、以後、より再頒布条件が緩やかなOSS Licenseが複数登場した。
次に、Creative Commons(CC)が紹介された。同活動は、2001年に、著作権延長法案違憲訴訟(Eldred v. Aschcroft→2003年敗訴)を受けて立法・司法に頼らない解決策の中から生まれたものであり、現代のコンテンツの共有が直面する課題である、権利者の所在の不明、原則禁止のルールであること、インターネットへの対応が行われいないこと、を解決することが目指された。
そのうえで、CCの動きは、政策形成過程を補完することが根底の意図であったことが紹介された。加えて、権利者団体に代弁されない権利者の声を可視化すること、著作権をめぐる経済原理が多様になっている(例:『フリービジネス』)ことをふまえ、多様な権利者に共通のルールの提示も目指されていたことが紹介された。
なお、非営利の場合は別途契約とするオプションは2005年に74%が採用していたが、2010年に49%まで低下した。これはインターネットを通じて露出を先行させ、別途の手段で費用を回収するモデルが進行したことの表れであると考えられることが紹介された(ただし、以上の分析はあるサービス(例:Flickr)の提供者が採用したライセンスの影響を受けていることが注意喚起された)。
ただし、ライセンス運動には限界があることも示された。まず、権利者からの能動的アクションが必要であり、また、異なるライセンスが乱立する可能性がある。

次いで、国内立法・条約交渉に関する活動として、Public Knowledge、Electronic Frontier Foundation、POPVOXなどのNPOが紹介された。
これらの組織は、組織化されにくい利益を吸い上げていることが紹介された。例えば、サイトに意見を集約させる取組(POPVOX)では立法状況が集約されているうえ、政策への賛否が投票できる。
近年ではWIPOの条約交渉においてNGOのインプットが一定程度予定されていることも示された。これは欧米で国際合意の形成が不透明であるとの批判をうけたものであると説明さらた。たとえば、ACTAをめぐっては第8回ラウンドからNGOとの交流が設けられた(しかし、2010年の第11回ラウンドでは日本の外務省が直前に日程を伝え事実上NGOをロックアウトした)。ただし、近年、国際交渉はWIPOからバイ、ユニラテラルの国家間交渉に移りつつあることも併せて指摘された。

最後に、米国ではPublic Knowledge、Electronic Frontier Foundationが当事者となり政策的な問題を含んだ訴訟を提起したり、Amicus Brief(両当事者の合意または裁判所の許可の下、意見提出を行う制度)を提出していることが紹介された。

以上を踏まえて日本を見ると、日本ではロビイング・情報提供・ツール提供を行う資源・体力がないことが課題となっていることが指摘された。

(6)田村善之「著作権法の政策形成と将来像」
田村報告では、まず、著作権の立法に着目し、権利制限は細かく規定されているが、例えば企業内で頻繁に行われている零細的な利用については権利制限が規定されておらず、条文と一般に考えられている著作権法の乖離があるといえることが問題意識として示された。
その上で、著作権法立法の過程に着目し、著作権法を強化する方向の改正は、多国籍企業のロビイングを背景とした条約への対応によるものであり、近時は特定の利益団体のロビイングをうけたものになりつつあることが指摘された。その上で、これは拡散した個別的利益は政策形成過程に反映されにくいことによるものと分析された。しかし私人の自由に関わる以上、ルール形成がされるべきであり、形成の場を司法の場に移す必要がある(そのツールが、フェア・ユース規定である)ことが述べられた。

著作権をめぐる司法動向に着目すると、(1)技術的な環境に応じて隆盛を迎えた行為についての規制を解釈で創設することもいとはないが、制限規定の拡大に対して慎重なもの、(2)権利制限の拡張もいとわないもの、の2種があり、一枚岩ではないことが占めされた。
具体例として、引用についてパロディ事件の最高裁判例が一般に参照されるが、これは旧法下のものであるとして別の要件を示す裁判例がある一方で、同判例を基準とする裁判例もある。近年は、美術鑑定書事件(知財高裁平成22年10月13日判決平成22(ネ)10052)では米国フェアユースに似た判断要素が列挙された。ただし、同判決では著作権者の権利の保護に資することが目的に含まれているとしており、射程は広くない。写真で見る首里城事件では、損害の額が軽微、多額の投資があることを理由に差し止めを認めないとの判断が下された。
しかし、まねきテレビ、ロクラク事件最高裁判決を見ると、条文上の権利を広げる方向で解釈しているように見えると指摘された。権利者の利益はすでに立法過程において反映されているため、このような方向性は立法過程を鑑みると妥当でないとの考えが示された。

次に社会環境の変化について次のようにまとめられた。
20世紀半ばまでは複製を行うには相応の投資が必要であり、事実上、競業規制であった。しかし、複製技術の普及により著作権が私人の活動を規制する権利になってしまった。また、監視が困難になり権利の実効性を欠くようになった。
インターネットの時代が登場することによって、他人の著作物の利用をする機会が増えただけでなく、利用できる著作物が増えた(私的な著作物も現実に利用可能になった)。
このような中、利用される著作物の中で著作権処理のコストにみあう利益を得ているものは減少した。権利者の意識も二分した。

このような状況、すなわち、大量利用・アクセスに対応するにはProperty Ruleでは難しいことが指摘された。検索サービスでの複製に対する権利制限に対して当時の山下和茂著作権課課長は講演(コピライト誌に掲載)で、検索サイトでの複製は権利者側から問題視されたことがなかったにもかかわらず、学者・弁護士が騒いだこと、経済産業省の要望があったため改正に至ったと述べていたが、現状の適切な認識ではないと批判された。これは検索サービスの利用はTolerated Use[注2]であり、リスクがあるため利用が進まない場合であるためである。

結論的に、著作権法の構造的課題は、零細的利用と孤児著作物問題であると考えられることが示された。
このうち、孤児著作物問題については、権利者の意思表示があればCreative Commons Licenseで対処できるが、関心がない著作者に対しては手のうちようがないことが指摘された。対策としては、政策形成下でアクションを取ることができる側にアクションを起こさせる制度にデフォルトを変更してしまうことが考えられることが示された。典型例が米国旧法下での登録制度である。

法学、経済学、政治学の相互の成果の活用が必要であることが最後に指摘された。
[注1]平嶋竜太「著作権侵害主体の評価をめぐる議論について−私的利用領域の拡大と差止範囲確定の視点から」野村豊弘ほか(編著)『現代社会と著作権法 斉藤博先生御退職記念論文集』(弘文堂、2008年)
[注2]Tim Wu,"Tolerated Use", Columbia Law&Arts Journal 31 (2008):617.
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2012年04月23日

[著作権]著作権法学会研究大会(2012年度)個人的なまとめ:(1)報告まとめ−石新報告、上野報告、京報告−

■報告まとめ
本概要は筆者の責任でまとめているうえ、ご報告者の方に断りなく公表しているものである。報告の全文は翌年の『著作権研究』で明らかにされると予想される。ここでの記述は全て筆者のバイアスがかかっているものとご理解いただき、あらゆる批判は筆者にだけ頂きたい。

(1)石新智規「米国における著作権リフォーム−Copyright Principles Projectを中心に−」
石新報告では、Pamela Samuelson教授(カリフォルニア州立大学バークレー校)が中心となって、2007年から3年間行われた、著作権の全面改正に関する議論を行うプロジェクト「Copyright Principles Project」の成果[注1]が紹介され、次いで、米国の著作権法全面改正を巡る議論の特徴と、そこからの示唆が報告された。

まず、「Copyright Principles Project」については、成果として公表された25の提案うち、以下の点が、日本法から見たときに興味深い点として指摘された。
・著作権の保有者の情報を入手できるよう著作物の登録を促すべきである(方式主義の復権)。たとえば、登録と非登録で権利の強弱をつけるべきである。
・フェアユースの予測可能性を向上させるため、著作権局が助言する仕組みを検討すべきである。
・権利侵害に対して差止請求以外の救済を付与する裁量を裁判所は活用すべきである(例えば、フェアユースの抗弁が合理的に期待できた場合には仮に侵害であっても差止請求は認めず損害賠償にとどめるべきである)。
・フェアユースには現行法で認識されている以上の目的が存在することを認識すべきである(Market Failureにのみフェアユースを認める厳格な見解が一般的であるが、Transformativeな場合に認めるべきとの立場がある[注2]。
・私的複製に対する権利制限について積極的な位置づけを与えるべきである(フェアユース規定で処理するのでなく、明確に認めるべきである)。

次に、米国の著作権法全面改正を巡る議論の特徴については、以下の点が特徴として指摘された。
・米国の著作権法改正の議論では、表現の自由との緊張関係が強く意識されていること。
・イノベーション政策としても強く意識されていること(See, Fred von Lohmann, "Fair Use as Innovation Policy", Berkley Technology Law Journal 23(1) (2008): 1-36)。
(なお、著作権の全面改正に関する学術界での議論はCopyright Principles Projectだけではなく、Jessica Litman、Neil Netanel、 William F. Party、Robert Mergesらも進めていることがあわせて報告された。)

以上を踏まえ、日本への示唆として、主に以下の2点を挙げられた。
・著作権課の機能の考察の必要性(米国著作権局とのスタッフ・権限の差異の考察)
・憲法との関係の考察

(2)上野達弘「ヨーロッパにおける著作権リフォーム−欧州著作権コードを中心に−」
上野報告では、欧州全体の著作権リフォームの提案プロジェクトの一つであるWittemグループ(Lionel Bently教授(Cambridge大学)ほか)の成果である「欧州著作権コード」の紹介が行われた。

まず「欧州著作権コード」の照会の導入として、欧州における、(1)著作権制度の一貫性の確保の必要性、(2)著作権に関する立法プロセスの不透明さ(とくにロビイングの影響による権利強化傾向への懸念が背景にある。一例として、隣接権の保護期間を70年とする近時の指令。)の解消、(3)加盟国ごとに属地的な著作権制度があることの不便さ・コンテンツ流通の阻害への課題認識、の3点を背景として、欧州での統一的な著作権制度の創設を提言するものとして作成されたことが説明された(なお、同コードは学術的な活動にとどまり、英語でのみ作成された)。

次に、大陸法と英米法の統合などの試みの結果、特徴的な点として主に以下の点が指摘された。
・欧州大陸法系著作権法では言及されることが少ない職務著作制度を打ち出した(なお、イギリス法には職務著作制度が存在する)。
。著作者人格権については、条件つきで不行使同意を有効とすることを打ち出した(なお、ドイツでは2002年の改正にあたって同意の有効性を明文化しようとしたが、改正に至らなかった)。著作者人格権の権利濫用を禁じる一般規定も提案された。
・権利制限については、一般条項が提案された(ただし、列挙した制限と同視でき、かつ、3ステップテストを満たすものとの規定である)。競争促進目的の権利制限も提案された。
・保護期間については、財産権の保護期間について現行の期間が長すぎるとの結論に至ったことが明示されている(ただし、具体的な保護期間については結論が得られなかったことが記されている)。
・クリエータの権利を重視し、創作者主義が貫徹され、著作権契約法が部分的ではあるが提案され(大陸法では詳細な著作権契約法が定められている)、さらにに、権利制限規定の中には報酬支払い義務を伴うものが提案されている(たとえば、学術目的のための利用についても報酬の支払いが定められている)。

以上の点を踏まえたうえで、自然人たるクリエーターが意識されている点、政策形成メカニズムに対する課題認識、の2点が日本への示唆となることが指摘された。

(3)京俊介「著作権法の立法過程分析:政治学の視点から」
京報告では、官僚・利益団体・政治家の三者に着目し、立法作業を行う官僚が他のアクターの行動をどう読んだ上で立法提案を行うかをモデル化し、事例を用いて検証した京俊介『著作権法改正の政治学』(木鐸社、2011年)の概要が紹介された。
まず、日本の著作権法立法過程については、多くの有権者が関心を持たないlow-salienceの政策分野であることが特徴として指摘された。これは選挙区を超えた利益に関わるものであり、イデオロギーとも無関係であるため、政治家も積極的に関与しないことが要因である(なお、ドイツでは著作権をイシューとした海賊党が躍進したが、これはドイツが比例代表制を中心的な制度としていることの影響であると考えられることが指摘された)。
また、これまで著作権の立法過程を巡る議論では、著作権法の内容が権利者に有利であること、権利者団体が組織化されている一方、利用者は組織化されていないことを踏まえて、「強い利益者集団」がいることが特徴であるととらえられているが、これだけでは立法者側の動機が明らかになっておらず説明として不十分(立法者側がブラックボックスになっている)ことが指摘された。

そこで、京(2011)は、次のようなモデルで検討を行った。すなわち、官庁が政策案を提示し(第一段階)、それに対して利益団体が評価し、必要であればロビイングをし(第二段階)、政治家は必要に応じて政策に介入する(第三段階)、とのゲーム(官庁、利益団体、政治家の三者の戦略的行動)と仮定する。そのうえで、官庁が利益団体・政治家の行動を読んだうえで政策形成を行うとの前提に立つ。(ゲーム理論を用いたことは、戦略的な読みあいを分析するため)
まず、利益集団の要求を聞き入れても政治家の特にならない場合は、官庁が望ましいと考えられる政策が提示され、それが受け入れられる。具体例としては利益集団である出版社が細分化されていて票にならなかった、写真の保護期間の延長(著作権法全面改正時。50年への延長)である。
次に、利益集団の要求を聞き入れることが政治家の得になる場合であり、かつ、ロビイング能力を官庁が充分に理解している場合は、限界まで官庁が妥協を行う。具体例としては応用美術の保護(著作権法全面改正時)である。
最後に、利益集団の要求を聞き入れることが政治家の得になる場合であり、かつ、ロビイング能力を官庁が充分に理解していない場合は、官庁が望ましいと考える政策が提示され修正が行われる。具体例としては、レコード二次使用の範囲(著作権法全面改正時)である。文化庁は例外なく徴収したかったが、利益集団の一つである飲食業界が免除を訴えた(しかし、文化庁との関係が薄かったため、官庁は予測できなかった)。飲食業界は票田であるため、政治家が介入し、飲食業界を例外とする立法が行われた。

このようなモデルでとらえた従来の著作権法の立法過程の下では、大きな変革は難しいことが指摘された。これは利益集団に重大な利益がかかる場合には政治ルートを通じて拒否権が発動されてしまうためである。また、立法を担う文化庁官僚にとって政治的リスクを負ってまで行うインセンティブが現在ところないことも要因として指摘された。

しかし、政治家が関心を持つインセンティブを持つ(例えば、全国区の比例代表制をとり、著作権を関心対象とする有権者層が一定数要る)、あるいは、独自の関心を持つ与党議員が登場する、野心的な文化庁官僚が登場する(例えば、文部科学省内の人事制度上もそのような試みを許容する、具体的には特定ポストに長期間つける)という条件が整えば著作権リフォームはできる可能性があるとの分析が示された。

[注1]日本語の翻訳バージョンはこちらから参照可能。
[注2]Pamela Samuelson,"Unbundling Fair Uses",UC Berkley Public Law Research Paper No.1323834 (2009).
posted by かんぞう at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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